貴石奇譚

貴様二太郎

文字の大きさ
上 下
145 / 181
番外編7

睡蓮からの手紙 ~ラピスラズリ~

しおりを挟む
 
 親愛なるトートへ

 あなたが旅立ってから三年――
 ヘルメスは十八になりました。あなたの工房を継いで、今では一人前の精霊錬金術師として立派にやっています。

 そうそう、半身も見つけたのよ! とてもかわいらしい半石人の女の子でね、リコリスっていうの。二人は本当に仲がよくて、見ているだけでこっちまで幸せな気持ちになっちゃう。リコリスはずっと閉じ込められていたらしくて、外のことを全然知らないんですって。だからヘルメスと私たちは、リコリスに色んな場所をみせてあげたくてあちこち旅をしていたの。その旅の間にも、本当に色々なことがあったわ。
 そんなこんなでここ一年ほど家を空けてしまったのだけど、ようやく帰ってこられました。そして実感したのは、私はやっぱりここが一番好き。どんなきれいな湖よりも、仲間がたくさんいる場所よりも、ここが好き。
 あなたと一緒に仕事をした工房、あなたと一緒に本を読んだ長椅子ソファ、あなたと一緒に食事をしたテーブル、あなたと一緒に眠った寝台ベッド……あなたとの思い出が、あなたの気配が、この家にはたくさん詰まっているから。

 ただいま、トート。


 ※ ※ ※ ※


「笑って、ヘルメス。そしていつか見つけて、あなただけの半身を。私以外の、真に心を許せる相手、共に未来を歩める相手を。私があなたにしてほしいのは、後悔や贖罪しょくざいなんかじゃありません。真に願うのは、この先もあなたが笑って、そして幸せに生きていってくれることです」

 守護石を失い、日々やつれていくトート。寝台に横たわる彼は、愛しい息子に向けて精一杯の笑みを向けていた。

「うん。うん、僕、いつか見つけるよ。トートが望むなら、僕だけの半身を」
「ヘルメス……そうじゃない、そうじゃないんです。私のためとか、そういうこと……じゃ……」

 力なく首を振ったトートの言葉は、けれど最後まで紡がれることはなかった。眠ってしまったのだ。
 事故からもうすぐ一年――ここ一月ひとつき、トートは一日の大半を眠って過ごしていた。もう、起きていられるほどの体力が彼には残っていなかったから。

 ――石人は死期が迫ってくると、眠る時間がとても長くなるとは聞いていたけど……

 ウンディーネはヘルメスの隣で、寝台に横たわるトートを静かに見つめていた。

「ウンディーネ。僕、作業してくるね。少しでも稼がないと……もうこれ以上、トートに不自由なんてさせたくないから」
「ええ、わかったわ。大丈夫、トートのことは私がちゃんと看ているから」
「うん、お願い」

 罪の意識で押しつぶされそうな少年の後ろ姿は、ウンディーネの心をきつく締め付けた。彼女は部屋を出ていくヘルメスの後ろ姿を見送ったあと、寝台へと視線を移す。そして床に膝をつくと、眠るトートの顔をじっと見つめた。

「自己犠牲は美しく尊い。とても素晴らしくて、でも……」

 ぽろり、と。ウンディーネの空色の瞳から、雨雫あめしずくがこぼれ落ちた。

「とても、残酷。……ねえ、トート。あなたがヘルメスを助けたいって思った気持ち、私もすごくわかるわ。私だって、できたらきっとそうしてた」

 ウンディーネは寝台に突っ伏すと、眠るトートの胸に顔をうずめる。

「でも、でもね。苦しいの。助けられたヘルメスも、残される私も、すごく苦しいの」

 ウンディーネの降らせる雨が、トートの胸に温かな水たまりを広げていく。

「ごめんな、さい」

 弱弱しいかすれ声に、ウンディーネは慌てて顔を上げた。けれど寝ているのか、トートのまぶたは閉じられたままで。

「トート?」
「ごめ……さ……」

 繰り返されるのは、途切れ途切れの謝罪の言葉。何度も何度も繰り返される「ごめんなさい」。

「トート、違うの。責めてるわけじゃ……私、違って……ごめんな、さい」
「わかって、います」

 予想外の返事に、ウンディーネはついまじまじとトートの顔を凝視してしまった。けれど、やはりそのまぶたは閉じられたままで。

「すみません。もう目を開けるのも、少し辛くて」
「ううん、大丈夫! トート、お水飲む?」
「ありがとう。でも今は、ちょっと飲めそうにないので」
「じゃあ他に何かしてほしいことある?」

 トートはかすかにうなずくと、首にかけられていた革紐を抜いた。そこには小さな鍵がついており、彼は震える手でそれをウンディーネへと差し出した。

「そこの戸棚の、鍵のついた引き出し。そこに入っているものを……持ってきて、ください」
「わかった! すぐ持ってくる」

 引き出しに入っていたのは、飾り気のない小さな箱。たったそれだけ。ウンディーネはすぐにそれをトートのもとへ持って行った。

「ありがとう。……開けてみ、て」

 言われるがまま、ウンディーネは素直に箱を開けた。

「……瑠璃ラピスラズリ耳飾りピアス? でもこれ、片方しかないけど」
「いいんです。片方は……ここに、あるので」

 うっすらと目を開けたトートは前髪を払うと、瑠璃の耳飾りがつけられている左耳を出した。

「ニンファエア。それを、あなたの右耳につけて欲しいんです」

 ニンファエア――それは、トートだけが呼ぶことを許された名。水の乙女が永遠を誓った半身に捧げた、真なる名。精霊の魂を縛る、真名。

「これを? うん、わかった」

 ニンファエアは言われるがまま、素直に瑠璃の耳飾りを右耳につけた。

「ごめんなさい。私は今から、あなたにとてもひどいことをします」
「いいよ。トートなら、いいよ」

 ニンファエアはトートの胸に顔を乗せると、くすくすと笑って答えた。

「ニンファエア……私が死んだあとも、どうか私だけを想っていて。他の誰かを、好きにならないで」
「そんなこと。水の乙女はね、人魚と同じで一生に一人しか選ばない。だからね、そんなの当たり前よ」

 ほっと安堵の息をもらしたトートに、ニンファエアはまたくすくすと笑った。だんだんと弱まっていく半身の鼓動を聞きながら、水の乙女は永遠を誓う。

「それと、ヘルメスのことを……頼みます。あの子は、私とあなたの……」
「わかってるよ。血が繋がってなくても、種族が違っても、あの子は大切な私たちの息子だもの」


 ※ ※ ※ ※


 そういえばこの前ヘルメスにね、「トートには半身っていたのかな?」って聞かれたの。
 隠していたとはいえ、あの子、全然かけらも気づいてなかったの。でも、よかった。もしあの頃に私たちの関係を知ってしまっていたら、あの子、きっと罪悪感に潰されてしまっていただろうから。
 あなたへの罪悪感に加え私への罪悪感もだなんて……そんなもの、私は愛する息子に背負わせたくなんてない。それに私はヘルメスのこと、恨んでなんてないもの。むしろあの子がいたから、あなたから託されたから、私は今も生きていられるのに。

 あなたへの罪悪感でいっぱいだったあの頃のあの子にはとても言えなかったけど、もう大丈夫だよね。過去を乗り越えて、半身を得て、色々知った今のあの子なら。
 それに私、あの子にはたくさん愛を注いできたもの。私だって、トートに負けないくらいヘルメスのこと愛してるって示してきたつもりよ。それなのにあの子が私に負い目を感じるようなら、そのときはどれだけ私があの子を愛しているかを語ってあげるわ。

 だからね、今度あなたと私のこと、話してみようって思ってる。

                     あなたの半身 ニンファエアより

 ※ ※ ※ ※


 ウンディーネは封筒に入れた手紙を海へ流すと、愛する家族が待っている家へと帰っていった。
 
 
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

戦いに行ったはずの騎士様は、女騎士を連れて帰ってきました。

新野乃花(大舟)
恋愛
健気にカサルの帰りを待ち続けていた、彼の婚約者のルミア。しかし帰還の日にカサルの隣にいたのは、同じ騎士であるミーナだった。親し気な様子をアピールしてくるミーナに加え、カサルもまた満更でもないような様子を見せ、ついにカサルはルミアに婚約破棄を告げてしまう。これで騎士としての真実の愛を手にすることができたと豪語するカサルであったものの、彼はその後すぐにあるきっかけから今夜破棄を大きく後悔することとなり…。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

番を辞めますさようなら

京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら… 愛されなかった番 すれ違いエンド ざまぁ ゆるゆる設定

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

婚約破棄の甘さ〜一晩の過ちを見逃さない王子様〜

岡暁舟
恋愛
それはちょっとした遊びでした

処理中です...