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番外編7
救いの太陽 ~サンストーン~
しおりを挟む明けない夜の国、極夜国。片方どちらかの瞳に貴石を宿して生まれてくる石人たちの住まう国。
これは、極夜国がまだ霧に閉ざされる前のお話……
※ ※ ※ ※
「師匠の奥さんってどんな人だったんですか?」
「それ、私も興味あります。師匠、よろしければお聞かせ願えませんでしょうか?」
「おれも聞きたい!」
白い髪をなでつけ後ろで一つにまとめた、黒い瞳と黒色金剛石の守護石を持つ初老の男――グリソゴノ――を囲んでいるのは二人の少年と一人の幼子。
さらさらとした白金の髪に灰色の瞳と変彩金緑石の守護石を持つ磁器人形のような双子の少年たち――カストールとポルクス。
黒髪にグリソゴノと同じ黒い瞳と黒色金剛石の守護石を持つ幼い少年――オルロフ。
「どうしたというのだ、急に」
「母様から聞いたんですけど、師匠は奥さんと半身じゃなかったんですよね? でも最後まで添い遂げたって聞いて、すごいなって思ったんです」
目を輝かせるポルクスに、グリソゴノは懐かしむように目を細め微笑んだ。
「そうだな。儂と妻は半身ではなかった。だからこそこうして、儂だけ生き永らえてしまったのだが……けれど彼女と過ごした五百年は、とても穏やかで満ち足りたものだった」
語られたのは、今からおよそ八五〇年前に死に別れたグリソゴノと妻ラティルスの思い出。壮年期に差し掛かったグリソゴノがラティルスと出会い、穏やかな愛を育み、彼女を見送るまでの優しい思い出。
「彼女がいなくなった今でも、毎日のように思い出す。明るく笑う彼女を、おかえりなさいと迎えてくれた彼女を、きらめく美しい日長石の瞳を……」
胸に手を当て、グリソゴノは亡き妻を想い語る。半身ではなかったが、いまだ愛しい大切な妻の姿を思い出しながら。
「さて、休憩はここまでだ。次はオルロフには精霊との契約、カストールとポルクスには火と氷の魔術の続きを教えよう」
グリソゴノは表情を引き締めると、弟子たちに授業の再会を告げた。
※ ※ ※ ※
「ばーかばーか、けちびトール! おまえなんて死ぬまでチビでいろ、けーち!!」
カストールに威勢よく罵声をあびせているのはオルロフ。けれど残念ながら、彼の腰は完全に引けていた。
「ほう。仮にも王子ともあろう御方が、ずいぶんと汚い言葉をお使いですね」
「トール、お仕置きはほどほどにな~」
対するカストールはまったく安らがない笑顔と標準装備の慇懃無礼で、威圧するようにオルロフへと歩を進めていた。そしてポルクスはというと完全に他人事で、木に背を預けてひとり読書に没頭している。
「オルロフ。悪いことをしたら謝罪するのは当然のことだろう?」
「でも! だって、トールゆるしてくれないし……」
「謝罪されたからといって、必ずしも相手が許すとは限らない。謝ったのだから許せというのは傲慢だよ。それに謝罪というのは相手が許す許さないに拘らず、自らの非を認めて頭を下げるものじゃないのか?」
幼い少年に容赦ない正論をつきつける大人げない少年。
「……うぅ~」
言い返すことができなく、意味のない唸り声をあげるしかできなくなってしまったオルロフ。
幼い彼にはカストールの言葉はまだ少し難しく、その意味を完全には理解できてはいなかった。けれど悪いことをした自覚は彼自身にもあったので、言い方はどうあれ、カストールが間違ったことを言っていないことだけは理解できていた。
「うるさーい! トールのばかーーー!!」
とはいえ、普段から斜め上のかわいがり方をしてくるカストール相手に、幼いオルロフが素直に謝ることなどできるわけなく。少年は少ない語彙の中から再びの暴言を投げつけると、すぐ近くに広がる森へと逃げ込んでしまった。
「まったく、困った王子様だよ」
オルロフの消えた森の前でため息をつくと、カストールは火精霊のウィルと共にポルクスの隣へと引き返した。
※ ※ ※ ※
妙な意地を張ってしまったため謝る機会を失してしまったオルロフは戻るに戻れず、ひとり森の中を歩いていた。
「そりゃさ、ぜんぶ飲んじゃったのは悪かったけどさ……」
事の発端は、カストールたちの水をオルロフが断りなしに飲んでしまったことだった。
カストールとポルクスが本日の昼食として持ってきていたのは、おいしいと評判のカリナン山の雪解け水。現在大人気で、取り寄せるのに時間がかかる一品。
それが、目の前を流れる小川で無防備に冷やされていた。一口飲ませて欲しいと頼もうにも、今カストールとポルクスは魔術の稽古中のため、さすがにそんなことで声をかけられない。けれど、ちょうど剣の稽古を終えたばかりのオルロフの喉はカラカラで、ついでにお腹もカラカラで。
だから、一口だけ。そう言い訳をして、オルロフは瓶を手に取った。その水は評判通り、とてもおいしかった。おいしすぎて……気づけばオルロフの前には、二本の空き瓶が転がっていた。
「あれ? ここ、どこだ?」
勢いで、そして考え事をしながら歩いていたせいで、オルロフはいつの間にか見覚えのない場所に来てしまっていた。周囲を見渡しても同じような木しかなく、歩いても歩いても出口が見つからない。しかも生い茂った葉が空を閉ざしているので、見上げても同じような景色ばかり。
「どうしよう……!」
迷ったことに気づいたオルロフを支配したのは不安、そして焦燥。薄暗い森の中でひとり、少年は半分泣きながら走る。出口を、人を探して。
けれど現れるのは同じような木々ばかり。走っても走っても変わらない景色に、オルロフはとうとうその場にしゃがみ込んでしまった。うずくまり、しゃくりあげ、幼い少年は誰もいない森の中で「ごめんなさい」を連呼する。
「ごめん、なさい。おれがわるい子、だから……」
「あら、あなたは悪い子なの?」
「え!?」
唐突に降ってきた声にオルロフが慌てて顔をあげると、キラキラときらめく守護石と瞳を細め、からかうように微笑む初老の女性が立っていた。
「こんなに泣きはらしてしまって。せっかくのかわいいお顔が台無しじゃない」
女性は衣裳が汚れることなどかまうことなくオルロフの隣に腰を下ろすと、持っていた手巾で少年の頬を濡らす涙を丁寧に拭い始めた。
「おれ……トールたちのお昼、勝手に飲んじゃって……」
「まあ、それは悪い子ねぇ」
ようやく人に会えたオルロフはその安堵からか、すっかりおしゃべりになっていた。
「だけど、トールがいじわる言うから……ごめんって、言えなくて」
「あらあら、意地を張ってしまったのね。でも本当はごめんなさいが言いたくて、それで苦しくて泣いていたのかしら」
無言でうなずいたオロロフ。その目もとからは、また次々と温かな雫がこぼれ落ちる。
「じゃあ帰ったら、今度こそごめんなさいって言いましょう」
「でも、トールはあやまってもゆるさないかもって」
「許す許さないは相手が決めることだから仕方ないわ。嫌なことをされたのに、謝ったんだから許せ、許さないのはひどいだなんて言われたら……あなたはどう?」
「……すごく、いやだ」
オルロフは自分がカストールにとった態度を再度思い出してみる。
悪いことをしたのは自分だというのに、カストールが許さないから謝らないと言って、彼にひどい言葉を投げつけて逃げてきた。改めて思い返すとオルロフのとった行動はめちゃくちゃで、彼はそんな自分が急に恥ずかしくなった。
「謝るのはね、許してもらうためのものじゃないと思うの。自分の過ちを認めて、反省して、あなたとの関係をまだ終わらせたくないですって伝えることなのかなって」
続けて、「私もね、たくさんのごめんなさいをしたの」と彼女は笑った。
「旦那様のこと大好きだったけど、喧嘩もたくさんしたわ。でもね、やっぱり大好きで一緒にいたいから、自分が悪いときはごめんなさいってしたの。そして旦那様が悪くてごめんなさいってしてきたときは、またよろしくねって仲直りしたわ」
「トールはいじわるだし、ポルクスもけっこういい性格してるけど……でも、おれ、あいつらとまだいっしょにいたい」
「じゃあ、素直にその気持ちを伝えましょう。ごめんなさい、ひどいことしてしまって反省してます。また仲良くしたいですって」
「うん」
オルロフの返事に老婦人は微笑むと立ち上がり、彼の手を引くと迷うことなく森を進み始めた。やがて見えてきたのは森の終わり、オルロフが飛び込んだ場所だった。
「ありがとう……あ、名前! おれはオルロフ。あなたのお名前は?」
「ラティルスよ。さようなら、オルロフ。お友達と仲直りできること、祈っているわ」
「え? あ、待って! 極夜国はこっちだよ」
森の中へと戻っていくラティルスを呼び止めようと、オルロフが叫んだそのとき――
「オルロフ!」
呼び声に振り向いたオルロフ目指して駆けてきたのはカストールとポルクス。二人はオルロフのもとへやって来ると、「心配させて、このバカが」と安堵のため息と文句を吐き出した。
「水、飲んじゃってごめんなさい」
オルロフは開口一番でカストールとポルクスに頭を下げると、ようやく本当のごめんなさいを言った。
「……その、私も悪かった。少しいじめ過ぎた」
「だからほどほどにって言っただろ。まったく、トールもけっこう子供だよなぁ」
ばつが悪そうな顔をしたカストールと、それを見て笑うポルクス。
「あ、あとチビとかケチとかも言って、ごめんなさい」
「うん、そっちは許さない。オルロフ~、お兄さんとちょーっと色々とお話ししようか」
「え、やだ! ポルクス助けて」
「うん、それは僕も許さない。帰ったら色々と教育しないといけないみたいだね、オルロフ」
「やだーーー! はなせっ、あくまのふたごめーーー」
双子に挟まれ、ずるずると引きずられていく哀れなオルロフ。そうして引きずられて連れていかれた先にはグリソゴノが待っていた。
「オルロフ、無事でよかった。まったく、カストールとポルクスが血相変えておまえが森から帰ってこないと知らせに来たときは肝が冷えたぞ」
「ごめんなさい……」
「しかし、よく無事に帰ってこられたな。この森は慣れている者でもたまに迷うでな」
「うん、迷ったよ。でもね、ラティルスさんっていうキラキラした守護石の優しいおばさんがたすけてくれた」
瞬間、グリソゴノの目が驚きに見開かれた。彼はしゃがんで視線を落とすと、オルロフをまっすぐ見つめる。
「オルロフ、その御婦人は?」
「えっとね、出口の近くまではいっしょに来てくれたんだけど。トールたちが来るちょっと前に森のほうへ帰っていっちゃった」
「……そう、か」
明らかに落胆した様子のグリソゴノに、少年たちはわけがわからず首をかしげる。
「私たちがオルロフを見つけたときには、オルロフはひとりだったんだけどな」
「うん。周りには誰もいなかったよ」
双子の証言にオルロフが「本当にいたもん!」と憤慨する。
「オルロフ。その御婦人は、こんな人ではなかったか?」
グリソゴノは上着の下に隠されていた写真入りの首飾りを取り出すと、中に入っていた写真をオルロフへと見せた。
写っていたのは穏やかな笑みを浮かべた老夫婦。グリソゴノと、森でオルロフを導いてくれた老婦人――ラティルス――だった。
「儂の妻、ラティルスだ」
グリソゴノは驚く少年たちに微笑むと、首飾りを元の通り上着の下にしまった。
「ラティルスは子供が好きで、近所の子らから見知らぬ子らまで、いつもどこかしらの子の世話を焼いていてな。まさか魂だけになってまで世話を焼いているとは思いもよらなんだ」
けれど、そこでグリソゴノの笑みに悲しみが混じる。
「だというのに、儂ら夫婦には子が授からなくてな。まったく皮肉なものよ。半身ならば必ず子をなせたというのに、ラティルスは儂なんぞと一緒になったばかりに……」
「師匠、そんなこと言っちゃだめだよ。ラティルスさん、だんなさまのことが大好きだから、いっしょにいたいから、ケンカしても仲直りしたんだって、すっごくしあわせそうに笑ってたよ」
「そう、か……」
オルロフの言葉が、グリソゴノの目頭を熱くする。グリソゴノはそれを誤魔化すように立ち上がり空を仰ぐと、亡き妻へ想いを馳せる。
――ラティルス。我が最愛、我が太陽よ。あと少しだけそこで待っていてくれ。必ず迎えに行くから、そのときは共に……
「では、行こうか」
太陽の昇らない夜の国で、黒色金剛石は月に誓う。この石は死後魔法使いにくれてやるとしても、魂は愛しい太陽と共に、と。
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