Green and Gold

凡吉

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Green and Gold

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30分待って乗った2両編成の列車には、自分達以外に客の姿は見えなかった。
「ああ、貸切だ」
 と、それが癖ののんびりとした口調で呟いたヤナギは、張ってある生地が擦り切れて中のクッション材が今にも飛び出しそうな座席に腰を下ろし、足を投げ出した。そのままの姿勢でしばらく物珍しそうに車内を見回していたが、やがてにっこりして、
「レトロだねえ」
 と言うのに、セリは思わず苦笑した。
 ずっと昔、この列車に乗って高校に通っていたけれど、錆の来た、塗装の剥がれかけた車体も、壊れかけた内装も何もかもその当時のまま、レトロと言えば聞こえは良いが、これ以上老朽化しようがない、という方が正しいだろう。
 重い軋みを上げて列車が動き出す、同時に今まで案外落ち着いていられるものだと思っていた心に、鈍い痛みが走ったが、顔には出さずに黙ってヤナギの横へ腰掛けて、セリは窓の外を眺めた。


 セリが、自分は女性を好きになれない人間なのだとはっきり自覚したのは中学生の頃だった。それは、保守的な地域、保守的な家庭に生まれ育った子供のセリにとっては、一生隠し続けなければならない、重い烙印を押されたようなものであった。
 インターネットの普及もまだ今ほど広くなかった当時、閉ざされた環境の中で中学生のセリが自身を救えるような情報を得ることはほとんど不可能で、無知に助長された絶望は、荒んだ行動となって表れてきた。学業を棄て、日々遊びと喧嘩に明け暮れ、高校生になった頃には地域でもどうしようもない不良というレッテルを貼られていた。
 両親はそういうセリを扱いかねたのもあったのだろう、10歳年下の弟ばかりを溺愛しており、居場所のないセリは何をしても虚しい毎日を過ごしていたが、3年生に上がった時に転機が訪れた。
 ここから逃げ出したい、という漠然とした思いは随分前から抱いていたものの、逃げ出す方法も、その後生きるための術も知らなかったセリは、『進路』という合理的な逃亡手段を見出したのである。
 東京の専門学校に行きたい、とセリが言い出した時、まさか学校進学を望むとは考えていなかった両親も担任教師もかなり驚いたようだったけれど、同時に安堵した様子も見せた。人が変わったように落ち着いて勉強に励むセリの姿に、教師達は進んで協力してくれたし、金銭的に余裕のある両親も、学費のことは気にしなくて良い、やりたいことの出来る学校を選びなさい、と言ってくれた。
 故郷で送った最後の一年間は、傍から見れば非常に穏やかだったのではないか、とセリは思う。自分自身、もう少し深いところで家族に寄り添うことも出来たのではないかと思うこともあったけれど、己のセクシャリティ、価値観が絶対にここでは受け入れられないことは家族であるが故に痛いほど解っており、表面上は和やかに過ごしていても、心の底から打ち解けることは出来ず、それはセリとその周囲を見えない壁で隔てる結果となった。
 元々手先が器用で物を作ることが好きだったセリは、義肢装具士の受験資格が得られる専門学校を選び、希望通り上京して3年間真面目に勉強した後、無事国家試験に合格した。学校へ来る求人の中から東京のメーカーに就職したことを家族に知らせた時には、皆一様に喜んでくれたけれど、セリは顔を見せに戻ろうとはしなかったし、家族もそうするようにと言って寄越すことはなかった。
 結局セリは、上京してから一度も帰郷していない。これが実に12年ぶりの、初めての里帰りになるのである。


「ねえ、あれ、セリが行ってた学校?」
 ヤナギの声でセリは我に返る、指差す方にはこれもまた当時から老朽化していた建物が変わらない姿で立っていた。
「うん、そう」
「長閑で良いね」
 東京生まれ、東京育ちで所謂『田舎』を持たないヤナギは、こういう田園風景に憧れを持っているらしい、嬉しそうに窓に貼り付く姿は、セリの胸にある痛みを緩和させてくれた。
――セリの故郷を見てみたい。
 こうヤナギが言わなかったら、今回の帰郷はなかったかもしれない、とセリは思う。名目上は、専門学校在学中に亡くなった祖父の墓参りであり、国家試験の最中ということもあって葬儀にも参列出来なかったことを墓前に詫びるためであったけれど、本当はヤナギが言ってくれた言葉の意味を酌んでのことであった。


 ヤナギはセリが出向していたリハビリテーション施設のスタッフで、仕事を通じて知り合った。穏やかな雰囲気の温かい人柄で、患者達に人気があっただけでなく、多角的な要求に応えられるよう複数の資格を持つなど、仕事に対しての真摯な姿勢と高い技術力が医師や他のスタッフからも信頼されており、同い年とは思えないほどしっかりしている彼をセリは心から尊敬していたものだった。
 そういうヤナギと縁あって結ばれてから、セリの人生は大きく変わったと言って良い。
 上京後、地元にいた時とは比べ物にならないほどの情報と自由を手にしたとはいえ、世間知らずの慣れない身には上手な取捨選択など出来るはずもなく、セリは数え切れないほどの失敗を重ねてきた。もちろん悪いことばかりではなく、それなりに恋の楽しさも味わってきたけれど、ここでようやく人に添うということの幸せを知ったのである。
 ヤナギの傍にいる時は自分を取り繕う必要は無く、安心していられた。長いこと胸にあったしこりが溶け、呼吸が楽になるような感覚は、セリがこれまで知らなかったものだった。生きていく現実には山もあり谷もあり、良いことばかりではなかったけれど、それでもヤナギと共に暮らす日々の温かさがセリを助けてくれた。満たされることによって心が豊かになれば、自然とものの見方も拓けて来、少しは上手く生きられるようになったと感じていたのだが――。


 のんびりと進む列車が、一つ、また一つと駅を越えて行くにつれ、セリの胸の痛みは少しずつ強くなっていく。傾いた陽を受けて緑と金色に染まる風景も、故郷にいる時でさえ美しいと思っていたのに、今はそれを懐かしむゆとりも無い。痛みを感じたからといってどうなるものでもない、と解ってはいても、落ち込んでいく心に歯止めが効かないのであった。
 痛みの原因はこの後待っている家族との再会だった。別に憎み合っているとか、断絶しているわけではなし、上京してからも定期的な便りは怠らなかったし、時々はもののやり取りもあり、穏やかな関係を築いてきたのだけれど、それは互いの生活に深入りしないからこそ成り立ってきたのだとセリは思う。もし自分が隠さずに男性と恋人関係にあり、その人と同棲していると話したらこうはいかないだろう。今更カミングアウトするつもりはないが、この事実がセリの胸底に痛みとなって居座り続けている。
 身勝手な痛みだ、ともう何度も自分に言い聞かせた言葉を、セリはそっと胸の内で呟く。
 自分がそこから逃げ出してきた癖に、心の奥では家族に理解されたい思いがある。努力した甲斐あって仕事も順調、パートナーにも恵まれ、温かで安定した生活を送っているというのに、その上を望むとは、我ながら罰当たりな気もするけれど、これは人と真正面から向き合い、愛することを覚えたからこそ気付いた感情でもあった。血縁が万能でないことは知っていても、それで血の繋がった親や兄弟と睦み合えない哀しさを帳消しにすることは出来ず、セリが時折沈み込むようになったのは、いつ頃からであったろうか。
 そういう時、ヤナギは何か慰めるような言葉を言うのではなく、黙って包み込むようにセリの傍にいてくれた。人の気持ちを思いやることの出来るヤナギには、どんな言葉もセリの抱えているものを解決することは出来ないことが解っていたからであろう。
 だからこそ、ある日ヤナギが、セリの故郷を見てみたい、と言い出した時、セリは少なからず驚いたのである。
「俺は適当に散歩でもしてるからさ、セリは実家に顔見せておいで」
思わず見上げた顔はいつもどおり穏やかで、その意図が掴めないでいるセリへ、ヤナギは静かに、
「……何もしないで後悔するのが一番苦しいと思う。セリに、そうなって欲しくない」
 と続けた。
 それを聞いた瞬間、セリは今まで避けてきた、というよりも避けなければならないと思っていた里帰りをしようと決意したのだ。確かにこのままでは、自分はいつまでも家族に会わないだろうし、それは決して本意ではない。例え何か後悔することがあったとしても、ヤナギの言うとおり、会わないで後悔するよりは良い。
 この考え方はあくまで自分の感情優先であるのは理解している。本当は家族はこのままつかず離れずの関係を望んでいるのかもしれない、と考えると気も萎えてくるけれど、この先ずっと未消化な思いを抱えて生きるより、どんな形にせよ、自分の中で区切りをつけて先へ進みたいという強い思いがセリの胸にあり、それを恃みにここまで来たのである。今更引き返せない、前に進むしかない。


 ふいに、頭に手のひらが乗せられた。
「大丈夫?」
「うん」
 余程思いつめた表情でもしていたのだろうか、とセリは慌てて背筋を伸ばす。ヤナギはそういうセリをじっと見つめていたが、やがて手はそのままで目を窓の外に向けた。
「俺がいるからね」
 その声にセリの視界がぼやける。これから向かう先には、おそらく大団円はなく、それどころか埋められない溝の存在を改めて感じるだけかもしれないけれど、帰りにこの列車に再び乗る時は、ヤナギと一緒なのだということが、セリにとっては何ものにも代え難い救いであった。
 金と緑の溶け合う光の中を、列車は緩やかに進んでいく
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