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お仕置き
しおりを挟む「うん。これで良し、と」
綺麗に掃き清められた庭を見まわして、リザは満足そうに頷いた。
遠縁にあたるヒューバッハ侯爵家に引き取られて早三年。この屋敷に来たばかりの頃はろくに掃除も出来なかったが、今やすっかり侍女の仕事が板についてきた。
ヒューバッハ家の庭には代々の当主の趣味でたくさんの樹木が植えられていて、リザはこの前庭の掃除を任されていた。季節によって様々な花をつけ、葉が色づく様子は美しくてリザも大好きなのだが、その分、掃除はまめに行う必要があるのだ。
「ん? 何だろう、あれ」
リザの目に、何やらもぞもぞと蠢く灰色の物体が映った。
庭に落ちていた花びらや葉っぱは全て片付けたはずなのに……と、不審に思いながら近づくと、
「……鳥?」
小さなヒナ鳥がぐったりと蹲っていた。
リザはしゃがみ込んで、そのヒナをそっと手のひらに乗せてみる。
「まだ温かい」
じんわりと広がる温かな感触。ヒナ鳥は小さく、ピヨ、と鳴いて、まっすぐにリザを見つめた。真ん丸の黒い瞳がなんとも言えず愛らしい。
「どうしよう。親元に返してあげないと……」
立ち上がったリザが顔を上げて周囲の木々に目を凝らすと、大きな欅の枝の一画に鳥の巣らしきものをみつけた。
「あそこから落ちたのかな」
背伸びをして思いっきり手を伸ばしてみたが、残念ながらリザの身長では届きそうにない。
「もうちょっとなんだけどなぁ。……少し登れば届くかも?」
リザはエプロンのポケットにヒナを入れると、潰さないように気をつけながら、欅の木をよじ登り始めた。
幹の洞に足をかけると、制服の黒いスカートがめくれあがって、白いふくらはぎが剥き出しになる。
今でこそ侍女として他家に仕える身だが、もともとリザの生家は領地を保有する貴族だった。
もし当時の乳母に今の姿を見られたら、「はしたない」と怒られるんだろうな――そんな想像がリザの頭を過ったけれど、乳母はもういないし、リザももう深窓の令嬢ではない。
「あ~ダメダメ! 余計なこと考えちゃ」
ふいに胸をついた感傷を振り切るように、リザは足に力を入れて登っていく。
「あと、もう少し……」
枝の先に目指す巣があった。
リザはポケットからヒナ鳥を取り出すと、落とさないよう慎重に手のひらに乗せて、出来るかぎり腕を伸ばす。
ヒナの兄弟だろうか。巣の中にいる小さな鳥たちが高い声で鳴いている。
「ほら、家族のところへお帰り」
巣に向かって手を伸ばすと、リザの指を伝うようにして、ヒナが巣の中へと転がり込んでいく。やがて兄弟たちに混ざって可愛らしい鳴き声を上げはじめたヒナの姿に、リザはほっと胸を撫でおろした。
「よかったぁ。もう落ちちゃダメだよ」
リザが木から下りようと足場を探っていると――
「お、おい! リザ、そんなとこで何やってるんだよ!?」
「へ!? あ、わっ、キャぁあああああ!」
背中越しに掛けられた声に驚いて、リザはバランスを崩した。足を踏み外して、そのままズザザーっと身体がずり落ちていく。
「あれ、痛……くない?」
地面に叩きつけられたはずのリザだったが、何やら柔らかな感触に支えられて、ほとんど痛みを感じない。
「痛ってぇ……」
そう呻いたのはリザではなく、
「わ! ごめんなさい!! ミゲル、大丈夫?」
庭師のミゲルがリザの下敷きになっていた。
木から落ちたリザを抱きとめようとしてくれたらしい。
ちなみに、先ほど木の上のリザに声を掛けてきたのも彼である。
リザはあわてて身を起こそうとしたが、いつのまにか背中に回されていたミゲルの手にぐいっと引き寄せられてしまう。思いがけず抱き合うような格好になってしまい、リザは戸惑った。
「……ミゲル?」
リザが探るようにミゲルの顔を伺うと、
「リザ、大丈夫だった? ケガはない?」
ミゲルが目を細めてリザに問いかけた。
優しそうな淡いブラウンの瞳に見つめられて、リザは自分の顔が熱くなるのを感じる。
ミゲルは同じ屋敷で働く仲間だ。三つほど年上でお調子者の彼のことをリザは兄のように慕っていた。
「う、うん。大丈夫。だから、あの……離して」
「ヤダ」
ミゲルは子供みたいに首を振ってみせるとうっとりとした表情を浮かべながら、リザの頭に手を伸ばした。掃除の邪魔にならないようにと髪の毛をまとめていたリボンを外され、リザの長い髪がバサッと広がる。
「綺麗な髪だね」
絹糸のような艶のある黄金色の髪はリザの自慢だ。
ミゲルはその滑らかな感触を慈しむように、リザの髪を撫でている。大きくて温かな手の肌ざわりはリザにとっても心地がよくて、しばらくされるがままでいると、密着したミゲルの胸板のたくましさを嫌でも意識してしまう。
「ちょっ……ミゲル! どこ触ってるの!?」
髪を撫でていたはずのミゲルの手がいつのまにかリザのお尻を撫でまわしているではないか! それもムッチリと肉付きのいいその弾力を味わうかのような、いやらしい手つきで。
「んー? いいだろう、ちょっとぐらい。僕はリザを庇って痛い思いをしたんだからさ。これぐらいの役得があってもいいと思うんだけどな」
そう言ってイタズラっ子のようにミゲルが片目を瞑ってみせた。
たしかにミゲルのおかげで助かったので、リザは返す言葉がない。リザが言い返せずにいる隙に、ミゲルの手の動きがどんどん大胆になっていく。
「んぅ……っ」
尻たぶをぐにぐにと解すように揉み込まれて、リザの鼻から息が漏れる。
「気持ちいい?」
ミゲルがリザの耳元に唇を寄せて囁いた。いつもとは違う艶っぽい声に、リザのお腹の奥がキュン、と疼く。
「お前たち! そこで何をしている!?」
突然の鋭い叱責に、リザとミゲルは弾かれたように身を離した。慌ててその場に立ち上がると、衣服についた土を払って姿勢を正す。
「お、お帰りなさいませ!」
リザとミゲルは声を揃えて出迎えの挨拶をすると、腰を折り曲げて深く頭を下げた。
「……仲が良いのは結構だが、場所は弁えるように」
渋い顔で忠告したのはヒューバッハ家の執事、アルベルトだ。
鶏ガラのように痩せこけた長身が特徴的な老人だが、先々代の頃からこの屋敷に仕えており、現当主からの信頼も厚い。
リザがバツの悪い思いで恐る恐る顔を上げると、自分に向けられた冷ややかな視線にぶつかった。
ウソ! 彼にも見られていたなんて……!
リザは思わず俯いて顔を隠した。
アルベルトの後ろから彼女のことを無表情で眺めているスーツ姿の男性は――
ヨハネス・フォン・ヒューバッハ侯爵。
この家の若き当主である。
「申し訳ございません、ヨハネス様。使用人の教育が行き届いておりませんで……」
「……フッ。若いからな、力が有り余ってるんだろう」
皮肉っぽく言い放ったヨハネスが呆れたように笑ってみせた。口元は緩く弧を描いているが、目は笑っていない。冬の空に浮かぶ月のような琥珀色の瞳に見据えられて、リザの身体が小さく震えた。
「ミゲル、この荷物を運んでくれないか」
「は、はい! かしこまりました」
ミゲルは身を正すと、急いでアルベルトの後に続いた。
その場にリザとヨハネスが残される。
ヨハネスは相変わらず、感情の読めない目でリザを見つめていた。
子供の頃であれば、何も考えず、ただただ無邪気に彼の胸へと飛び込んでいけたのに……。
リザはふとヨハネスと過ごした子供時代を思い出した。だけど、リザはもう領主の娘ではないし、ヨハネスとは住む世界も変わってしまった。
「私も、仕事に戻らないと……」
いたたまれなくなったリザが早くこの場を離れようと後ろを向くと、
「待て」
後ろからぎゅっと手首を掴まれて、立ち止まらざるをえなかった。
「な、なんでしょうか……?」
主人に呼び止められて応えないわけにはいかない。
リザが振り向いてヨハネスの顔を見上げると、ゆっくりと彼の顔が近づいてきた。
「今夜、就寝前に私の部屋に来なさい」
「え?」
そんな命令を受けたのは初めてだ。
ヨハネスの耳打ちにリザが眉を顰めると、
「……絶対だ。いいね?」
「痛っ……」
掴まれていた手首をよりいっそう強い力で握り締められて、リザは思わず顔をしかめた。
元より「主人と使用人」だ。リザに拒否権などない。
「か、かしこまりました。必ず伺います。だから、あの……離してください」
リザがヨハネスの顔色を窺いながら訴えると、ヨハネスはしばらくジっと彼女の顔を見つめてから、名残惜しそうに手を放した。
いつもと違うヨハネスの様子に、リザの胸が騒いだ。
どう対応していいかわからない。
そのまま無言で屋敷の方へと歩き出したヨハネスの背中を、リザは呆然と見送ったのだった。
*****
「失礼します」
「……来たか」
一日の仕事を終えたリザは、約束どおり、ヨハネスの私室を訪れた。
机に向かって書き物をしていたらしいヨハネスが顔を上げて、扉の前で小さく震えるリザに目を留める。
「あの、こんな時間に何の御用でしょうか?」
リザは思いきって聞いてみたが、ヨハネスからの返事はない。
それどころか、彼がいまどんな表情を浮かべているのかすら、よくわからなかった。
部屋には窓から差し込む仄かな月明かりと、机の上に置かれた小さなランプの灯しか光がないのだ。
しばらく気まずい沈黙が流れた。
「こちらに来なさい」
ようやく口を開いたヨハネスに命じられるがまま、リザは彼のもとへと歩を進めた。
「今日の昼間、庭でミゲルと何をしていた?」
「……っ!」
庭での出来事を思い出して、リザは息を飲んだ。
まさか、あの件について追及されるとは……。
アルベルトならともかく、ヨハネスが自ら使用人の素行を問いただすことなどしないだろうと高を括っていたリザは返答に困ってしまう。
「なぜ答えない?」
「…………」
「何かやましいことでもしていたのか?」
「いえ、そんなことは……」
咄嗟に否定したが、やましいと言えばやましかったかもしれない。
リザはミゲルの手がいやらしく自分のお尻を這いまわったことを思い出す。
言葉が続かないリザに向かって、ヨハネスが手元のランプを掲げる。淡いオレンジ色の光に照らされて、リザの顔が薄闇のなかに浮かび上がった。
「どうした? 顔が赤いぞ」
ヨハネスに指摘されて、リザは思わず両手で自分の頬を押さえた。
「……はぁ」
ヨハネスが大きな溜め息をついた。そのままランプを机に戻すと、片手を額に添えて頭を抱えてみせる。
呆れられてる?
嫌われてしまったかもしれない……。
リザは不安でたまらなかった。
恩人であるこの人に失望されるのは……辛い。
下を向いて震えるリザに氷のような視線を向けたまま、ヨハネスはぼそりと呟いた。
「お仕置きが必要だな」
「…………え?」
「脱ぎなさい」
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