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嘘付きと甘やかされたがり
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しまった、と思った時にはもう遅かった。
いつもは穏やかな表情なのが、眉も口もきつく引き締められ、綺麗に張った黒い双眸には明らかな怒りを含んでいる。とっさに言葉も出ないでいるスズナを一瞥して、アオイは静かに席を立ち、そのまま外へ出て行ってしまった。
「……スズナ、言いすぎなんじゃない?」
一緒に飲んでいた友人の一人が呆れたように言うのへ、スズナは鼻先で笑って見せた。
「別にたいしたこと言ってねえし。あんくらいで不貞腐れんなっつーの」
「そうかなー、お前結構キツイこと言ってたぞ。……ま、アオイの分の支払い、スズナ持ちな」
「アオイの分だけじゃなくて、何なら俺のも出してもらってもいい」
友人達の言葉に周囲が笑う、気まずい空気はそれで払拭され、スズナも気にも留めぬ風で別の会話に加わったけれど、内心はそれどころではなかった。
アオイとは随分長い付き合いになるけれど、さっきのような表情と態度を見たのは初めてだった。これまで自分に対して、困ったようだったりめんどくさそうだったりと、不機嫌な様子を見せたことはたまにあっても、ああまではっきりとした怒りを表すことはなかったのである。
結構キツイことを言っていた、と友達は言うけれど、口が悪いのは自分の癖、自分でもやりすぎたかなと思うくらい酷いことを言ったことだってあるし、それは親友であるアオイも解っているはずだとスズナは思う。それなら何故彼があんなに怒ったのか、スズナには理解し難いのだった。
酒の味も分からぬまま飲み会が終わる、宣告された通りにアオイの分と二人分払い、二次会に流れようという矢先、スズナは足を止めた。
「悪ィ、今日は止めとくわ」
と言えば、さっきの友人がくすくす笑った。
「何だ、やっぱアオイのこと気になってんじゃん。謝ってくれば?」
「うぜーわ、そんなことするかよ。あの馬鹿のせいで金が足んねーだけ」
こともなげに言い放ち、そんじゃな、と手を上げて群れから離脱する、そのまま皆とは反対の方向に早足で歩いていたが、見咎められないところまできてスズナは立ち止まった。
アオイは何処へ行ったのだろう、独りで帰ってしまったのか、それとも別の店で飲み直しでもしているのだろうか。強い割りにはそんなに酒が好きなわけではないから、おそらく前者な気がする。いや、でも意外と最近友達が増えてるようだから、誰か誘って……、と色々考えている自分に気付いて、スズナは眉間に皺を寄せた。
「何で俺がそんなん考えなきゃいけねーの」
と声に出して呟き、アホらしい、と不機嫌な足取りで地下鉄の階段を降りた。丁度入ってきた電車に乗り、ドアの脇にぼんやりと凭れれば、ガラスに映るのはどこか不安そうな自分の顔、思わず舌打ちして目を逸らせた。別のことを考えようとしても、いつの間にかアオイの表情を思い出している自分がいる。顔立ちが整っているからこそ、怒りの視線には鋭さがあり、それが頭を離れない。
ふと、車内アナウンスに気づくと、次はアオイが住んでいるマンションの最寄り駅で、心臓がどきりと跳ねた。アオイに会いに行くならここで降りるべきだけれど、戻っているかも分からないし、そもそも会ってどうする、謝る気など全くないし、と葛藤しているうちに、スズナはさっき立て替えた飲み代を徴収する、という立派な名目を思いついた。
仮になにか腹が立ったのだとしても、金も払わずに帰ってしまうという方が大人としておかしい、そこら辺も説教してやろう、と自分に言い聞かせて景気をつけ、閉まりかけたドアをすり抜けてホームに降りる。予め携帯で所在を確認しようかとも思ったけれど、それでは何だか恰好がつかないし、途中下車したからにはとりあえず行くだけ行ってやれ、と肚を決め、人影もまばらな駅の階段を威勢よく駆け上がると、さっきの晴天が嘘のように小雨が降っていて、スズナは再び舌打ちした。
幸い、アオイの家は駅から近く、傘は無くてもそう濡れずに済んだけれど、窓に灯りが点いていないのが気になった。果たしてインターホンを鳴らしても応答はなく、人のいる気配も無い。仕方なく引き返そうとしたところで、スズナはコンビニの袋を提げたアオイと鉢合わせした。
無機質な表情でこちらを見ていたアオイは、何も言わずに鍵を開ける、その態度にスズナは無性に腹が立った。怒っているにしても何か一言くらいあるだろう、と腹立ち紛れに腕を掴むと、アオイは、
「何?」
とあくまで冷静で、スズナの神経を逆撫でする。
「お前、無視してんじゃねえよ」
思わず声を荒げるのへ、アオイはたじろぐ風も無く、
「今、スズナと話したくない。用件だけ言って」
とはっきり言った。どんな場面でも尖ることのないアオイの、これは珍しくきつい言い方で、スズナはアオイの怒りの深さを感じ、それが深々と胸に刺さる。
「……今日の飲み代。立て替えたから返せ」
と言う自分の声の弱いこと、さっきまでアオイに感じていた苛立たしさは消え、代わりにどうしようもない苦味が広がっていく。
立て替え金の受け取りが済んでも帰ろうとしないスズナを眺めて、アオイはドアに凭れて腕を組み、
「で、他に用は?」
と素っ気無く訊く、さすがにこんな態度を取られるのは自尊心も許さず、さっさと立ち去ろうと思ったのに、スズナは、
「何でそんなに怒ってんだよ」
と言っている自分に気が付いた。
「……あんなこと言っておいて、俺が怒らないとでも思った?」
呆れたように言われるのへ、スズナは自分が何を言ったのか思い出そうとした。実はアオイの表情で自分が彼の気に障ることを言ったのだと悟っただけで、その内容については良く覚えていないのである。だが、もちろんそんなことを言えるような雰囲気でもなく、とりあえず謝ってしまえば良いのだろうか、とも考えはしたものの、さて実際どうやって謝罪すればいいのかスズナには分からなかった。
思えばこれまでアオイに対してまともに謝ったことなど一度もない。長い付き合いの中では意見が食い違うこともあったし、ぶつかることもあったけれど、たいていはアオイが折れてくれた。こちらが折れなければならない時も、アオイは自身の正当性を主張するような態度は一切取らなかったから、スズナは不必要な苦しさを感じたことはない。
どんなに親しくなった友人にも、度々我侭とか横暴とか文句を言われるスズナに対して、アオイはいつも寛大だった。息が詰まるほど距離を縮めるのでもなし、もちろん媚びるわけでもなく、それでいて居て欲しい時には必ず傍にいてくれるアオイの存在は、窮屈なのが大嫌いなスズナにとって非常に心地良かった。
だが、こうしてアオイのあからさまな怒りを前にして初めて、スズナは自分がこれまで彼に対してとってきた態度や言動が、全て間違っていたのではないか、と思った。アオイの度量の大きさを恃み、仲が良いからこそ赦されているのだと解釈していたのは、余りにも身勝手で一方的だったのかもしれない。そもそもアオイの寛大さに対して、自分は何を報いたことがあるだろうか、感謝はおろか、優しい言葉の一つかけた覚えすら無い。
この怒りは当然だ、とスズナは思う。ひょっとしたら嫌われたのかもしれない、と思うと、今まで経験したことのない痛みが胸を刺す。言うべき言葉を失っているスズナを見下ろし、アオイは苛立たしそうに溜息を吐いた。
「スズナ、俺のこと嫌いなの?」
「……そんなわけねーだろ」
「でも、そうとしか思えない」
「違う、俺は、」
決して口下手ではないはずなのに、言いたいことが出てこないもどかしさで苦しい。
居心地が良いと感じるのも、その優しさに甘えていたのも、相手がアオイだからだ。何故そうなのか、という説明はつかないけれど、例え誰か他の人間が自分に対してアオイと同じように振舞ったとしても、自分は決してこんな風に心を許した付き合いはしない、という確信がスズナにはあった。それを伝えて謝ることが出来れば、少しはアオイも怒りを静めてくれるのだろうか。
「俺は、お前じゃないと甘やかされねえんだよ。他の奴じゃ駄目なの」
悩んだ末に出てきた言葉は自分としては必死で大真面目だったのだけれど、聞きようによっては強烈に傲慢な言葉であることに気付き、スズナは自分に愛想が尽きた。
これでは何の解決にもならない、と絶望的な気分に陥りながらアオイを見れば、これはいよいよ呆れ果てたのだろうか、さっきと表情も変えずにじっとスズナを見ている。と、人の話し声と足音がして、隣に住んでいる夫婦が帰ってくる、公共の廊下で不自然な雰囲気で対峙しているスズナとアオイに対し、あからさまに不審そうな顔をするのをちらりと見て、アオイは小さく溜息を吐いた。
ドアを開け、小声で、
「入って」
と言うアオイの指示におとなしく従い、スズナは部屋に入る。鍵を閉めるアオイの背をぼんやり見つめながら、スズナは刑場に曳かれる罪人の気持ちを味わっていた。散々我侭を通しておきながら、今になって後悔するのは大人として情けなさ過ぎるのも分かっているけれど、何を言われてもいい、殴られても構わない、縁切りを言い渡されるのだけは嫌だ、とそれだけを必死に祈る。
「スズナ」
こちらに向き直ったアオイに対し、スズナは一瞬身が竦む、が、見間違いでなければアオイは笑っていた。
「……もういいよ。頑張ったね、スズナ」
綺麗だけれどどこか間の抜けた、眉の下がった表情は普段の彼そのままで、さっきまでの冷たい影はすっかり拭われており、急激な状況の変化についていけずにスズナは唖然とする。そういうスズナの様子にアオイは楽しそうにくすくす笑った。
「お前、……何、……」
「俺だけなんだろ、スズナが甘えてんのって。大好きじゃん」
嬉しそうに言われるのへ、スズナは頭に血が上ってくるのを覚える。
「てめ、今までの全部嘘……っ、」
「嘘、じゃないよ。酷いこと言われれば腹立つでしょ。でも、スズナがどう思ってるのか知りたかったから、……本当に俺のことなんかどうでも良くて、好き勝手言ってるのか、それとも信頼して甘えててそういう言動取ってるのか、そろそろはっきりさせたくて大袈裟にしたのはあるかな」
ごめんね、と言いながらアオイはスズナの腕に手をかけた。その手を振り払わなかったのは、スズナの中で、怒りよりも安堵が大きかったからである。何となく騙された感じも、捕まえられた感じも、アオイを失わなかったという事実の前には、些事のように思えてくる。
この展開について考えなければならないことは山ほどありそうなのだけれど、とりあえず面倒なことは後回しにしておこう、とスズナは溜息を吐く。が、一つだけはっきりさせておきたくて、
「アオイ、……何が地雷だった?俺、自分が何言ったか覚えてねーや」
と訊けば、ああ、とアオイは首を横に振った。
「俺も覚えてない」
「は?」
「まあ、いつもの暴言だったと思うけど。何でも良かったんだよね、きっかけが欲しかっただけだから」
とあっさり言われるのに、スズナは思わず笑ってしまった。完全にこれは罠だったのだとようやく気付いたのと同時に、どうして自分が彼を失いたくないのか、その理由にもやっと気付く。気付きはしても、スズナは『罠にかけてくれてありがとう』などという性分ではない。
「お前、……すっげー最低だな」
「スズナって頭の回転速いのに、意外と色んなの気付くの遅いよね、そういうとこも好きなんだけど」
と囁かれるのはどうやら本当らしい、スズナはアオイの腕の中で再び溜息を吐いた。
「とりあえず上がって。手出すから」
「待て、後半部分が不穏」
「時間置いちゃうとスズナは色々考えだしそうだから。先に既成事実作っておこうかと」
「……急すぎるんだよ、てか既成事実ってなんだよ」
抱きしめられて既成事実作ると言われればその意味は解るけれど、色々と間がスキップされていて一般的な意味で合っているのか確証がない。しかも、合っていたとしてもそれはそれで戸惑いはある。そもそもアオイの性的対象に男性が入っているのかすら分からない。
「ほら、色々考えだした」
と笑うアオイにスズナは呆れる。
「いや逆にお前が考えてないのが、」
「スズナ、キスしていい?」
あまりにも直接的な問いかけに一瞬怯む、返事をするより先にふわりと唇が塞がれた。
あっという間の出来事で抵抗する暇もなかった、と思いかけたスズナにアオイは小さく笑い、再びキスされる、今度はさっきの軽く触れるだけのものとは違う所謂本物のキスで、じわり、と脳が蕩けていくような感じがある。
「ああ、やっぱり大丈夫だよね」
と何か確信したようなアオイに対し、言い返したいことは山ほどあっても言語化できず、ただぼんやり相手をを見つめるだけのスズナにアオイは楽しそうに言った。
「おいで、スズナ。……好きなだけ甘やかしてあげるから」
------------------------------------------
何でこうなったのだろうとスズナは思う。
ついさっきまで険悪な雰囲気になって、親友のアオイを失いたくなくて必死だったはずなのに、今はまるでずっと前から恋人であったかのようにアオイに抱きしめられている。それが少しも嫌ではなく、寧ろ不思議な安心感と高揚感があるものの、だからこその羞恥心が酷い。
「……お前、何で男相手にこんなに手馴れてんの」
「だって俺バイだよ。付き合うまでは行かなかったけど何回か抱いたことはあるかな」
「……初耳」
「別に誰にも言ってなかったからね」
特にお前には隠してたかな、と言われるその声に不本意にもぞくりとした。元々アオイの低音で穏やかな声が好きだったけれど、今はそれが耳を通して全身が軽く痺れるような感覚になる。
「スズナって耳弱いよね。触られるのも、聴覚も」
感覚と思考を読まれたような気がしてスズナの顔が熱くなる。
「そんなの分かんねーじゃんよ」
「分かるよ、すっごい可愛い顔するから」
当たり前のことのように言われ、スズナの羞恥心が上限に達する。
「もうやだ!放せ、馬鹿」
「俺が放すわけないでしょ、ずっと待ってたのに」
「ずっと、って……いつからだよ」
「んー、中3?」
「中3って……クラス替えで初めて会った時じゃん」
「そう。自分がバイなんだなって気付いたのもスズナがきっかけ。自由で明るくて……可愛いなって。でもどんなに望んでも手に入らないものがあるんだって思い知ったのもその時」
淡々と話すアオイの声に含まれる真剣さに、スズナは暴れるのを止めた。自分が中3の時は何をしていただろうか、大学附属の中高一貫校だったから受験の心配はなかったけれど、周りで早い子は彼女が出来始める頃、それが羨ましいくらいで、後は部活やらゲームやら暢気に学生生活を送っていたくらいしか記憶がない。アオイとは初めて中3で同じクラスになって仲良くなり、高校までは一緒だったけれど、自分も含めて仲間がそのまま附属の大学にエスカレーター式に上がるのとは違い、アオイは外部受験組で、国立の難関大学へ進学した。
「……それからっていうなら、何で一緒の大学行かなかったんだよ」
「仲良くなればなるほど、スズナの傍にいるのが辛くなったから。だから思い切って環境変えようと思って。女の子でも行けたから、彼女作ってそのうち結婚して、スズナへの想いは棄てなきゃって思ってたんだけど。……でも、俺らの仲間って皆仲良くて大学別でも飲み会とか誘ってくれるでしょ。お前に会いたくて行くんだけど、やっぱり親友以上は無理かなって……。だから、今日スズナが何のアクションもしてこなかったら終わりにしようって思ってた」
その言葉を聞いた途端、色々な感情でスズナは苦しくなる。アオイの想いも知らずに傍若無人に振る舞っていたことももちろんだけれど、今日我を張ってここに来ていなければ切れてしまった縁なのかもしれない。アオイのいない人生など考えられない、というのが率直なところ、思わず彼の腕を掴むとアオイは小さく笑ってスズナの耳にキスをした。
「ホントは俺、今狡いことしてるなあって解ってんの。スズナが俺のこと好きなのは確信出来たんだけど、混乱に乗じてその“好き”の意味を完全に俺と同じに持っていこうとしてるんだよね」
するりと服の中に手が入ってきて肌に触れられる、スズナに嫌悪感はなく手のひらの温かさが心地いいなとぼんやり考えていると、ふいに唇を塞がれた。舌を絡めたまま肌を撫でられると体の芯が熱くなるような気がする、生理現象のせいにするにはどうかと思う甘い感覚に自分でも眉を顰めた瞬間、アオイの指先が乳首を軽く引搔いて、予期しなかった声が零れた。なかったことにしたいと願うスズナに、アオイは楽しそうに笑う。
「可愛いね」
「お前、次それ言ったら殺す」
「えー、無理だよそんなの。可愛いものは可愛いもん。……でもね、スズナ、」
と急にアオイは真剣な表情になった。
「やっぱり嫌だって思ったら、いつでも逃げていいから。俺からはもう離せないから、殴ってでも蹴ってでもいい、自力で逃げて。狡いことはするけど、無理矢理傷つけたくない」
そっと髪を指先で梳かれながら言われるのへ、スズナは苦笑した。
「……俺が逃げないの知ってて言ってるだろ」
「まあね。でもこれが本心だよ」
それはこっちも分かっている、と思いながら口には出さず、スズナはアオイの髪を掴んでキスをする、一寸驚いたようなアオイは静かに笑って、ありがとう、と言った。
今、このシチュエーションの中で交わした一番まともな言葉だったのに、さっきの甘い感覚が増幅されて、スズナの頭の中が霞みがかったようになった。アオイの唇が耳を食み、舌が首筋をなぞっただけでどこか壊れたのではないかというくらいの性感がある。服を脱がされ、アオイの手が性器に触れた時にはもう、すっかり芯が通って露が溢れていて。
「スズナ、やっぱり可愛い」
可愛いと言ったら殺すと宣言しておきながら、アオイの欲に掠れた声にすら性感を刺激されて言い返すことも、暴れることも出来ず、言われた通り本当に聴覚が弱いのかとスズナは思い始める。乳首を甘噛みされながら、アオイの指と手のひらで濡れた性器を扱かれる頃には、羞恥よりも快楽が完全に上回っていた。
「や、……っ、あ、……だめ、アオイ、……ッ、待てって……っ、」
「気持ちいい?……このままイっていいよ」
お前がイクとこ見せて、と耳に吹き込まれたのがトリガーになって、スズナはアオイの言う通りにあっけなくそのまま果てる。しばらく彼女がいなかったからとか、酒が入っていたからとか、瞬時に色々な言い訳が頭を過ったのを見透かしたようにアオイが言う。
「なかったことにはならないよ。……想像してたよりエロかったね、スズナ」
「うるさい。つか、想像って何……」
「ホントは今日はここまでって思ったんだけど、スズナがエロすぎて俺が無理」
ほら、と手を持って導かれた先にはアオイの硬く張った性器があった。さすがにこれを放置は辛いよな、とスズナは思う。
「……俺、どうすればいい?手とかで抜けばいいの?」
「あ、口がいいかな」
あっさり言われるのへ、スズナはため息をついた。
「お前な、簡単に言うな。男初心者だぞ」
「女の子にされたことはあるでしょ。それと同じ感じで。……あ、ひょっとしてされたことない?」
図星であった。というか、そもそも女性経験も少ないが、それを認めるのは状況も相まってしたくない。返事の代わりに黙って手に取ると、そのまま口に含む。血の味にも似た先走りが舌に広がる、快楽のポイントは分かるからそこに舌を這わせて、後はAVからの見よう見真似で唇を使う。
「……意外と上手だね」
こんなのを褒められても嬉しくない、と思う一方で、アオイの声に含まれる愉悦の吐息と、髪や耳を撫でる指先に、再びあの甘い感覚が蘇り、腹の底が疼くような奇妙な感じがあって、スズナは困惑する。別に自分が何かされているわけでもないのに、何だこれ、とぼんやり考えていると。
「スズナ、ホントは誰かにしたことある?」
と訊かれて頭に血が上った。
「そんなわけねーだろ、お前だからやってんだよ!アオイ以外にこんなのするわけ、」
とついいつもの調子で言ってから、あ、これはアオイの奸計だとスズナは気付く。果たしてアオイは我が意を得たりと言わんばかりに、
「じゃあ、俺だけだね。今後は他の人……女の子も含めて、誰ともしないで」
と笑ってスズナの額にキスした。
「……洗脳と束縛がエグいな。爽やか好青年見た目詐欺」
「そう、だから俺がこれ以上ヤバい奴にならないように、スズナが一緒にいて」
これ以上酷い告白があるかとスズナは思う。だが同時に対外用の印象は真逆だけれど、結局自分達は似た者同士なのかもしれない。だからこそ縁が切れないでここまで来た――。
「…って、お前、それ何」
「潤滑ローション。これがないと痛いよ?」
「いや、え?待って俺が挿れられる側なの?」
「だってお前、男の抱き方知らないじゃん」
決まったもののように言うのへ、さすがにスズナも焦る。
「色んな方面で心の準備が出来てない!」
「じゃあ先に体の準備もしようか。お風呂行こうね」
何でもないことのように言うのへ、スズナは言葉を失っていた。
何でこうなったのだろうとスズナは再び思う。
さっきまで指一本で限界、絶対に性器など入らないと思っていたのに、今や根元まで受け入れた挙句、甘い性感に苛まれている。挿入されたまま腹部を指で軽く圧されると強烈な快楽で思わず声が漏れる。
「も、やだ……、怖い」
「何で怖いの。痛かったり苦しかったりする?」
「苦しいとかじゃない、…けど、何か、……体、変で」
繕う余裕もなく口にすれば、アオイは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、大丈夫。変じゃないからね、そのまま……気持ちよくなって」
大丈夫じゃないと言いたかったはずなのに、アオイの声が脳に直接響いて、それがスイッチにでもなったかのように快楽が優先になる。正気に戻ったら死にたくなるのではないかと頭の片隅で分かっていながら、それでもスズナはアオイの望むとおりに体を開き、恥ずかしい姿で貫かれ、結合部の立てる濡れた音を聞かされながら、自分では制御出来ない淫らな声を上げ続けた。
「アオイ、ヤバい……、変、何か、……来る……っ」
「……お前本当にガチでエロくて可愛い」
聞いたことのないアオイの声から彼の劣情が伝わって、媚薬のようにスズナを支配していく。
「あ、だめ……っ、無理、……あ、ア……、…………ッ!」
さっきとは比べ物にならないほどの、経験したことのない深い絶頂を迎えたスズナは、急速に落ちていく意識の中でアオイもまた自分の中で果てたことを知った。
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「死にたい」
言語能力が回復したスズナの第一声はこれだった。
「冗談でもそういうこと言っちゃ駄目だよ」
真面目を装って返してくるアオイにスズナはため息を吐く。
「……お前、よく平気だな」
「平気か平気じゃないかって言われたら平気じゃないよ?中3の時から片思いしてた子をやっと抱けて、めっちゃ可愛く悦がりまくって中イキしてくれたから、もうすっごい嬉しい状態だけど」
「100歩譲って最初と最後はいいけど、真ん中らへんはいらねーんだわ」
「多分才能あるだろうなって思ってたけど、いや、想像以上の才能でびっくりした」
何の才能か聞き返そうとして、どうせろくなものではないとスズナは聞くのを止めた。
「そうだ、スズナ、もう一回風呂入る?」
「あー、入りたいけど……もうちょっと休んでからにしたい。マジで疲れた」
「じゃ、二回目しよう」
「……お前どんだけ人の話聞いてねーの」
と呆れてから、スズナはふと、アオイが本当に嬉しそうなことに気付く。そしてそれを自分も嬉しいと思っていることも。色々な意味で甘いな、と思いながらスズナは黙ってアオイの背に手を回して、もう一度ため息を吐いた。窮屈なのが嫌いなはずなのに、捕まったのが苦にならないとは、自分もたいがいだなと思いながら。
いつもは穏やかな表情なのが、眉も口もきつく引き締められ、綺麗に張った黒い双眸には明らかな怒りを含んでいる。とっさに言葉も出ないでいるスズナを一瞥して、アオイは静かに席を立ち、そのまま外へ出て行ってしまった。
「……スズナ、言いすぎなんじゃない?」
一緒に飲んでいた友人の一人が呆れたように言うのへ、スズナは鼻先で笑って見せた。
「別にたいしたこと言ってねえし。あんくらいで不貞腐れんなっつーの」
「そうかなー、お前結構キツイこと言ってたぞ。……ま、アオイの分の支払い、スズナ持ちな」
「アオイの分だけじゃなくて、何なら俺のも出してもらってもいい」
友人達の言葉に周囲が笑う、気まずい空気はそれで払拭され、スズナも気にも留めぬ風で別の会話に加わったけれど、内心はそれどころではなかった。
アオイとは随分長い付き合いになるけれど、さっきのような表情と態度を見たのは初めてだった。これまで自分に対して、困ったようだったりめんどくさそうだったりと、不機嫌な様子を見せたことはたまにあっても、ああまではっきりとした怒りを表すことはなかったのである。
結構キツイことを言っていた、と友達は言うけれど、口が悪いのは自分の癖、自分でもやりすぎたかなと思うくらい酷いことを言ったことだってあるし、それは親友であるアオイも解っているはずだとスズナは思う。それなら何故彼があんなに怒ったのか、スズナには理解し難いのだった。
酒の味も分からぬまま飲み会が終わる、宣告された通りにアオイの分と二人分払い、二次会に流れようという矢先、スズナは足を止めた。
「悪ィ、今日は止めとくわ」
と言えば、さっきの友人がくすくす笑った。
「何だ、やっぱアオイのこと気になってんじゃん。謝ってくれば?」
「うぜーわ、そんなことするかよ。あの馬鹿のせいで金が足んねーだけ」
こともなげに言い放ち、そんじゃな、と手を上げて群れから離脱する、そのまま皆とは反対の方向に早足で歩いていたが、見咎められないところまできてスズナは立ち止まった。
アオイは何処へ行ったのだろう、独りで帰ってしまったのか、それとも別の店で飲み直しでもしているのだろうか。強い割りにはそんなに酒が好きなわけではないから、おそらく前者な気がする。いや、でも意外と最近友達が増えてるようだから、誰か誘って……、と色々考えている自分に気付いて、スズナは眉間に皺を寄せた。
「何で俺がそんなん考えなきゃいけねーの」
と声に出して呟き、アホらしい、と不機嫌な足取りで地下鉄の階段を降りた。丁度入ってきた電車に乗り、ドアの脇にぼんやりと凭れれば、ガラスに映るのはどこか不安そうな自分の顔、思わず舌打ちして目を逸らせた。別のことを考えようとしても、いつの間にかアオイの表情を思い出している自分がいる。顔立ちが整っているからこそ、怒りの視線には鋭さがあり、それが頭を離れない。
ふと、車内アナウンスに気づくと、次はアオイが住んでいるマンションの最寄り駅で、心臓がどきりと跳ねた。アオイに会いに行くならここで降りるべきだけれど、戻っているかも分からないし、そもそも会ってどうする、謝る気など全くないし、と葛藤しているうちに、スズナはさっき立て替えた飲み代を徴収する、という立派な名目を思いついた。
仮になにか腹が立ったのだとしても、金も払わずに帰ってしまうという方が大人としておかしい、そこら辺も説教してやろう、と自分に言い聞かせて景気をつけ、閉まりかけたドアをすり抜けてホームに降りる。予め携帯で所在を確認しようかとも思ったけれど、それでは何だか恰好がつかないし、途中下車したからにはとりあえず行くだけ行ってやれ、と肚を決め、人影もまばらな駅の階段を威勢よく駆け上がると、さっきの晴天が嘘のように小雨が降っていて、スズナは再び舌打ちした。
幸い、アオイの家は駅から近く、傘は無くてもそう濡れずに済んだけれど、窓に灯りが点いていないのが気になった。果たしてインターホンを鳴らしても応答はなく、人のいる気配も無い。仕方なく引き返そうとしたところで、スズナはコンビニの袋を提げたアオイと鉢合わせした。
無機質な表情でこちらを見ていたアオイは、何も言わずに鍵を開ける、その態度にスズナは無性に腹が立った。怒っているにしても何か一言くらいあるだろう、と腹立ち紛れに腕を掴むと、アオイは、
「何?」
とあくまで冷静で、スズナの神経を逆撫でする。
「お前、無視してんじゃねえよ」
思わず声を荒げるのへ、アオイはたじろぐ風も無く、
「今、スズナと話したくない。用件だけ言って」
とはっきり言った。どんな場面でも尖ることのないアオイの、これは珍しくきつい言い方で、スズナはアオイの怒りの深さを感じ、それが深々と胸に刺さる。
「……今日の飲み代。立て替えたから返せ」
と言う自分の声の弱いこと、さっきまでアオイに感じていた苛立たしさは消え、代わりにどうしようもない苦味が広がっていく。
立て替え金の受け取りが済んでも帰ろうとしないスズナを眺めて、アオイはドアに凭れて腕を組み、
「で、他に用は?」
と素っ気無く訊く、さすがにこんな態度を取られるのは自尊心も許さず、さっさと立ち去ろうと思ったのに、スズナは、
「何でそんなに怒ってんだよ」
と言っている自分に気が付いた。
「……あんなこと言っておいて、俺が怒らないとでも思った?」
呆れたように言われるのへ、スズナは自分が何を言ったのか思い出そうとした。実はアオイの表情で自分が彼の気に障ることを言ったのだと悟っただけで、その内容については良く覚えていないのである。だが、もちろんそんなことを言えるような雰囲気でもなく、とりあえず謝ってしまえば良いのだろうか、とも考えはしたものの、さて実際どうやって謝罪すればいいのかスズナには分からなかった。
思えばこれまでアオイに対してまともに謝ったことなど一度もない。長い付き合いの中では意見が食い違うこともあったし、ぶつかることもあったけれど、たいていはアオイが折れてくれた。こちらが折れなければならない時も、アオイは自身の正当性を主張するような態度は一切取らなかったから、スズナは不必要な苦しさを感じたことはない。
どんなに親しくなった友人にも、度々我侭とか横暴とか文句を言われるスズナに対して、アオイはいつも寛大だった。息が詰まるほど距離を縮めるのでもなし、もちろん媚びるわけでもなく、それでいて居て欲しい時には必ず傍にいてくれるアオイの存在は、窮屈なのが大嫌いなスズナにとって非常に心地良かった。
だが、こうしてアオイのあからさまな怒りを前にして初めて、スズナは自分がこれまで彼に対してとってきた態度や言動が、全て間違っていたのではないか、と思った。アオイの度量の大きさを恃み、仲が良いからこそ赦されているのだと解釈していたのは、余りにも身勝手で一方的だったのかもしれない。そもそもアオイの寛大さに対して、自分は何を報いたことがあるだろうか、感謝はおろか、優しい言葉の一つかけた覚えすら無い。
この怒りは当然だ、とスズナは思う。ひょっとしたら嫌われたのかもしれない、と思うと、今まで経験したことのない痛みが胸を刺す。言うべき言葉を失っているスズナを見下ろし、アオイは苛立たしそうに溜息を吐いた。
「スズナ、俺のこと嫌いなの?」
「……そんなわけねーだろ」
「でも、そうとしか思えない」
「違う、俺は、」
決して口下手ではないはずなのに、言いたいことが出てこないもどかしさで苦しい。
居心地が良いと感じるのも、その優しさに甘えていたのも、相手がアオイだからだ。何故そうなのか、という説明はつかないけれど、例え誰か他の人間が自分に対してアオイと同じように振舞ったとしても、自分は決してこんな風に心を許した付き合いはしない、という確信がスズナにはあった。それを伝えて謝ることが出来れば、少しはアオイも怒りを静めてくれるのだろうか。
「俺は、お前じゃないと甘やかされねえんだよ。他の奴じゃ駄目なの」
悩んだ末に出てきた言葉は自分としては必死で大真面目だったのだけれど、聞きようによっては強烈に傲慢な言葉であることに気付き、スズナは自分に愛想が尽きた。
これでは何の解決にもならない、と絶望的な気分に陥りながらアオイを見れば、これはいよいよ呆れ果てたのだろうか、さっきと表情も変えずにじっとスズナを見ている。と、人の話し声と足音がして、隣に住んでいる夫婦が帰ってくる、公共の廊下で不自然な雰囲気で対峙しているスズナとアオイに対し、あからさまに不審そうな顔をするのをちらりと見て、アオイは小さく溜息を吐いた。
ドアを開け、小声で、
「入って」
と言うアオイの指示におとなしく従い、スズナは部屋に入る。鍵を閉めるアオイの背をぼんやり見つめながら、スズナは刑場に曳かれる罪人の気持ちを味わっていた。散々我侭を通しておきながら、今になって後悔するのは大人として情けなさ過ぎるのも分かっているけれど、何を言われてもいい、殴られても構わない、縁切りを言い渡されるのだけは嫌だ、とそれだけを必死に祈る。
「スズナ」
こちらに向き直ったアオイに対し、スズナは一瞬身が竦む、が、見間違いでなければアオイは笑っていた。
「……もういいよ。頑張ったね、スズナ」
綺麗だけれどどこか間の抜けた、眉の下がった表情は普段の彼そのままで、さっきまでの冷たい影はすっかり拭われており、急激な状況の変化についていけずにスズナは唖然とする。そういうスズナの様子にアオイは楽しそうにくすくす笑った。
「お前、……何、……」
「俺だけなんだろ、スズナが甘えてんのって。大好きじゃん」
嬉しそうに言われるのへ、スズナは頭に血が上ってくるのを覚える。
「てめ、今までの全部嘘……っ、」
「嘘、じゃないよ。酷いこと言われれば腹立つでしょ。でも、スズナがどう思ってるのか知りたかったから、……本当に俺のことなんかどうでも良くて、好き勝手言ってるのか、それとも信頼して甘えててそういう言動取ってるのか、そろそろはっきりさせたくて大袈裟にしたのはあるかな」
ごめんね、と言いながらアオイはスズナの腕に手をかけた。その手を振り払わなかったのは、スズナの中で、怒りよりも安堵が大きかったからである。何となく騙された感じも、捕まえられた感じも、アオイを失わなかったという事実の前には、些事のように思えてくる。
この展開について考えなければならないことは山ほどありそうなのだけれど、とりあえず面倒なことは後回しにしておこう、とスズナは溜息を吐く。が、一つだけはっきりさせておきたくて、
「アオイ、……何が地雷だった?俺、自分が何言ったか覚えてねーや」
と訊けば、ああ、とアオイは首を横に振った。
「俺も覚えてない」
「は?」
「まあ、いつもの暴言だったと思うけど。何でも良かったんだよね、きっかけが欲しかっただけだから」
とあっさり言われるのに、スズナは思わず笑ってしまった。完全にこれは罠だったのだとようやく気付いたのと同時に、どうして自分が彼を失いたくないのか、その理由にもやっと気付く。気付きはしても、スズナは『罠にかけてくれてありがとう』などという性分ではない。
「お前、……すっげー最低だな」
「スズナって頭の回転速いのに、意外と色んなの気付くの遅いよね、そういうとこも好きなんだけど」
と囁かれるのはどうやら本当らしい、スズナはアオイの腕の中で再び溜息を吐いた。
「とりあえず上がって。手出すから」
「待て、後半部分が不穏」
「時間置いちゃうとスズナは色々考えだしそうだから。先に既成事実作っておこうかと」
「……急すぎるんだよ、てか既成事実ってなんだよ」
抱きしめられて既成事実作ると言われればその意味は解るけれど、色々と間がスキップされていて一般的な意味で合っているのか確証がない。しかも、合っていたとしてもそれはそれで戸惑いはある。そもそもアオイの性的対象に男性が入っているのかすら分からない。
「ほら、色々考えだした」
と笑うアオイにスズナは呆れる。
「いや逆にお前が考えてないのが、」
「スズナ、キスしていい?」
あまりにも直接的な問いかけに一瞬怯む、返事をするより先にふわりと唇が塞がれた。
あっという間の出来事で抵抗する暇もなかった、と思いかけたスズナにアオイは小さく笑い、再びキスされる、今度はさっきの軽く触れるだけのものとは違う所謂本物のキスで、じわり、と脳が蕩けていくような感じがある。
「ああ、やっぱり大丈夫だよね」
と何か確信したようなアオイに対し、言い返したいことは山ほどあっても言語化できず、ただぼんやり相手をを見つめるだけのスズナにアオイは楽しそうに言った。
「おいで、スズナ。……好きなだけ甘やかしてあげるから」
------------------------------------------
何でこうなったのだろうとスズナは思う。
ついさっきまで険悪な雰囲気になって、親友のアオイを失いたくなくて必死だったはずなのに、今はまるでずっと前から恋人であったかのようにアオイに抱きしめられている。それが少しも嫌ではなく、寧ろ不思議な安心感と高揚感があるものの、だからこその羞恥心が酷い。
「……お前、何で男相手にこんなに手馴れてんの」
「だって俺バイだよ。付き合うまでは行かなかったけど何回か抱いたことはあるかな」
「……初耳」
「別に誰にも言ってなかったからね」
特にお前には隠してたかな、と言われるその声に不本意にもぞくりとした。元々アオイの低音で穏やかな声が好きだったけれど、今はそれが耳を通して全身が軽く痺れるような感覚になる。
「スズナって耳弱いよね。触られるのも、聴覚も」
感覚と思考を読まれたような気がしてスズナの顔が熱くなる。
「そんなの分かんねーじゃんよ」
「分かるよ、すっごい可愛い顔するから」
当たり前のことのように言われ、スズナの羞恥心が上限に達する。
「もうやだ!放せ、馬鹿」
「俺が放すわけないでしょ、ずっと待ってたのに」
「ずっと、って……いつからだよ」
「んー、中3?」
「中3って……クラス替えで初めて会った時じゃん」
「そう。自分がバイなんだなって気付いたのもスズナがきっかけ。自由で明るくて……可愛いなって。でもどんなに望んでも手に入らないものがあるんだって思い知ったのもその時」
淡々と話すアオイの声に含まれる真剣さに、スズナは暴れるのを止めた。自分が中3の時は何をしていただろうか、大学附属の中高一貫校だったから受験の心配はなかったけれど、周りで早い子は彼女が出来始める頃、それが羨ましいくらいで、後は部活やらゲームやら暢気に学生生活を送っていたくらいしか記憶がない。アオイとは初めて中3で同じクラスになって仲良くなり、高校までは一緒だったけれど、自分も含めて仲間がそのまま附属の大学にエスカレーター式に上がるのとは違い、アオイは外部受験組で、国立の難関大学へ進学した。
「……それからっていうなら、何で一緒の大学行かなかったんだよ」
「仲良くなればなるほど、スズナの傍にいるのが辛くなったから。だから思い切って環境変えようと思って。女の子でも行けたから、彼女作ってそのうち結婚して、スズナへの想いは棄てなきゃって思ってたんだけど。……でも、俺らの仲間って皆仲良くて大学別でも飲み会とか誘ってくれるでしょ。お前に会いたくて行くんだけど、やっぱり親友以上は無理かなって……。だから、今日スズナが何のアクションもしてこなかったら終わりにしようって思ってた」
その言葉を聞いた途端、色々な感情でスズナは苦しくなる。アオイの想いも知らずに傍若無人に振る舞っていたことももちろんだけれど、今日我を張ってここに来ていなければ切れてしまった縁なのかもしれない。アオイのいない人生など考えられない、というのが率直なところ、思わず彼の腕を掴むとアオイは小さく笑ってスズナの耳にキスをした。
「ホントは俺、今狡いことしてるなあって解ってんの。スズナが俺のこと好きなのは確信出来たんだけど、混乱に乗じてその“好き”の意味を完全に俺と同じに持っていこうとしてるんだよね」
するりと服の中に手が入ってきて肌に触れられる、スズナに嫌悪感はなく手のひらの温かさが心地いいなとぼんやり考えていると、ふいに唇を塞がれた。舌を絡めたまま肌を撫でられると体の芯が熱くなるような気がする、生理現象のせいにするにはどうかと思う甘い感覚に自分でも眉を顰めた瞬間、アオイの指先が乳首を軽く引搔いて、予期しなかった声が零れた。なかったことにしたいと願うスズナに、アオイは楽しそうに笑う。
「可愛いね」
「お前、次それ言ったら殺す」
「えー、無理だよそんなの。可愛いものは可愛いもん。……でもね、スズナ、」
と急にアオイは真剣な表情になった。
「やっぱり嫌だって思ったら、いつでも逃げていいから。俺からはもう離せないから、殴ってでも蹴ってでもいい、自力で逃げて。狡いことはするけど、無理矢理傷つけたくない」
そっと髪を指先で梳かれながら言われるのへ、スズナは苦笑した。
「……俺が逃げないの知ってて言ってるだろ」
「まあね。でもこれが本心だよ」
それはこっちも分かっている、と思いながら口には出さず、スズナはアオイの髪を掴んでキスをする、一寸驚いたようなアオイは静かに笑って、ありがとう、と言った。
今、このシチュエーションの中で交わした一番まともな言葉だったのに、さっきの甘い感覚が増幅されて、スズナの頭の中が霞みがかったようになった。アオイの唇が耳を食み、舌が首筋をなぞっただけでどこか壊れたのではないかというくらいの性感がある。服を脱がされ、アオイの手が性器に触れた時にはもう、すっかり芯が通って露が溢れていて。
「スズナ、やっぱり可愛い」
可愛いと言ったら殺すと宣言しておきながら、アオイの欲に掠れた声にすら性感を刺激されて言い返すことも、暴れることも出来ず、言われた通り本当に聴覚が弱いのかとスズナは思い始める。乳首を甘噛みされながら、アオイの指と手のひらで濡れた性器を扱かれる頃には、羞恥よりも快楽が完全に上回っていた。
「や、……っ、あ、……だめ、アオイ、……ッ、待てって……っ、」
「気持ちいい?……このままイっていいよ」
お前がイクとこ見せて、と耳に吹き込まれたのがトリガーになって、スズナはアオイの言う通りにあっけなくそのまま果てる。しばらく彼女がいなかったからとか、酒が入っていたからとか、瞬時に色々な言い訳が頭を過ったのを見透かしたようにアオイが言う。
「なかったことにはならないよ。……想像してたよりエロかったね、スズナ」
「うるさい。つか、想像って何……」
「ホントは今日はここまでって思ったんだけど、スズナがエロすぎて俺が無理」
ほら、と手を持って導かれた先にはアオイの硬く張った性器があった。さすがにこれを放置は辛いよな、とスズナは思う。
「……俺、どうすればいい?手とかで抜けばいいの?」
「あ、口がいいかな」
あっさり言われるのへ、スズナはため息をついた。
「お前な、簡単に言うな。男初心者だぞ」
「女の子にされたことはあるでしょ。それと同じ感じで。……あ、ひょっとしてされたことない?」
図星であった。というか、そもそも女性経験も少ないが、それを認めるのは状況も相まってしたくない。返事の代わりに黙って手に取ると、そのまま口に含む。血の味にも似た先走りが舌に広がる、快楽のポイントは分かるからそこに舌を這わせて、後はAVからの見よう見真似で唇を使う。
「……意外と上手だね」
こんなのを褒められても嬉しくない、と思う一方で、アオイの声に含まれる愉悦の吐息と、髪や耳を撫でる指先に、再びあの甘い感覚が蘇り、腹の底が疼くような奇妙な感じがあって、スズナは困惑する。別に自分が何かされているわけでもないのに、何だこれ、とぼんやり考えていると。
「スズナ、ホントは誰かにしたことある?」
と訊かれて頭に血が上った。
「そんなわけねーだろ、お前だからやってんだよ!アオイ以外にこんなのするわけ、」
とついいつもの調子で言ってから、あ、これはアオイの奸計だとスズナは気付く。果たしてアオイは我が意を得たりと言わんばかりに、
「じゃあ、俺だけだね。今後は他の人……女の子も含めて、誰ともしないで」
と笑ってスズナの額にキスした。
「……洗脳と束縛がエグいな。爽やか好青年見た目詐欺」
「そう、だから俺がこれ以上ヤバい奴にならないように、スズナが一緒にいて」
これ以上酷い告白があるかとスズナは思う。だが同時に対外用の印象は真逆だけれど、結局自分達は似た者同士なのかもしれない。だからこそ縁が切れないでここまで来た――。
「…って、お前、それ何」
「潤滑ローション。これがないと痛いよ?」
「いや、え?待って俺が挿れられる側なの?」
「だってお前、男の抱き方知らないじゃん」
決まったもののように言うのへ、さすがにスズナも焦る。
「色んな方面で心の準備が出来てない!」
「じゃあ先に体の準備もしようか。お風呂行こうね」
何でもないことのように言うのへ、スズナは言葉を失っていた。
何でこうなったのだろうとスズナは再び思う。
さっきまで指一本で限界、絶対に性器など入らないと思っていたのに、今や根元まで受け入れた挙句、甘い性感に苛まれている。挿入されたまま腹部を指で軽く圧されると強烈な快楽で思わず声が漏れる。
「も、やだ……、怖い」
「何で怖いの。痛かったり苦しかったりする?」
「苦しいとかじゃない、…けど、何か、……体、変で」
繕う余裕もなく口にすれば、アオイは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、大丈夫。変じゃないからね、そのまま……気持ちよくなって」
大丈夫じゃないと言いたかったはずなのに、アオイの声が脳に直接響いて、それがスイッチにでもなったかのように快楽が優先になる。正気に戻ったら死にたくなるのではないかと頭の片隅で分かっていながら、それでもスズナはアオイの望むとおりに体を開き、恥ずかしい姿で貫かれ、結合部の立てる濡れた音を聞かされながら、自分では制御出来ない淫らな声を上げ続けた。
「アオイ、ヤバい……、変、何か、……来る……っ」
「……お前本当にガチでエロくて可愛い」
聞いたことのないアオイの声から彼の劣情が伝わって、媚薬のようにスズナを支配していく。
「あ、だめ……っ、無理、……あ、ア……、…………ッ!」
さっきとは比べ物にならないほどの、経験したことのない深い絶頂を迎えたスズナは、急速に落ちていく意識の中でアオイもまた自分の中で果てたことを知った。
------------------------------------------
「死にたい」
言語能力が回復したスズナの第一声はこれだった。
「冗談でもそういうこと言っちゃ駄目だよ」
真面目を装って返してくるアオイにスズナはため息を吐く。
「……お前、よく平気だな」
「平気か平気じゃないかって言われたら平気じゃないよ?中3の時から片思いしてた子をやっと抱けて、めっちゃ可愛く悦がりまくって中イキしてくれたから、もうすっごい嬉しい状態だけど」
「100歩譲って最初と最後はいいけど、真ん中らへんはいらねーんだわ」
「多分才能あるだろうなって思ってたけど、いや、想像以上の才能でびっくりした」
何の才能か聞き返そうとして、どうせろくなものではないとスズナは聞くのを止めた。
「そうだ、スズナ、もう一回風呂入る?」
「あー、入りたいけど……もうちょっと休んでからにしたい。マジで疲れた」
「じゃ、二回目しよう」
「……お前どんだけ人の話聞いてねーの」
と呆れてから、スズナはふと、アオイが本当に嬉しそうなことに気付く。そしてそれを自分も嬉しいと思っていることも。色々な意味で甘いな、と思いながらスズナは黙ってアオイの背に手を回して、もう一度ため息を吐いた。窮屈なのが嫌いなはずなのに、捕まったのが苦にならないとは、自分もたいがいだなと思いながら。
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