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番外編7
酔生夢死 後編 ~アメシスト&ルベライト~
しおりを挟む――なんだろう、この不安な感じ。今まで、こんなのなかったのに。
ウィオラーケウスの胸を、不安がじわりと侵食する。今までヴァイティスの指導係として接してきて、時にはうるさがられることもあった。けれど、あんな風にまっすぐに怒りをぶつけられたのは今回が初めてで。
――やっぱり、あれはズルい対応だったよな。
先ほどヴァイティスからぶつけられた想いを、ウィオラーケウスは気づいていて流した。それに気づいてしまったら、平穏な今が壊れてしまうような気がして。
――でも、このまま何も気づかないまま、確認しないまま。何も成し遂げることもなく、一生こんな風にぼんやりと過ごすのか?
毎日同じことを繰り返す、平穏だけど退屈な日常。平和だが、特にやりたいこともなく、ただ生きて死んでいく。兄のように大きな喜びや幸せを知ることもなく、リコリスのように希望をもって未来に進んでいくこともできない。今のウィオラーケウスは不幸ではないが、決して幸せでもなく。
――だからといって、半身や家族を持つことだけが幸せってわけでもないし。半身以外と幸せに生きてる人もいれば、半身がいなくても幸せな人だっている。
ヴァイティスの走り去っていった方向を見つめたまま、ウィオラーケウスは自分に言い聞かせるように心の中でつぶやく。
――それに大切なものを持ってしまったら、もしかしたら兄さんのような運命をたどることだって……
ウィオラーケウスの兄ロタールは、半身と出会って極夜国を出た。彼の半身は、極夜国で暮らすことのできない人間だったから。
ロタールが極夜国を出て一年と半年。彼とその半身カプセラは、アルブスという港町で暮らしていた。慎ましやかな家だったが、そこには幸せがあふれていた。ロタールは少しだけ大きくなったカプセラのお腹を愛おしそうになで、カプセラはそんなロタールに微笑みかける。温かくて、まぶしくて……ウィオラーケウスには、まぶしすぎて。けれど、光に惹かれる羽虫のように、ウィオラーケウスは仕事でアルブスへ寄った際には必ず二人の家を訪ねるようになっていた。
しかしある日、二人は突然姿を消してしまった。ウィオラーケウスに何の伝言も連絡もなしに、本当に突然。まるで夜逃げでもしたかのように。
いつものようにウィオラーケウスが訪ねたとき、あの幸せの詰まっていた家は空っぽになっていた。
「で、ようやく会えたと思ったら……呪いの瞳になってるなんて」
当時のことはもうわからないが、リコリスたちから聞いた話と状況から、ウィオラーケウスは大体のことを察した。おそらく二人は、人間の欲や歪んだ自尊心の犠牲になったのだろうと。
「兄さん。兄さんは最期まで、後悔しなかった?」
ため息をつき、ウィオラーケウスは月を仰いだ。
よぎるのは、幸せそうに笑っていた兄や友人の顔。もう会えない兄はともかく、友人にはいつか会いに行こうとウィオラーケウスは密かに誓う。
「私は、どうすればいいのかな」
正直、ウィオラーケウスにはヴァイティスが半身かどうかわからない。彼女はそうだと言うが、ウィオラーケウスは確信が持てなかった。身近に半身を得た者がいてそれを見ていたとはいえ、ウィオラーケウス自体はまだ得たことがなかったから。
「酔っぱらったときみたいな多幸感って言われてもさ……そもそも酔うって、どんな感覚?」
そして今度はうなだれ、深いため息をつく。
「さて……いい加減探しに行くか」
不毛な自問自答にきりをつけると、ウィオラーケウスは歩き始めた。なんとなくこっちの方、そう感じる方へ。ヴァイティスの指導係であるウィオラーケウスは、普段もそうやって彼女を見つけていたから。
そしてその勘は今日も正しく、ほどなくしてウィオラーケウスはヴァイティスを見つけた。
「ヴァティ――」
けれど、彼女は一人ではなかった。ウィオラーケウスの知らない男と、笑いながら会話していた。
――なんだ、これ。なんか、気持ち悪い。
ウィオラーケウスの胸を一瞬で染め上げたのは、苦くて苦しくて昏い気持ち。まるで嫉妬のような、ひりひりと焼けつく気持ち。けれどウィオラーケウスはそんな自分の心の急激な変化を認められず、ヴァイティスに背を向けると早足でその場から逃げるように立ち去った。
――私は、いったい何をしてるんだろう。
寄せられた好意を拒絶したのはウィオラーケウス。だからヴァイティスが誰といようと、誰に笑顔を向けようと、ウィオラーケウスが嫉妬する資格などないというのに。だというのに、わきあがる黒い気持ちを抑えられなくて。だから逃げた。ウィオラーケウスは自分が自分でなくなるのが怖くて、逃げた。
――さっきまで本当になんとも思ってなかったのに。なんで……
本当は、ウィオラーケウスにもわかっていた。気がつくといつも姿を探していたことも、自分以外の誰かと笑いあう姿に嫉妬していたことも。
でも、気づかないふりをしていた。認めてしまったら、ぬるま湯のような今が壊れてしまうような気がしていたから。
――私は怖かったんだ。変わってしまうことが。
変わりたい、変えたいと言いつつも、ウィオラーケウスは何もしてこなかった。本当はこの退屈でも安定している今にそれなりに満足していて、それを壊すのが怖かったから。
――だって、今の平和を壊してしまったら、その先に来るのは幸福か破滅かわからないじゃないか。
半身を得て、とても幸せそうだった二人。けれどロタールは非業の死を迎え、呪いの瞳にまで身を落としてしまった。トートの方だって、今はどうしているかわからない。もしかしたら彼だって……
そんな考えばかりが頭の中を巡り、ウィオラーケウスはその場にしゃがみ込むと頭を抱えてしまった。
――半身を得たからといって破滅するわけじゃない。けど、幸せになるかどうかもわからない。
ウィオラーケウスはいつの間にか、元のロタールの墓の前に戻ってきていた。
「私は、どうすればいいのかな」
「そんなの簡単ですよ。私を半身だって認めちゃえばいいんです」
「ヴァティ!?」
情けなく兄にすがりついてこぼした独り言に、まさかヴァイティス本人から答えが返ってくるとは思っていなくて。ウィオラーケウスは情けないやら恥ずかしいやらで、二の句が継げなくなっていた。
「ウィオラーケウスさんがなんでそこまで頑なに半身を拒むのかわからないですけど、私が他の人と一緒にいるの見てそんな顔するくらいなら、とっとと認めちゃってください」
「いや、でも――」
「あー、もう! 私が幸せにしてあげますから、ウィオラーケウスさんは無駄な抵抗やめてとっとと諦めちゃえばいいんですよ」
「はい! ……って、えぇ!?」
ヴァイティスの勢いに押され、思わずうなずいてしまったウィオラーケウス。
「はい、言質取りましたから。ウィオラーケウスさん、これから死ぬまでよろしくお願いしますね」
「いや、今のはその――」
「よろしくお願いしますね?」
「…………はい。よろしく、お願いします」
ヴァイティスに無理矢理押し切られた形だというのに、ウィオラーケウスの心は今までになく浮上していた。ふわふわゆらゆらと、感じたことがないような不思議な浮遊感。無駄な抵抗をやめて受け入れた途端、ウィオラーケウスの中に湧きあがってきたのは、目が回ってしまいそうな幸福感。
「あーあ。なんかもう、今まで色々言い訳してたのがバカみたいだ」
「バカだったんですよ。考えるな、感じろってやつです」
「ひどいなぁ。……でも、そうだね。たまには感情に流されるのもいいかも。変わらないのはとても楽だったけど、ヴァティとなら変わってみるのもいいかもしれない」
――ふわふわして、なんかすごく楽しくて、本当に頭がバカになりそう。これがみんなが言ってる「酔った」って状態なのかな?
ウィオラーケウスはひとしきりその幸福な酩酊感を味わうと、居ずまいを正してヴァイティスへと向き合った。
「ヴァティ、私は怖かったんだ。平和を保っている今の自分の心を壊してしまうことが。半身を得て、それが変わってしまうことが」
「お兄さんのことで、怖くなっちゃったんですか?」
ウィオラーケウスは静かにうなずくと苦笑いを浮かべた。
「それも理由のひとつではあるけどね。半身を得たのに、兄さんは呪いの瞳になってしまうような非業の死を遂げた。そんなことになるくらいなら、私は今のままでいいと思ってた」
「やっぱりバカですね、ウィオラーケウスさんは。未来なんて誰にもわからないじゃないですか。それに、ウィオラーケウスさんは私が幸せにするって言ったでしょ? だからあなたは、私を信じて身を任せればいいんです」
笑いながら両手を広げたヴァイティスを、ウィオラーケウスは今度こそ抱きしめた。
「そうだよね。未来なんて、誰にもわからないのに」
急に攻勢に転じられて戸惑うヴァイティスの反応を楽しみながら、ウィオラーケウスは小さな体に広い心を持った少女を抱きしめた。強く、強く。
「半身や家族を得ることだけが幸せのすべてじゃない。それはわかってる。でもそれにこだわりすぎて、頑なにそれらを避けるっていうのも、それはそれで不自然だよね」
「考えすぎなんですよ、ウィオラーケウスさんは。もっとこう、どーんと何も考えないで感じたままに突っ走ってみればいいのに」
照れていることを隠そうと、ウィオラーケウスの腕の中で必死に虚勢を張るヴァイティス。けれどその姿は逆に、ウィオラーケウスの中に眠っていた加虐心を目覚めさせてしまっていた。
威勢よく色気のかけらもないプロポーズをしてきた少女は、その実攻められることにはめっぽう弱い。それを見抜いたウィオラーケウスは、ヴァイティスの耳元へ顔を寄せると……
「ヴァティ……好きだよ」
そっと、囁いた。彼女の言った通り、感情のままに。
瞬間、ヴァイティスはウィオラーケウスの腕の中でびくりと肩を揺らすと、耳まで真っ赤に染まった顔をすごい勢いでうつむかせてしまった。そんな初心な彼女の反応が愛おしくて、ウィオラーケウスはさらに追いたてる。
「愛してる」
ヴァイティスはウィオラーケウスの腕の中で、固まって動かなくなってしまった。最初の勢いはどこへやら。思っていたよりもずっと初心すぎるその反応に、ウィオラーケウスはとうとう吹き出してしまった。
「きみのその、まっすぐなところ!」
緩んだウィオラーケウスの腕の檻の中で、ヴァイティスはぽかんと顔を上げた。そしてからかわれていたことに気づくと、駄々をこねる子供のように暴れ始めた。
「からかうなんて、ひどい!」
とはいえ小柄な少女のヴァイティスが暴れたところで、成人男性であるウィオラーケウスには痛くもかゆくもなかった。その辺の精霊にじゃれつかれているようなもの。
「からかうだなんて心外だな。全部本心、嘘偽りない私の言葉だっていうのに」
暴れる少女を落ち着かせるため、からかい半分本気半分の愛の言葉を再び放つ。案の定、攻められることに弱いヴァイティスはまたも固まってしまった。
「私はきみが好きだし、まっすぐ心のまま突き進むその性質も愛してる。ただそうだな……もう少しだけでいいから、思慮深さも持ってくれると指導係としては安心できるかな」
「……善処、します」
すっかりしおらしくなってしまったヴァイティスに、ウィオラーケウスはにっこり微笑むと――
「ちなみにわかってると思うけど、もちろん女性としても魅力的だと思ってるから。きみが私に気づかせてしまったんだよ。だから責任もって、これから死ぬまでよろしくお願いするね。私の愛しい半身殿」
笑顔でとどめをさした。
「わわ、わかってますよ! まかせろ、どんとこいです!!」
色気のかけらもない愛の言葉。けれどそんなヴァイティスの言葉は、どんな酒よりもウィオラーケウスの心を昂らせ、酔わせるもので。
月の光降り注ぐ石碑の森で、酔えない葡萄酒色の石は苔桃色の石に乱酔する。
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