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外伝2 赤色金剛石の章 ~レッドダイアモンド~
永遠の生命8
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「蛇の王毒!? 出てってから一日でいったい何が起きてんのよ」
「面目、ない。というわけですまないんだが……少しの間、また匿って……ほしい」
「すまない、パーウォー殿。サイも我も、石人狩りのならず者に目をつけられてしまっていて」
来紅の石人狩りという言葉で、パーウォーは「ああ、だから」と納得した。
「石人狩りのヤツらがよく使うのよね、蛇の王毒。極夜国なら解毒薬常備してるけど、取り寄せるとなると時間がかかるわ」
「構わない。私は死ぬことは……ない、から」
「ダガ! 苦しいのは同じだし、蛇の王毒は時間が経つと体を石化シテしまう。早く対処しないと――」
言葉の途中ではっと何かに気づいた来紅。彼女は持っていた荷物を床に置くと、乱暴に中をあさり始めた。
「あった!」
来紅が取り出したのは一通の封書。彼女はためらいなく封を開けると中身を確認した。中に入っていたのは一枚の手紙と薬包紙に包まれた丸薬。
「コレ! パーウォー殿、コレ使えナイだろうか」
「これって言われても……これ、何?」
「旅立つときに主カラ渡された。どうしても困ったとき開けなサイって。包みの方はタブン白沢様お手製の仙薬」
来紅から渡された仙薬をしばらく眺めていたパーウォーだったが、彼はため息をつくと首を横に振った。
「おそらくだけど、これは使えない」
「ソンナ……」
「ねえ、手紙の方はなんて書いてあったの?」
来紅は慌てて手紙を開くと中を確認した。
「コレを代償に」
瞬間、パーウォーの顔が引きつった。
「ワタシは無理だから、とすると……レフィはあり得ない。かといってファートゥムちゃんが来るわけないし、となると残るはサンディか、あの赤い変態か黒い悪魔か……」
眉間に盛大なしわを刻みながらブツブツとつぶやくパーウォー。
「パーウォー殿。では、解毒薬はドコで手に入るのでしょうか? 多少遠くても、我ならば術が使えるので普通に取り寄せたりスルよりは早いです。あとあのならず者たちには、モウ二度と後れは取らないノデ!」
「いいわ、信用する。薬はおそらくこの町にあるミラビリスちゃんの診療所にならあると思う」
「ナント! それなら今から取りに行ってきマス。場所を教えてくだサイ」
「了解。それと、多分これも必要になるから持っていきなさい」
パーウォーは来紅に白沢の仙薬とミラビリスの診療所までの地図を渡した。来紅はそれらを受け取ると、苦しそうに眠るムサイエフを一瞥してからマラカイトを出た。
日が昇り明るくなってきた空の下、静かな早朝の路地を走る。夜が明けたばかりで住人の多くはまだ寝台の中。人気のない路地で存在を主張するのは小鳥たちだけ。
「おかしい。ドコだ、ココは?」
路地に違和感を覚え、来紅は立ち止まると地図を確認した。きちんと確認しながら進んできたはずだというのに、気がつけば知らない路地に迷い込んでしまっていた。
全くひとけのない袋小路。人の気配どころか、いつのまにか鳥のさえずりさえも消えている。しかも引き返しても気がつけば同じところに戻ってきてしまうという、まさに袋小路。
「よしよし、僅差で私の勝ちだったな。……さて、きみの望みは何?」
突然降ってきた声に慌てて顔を上げると、来紅の視界は一瞬にして赤と黒の夕焼け色で埋め尽くされた。
「ねえ、なにか望みがあるんでしょ? 言ってごらんよ。代償さえ支払ってくれれば、私がその望みを叶えてあげるよ」
夕焼け色の正体――それは喉元を赤と黒で鮮やかに染め上げた、背の高いひょろりとしたイモリの獣人だった。
「ほら、望み。せっかくあの人に競り勝ったんだから、早く早く。ほら、何か望みがあるから来たんでしょ? いいから言ってみなよ」
「いや、まず你は誰だ?」
「ああ、自己紹介ってやつか。私はサンディークス。朱の魔法使いサンディークスだよ」
「魔法使い! あ、我は雁来紅と申します。……いや、でも今は你に用があるワケではナイのだ。すまないが急いでいるんだ」
「知ってるよ。きみから強い願いの匂いがしてるから。その願い、私が叶えてあげる。だからほら、何が望み?」
来紅の望みを聞くまで頑として譲らない態度のサンディークス。どうやら望みを言わないとこの袋小路同様堂々巡りらしいと諦めた来紅は、「鼬の秘薬を探している」と素直に白状した。
「へぇ、奇遇だね。私、それ持ってるよ」
「ナント! 是非とも譲ってはいただけナイだろうか」
「いいよ。代償をくれるなら、それに見合う願いは叶えてあげる。代償はそうだな……それ。きみのその懐に大事にしまい込んでる、珍しい薬が欲しいな」
――これを代償に。
白沢が旅立つ来紅に与えた、いざという時の仙薬。いざという時、それはどうやら今この時のようで。
「了解だ。デハ、引き換えに鼬の秘薬を」
来紅は一切のためらいなく仙薬をサンディークスに渡した。受け取ったサンディークスは満足そうにつぶらな瞳を細めると、「契約は成立だ」と笑った。
「朱の魔法使いサンディークスの名にかけ、雁来紅に朱の魔法使い特製の鼬の秘薬を与える。朱に染まれ、朱夏を謳歌せよ。……はい。これでこの薬はもうきみのものだ」
「おお、ありがたい! サンディークス殿、アナタに出会えてよかった」
「いやいや、こちらこそだよ。そんなもので珍しい仙薬が手に入ったんだから。でもきみ、運がよかったねぇ。もし私が勝ってなかったら、今頃ものすごく面倒くさい人に絡まれていたよ」
先ほどからサンディークスが言っているあの人というのに心当たりのない来紅は首をかしげるしかなく。
「まあ、いいや。用は済んだし、私は行くね」
サンディークスはあっさり背を向けると、袋小路の最奥の赤い扉の中に消えてしまった。途端、小鳥のさえずりと人々の生活の気配が路地に戻ってきた。
「白沢様はコレを見越していた……のか?」
来紅は遠い東の故郷へ続く空を見上げつぶやいたあと、マラカイトへ向け駆けだした。
「パーウォー殿、手に入れマシタ! ミラビリス殿のではナイですが、鼬の秘薬です」
「あ、やっぱりそうなった? まあいいわ、これはサンディのね。なら、もう大丈夫」
パーウォーはすでに指先が石化し始めているムサイエフを抱き起こすと、サンディークス特製の薬をその口に流し込んだ。
「うぅ……まずい」
「贅沢言わないの。始まった石化さえ治せるのなんて、朱の魔法使いの薬くらいなもんよ。アンタ、運がよかったわね」
ムサイエフは盛大に顔をしかめ、「まずすぎる……」と言い残すと再び眠りに落ちてしまった。
※ ※ ※ ※
ムサイエフが毒に倒れてから一週間――
サンディークス特製の薬は効果抜群で、大腿部につけられた短剣の傷自体はまだだが、石化の方はすっかり治っていた。
「どうして逃げなかったの?」
寝台の上で上体を起こしたムサイエフが、窓辺で海を眺めていた来紅に問うた。
「ドウシテ、だと思う?」
来紅は海を見つめたまま、ムサイエフを見ないまま質問に質問で返した。
「わからないよ。来紅、半身のことを押し付けるなってあんなに怒ってたのに。私はもう確信してしまったんだよ、来紅が半身だって。だから逃げるなら今が最後だよ。私の足が治りきっていない、今のうちに」
「ソレはできない。サイが怪我をしたのは我のせいだ。だから逃げるナラ、サイの怪我がキチンと治ってから逃げる」
「それじゃもう遅いよ。私はしつこいし、地の果てまでも追いかける。もしかしたら狂ってしまって、来紅を動けないようにして閉じ込めたりするかもしれないよ?」
「ソレはまた……石人とは本当にスゴイな」
くすくすと笑う来紅は、ムサイエフの言葉を真に受けているようにはとても見えなかった。ムサイエフとしては真剣に忠告しているというのに、冗談のように流されてしまうのはおもしろくない。
「ねえ、冗談じゃなくて。逃げるなら本当に今のうちなんだよ」
「逃げナイ」
「なんで! 逃がしてあげられるのは今が最後なのに!!」
「ダッテ、逃げる必要がナイから」
来紅はムサイエフに向きなおると、眉を八の字にして困り顔に笑みを浮かべた。
「我は、禁を犯してしまった。モウ、天界には戻れない」
「禁って、いったい何を? もしかして、それは私のせい……なのか?」
ムサイエフの問いに、来紅は静かにうなずいた。
「ああ、サイのせいだ。昨日、トゥリパから渡された。精霊タチを通して、白沢様から手紙が送られてキタんだ」
来紅は懐から封書を取り出すと、それをムサイエフの手の上に置いた。
「…………すまない。まったく読めないんだが」
開いた手紙に書かれていたのは達筆な大華文字。ファーブラどころか極夜国からも出たことのなかったムサイエフには無縁も無縁のもので。
来紅はムサイエフの手から手紙を取り上げると、小さく咳ばらいをしてから読み上げ始めた。
「天仙、雁来紅は、天界が禁じている『主以外への色欲』を抱いたことが判明いたしました。貴殿の行為は、天界就業規則九条の壱号『天仙の主以外への欲情禁止』に該当することは明らかです。よって、天界内賞罰委員会を開催、慎重審議の結果、貴殿をこの解雇通知書を受け取った時点で懲戒解雇に付すことに決まりました」
少し遠い外の喧騒、窓から入ってくる波の音――そんな穏やかな静けさが無言の二人を包み込む。
「……なんだかまた、ずいぶん事務的というか。こう、抱いていた天界への印象が崩れるね。それにしても色欲だの欲情だの、すごい言葉が聞こえたんだけど」
「書いてあったカラな」
「つまり要約すると、来紅はその……欲情したから天界を解雇になったってこと?」
「うむ。サイのせいでな」
「それって」
「サテ、責任を取って貰わねばな。世間知らずの小娘を誑かし、タダの人間に戻してしまった悪い大人――」
来紅の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。彼女は今、ムサイエフの腕の中に閉じ込められてしまっていたから。
「取るよ、取るに決まってる! 応えてくれてありがとう、来紅。私は今、生まれてきてから一番幸せな気持ちを味わわせてもらってる!! 本当に幸せで、泣きたいくらい、幸せで……」
「バカ、本当に泣くな。まったく、サイは大人なのに本当に仕方ないヤツだな」
来紅の小さな細い指がムサイエフの目もとを優しく拭ったそのとき、ふたりの視線が吸い寄せられるように交わって――
「ムサイエフーーー」
「トゥリパちゃん、今はダメ――」
大きく開かれた扉からトゥリパが、それを追いかけるようにしてパーウォーが飛び込んできた。
「……パーウォー。のぞきとはまた、ずいぶんといい趣味だな」
「いやん、たまたま通りかかっただけよぉ。ムサイエフちゃんってば、そんな風に人を疑うのはよくないわぁ」
「白々しい。で、トゥリパはどうしたんだ?」
寝台の上で真っ赤な顔の来紅を抱き抱え離さないまま、ムサイエフは宙でぽかんとしているトゥリパを見上げた。先ほどの涙はどこへやら、すっかりいつも通りの顔に戻っていた。
「あ、えーと……邪魔しちゃってごめんね」
「いや、いい。むしろ止めてもらえて助かった。さすがに他人様の家で色々とやるわけにはいかないからな……で、なんだ?」
「あ、うん。ライホン宛てにね、もう一通お手紙と荷物が届いたの」
トゥリパが差し出したのは、簡素な封書と小さな小包だった。差出人は来紅の元主、白沢。
「白沢様から? なんだろう」
ムサイエフを引きはがしなんとか寝台から下りた来紅は、荷物を受け取ると早速手紙を読み始めた。
来紅へ
永遠の命を生み出す赤い石は見つかったかい? でも、それはきみにあげる。持って帰ってこなくていい。私の欲しいのとは違うから。
それと三年前、一方的に契約しといてなんだが、きみは性格的に仙人に向いてないと思う。というわけで、そこで人間として生を全うしなさい。
追伸 この三年間、薬の作り方は十分学んだね? それで生計を立てられるようには仕込んだつもりだ。いちおう作業手順書も送っておく。私からの餞別だ。
「なんて書いてあったの?」
「どうやら我は、最初カラ白沢様の手のヒラの上だったらしい」
来紅は手紙と小包を抱きしめると、澄み渡った冬の晴れ空のように笑った。
☆ ★ ☆ ★
「よしよし、僅差で私の勝ちだったな。……さて、きみの望みは何?」
突然降ってきた声に慌てて顔を上げると、来紅の視界は一瞬にして赤と黒の夕焼け色で埋め尽くされた。
※ ※ ※ ※
同時刻、結界の外――
「残念、間に合いませんでしたか。まったく、朱は鼻が利くうえに貪欲ですねぇ。ま、今回はお譲りしましょうか」
白い町、その静謐で清潔感あふれる早朝の路地には似つかわしくない毒々しい赤――額装の魔法使いエテルニタス――は大仰に肩をすくめると、大きな額縁の中へと消えていった。
その数か月後、まるで意趣返しとでもいうかのように彼が海の魔法使いから依頼人をかすめ取るのは、また別のお話。
「面目、ない。というわけですまないんだが……少しの間、また匿って……ほしい」
「すまない、パーウォー殿。サイも我も、石人狩りのならず者に目をつけられてしまっていて」
来紅の石人狩りという言葉で、パーウォーは「ああ、だから」と納得した。
「石人狩りのヤツらがよく使うのよね、蛇の王毒。極夜国なら解毒薬常備してるけど、取り寄せるとなると時間がかかるわ」
「構わない。私は死ぬことは……ない、から」
「ダガ! 苦しいのは同じだし、蛇の王毒は時間が経つと体を石化シテしまう。早く対処しないと――」
言葉の途中ではっと何かに気づいた来紅。彼女は持っていた荷物を床に置くと、乱暴に中をあさり始めた。
「あった!」
来紅が取り出したのは一通の封書。彼女はためらいなく封を開けると中身を確認した。中に入っていたのは一枚の手紙と薬包紙に包まれた丸薬。
「コレ! パーウォー殿、コレ使えナイだろうか」
「これって言われても……これ、何?」
「旅立つときに主カラ渡された。どうしても困ったとき開けなサイって。包みの方はタブン白沢様お手製の仙薬」
来紅から渡された仙薬をしばらく眺めていたパーウォーだったが、彼はため息をつくと首を横に振った。
「おそらくだけど、これは使えない」
「ソンナ……」
「ねえ、手紙の方はなんて書いてあったの?」
来紅は慌てて手紙を開くと中を確認した。
「コレを代償に」
瞬間、パーウォーの顔が引きつった。
「ワタシは無理だから、とすると……レフィはあり得ない。かといってファートゥムちゃんが来るわけないし、となると残るはサンディか、あの赤い変態か黒い悪魔か……」
眉間に盛大なしわを刻みながらブツブツとつぶやくパーウォー。
「パーウォー殿。では、解毒薬はドコで手に入るのでしょうか? 多少遠くても、我ならば術が使えるので普通に取り寄せたりスルよりは早いです。あとあのならず者たちには、モウ二度と後れは取らないノデ!」
「いいわ、信用する。薬はおそらくこの町にあるミラビリスちゃんの診療所にならあると思う」
「ナント! それなら今から取りに行ってきマス。場所を教えてくだサイ」
「了解。それと、多分これも必要になるから持っていきなさい」
パーウォーは来紅に白沢の仙薬とミラビリスの診療所までの地図を渡した。来紅はそれらを受け取ると、苦しそうに眠るムサイエフを一瞥してからマラカイトを出た。
日が昇り明るくなってきた空の下、静かな早朝の路地を走る。夜が明けたばかりで住人の多くはまだ寝台の中。人気のない路地で存在を主張するのは小鳥たちだけ。
「おかしい。ドコだ、ココは?」
路地に違和感を覚え、来紅は立ち止まると地図を確認した。きちんと確認しながら進んできたはずだというのに、気がつけば知らない路地に迷い込んでしまっていた。
全くひとけのない袋小路。人の気配どころか、いつのまにか鳥のさえずりさえも消えている。しかも引き返しても気がつけば同じところに戻ってきてしまうという、まさに袋小路。
「よしよし、僅差で私の勝ちだったな。……さて、きみの望みは何?」
突然降ってきた声に慌てて顔を上げると、来紅の視界は一瞬にして赤と黒の夕焼け色で埋め尽くされた。
「ねえ、なにか望みがあるんでしょ? 言ってごらんよ。代償さえ支払ってくれれば、私がその望みを叶えてあげるよ」
夕焼け色の正体――それは喉元を赤と黒で鮮やかに染め上げた、背の高いひょろりとしたイモリの獣人だった。
「ほら、望み。せっかくあの人に競り勝ったんだから、早く早く。ほら、何か望みがあるから来たんでしょ? いいから言ってみなよ」
「いや、まず你は誰だ?」
「ああ、自己紹介ってやつか。私はサンディークス。朱の魔法使いサンディークスだよ」
「魔法使い! あ、我は雁来紅と申します。……いや、でも今は你に用があるワケではナイのだ。すまないが急いでいるんだ」
「知ってるよ。きみから強い願いの匂いがしてるから。その願い、私が叶えてあげる。だからほら、何が望み?」
来紅の望みを聞くまで頑として譲らない態度のサンディークス。どうやら望みを言わないとこの袋小路同様堂々巡りらしいと諦めた来紅は、「鼬の秘薬を探している」と素直に白状した。
「へぇ、奇遇だね。私、それ持ってるよ」
「ナント! 是非とも譲ってはいただけナイだろうか」
「いいよ。代償をくれるなら、それに見合う願いは叶えてあげる。代償はそうだな……それ。きみのその懐に大事にしまい込んでる、珍しい薬が欲しいな」
――これを代償に。
白沢が旅立つ来紅に与えた、いざという時の仙薬。いざという時、それはどうやら今この時のようで。
「了解だ。デハ、引き換えに鼬の秘薬を」
来紅は一切のためらいなく仙薬をサンディークスに渡した。受け取ったサンディークスは満足そうにつぶらな瞳を細めると、「契約は成立だ」と笑った。
「朱の魔法使いサンディークスの名にかけ、雁来紅に朱の魔法使い特製の鼬の秘薬を与える。朱に染まれ、朱夏を謳歌せよ。……はい。これでこの薬はもうきみのものだ」
「おお、ありがたい! サンディークス殿、アナタに出会えてよかった」
「いやいや、こちらこそだよ。そんなもので珍しい仙薬が手に入ったんだから。でもきみ、運がよかったねぇ。もし私が勝ってなかったら、今頃ものすごく面倒くさい人に絡まれていたよ」
先ほどからサンディークスが言っているあの人というのに心当たりのない来紅は首をかしげるしかなく。
「まあ、いいや。用は済んだし、私は行くね」
サンディークスはあっさり背を向けると、袋小路の最奥の赤い扉の中に消えてしまった。途端、小鳥のさえずりと人々の生活の気配が路地に戻ってきた。
「白沢様はコレを見越していた……のか?」
来紅は遠い東の故郷へ続く空を見上げつぶやいたあと、マラカイトへ向け駆けだした。
「パーウォー殿、手に入れマシタ! ミラビリス殿のではナイですが、鼬の秘薬です」
「あ、やっぱりそうなった? まあいいわ、これはサンディのね。なら、もう大丈夫」
パーウォーはすでに指先が石化し始めているムサイエフを抱き起こすと、サンディークス特製の薬をその口に流し込んだ。
「うぅ……まずい」
「贅沢言わないの。始まった石化さえ治せるのなんて、朱の魔法使いの薬くらいなもんよ。アンタ、運がよかったわね」
ムサイエフは盛大に顔をしかめ、「まずすぎる……」と言い残すと再び眠りに落ちてしまった。
※ ※ ※ ※
ムサイエフが毒に倒れてから一週間――
サンディークス特製の薬は効果抜群で、大腿部につけられた短剣の傷自体はまだだが、石化の方はすっかり治っていた。
「どうして逃げなかったの?」
寝台の上で上体を起こしたムサイエフが、窓辺で海を眺めていた来紅に問うた。
「ドウシテ、だと思う?」
来紅は海を見つめたまま、ムサイエフを見ないまま質問に質問で返した。
「わからないよ。来紅、半身のことを押し付けるなってあんなに怒ってたのに。私はもう確信してしまったんだよ、来紅が半身だって。だから逃げるなら今が最後だよ。私の足が治りきっていない、今のうちに」
「ソレはできない。サイが怪我をしたのは我のせいだ。だから逃げるナラ、サイの怪我がキチンと治ってから逃げる」
「それじゃもう遅いよ。私はしつこいし、地の果てまでも追いかける。もしかしたら狂ってしまって、来紅を動けないようにして閉じ込めたりするかもしれないよ?」
「ソレはまた……石人とは本当にスゴイな」
くすくすと笑う来紅は、ムサイエフの言葉を真に受けているようにはとても見えなかった。ムサイエフとしては真剣に忠告しているというのに、冗談のように流されてしまうのはおもしろくない。
「ねえ、冗談じゃなくて。逃げるなら本当に今のうちなんだよ」
「逃げナイ」
「なんで! 逃がしてあげられるのは今が最後なのに!!」
「ダッテ、逃げる必要がナイから」
来紅はムサイエフに向きなおると、眉を八の字にして困り顔に笑みを浮かべた。
「我は、禁を犯してしまった。モウ、天界には戻れない」
「禁って、いったい何を? もしかして、それは私のせい……なのか?」
ムサイエフの問いに、来紅は静かにうなずいた。
「ああ、サイのせいだ。昨日、トゥリパから渡された。精霊タチを通して、白沢様から手紙が送られてキタんだ」
来紅は懐から封書を取り出すと、それをムサイエフの手の上に置いた。
「…………すまない。まったく読めないんだが」
開いた手紙に書かれていたのは達筆な大華文字。ファーブラどころか極夜国からも出たことのなかったムサイエフには無縁も無縁のもので。
来紅はムサイエフの手から手紙を取り上げると、小さく咳ばらいをしてから読み上げ始めた。
「天仙、雁来紅は、天界が禁じている『主以外への色欲』を抱いたことが判明いたしました。貴殿の行為は、天界就業規則九条の壱号『天仙の主以外への欲情禁止』に該当することは明らかです。よって、天界内賞罰委員会を開催、慎重審議の結果、貴殿をこの解雇通知書を受け取った時点で懲戒解雇に付すことに決まりました」
少し遠い外の喧騒、窓から入ってくる波の音――そんな穏やかな静けさが無言の二人を包み込む。
「……なんだかまた、ずいぶん事務的というか。こう、抱いていた天界への印象が崩れるね。それにしても色欲だの欲情だの、すごい言葉が聞こえたんだけど」
「書いてあったカラな」
「つまり要約すると、来紅はその……欲情したから天界を解雇になったってこと?」
「うむ。サイのせいでな」
「それって」
「サテ、責任を取って貰わねばな。世間知らずの小娘を誑かし、タダの人間に戻してしまった悪い大人――」
来紅の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。彼女は今、ムサイエフの腕の中に閉じ込められてしまっていたから。
「取るよ、取るに決まってる! 応えてくれてありがとう、来紅。私は今、生まれてきてから一番幸せな気持ちを味わわせてもらってる!! 本当に幸せで、泣きたいくらい、幸せで……」
「バカ、本当に泣くな。まったく、サイは大人なのに本当に仕方ないヤツだな」
来紅の小さな細い指がムサイエフの目もとを優しく拭ったそのとき、ふたりの視線が吸い寄せられるように交わって――
「ムサイエフーーー」
「トゥリパちゃん、今はダメ――」
大きく開かれた扉からトゥリパが、それを追いかけるようにしてパーウォーが飛び込んできた。
「……パーウォー。のぞきとはまた、ずいぶんといい趣味だな」
「いやん、たまたま通りかかっただけよぉ。ムサイエフちゃんってば、そんな風に人を疑うのはよくないわぁ」
「白々しい。で、トゥリパはどうしたんだ?」
寝台の上で真っ赤な顔の来紅を抱き抱え離さないまま、ムサイエフは宙でぽかんとしているトゥリパを見上げた。先ほどの涙はどこへやら、すっかりいつも通りの顔に戻っていた。
「あ、えーと……邪魔しちゃってごめんね」
「いや、いい。むしろ止めてもらえて助かった。さすがに他人様の家で色々とやるわけにはいかないからな……で、なんだ?」
「あ、うん。ライホン宛てにね、もう一通お手紙と荷物が届いたの」
トゥリパが差し出したのは、簡素な封書と小さな小包だった。差出人は来紅の元主、白沢。
「白沢様から? なんだろう」
ムサイエフを引きはがしなんとか寝台から下りた来紅は、荷物を受け取ると早速手紙を読み始めた。
来紅へ
永遠の命を生み出す赤い石は見つかったかい? でも、それはきみにあげる。持って帰ってこなくていい。私の欲しいのとは違うから。
それと三年前、一方的に契約しといてなんだが、きみは性格的に仙人に向いてないと思う。というわけで、そこで人間として生を全うしなさい。
追伸 この三年間、薬の作り方は十分学んだね? それで生計を立てられるようには仕込んだつもりだ。いちおう作業手順書も送っておく。私からの餞別だ。
「なんて書いてあったの?」
「どうやら我は、最初カラ白沢様の手のヒラの上だったらしい」
来紅は手紙と小包を抱きしめると、澄み渡った冬の晴れ空のように笑った。
☆ ★ ☆ ★
「よしよし、僅差で私の勝ちだったな。……さて、きみの望みは何?」
突然降ってきた声に慌てて顔を上げると、来紅の視界は一瞬にして赤と黒の夕焼け色で埋め尽くされた。
※ ※ ※ ※
同時刻、結界の外――
「残念、間に合いませんでしたか。まったく、朱は鼻が利くうえに貪欲ですねぇ。ま、今回はお譲りしましょうか」
白い町、その静謐で清潔感あふれる早朝の路地には似つかわしくない毒々しい赤――額装の魔法使いエテルニタス――は大仰に肩をすくめると、大きな額縁の中へと消えていった。
その数か月後、まるで意趣返しとでもいうかのように彼が海の魔法使いから依頼人をかすめ取るのは、また別のお話。
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