貴石奇譚

貴様二太郎

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番外編7

その美しさに驚嘆する3 ~クリソベリルキャッツアイ~

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 女性と楽しげに談笑するマルカジットの姿に、カリカルパはもやもやとした苛立ちを覚えていた。面白くない、腹立たしい。そんな気持ちのせいか、彼女の視線は棘のように鋭くなっていて。
 射貫くような強い視線、それを向けられているマルカジットが気づかないはずもなく……

「失礼、先約がありまして。私はこれで失礼いたしますね。では、よい夜を」

 マルカジットは一瞬驚いた顔をするも女性との会話を素早く切り上げると、気まずげな微苦笑を浮かべながらカリカルパの前にやって来た。

「あら、ずいぶんと楽しそうでいらしたのに。わたしのような子供など放っておいて、どうぞ大人は大人同士お楽しみあそばせ」
「そのようなつれないことを言わないでください、かわいらしい月の女神」
「まったく、よく回る口だこと。でも、わたしは月の女神なんかじゃないわ」

 約束したのにという思いがカリカルパの心をすさませる。約束したのに、今年社交界に顔見せデビューすると言っておいたのに、名前を教えたのに。それなのに探しに来なかった、他の女性と一緒にいた、名前を呼んでくれなかった。
 夢見る乙女の要求はとてもわがままで、何をおいても自分を優先しろというものだった。まだ友人というほどの関係でもなく、ましてや恋人でもないというのに。
 けれど散々恋のさや当てをしてきたマルカジットには、そんなカリカルパの子供っぽい要求などいたずら精霊にじゃれつかれているようなもの。

「カリカルパ様。あの日の約束通り、一曲お相手願えないでしょうか?」

 にっこり微笑むと、マルカジットは恭しく手を差し出した。

「……約束だものね。仕方ないから踊ってあげる」

 約束だから仕方ないというていで、カリカルパはマルカジットの手を取った。けれどその顔には隠しきれない喜びの色が出ていて。そんな意地っ張りなくせに素直すぎる少女にマルカジットの頬が緩む。

「ありがとうございます。カリカルパ様の寛大な御心に感謝いたします」
「ちょっと! なんで笑ってるのよ!!」
「いえ、あの日と変わらず今宵も火精霊のようにかわいらしいなと思いまして」
「だから! 子ども扱いしないでって言っているでしょう!!」
「失礼いたしました」

 素直に反応するカリカルパがかわいくて、マルカジットはついつい意地悪をしてしまっていた。普段の彼であれば相手の欲しい言葉を投げこそすれ、こんな風にからかったり意地悪したりすることはあまりない。それは相手がマルカジット同様、割り切って恋を楽しんでいる大人の女性が相手だったからというのもある。

「驚きました。あれからずいぶん上達されたんですね」
「当然よ。淑女の嗜みですもの」

 マルカジットと出会った日から、カリカルパは舞踏ダンスの練習を抜け出すことがなくなった。いつか彼と再会したら驚かせてやろう、その一心で稽古に励んでいたから。
 そして今夜、練習の成果はもちろん、マルカジットの巧みな導きリードもあり、カリカルパの最初の舞踏ファーストダンスは会心の出来となった。

「マルカジット様、やっぱりあなたと踊るのが一番楽しいわ」
「嬉しいことを言ってくださいますね。身に余る光栄です」

 踊り終わった後の余韻をと熱を冷ますため、ふたりは人の少ない台床テラスへと出た。すでにカリカルパの機嫌はすっかりなおっており、マルカジットは彼女のその素直さを愛おしく感じていた。

「ごきげんよう、マルカジット様」

 和やかに話すふたりの間に割って入ってきたのは女性の声。振り返ったふたりの前に立っていたのは、波打つ豊かな栗色の髪ブリュネットを複雑に結い上げた美しい大人の女性だった。
 そのどこか聞き覚えのある声に、カリカルパはここ最近の記憶を慌てて検索する。

「お元気そうですね、クリュティエー様。お久しぶりです」
「あら、ついこの間まではお互い恋を楽しんでいた仲だというのに。ずいぶんと冷たいのね」

 そして思い出した。この声は一月前、カリカルパがマルカジットと出会ったときに四阿ガゼボにいたもう一人の声。マルカジットに別れを告げた女性の声だと。

「申し訳ありません。ですが、私たちの関係はもう過去のもの。であれば、けじめとして一線をひくのが互いのためかと」
「では、もう一度やり直したいと言ったら?」

 カリカルパの存在を無視して話を進めるクリュティエー。その礼を失した仕打ちは、当然のことながらカリカルパの怒りに火をつけた。馬鹿にされたまま黙っていられるほどカリカルパは内気な娘でも達観した大人でもない。

「あなた――」
「申し訳ありませんが、お断りいたします」

 発しかけたカリカルパの言葉は、マルカジットによって遮られてしまった。彼の言葉と、腕で。

「私はもう、新しい恋と出会ってしまったので」

 頭上から聞こえてくるマルカジットの声に、腰に回された彼の腕に、密着した部分から伝わってくる体温に……カリカルパの頭は今、かつてないほどの混乱を極めていた。

「恋の戯れの加護を持つあなたが、そんな子供と遊びの恋を? ……本気?」
「遊びではない、と言ったら?」
「ありえない!」

 クリュティエーの悲鳴のような否定に、混乱していたカリカルパの頭に再び怒りが舞い戻る。

「クリュティエー様、でしたかしら。あなた、先ほどからずいぶんと失礼なことをおっしゃるのね」
「あら、ごめんなさい。ですが、わたくしは事実を言ったまで」
「クリュティエーさ――」
「マルカジット様は黙っていて!」

 カリカルパの一喝で、マルカジットは押し黙らざるを得なくなってしまった。カリカルパはそんな彼の腕の中からするりと抜け出すと、クリュティエーと対峙した。

「ありえない、とはどういう意味かしら?」
「そのままの意味よ。マルカジット様は誰も愛さない。戯れの恋の加護で泡沫うたかたの恋こそすれ、誰にも真心は捧げない」

 勝ち誇ったように憐れみの眼差しを向けてきたクリュティエーに、カリカルパは静謐な眼差しを返した。

「なぜ、あなたがマルカジット様の心を決めるの?」
「え……でも、だってマルカジット様は……」
「なぜ、戯れの恋だとあなたが決めるの? なぜ、マルカジット様の今までの恋が本気ではなかったと、あなたが決めるの?」

 カリカルパの純粋な疑問にクリュティエーは答えることができなかった。
 マルカジットは確かに浮いた噂に事欠かない。けれど彼は誰かと付き合っているときは、決して他の誰かと恋をしなかった。

「いいのです、カリカルパ様。来るもの拒まずの社交界一の遊び人、そういう噂を否定しなかった私にも原因はある」
「そうね。そんな噂があって、なおかつ誰にでも優しい人なんてなかなか信用できるものではないものね」

 はっきりと言い切ったカリカルパに、マルカジットは苦笑することしかできない。

「なら、もう一度わたくしと――」
「いえ、やはりそれは出来ません」

 クリュティエーの叫びをマルカジットは静かに遮った。

「クリュティエー様。今の貴女はまるで、一度手放したお気に入りのおもちゃが誰かの手に渡りそうになって、慌てて取り戻しに来た子供のようです」
「そんなこと! なぜ貴方が、わたくしの心を勝手に決めるの!?」

 さきほど自分も同じことをしたというのに、クリュティエーはそんなことにも気づかずマルカジットをなじった。

「ですが、クリュティエー様。貴女、今すでにお付き合いしている方がいますよね。貴女は私に、愚かな間男になれと言うのですか?」

 マルカジットの指摘に、クリュティエーはうつむいて口をつぐんでしまった。その姿はマルカジットの質問を全面的に肯定していた。

「あきれた。クリュティエー様、あなたこそ戯れの恋に囚われていらっしゃるのではなくて? 誰かの真心が欲しいのなら、まずは自分の真心を捧げるべきだとわたしは思うのだけれど」
「それで裏切られて傷つくなんて、わたくしはもう嫌なの! ある日突然現れた半身だって女に恋人を盗られた気持ち、貴女にわかる!?」

 ぽろぽろと涙をこぼし、傷ついたのだと激昂するクリュティエー。けれどそれを見るカリカルパの眼差しはやはり静謐なままで。

「そんなの、わたしにはわからない。だって、まだ恋をしたこともないもの」

 潔癖な乙女は、子供の残酷さで大人の事情を容赦なく切り捨てた。

「あなたが傷つけられたからって、それが誰かを傷つけていい理由になんてならな――」
「カリカルパ様、私のためにありがとうございます。けれど、どうかそこまでで」

 カリカルパの正論を止めたのはマルカジットだった。彼は困ったような微笑みを浮かべ首を横に振る。そしてクリュティエーに向きなおると、彼女に改めて別れを告げた。

「クリュティエー様、私は貴女の半身にはなれなかったけれど……一緒にいた間は、確かに貴女を想っていました。ですが、その時間は終わってしまったのです」
「わたくし、は……まだ……」
「今、貴女の隣にいる人を大事にしてください。……さようなら」

 その言葉を最後に、マルカジットが振り返ることはもうなかった。
 
「あなた、遊び人と言われているわりには誠実よね」
「私は恋人には誠実な男ですよ」

 大広間に戻ってきたふたりは、踊る人々を眺めながら水を飲んでいた。

「誠実なのに、なぜひとりの人と長く続かないのかしら」
「なぜでしょうね。たとえ半身でなくても、私は死ぬまで愛を捧げると誓えるのに」
「それは無理だと思うわ。だって半身を見つけてしまったら、わたしたち石人は逆らえないのでしょう?」
「そうらしいですね。私はまだ出会っていないのでなんとも言えないのですが……まあ、もし愛を捧げると決めた相手が半身でないのならば、そのときは半身を見つけなければいいだけのこと」

 いつどこに現れるかわからない半身と出会わない方法などあるわけないというのに、自信満々で言い切ったマルカジットにカリカルパは怪訝な顔を向けた。

「簡単ですよ。私は両目を縫い付け何も目に入らないようにする。そして守護石の上のまぶたには特殊な封印を施し、半身を察知する機能を封じます。その上相手は私の屋敷に閉じ込め、半身と出会わないようにする。これでお互い半身に出会うことはなくなるので、半身同士でなくても添い遂げられます。この術式を編み出すの、すごく大変だったんですよ」

 にこにこと人好きのする笑顔で猟奇的な将来設計を語ったマルカジットに、カリカルパの顔が盛大に引きつった。

「もしかしてだけれど、それ……今までの恋人たちにも言ったの?」
「はい。今までの方たちはみな半身ではなかったので、お互いの気持ちが戯れの恋でなくなった時点で私の真心としてお話しいたしました。ただ、クリュティエー様だけはこのお話をする前に別れを切り出されたので、彼女にだけは話しておりません」
「あなたって、もしかして毎回フラれる側じゃない?」
「はい、よくご存じですね。このお話をしてしばらくすると、別れを切り出されてしまうのです」
「……それはそうでしょうね」

 異常性を承知してやっているのか、それとも無自覚なのか。マルカジットの重すぎる愛にカリカルパから乾いた笑いがもれる。

「半身でなくても永遠の愛を捧げると言っているのですが、どうも皆さん受け入れがたいようです」
「それはそうでしょうね」

 カリカルパの力強い肯定に、マルカジットは深いため息をついた。

「でも、面白いわ。ねえ、さっきの言葉……あれは本気?」
「さっきの言葉?」

 しばらく考えていたマルカジットだったが、「新しい恋に出会ったと言った、あれでしょうか?」と首をかしげた。それにカリカルパが笑顔で正解だとうなずく。

「ねえ、マルカジット様。そのあなたの真心、わたしに捧げてみない?」
「よろしいのですか?」
「ええ。だって、半身でもない相手に全てを捧げようだなんてそんな面白い人、そうそう出会えるものではないもの」

 挑戦的に微笑む少女、その石人としては歪んでいるとしか言えない彼女の美しさに、しかしマルカジットは驚嘆し、感動した。瞬間、彼の中にこみ上げてきたのは経験したことのないような多幸感。頭がおかしくなってしまいそうな酩酊感。

「なれば。私の心も命も、カリカルパ様、すべてを貴女に捧げます」
「いいわ。マルカジットの心も命もすべて、このカリカルパ・カロス・クリソベリルがもらってあげる。その代わりあなたは、残りの人生すべてかけて全力でわたしを楽しませてね」
「仰せのままに、我が半身」

 ヒカリゴケの照らす幽かな光の下で、初めての恋を手に入れた少女と最後の恋を手に入れた紳士が密やかに笑う。お互い、まだその自覚はなかったけれど……

 歪んだ夜の国で、気まぐれな猫目石と愚者の黄金は終わらない円舞曲ワルツを踊り続ける。
 



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