149 / 181
番外編7
その美しさに驚嘆する1 ~クリソベリルキャッツアイ~
しおりを挟む霧の森に閉ざされた夜の国、極夜国。
この不毛の地に住まうのは、左右どちらかの瞳に貴石を宿した石人たち。人間の真似をするのが大好きな彼ら石の妖精たちは、見様見真似で人間社会を自分たちなりに再現していた。
ただし立憲君主制のファーブラ国とは違い、極夜国は王を頂点とする専制君主制をとっていた。これはもともと森で群れとして暮らしていた頃の名残である。
とはいえ、そこは根がお気楽な妖精たちのおままごと。専制君主制とはいえ、人間たちほど階級意識は強くない。ましてや彼らは半身至上主義ということもあって、貴賎結婚など日常茶飯事。貴族とは言っても、彼らにとっては仕事の役職のひとつくらいの意識しかない者が大半であった。
そんな極夜国には金剛石の王家を頂点に、三大公爵家を始めとする貴族や、そこには属さない平民たちが平和に暮らしていた。
三大公爵家――蒼玉や紅玉のコランダム家、翠玉や藍玉のベリル家、変彩金緑石や猫目石のクリソベリル家。
力の強い魔術師などは、王家とこの三大公爵家から多く輩出されていた。
※ ※ ※ ※
無垢の月――外の世界では温かな陽射しが降り注ぎ、命があふれ出す季節を迎えていた。
けれど、ここは極夜国。太陽の光ではなく、月の光が支配する常夜の国。一年を通してそこまで気温が上がることはなく、太陽のないこの地には精霊と石人以外の生き物はほとんどいない。春になったところで雪が消えるくらいで、景色はそこまでかわりばえしない。
「舞踏会なんてなくなってしまえばいいのに」
公園の中にある池のほとりに作られた大理石の四阿。その外側の壁によりかかるように一人の少女が座り込んでいた。
淡い月の光のような鳥の子色の髪をさらさらと背に流し、氷河のような青の瞳と蜂蜜色の猫目石の守護石に不満を浮かべ、仕立てのいい服が汚れるのもかまうことなく地面に座り込んでいた。
彼女はクリソベリル公爵家の掌中の珠、末の娘のカリカルパ・カロス・クリソベリル。今年成人を迎える。
「毎日毎日舞踏の練習ばっかり、もうたくさん! なんで舞踏なんてやらないといけないのよ」
今年成人を迎えるということは、社交界に参加するということ。それに舞踏は必須なわけで。けれど舞踏が不得意で好きではないカリカルパは毎日の稽古に辟易していた。だから、授業から逃げ出してきたのだ。そしてここでひとり、積もり積もった不満をぶちまけていた。
「もうやだ~。踊れなくたっていいじゃな――」
誰かが四阿にやってきた気配にカリカルパは慌てて不満の言葉を飲み込んだ。誰もいないからこそ声に出して吐き出していたというのに、という不満と一緒に。
「貴方はとても優しくて、わたくしの長くてとりとめのない話をいつも嫌な顔せずに聞いてくださるし、舞踏も上手で話題も豊富。あなたとのお付き合いは、とても楽しかったわ」
「私も貴女と過ごせて、とても楽しかったです」
カリカルパの背後、その頭上で交わされているのは彼女の知らぬ紳士と淑女の会話。
「あら。わたくしはまだ何も言っていないというのに、貴方も過去形なのね」
「失礼いたしました」
「……本当に、戯れの恋には貴方ほど適した方はいらっしゃらないでしょうね。でも本気の恋をするなら、わたくしは貴方以外を選ぶわ。どなたにでも平等な貴方では、わたくしは満足できないから」
なにやら雲行きが怪しくなってきた話題に、カリカルパは今さら出るに出られなくなっていた。盗み聞きしたいわけではないが動けない現状、ふたりの会話はどうしても耳に入ってきてしまう。
――もう、なんでわたしがこんな目に! ふたりとも早くどこか行きなさいよ~。
けれど、カリカルパの心の叫びなど聞こえない壁の向こうのふたりの会話は続く。
「だから、さようなら。わたくしを特別にしてくださらない貴方とはここまで。今まで楽しい時間をありがとうございました」
「わかりました。こちらこそ楽しい時間をありがとうございました」
ひとり分の遠ざかる足音、そして壁の向こうで落とされた小さなため息。それでふたりの会話も関係も終わったことがカリカルパにもわかった。
――あらあら、フラれてしまったのね。でも、ふたりともずいぶんとあっさりしてたわね。大人のお付き合いってこんなものなのかしら?
そこでふとカリカルパの脳裏をよぎったのは兄の姿。つい最近半身と出会い、毎日うざったいくらいにそのことをカリカルパに自慢してくる兄、ポルクス。
――ポルクス兄様だったら……みっともなく泣き叫んでお義姉様にすがるんじゃないかしら?
情けない兄の姿を想像して、ついふきだしてしまったカリカルパ。
「おや? 盗み聞きとは淑女にあるまじき行為ですよ」
けれど、時すでに遅し。カリカルパが顔を上げると、そこにはゆるやかな金の巻き毛をふわりとゆらし、緑の瞳と金の守護石をやわらかく細めて隙のない笑みを浮かべる紳士がいた。
「あら、盗み聞きとは聞き捨てならないわね。先にここにいたのはわたしよ。あなたたちが勝手にここへ来て、勝手にお話しを始めたのよ」
膝を抱えて地面に座ったままという格好のまま、それでもカリカルパは顔だけ上げて勝気に言い返した。紳士の完璧すぎる笑顔がどこか作り物のようで、彼女にはそれがなんだかおもしろくなかったから。
「それは失礼いたしました」
けれど紳士はそんなカリカルパの態度に気を悪くした様子もなく、完璧な笑みもいっさい崩さない。
「それにしても、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね」
「恥ずかしい? どうして?」
カリカルパは猫のような勝気そうな瞳に純粋な疑問を浮かべ聞き返した。彼女のそのまっすぐな視線が、完璧だった紳士の微笑みに戸惑いの色を落とす。
「私、たった今フラれたのですが」
「それのどこが恥ずかしいの? ただ、あなたとあの人の関係が終わったってだけじゃない。なぜ別れを告げられたことを恥ずかしく思わなくてはならないの?」
「それは……たしかに、なぜでしょう?」
カリカルパの質問に紳士はハッとした顔をしたあと、苦笑しながら首をかしげた。
「フラれるのは恥ずかしくなんてないわ。恥ずかしいというのなら、何も行動を起こさなかったくせに盗られたとか騒ぐ方がよっぽど恥ずかしいんじゃないかしら。行動を起こしてその結果フラれたのなら、私は恥ずかしくなんて思わない」
「そう、ですね。……ありがとうございます、目が覚めました。社交界の美しい花たちにもてはやされ、どうやら私は少々驕っていたようです」
紳士は最初の完璧な微笑みではなく、どこか照れたような微笑みを浮かべた。
「あなた、そっちの笑顔の方がいいわよ。最初のはなんだか慇懃無礼というか、線引きをされたみたいな感じがしたから」
カリカルパの率直すぎる言葉に、紳士から苦笑いがこぼれる。
「ところで、名も知らぬ美しいお嬢さん。淑女をいつまでもそのようなところに座らせておくのは、私の信条ではないのだけれど。よろしければこちらへ来て座りませんか?」
「あら? もしかしてわたし、口説かれているのかしら」
挑戦的に返したカリカルパに、けれど紳士は「ええ、もちろんですよ」と余裕の笑みを返した。
どうせ子ども扱いされるだろうと思って冗談で言ったというのに、予想外の返答にカリカルパはうっかり顔を赤らめてしまった。そんな赤くなった顔を見られないように、カリカルパは紳士に背を向けて立ち上がった。
「誕生日の今日、こんな美しいお嬢さんに出会えるとは。神からの素適な贈り物ですね」
「あなた、今日誕生日だったの? それはおめでとう」
カリカルパは四阿の中の椅子に腰を下ろすと、紳士に素直な祝福の言葉を贈った。
「ありがとうございます、優しいお嬢さん。ああ、そういえばまだ名乗っておりませんでしたね。私はマルカジット・スルフィド。スルフィド男爵家の当主を務めさせていただいています。もしよろしければ、貴女のお名前も教えていただけると嬉しいのですが」
紳士の名を聞いた瞬間、カリカルパの顔が笑顔が固まった。マルカジット・スルフィド――その名は社交界に出る前のカリカルパでも聞いたことがある名前。主に兄ポルクスからだが、散々聞かされた名前だった。
来るもの拒まず去る者追わず、花の間を飛び回る社交界一の遊び人。それがカリカルパの知っているマルカジットの情報だった。
「秘密よ!」
「おや、警戒されてしまいましたか。お嬢さんは賢いですね」
「そうでしょう、そうでしょう。だってわたし、お勉強は得意だもの。みんなから褒められるのよ」
「それはそれは。大変素直で愛らしく、そのうえ賢いとはお嬢さんは将来有望ですね。ところでそんな将来有望なお嬢さんが、このような場所で何をなさっていたのですか?」
カリカルパの素直さにこみあがる笑いをこらえながらも、マルカジットは彼女との会話を楽しんでいた。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説

【完結】本当の悪役令嬢とは
仲村 嘉高
恋愛
転生者である『ヒロイン』は知らなかった。
甘やかされて育った第二王子は気付かなかった。
『ヒロイン』である男爵令嬢のとりまきで、第二王子の側近でもある騎士団長子息も、魔法師協会会長の孫も、大商会の跡取りも、伯爵令息も
公爵家の本気というものを。
※HOT最高1位!ありがとうございます!
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る
花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。
その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。
何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。
“傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。
背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。
7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。
長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。
守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。
この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。
※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。
(C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

【完結済み】婚約破棄致しましょう
木嶋うめ香
恋愛
生徒会室で、いつものように仕事をしていた私は、婚約者であるフィリップ殿下に「私は運命の相手を見つけたのだ」と一人の令嬢を紹介されました。
運命の相手ですか、それでは邪魔者は不要ですね。
殿下、婚約破棄致しましょう。
第16回恋愛小説大賞 奨励賞頂きました。
応援して下さった皆様ありがとうございます。
リクエスト頂いたお話の更新はもうしばらくお待ち下さいませ。

【完結】少年の懺悔、少女の願い
干野ワニ
恋愛
伯爵家の嫡男に生まれたフェルナンには、ロズリーヌという幼い頃からの『親友』がいた。「気取ったご令嬢なんかと結婚するくらいならロズがいい」というフェルナンの希望で、二人は一年後に婚約することになったのだが……伯爵夫人となるべく王都での行儀見習いを終えた『親友』は、すっかり別人の『ご令嬢』となっていた。
そんな彼女に置いて行かれたと感じたフェルナンは、思わず「奔放な義妹の方が良い」などと言ってしまい――
なぜあの時、本当の気持ちを伝えておかなかったのか。
後悔しても、もう遅いのだ。
※本編が全7話で悲恋、後日談が全2話でハッピーエンド予定です。
※長編のスピンオフですが、単体で読めます。
王様の恥かきっ娘
青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。
本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。
孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます
物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります
これもショートショートで書く予定です。
公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~
朱色の谷
恋愛
公爵家の末娘として生まれた幼いティアナ。
お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。
お父様やお兄様は私に関心がないみたい。
ただ、愛されたいと願った。
そんな中、夢の中の本を読むと自分の正体が明らかに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる