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第2章:シエルの捜索
2-7.秘密です
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女に導かれるがまま、シエルは彼女の棲家に足を踏み入れた。部屋の中央に簡素な炉のある少し古くさい造りだが、とりたてて変わったところもない普通の家だった。部屋は一つしかなさそうで、女がここに一人で住んでいるというのは本当のようだった。
部屋の隅に置かれた水甕。
中央には炉があり、少し離れた所に食事用と思われる卓があった。クロスなどは掛かっておらず、木目が剥き出しのままだ。ずいぶんと使い込まれたものであることが遠目からでも窺える。
椅子は二脚あったが、そのうちの一方には洗濯ものらしき布がうずたかく積まれていて、人が座っていた形跡はなかった。
そして、壁際に置かれた寝台――。
女が寝ていたのだろうか、敷布が乱れている。シエルは思わず女の寝姿を想像してしまい、慌ててその幻影を振り払った。
「さぁ、こちらにお掛けください」
女が空いている方の椅子を引いて、シエルを手招きする。
シエルは着込んでいた外套を脱ぐと、遠慮がちに腰掛けた。
「ちょっと待っててくださいね。今、食事を取ってきますから」
女が木皿を持って小屋の外へ出ていく。
――何故こんなに親切にしてくれるのだろう?
シエルには女の態度が不思議でならない。
まるでサーシャに対する自分と似たような献身ぶりではないか。
自分とサーシャは親戚であり古くからの付き合いがあるが、女とはついさっき出会ったばかりに過ぎないなのだ。
シエルは女の考えていることが全く分からず、首を捻るしかなかった。
「お待たせしました」
ほどなくして、女が戻ってきた。
皿の上には先ほどまで焚火に焼べられていた肉が載せられている。
女は慣れた手つきで肉を細かく切り刻むと、シエルの分を取り分けた。
「美味い」
肉は何かのスパイスで味付けされているようだが、それが今までに食べたことのない味で、食欲をそそる。
「これは、なんの肉だ?」
シエルはずっと気になっていたことを尋ねた。
「……ウサギです。固くて臭みがあって、私はあまり好きではないんですが……。最近はウサギしか獲れなくて」
女が残念そうに顔をしかめる。
「いつもはどんな獲物が獲れるんだ?」
シエルの質問に、
「イノシシやシカ、トリが多いですね。……でも、私が一番好きな肉は滅多に手に入りません」
女が伏目がちに答えた。
紫色の瞳に長い睫毛が影を作る。
「貴女は、何の肉が好きなんだ?」
女は微笑むと、人差し指を自分の唇に当てた。
「秘密です」
その妖艶な表情にシエルはしばし目を奪われた。
女のほうも笑みを湛えたまま、シエルを見つめている。
女と見つめ合っている間……それはわずか数分のことに過ぎなかったはずだが、シエルは息をすることも忘れて、女の視線に絡めとられていた。
ほのかに甘い匂いが漂ってくるような気がした。
女が口を開いて唇に付いた肉の脂を自身の舌でペロリと舐めとる。赤く柔らかそうな唇が濡れて光る。
シエルはごくりと唾を呑み込んだ。
「あら?」
女がシエルの手首を見て呟く。
女の視線をたどってシエルも自分の手首に目を落とすと、袖の下から青黒く変色した痣が覗いていた。
ヘビに遭遇した時のものだ。時間が経って、痣の色が変わってきたらしい。
見た目にも痛々しいが、おそらく痣ができているのは手首だけではないだろう。
火に当たり、空腹を満たすと、失われていた体温が戻ってくるのと同時に、忘れていた痛みの感覚まで戻ってきてしまった。
「すまないが、水を貰ってもいいか? 傷の手当てをしたいんだが」
シエルが頼むと、女は立ち上がって部屋の隅へと向かった。
「あら。水がなくなりそうだわ」
水甕を覗き込んだ女が言った。
「すみません、すぐ汲んできます」
女が桶を手に外へ出て行こうとするのを、シエルが引き留めた。
「いや、私が行ってくるよ。肉を食べさせてもらったお礼だ。あの泉の水でいいのか?」
女が頷く。
シエルは女の持つ桶を引き取ると、全身が鈍く痛むのを悟られないように平気な顔をして、小屋の外に出た。
泉の水を汲みながら、シエルは女のことを考えた。
――何故こんな森の中に独りきりで暮らしているのだろう?
美しい女だ。
言葉づかいにも身のこなしにも、おかしな点は見当たらない。
あの容貌と立ち振る舞いであれば、いくらでも嫁に来てほしいという男がいるだろうに……。
お人好しで兄貴肌のシエルは、赤の他人に過ぎないあの女のことが本気で心配になってきた。
――うちの村に連れていってやってはどうだろうか。
たしか食堂係の人手が足りなかったはずだ。
女にはそこで働いてもらえばいい。
シエルはそんなことを考えながら、泉に桶をつけた。満杯まで水を汲んだ甕を引き上げようとした時、
「……っ!」
腰がズキリと痛んだ。
そういえば、昼間、思い切り地面に打ち付けられたことを思い出す。
「そうだ。アレがあった」
シエルは肌着をめくり上げて、祖父から貰った薬草を取り出した。鼻の粘膜を刺激する強烈な臭気が辺りに広がる。
あの女が近くにいなくてよかった。
村の生き字引と言われる祖父がくれたものだから、よく効くことは間違いないだろうが……如何せん、この草は臭すぎる!
鼻が全く効かなくなって、他の臭いが分からなくなってしまうのだ。女から漂っていたあの甘い匂いの残り香も、この草の臭いに消されてしまった。
部屋の隅に置かれた水甕。
中央には炉があり、少し離れた所に食事用と思われる卓があった。クロスなどは掛かっておらず、木目が剥き出しのままだ。ずいぶんと使い込まれたものであることが遠目からでも窺える。
椅子は二脚あったが、そのうちの一方には洗濯ものらしき布がうずたかく積まれていて、人が座っていた形跡はなかった。
そして、壁際に置かれた寝台――。
女が寝ていたのだろうか、敷布が乱れている。シエルは思わず女の寝姿を想像してしまい、慌ててその幻影を振り払った。
「さぁ、こちらにお掛けください」
女が空いている方の椅子を引いて、シエルを手招きする。
シエルは着込んでいた外套を脱ぐと、遠慮がちに腰掛けた。
「ちょっと待っててくださいね。今、食事を取ってきますから」
女が木皿を持って小屋の外へ出ていく。
――何故こんなに親切にしてくれるのだろう?
シエルには女の態度が不思議でならない。
まるでサーシャに対する自分と似たような献身ぶりではないか。
自分とサーシャは親戚であり古くからの付き合いがあるが、女とはついさっき出会ったばかりに過ぎないなのだ。
シエルは女の考えていることが全く分からず、首を捻るしかなかった。
「お待たせしました」
ほどなくして、女が戻ってきた。
皿の上には先ほどまで焚火に焼べられていた肉が載せられている。
女は慣れた手つきで肉を細かく切り刻むと、シエルの分を取り分けた。
「美味い」
肉は何かのスパイスで味付けされているようだが、それが今までに食べたことのない味で、食欲をそそる。
「これは、なんの肉だ?」
シエルはずっと気になっていたことを尋ねた。
「……ウサギです。固くて臭みがあって、私はあまり好きではないんですが……。最近はウサギしか獲れなくて」
女が残念そうに顔をしかめる。
「いつもはどんな獲物が獲れるんだ?」
シエルの質問に、
「イノシシやシカ、トリが多いですね。……でも、私が一番好きな肉は滅多に手に入りません」
女が伏目がちに答えた。
紫色の瞳に長い睫毛が影を作る。
「貴女は、何の肉が好きなんだ?」
女は微笑むと、人差し指を自分の唇に当てた。
「秘密です」
その妖艶な表情にシエルはしばし目を奪われた。
女のほうも笑みを湛えたまま、シエルを見つめている。
女と見つめ合っている間……それはわずか数分のことに過ぎなかったはずだが、シエルは息をすることも忘れて、女の視線に絡めとられていた。
ほのかに甘い匂いが漂ってくるような気がした。
女が口を開いて唇に付いた肉の脂を自身の舌でペロリと舐めとる。赤く柔らかそうな唇が濡れて光る。
シエルはごくりと唾を呑み込んだ。
「あら?」
女がシエルの手首を見て呟く。
女の視線をたどってシエルも自分の手首に目を落とすと、袖の下から青黒く変色した痣が覗いていた。
ヘビに遭遇した時のものだ。時間が経って、痣の色が変わってきたらしい。
見た目にも痛々しいが、おそらく痣ができているのは手首だけではないだろう。
火に当たり、空腹を満たすと、失われていた体温が戻ってくるのと同時に、忘れていた痛みの感覚まで戻ってきてしまった。
「すまないが、水を貰ってもいいか? 傷の手当てをしたいんだが」
シエルが頼むと、女は立ち上がって部屋の隅へと向かった。
「あら。水がなくなりそうだわ」
水甕を覗き込んだ女が言った。
「すみません、すぐ汲んできます」
女が桶を手に外へ出て行こうとするのを、シエルが引き留めた。
「いや、私が行ってくるよ。肉を食べさせてもらったお礼だ。あの泉の水でいいのか?」
女が頷く。
シエルは女の持つ桶を引き取ると、全身が鈍く痛むのを悟られないように平気な顔をして、小屋の外に出た。
泉の水を汲みながら、シエルは女のことを考えた。
――何故こんな森の中に独りきりで暮らしているのだろう?
美しい女だ。
言葉づかいにも身のこなしにも、おかしな点は見当たらない。
あの容貌と立ち振る舞いであれば、いくらでも嫁に来てほしいという男がいるだろうに……。
お人好しで兄貴肌のシエルは、赤の他人に過ぎないあの女のことが本気で心配になってきた。
――うちの村に連れていってやってはどうだろうか。
たしか食堂係の人手が足りなかったはずだ。
女にはそこで働いてもらえばいい。
シエルはそんなことを考えながら、泉に桶をつけた。満杯まで水を汲んだ甕を引き上げようとした時、
「……っ!」
腰がズキリと痛んだ。
そういえば、昼間、思い切り地面に打ち付けられたことを思い出す。
「そうだ。アレがあった」
シエルは肌着をめくり上げて、祖父から貰った薬草を取り出した。鼻の粘膜を刺激する強烈な臭気が辺りに広がる。
あの女が近くにいなくてよかった。
村の生き字引と言われる祖父がくれたものだから、よく効くことは間違いないだろうが……如何せん、この草は臭すぎる!
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