貴石奇譚

貴様二太郎

文字の大きさ
上 下
141 / 181
外伝1 蓮華蒼玉 ~パパラチアサファイア~

11.お姫様、見たくない現実を見せられる

しおりを挟む
 
 真っ青に晴れ渡った秋空を、花緑青色エメラルドグリーンの遠浅の海の上を、ウェリタスの変声前の少年の歌声ボーイソプラノが駆け抜ける。

 ――なに、これ? 知らない……こんな気持ち、いらない!

 聴いているだけで胸が、頬が熱くなってくる。ロートゥスは炭酸水を飲んだときのような酩酊感めいていかんの中、あふれんばかりの多幸感が湧き上がってくるのを感じていた。

 ――違う! 違う違う違う!! だめ……違うの……

 理性では必死に否定するものの、ロートゥスは本能でこの気持ちの正体を理解してしまっていた。

「違う……違う! 半身なんて、いらない!!」

 何かを期待するようなウェリタスに、ロートゥスは否定を投げつけてしまった。戸惑うウェリタスの姿にこみ上げてくるのは罪悪感。
 けれど、この気持ちをロートゥスは認めるわけにはいかなかった。

「……半身、だったのか」

 本当はもう、ロートゥスにもわかっていた。オルロフを想っていたときとは違う、自分の意志では選べない呪いのような強制力。心を縛る、半身への執着。

「ちがっ、違います! それに、ウェリタスは女性ですよ!!」

 でも、それでも――ロートゥスは抗った。本能がウェリタスを選ぶというのなら、自分はウェリタスを選ばないと。
 それに、ウェリタスは女性だ。本能が半身を選ぶというのならば、ウェリタスが半身であるはずなどないのだ。だから、ロートゥスは抗う。

「じゃあさ、こういうのは知ってる? 半身は種族どころか、性別も問わないってこと」

 抗うつもり、だった。

「それどころかさ、中には生き物以外が半身の石人もいるんだよ。繁殖することもできないってのに、俺たち石人の本能ってのはどうなってるんだろうね?」

 だったというのに。カリュプスが話す石人の生態は、ロートゥスの常識も想像も遥かに超えていて。彼女が抗うための拠り所としていたものを、ことごとく崩していった。

「ふたりだけ、ずるい! 僕にも、説明!!」

 どうにかして抵抗しようと考えを巡らすロートゥス。けれどその思考は、ウェリタスの声によってあっさりと断たれてしまった。どんなに深く思考の海に沈んでいたとしても、ウェリタスの声はロートゥスをいとも簡単に掬い上げてしまう。

「ああ、ごめんごめん。要はロートゥスの半身は――」
「カリュプス様! なぜ、言い切れるのですか? あなたは半身を見つけたことはないとおっしゃっていました。ならば、半身を見つけたときの気持ちなどわからないのではないですか?」

 とはいえ、ロートゥスも本能ではもう肯定していた。ウェリタスが半身だと。
 けれど、ロートゥスは認めなかった。認めてしまったら、あのオルロフを想った日々が嘘になってしまうような気がしたから。オルロフへの想いは一方的だったとはいえ、たしかに本当の恋だった。だからロートゥスは、それを否定されたくなかった。

「たしかに俺は、自分の身に起こる変化はわからないよ。でもね、半身同士なら嫌ってほど見てきた。……俺の両親は、半身同士だったから。そしてふたりは、どちらも女性だった」

 そこから語られたのは、ロートゥスが知らなかった業ともいうべき石人の奇妙な生態。

「わたくしたちは……石人とは、そこまで……」
「そうだよ。俺たちは半身に関しては狂気の沙汰な種族なんだ。とはいえ、石人全員がこの性質を承知してるわけじゃない。俺はたまたま母さんたちがそうだったから知っただけ。あと割合で言ったら圧倒的に生物、それも石人同士、そして男女の組み合わせが多いよ」
「では、わたくしは……でも……」

 それでも、ロートゥスはやはり認めることができなかった。本能ではなく自分で選んだオルロフに執着したように、今は本能を否定することに執着していた。
 心を映したように揺れる瞳で、ロートゥスはウェリタスを見る。

「認めなよ、ロートゥス。幸か不幸か、きみは見つけてしまったんだ」

 いきなり話の中心に放り込まれたウェリタスは、オロオロとふたりを交互に見返すことしかできなくて。

「なりゆきで首をつっこんじゃったけど、俺はここまでかな。じゃあね、ロートゥス。幸せになるもならないも、すべてはきみの心ひとつだよ」

 そう言い残すと、カリュプスは背を向けてさっさと行ってしまった。そして砂浜に残されたのは、ロートゥスとウェリタスのふたりきり。

「アイツ、結局何が言いたかったんだろ?」

 首をかしげるウェリタスに、ロートゥスは沈黙を返すことしかできなかった。

 ――わたくしは、どうすれば……

 真実が口にできないウェリタスの代償のせいで、ロートゥスはいまだ彼のことを少女だと思っていた。そして同性は恋愛対象ではないロートゥスにとって、ウェリタスを半身だとはどうしても認めがたく。

 ――もしこのまま本能に負けてウェリタスを選んでしまったら……わたくし、男性になってしまうのかしら? そのときは、心も変わってしまうの? 心が変わってしまったら、オルロフ様を想った日々は、あの気持ちは……

 にわかには信じられないような石人の生態。しかしロートゥスには、それがカリュプスの嘘だとは思えなかった。おかげで今ロートゥスの頭の中はぐちゃぐちゃで、ウェリタス以上にどうしていいかわからなくなっている。
 ロートゥスもウェリタスもどうやって話を切り出せばいいのかわからず、沈黙の砂浜には波の音と海猫の声だけが響いていた。

「あの、ウェリタス」

 先に沈黙を破ったのはロートゥスだった。
 
「突然わけのわからない話に巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした。……皆も心配していることでしょうし、戻りましょう」

 するとウェリタスは口を押さえながら、嫌だという風に首を横に振った。そして立ち上がろうとしたロートゥスの服のすそを掴むと、泣きそうな顔で見上げてくる。

「ウェリタス?」
「……僕?」

 不安そうに見上げてくるウェリタスの姿に、ロートゥスの心は再び嵐の前の海のように波立ち始めた。罪悪感、羞恥心、自制心――そして、本能からの欲求。さまざまな波が、ロートゥスの心を嵐へと誘う。

「半身、僕?」

 たどたどしく言葉を紡ぐウェリタスに、ロートゥスは安心させるように微笑んだ。

「安心してください、ウェリタス。わたくしは、本日にでも修道院から出ていきますから」

 ロートゥスは決意する。本能が自分をおかしくしてしまう前に、ウェリタスの前から姿を消そうと。遥か年下の少女の人生に、自分のような異物は必要ないと。

 ――大丈夫。わたくしはまだ、大丈夫。だから、わたくしがわたくしであるうちに……

「なんで!!」

 叫ぶと、ウェリタスは膝立ちのロートゥスにしがみついた。華奢な腕がロートゥスの腰に回され、小さな頭が腹に押し付けられる。

「僕は、ロートゥスが嫌いだ!」

 ウェリタスの「嫌い」が、ロートゥスの心に突き刺さる。

「嫌いなんだ、大嫌いなんだよ!!」

 その「嫌い」は、なぜかロートゥスの心を熱くした。

 ――ウェリタスの「嫌い」は、なぜかしら。今のわたくしには、「好き」だって言っているように聞こえる。これも、半身の強制力なの? 

 知らず知らずのうちにロートゥスもまた、ウェリタスの頭を抱え込んでいた。しかし、湧きあがる愛しさに飲み込まれそうになっていた自分に気づくと、ロートゥスは慌ててその手を離した。

「ウェリタス、わかりました、わかりましたから。ですから、わたくしは――」
「僕の言葉を聞かないで! 僕の言葉を、信じないで」

 腰に回された腕が、さらに強くロートゥスを締め付ける。ウェリタスの声が、ロートゥスの心を締め付ける。

「聞かないで? 信じないで? それは、どのような」

 眉をひそめたロートゥスを、ウェリタスが勢いよく見上げた。

「僕は、歌が嫌いだ。僕は、嘘をつかない。あとは……あっ」

 ウェリタスはロートゥスから目を逸らすと、「ロートゥスは人魚の生態って詳しい?」と真っ赤な顔で聞いてきた。

「人魚、ですか? 下半身が魚で、寿命は三百年前後。王都はマルガリートゥム。カエルラの沖にあって、だからかカエルラは人魚のお話がたくさんあるそうですね」
「それだけ?」
「はい。わたくし、ここへ来るまで極夜国ノクスを出たことがなかったもので」

 するとウェリタスはロートゥスから離れ、立ち上がると突然服を脱ぎ始めた。

「ウェリタス!?」
「あともうひとつ。男人魚はね……普通、交尾のときにしか生殖器を体外に出さないんだ」

 そして一糸まとわぬ、生まれたままの姿になったウェリタス。彼は真っ赤な顔で――
 
「僕は、女だ!」

 叫ぶと、普段は隠されているソレを出した。

 
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

それぞれのその後

京佳
恋愛
婚約者の裏切りから始まるそれぞれのその後のお話し。 ざまぁ ゆるゆる設定

【完結】どうかその想いが実りますように

おもち。
恋愛
婚約者が私ではない別の女性を愛しているのは知っている。お互い恋愛感情はないけど信頼関係は築けていると思っていたのは私の独りよがりだったみたい。 学園では『愛し合う恋人の仲を引き裂くお飾りの婚約者』と陰で言われているのは分かってる。 いつまでも貴方を私に縛り付けていては可哀想だわ、だから私から貴方を解放します。 貴方のその想いが実りますように…… もう私には願う事しかできないから。 ※ざまぁは薄味となっております。(当社比)もしかしたらざまぁですらないかもしれません。汗 お読みいただく際ご注意くださいませ。 ※完結保証。全10話+番外編1話です。 ※番外編2話追加しました。 ※こちらの作品は「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています。

泉田高校放課後事件禄

野村だんだら
ミステリー
連作短編形式の長編小説。人の死なないミステリです。 田舎にある泉田高校を舞台に、ちょっとした事件や謎を主人公の稲富くんが解き明かしていきます。 【第32回前期ファンタジア大賞一次選考通過作品を手直しした物になります】

転生先は推しの婚約者のご令嬢でした

真咲
恋愛
馬に蹴られた私エイミー・シュタットフェルトは前世の記憶を取り戻し、大好きな乙女ゲームの最推し第二王子のリチャード様の婚約者に転生したことに気が付いた。 ライバルキャラではあるけれど悪役令嬢ではない。 ざまぁもないし、行きつく先は円満な婚約解消。 推しが尊い。だからこそ幸せになってほしい。 ヒロインと恋をして幸せになるならその時は身を引く覚悟はできている。 けれども婚約解消のその時までは、推しの隣にいる事をどうか許してほしいのです。 ※「小説家になろう」にも掲載中です

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

【完結】わたしの欲しい言葉

彩華(あやはな)
恋愛
わたしはいらない子。 双子の妹は聖女。生まれた時から、両親は妹を可愛がった。 はじめての旅行でわたしは置いて行かれた。 わたしは・・・。 数年後、王太子と結婚した聖女たちの前に現れた帝国の使者。彼女は一足の靴を彼らの前にさしだしたー。 *ドロッとしています。 念のためティッシュをご用意ください。

【完結】愛猫ともふもふ異世界で愛玩される

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
状況不明のまま、見知らぬ草原へ放り出された私。幸いにして可愛い三匹の愛猫は無事だった。動物病院へ向かったはずなのに? そんな疑問を抱えながら、見つけた人影は二本足の熊で……。 食われる?! 固まった私に、熊は流暢な日本語で話しかけてきた。 「あなた……毛皮をどうしたの?」 「そういうあなたこそ、熊なのに立ってるじゃない」 思わず切り返した私は、彼女に気に入られたらしい。熊に保護され、狼と知り合い、豹に惚れられる。異世界転生は理解したけど、私以外が全部動物の世界だなんて……!? もふもふしまくりの異世界で、非力な私は愛玩動物のように愛されて幸せになります。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/09/21……完結 2023/07/17……タイトル変更 2023/07/16……小説家になろう 転生/転移 ファンタジー日間 43位 2023/07/15……アルファポリス HOT女性向け 59位 2023/07/15……エブリスタ トレンド1位 2023/07/14……連載開始

処理中です...