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外伝1 蓮華蒼玉 ~パパラチアサファイア~
8.人魚姫(♂)、嘘をつく
しおりを挟む気がついたときには、ウェリタスは修道院の寝台の中にいた。
「よかった、気がつかれたのですね。ここへ来たときのこと、何か憶えていますか?」
初老の人間の女性に問いかけられ、ウェリタスは正直に首を横に振った。彼は今、自分がどこにいるのか、なぜここにいるのか、目の前の女性は誰なのか……すべて、まったくわからない状態だったから。
ウェリタスが憶えているのは、赤い魔法使いが銀の杖を振り下ろしたところまで。
「ここは、どこですか?」
あの魔法使いの言っていた代償――真実を口にできなくなる――とは、どんなものなのか。今のところ何も変化のない己の口に、ウェリタスは寝台の中で少しだけ首をかしげた。
「アルブスの女子修道院です。あなたは、身一つで扉の前に倒れていました」
痛々しいものを見るような、腫れ物に触るような。そんな声で老女は寝台の中のウェリタスを見下ろしていた。
「女子、修道院? それって、男も入れるの?」
「いえ、ここは男子禁制です。ですから、安心してください」
ますます強くなる老女からの憐憫に、ウェリタスは本当にわけがわからなくなっていた。
なぜ、男子禁制の場所に自分が保護されているのか。そもそも、それがウェリタスにはわからない。
「あの、僕は女です」
自分の口から出た言葉に、ウェリタスは思わず目を丸くした。「僕は男です」、そう言おうと口を開いたはずが、実際に口から出てきたのは真逆の言葉で。
「ええ、知っていますとも。ここで発見されたとき、あなたは……服を、身に着けていませんでしたから」
「違っ、僕は女で――」
「ええ、大丈夫ですよ。そこまで強調しなくても、ちゃんと承知していますから。男性ならばあるべきものは、あなたにはありませんでした。だから、そんなに必死にならなくても大丈夫ですよ。それにあなたはまだ若いのですから、きっと……たぶん、これから育つのですよ」
女だと言われたり、やたらと何かを気遣われたり。話せば話すほどウェリタスの頭は混乱していく。しかし、それより何より今一番困っているのは、思っていることと反対の言葉が口から出てしまうことだった。
――これが『真実を口にできなくなる』ってやつなのか。これ、相当厄介なんじゃ……
ウェリタスはこのたちの悪い代償の効果を確かめるため、老女へと色々話しかけてみた。そしてわかったことは、言ったこと全部が嘘になるわけではなく、伝えたいと思っていることほど反対の意味になってしまうということだった。
――なんつー性格の悪い! あのニヤケ赤野郎、何が『ものをいう目』だよ。ぜんっぜん伝わらないじゃないか!!
心の中でエテルニタスに悪態をつくウェリタス。けれど少年のそんな感情の揺れは、あの歪んだ悪魔にはむしろご褒美にしかなっていなかった。
「傷が癒えるまでは、ここで羽を休めていくといいでしょう。ただし、ここは神の庭。ここで暮らすならば、あなたにも日々のお勤めはしていただきます」
そして老女は、「指導役をつけます。わからないことはその者に聞くとよいでしょう」と言って、一人の女性を呼び出した。
「今日からあなたの後輩になります」
紹介されたのは、入江で出会った女性。ウェリタスが毎夜共に歌った、あの女性だった。
「初めまして。わたくしはロートゥスと申します」
顔の右半分を包帯におおわれた美しい女性。彼女――ロートゥス――は海のような青の瞳を細めると、ウェリタスに微笑んだ。ロートゥスの微笑みは、その声は、ウェリタスの血液を潮流のような勢いで顔へと上らせる。
「僕は……ウェリタス、です」
顔の熱と狂ったように暴れる心臓のせいで、ウェリタスの声は震えてしまっていた。けれどロートゥスは、そんな様子のおかしなウェリタスにも変わらず、むしろさらに優しく微笑みかけてくれた。
黒い頭巾からのぞく形のよい額、光に透けると桃色を帯びる長い金のまつげに縁どられた潤んだ大きな海色の瞳、ゆったりとした修道服からもわかるまろやかな曲線、そして顔の右半分をおおう痛々しい包帯――穏やかで柔らかな声も魅力的だが、ロートゥスはその見た目もとても美しい女性だった。
「……ぼく? あの、院長。ウェリタスさんは男性でいらっしゃるのですか?」
「まさか。ここは男子禁制、ウェリタスさんは女性ですよ。確認もさせていただきましたし」
「僕は、女だ!!」
ロートゥスにだけは誤解してほしくないと叫んだ言葉は、やはり見事に反転してしまい。ウェリタスはそのもどかしさに歯噛みする。
「申し訳ございませんでした、ウェリタスさん。その、ご自分のことを『僕』とおっしゃられておいででしたので、誤解してしまいました」
「うん」
肝心なところで必ず反転する言葉に、ウェリタスはたまらず頭を抱えしゃがみこんだ。
「では、ウェリタスさん。わからないことがありましたら、遠慮なく声をかけてくださいね。これから、どうぞよろしくお願いいたします」
「よろしく……しない!」
伝えたいことが真逆に伝わってしまう。それは、特にロートゥスに対して顕著に表れていて。もはや泣いてしまいたいような絶望感に、ウェリタスは力なくうなだれるしかなかった。
院長室を出て、無言で廊下を歩くふたり。時折感じるロートゥスからの視線に、ウェリタスはどうしたものかと頭を悩ませる。
――聞きたいことはいっぱいあるけど……下手に話すと、また誤解されるしなぁ。でも話したいし、ロートゥスのこともっと色々知りたいし。
結局は話したいという欲求が勝り、もうなるようになれとウェリタスは腹をくくって口を開いた。
「ロートゥスはさ、どうしてこんなとこにいるの? 家、ここじゃないんでしょ?」
ウェリタスの質問に振り返ったロートゥスは、少しだけ困ったような顔で笑うと言った。
「わたくしは顔にひどい怪我を負って傷が残ってしまい、それが原因で婚約が破談になってしまったんです。だから――」
ロートゥスの答えを、ウェリタスは直感的に「嘘だ」と思った。声になにかしらの罪悪感というか、後ろめたさを感じたから。
「……それ、本当? ロートゥス、なんか嘘ついてない?」
だから、かまをかけた。するとロートゥスは明らかに驚いた顔になり、ウェリタスは「ああ、やっぱり嘘だったんだ」と思った。
「……なぜ、嘘だと?」
「声が揺れてた。なんか、苦しそうだった」
ウェリタスは人魚、歌うために生まれてきたような生き物だ。だから、人間では拾えない音も拾える。人間が主に表情を見て色々と推測するように、ウェリタスたち人魚は主に音――声――で推測する。
「なぜ、ウェリタスさんには通じないのでしょうか? やはりわたくし、わかりやすいのでは……」
「んーん、ロートゥスはわかりにくいよ。でも僕は、音ならそうそう間違えないから。さっきのロートゥスの声、罪悪感とか、そういう苦しい気持ちで揺れてた。まるで、自分をバカにしてるみたいだった」
するすると、そのまま思っていることを告げられることのなんと気持ちのいいことか。ウェリタスは普通に会話できることのありがたさを痛感していた。
「すごいです……初めて、見抜かれてしまいました。あ、ここがウェリタスさんの部屋になります」
いいところで部屋についてしまい、いったん会話が途切れた。しばらくは部屋のことや食堂、風呂などの生活に必要なものの説明が続く。それらが一通り済んだところで、ロートゥスは深呼吸のあと、ウェリタスへとまっすぐな視線を投げてきた。
「わたくしには、どうしても手に入れたいものがあったのです。だから、それを手に入れるために……罪を、犯した」
そして語られたのは、ロートゥスの恋心。いまだ完全には吹っ切れていない、過去になりきっていない恋心。
目の前の気になっている女性から聞かされる別の男を想う言葉に、ウェリタスはまたもや泣きたい気分になっていた。
「ウェリタスさんは、『石人』という生き物をご存じですか?」
ロートゥスの問いに、ウェリタスはまた言葉が反転することを警戒し、ひとまず無言でうなずいた。
石人――昔、大ばあちゃんがウェリタスに話してくれた人魚姫の物語。半魚人が話してくれた両親の物語。それらの物語の人魚姫の相手が石人だった。
「ではその石人には、本能で選び取る『半身』という番がいることは?」
それにもウェリタスは無言でうなずく。するとロートゥスは小さな窓を背に振り返り、おもむろに頭巾と顔の半分をおおっていた包帯を取った。
「わたくしは、半身が大嫌いだった」
現れたのは、きれいに編み込まれた光に透けると桃色を帯びる金の髪、そして夜明けを閉じ込めたかのような、桃色と橙色の中間の貴石の瞳。
「石び――!?」
思わず叫んでしまいそうになったウェリタスの口を、ロートゥスが慌てた様子でふさいだ。
少し荒れてしまっていたが柔らかな手、ふわりと流れてきた石鹸のにおい、自分の唇に人差し指を当て、「静かに」と訴えかけてきた色違いの瞳――不意打ちの急接近に、ウェリタスの体はあちこちに血が登ってしまい。
この少々まずい状況を打破しようと、ウェリタスはとにかく無言でうなずいた。するとロートゥスはウェリタスの口から手を外し、次いで全てを諦めてしまったような寂しげな微笑みを浮かべた。
「わたくしの父と母は、半身ではなかったの。普通に恋をして、普通に結ばれた」
そして一拍置くと、ロートゥスは遠くを見つめながら過去の傷を語り始めた。
「でもね、父に……半身が現れてしまったの。だから母は、家を出ていってしまった。そして代わりに、知らない女性が来たの。でもわたくしはまだ幼くて、なぜ母がいなくなってしまったのか、置いていかれてしまったのか、何もわからなかった。だから寂しくて悲しくて、毎日泣いていたの」
「半身って、すごく残酷なんだね。僕が知ってるのは半身同士で結ばれたふたりの話だから、そういう人がいること、知らなかった」
劇的な物語の裏側にいる人々の苦悩、見えない場所の悲劇。いまだそれに囚われもがいているロートゥスの姿に、ウェリタスの中で「笑顔にしたい」「愛おしい」という気持ちが湧き上がる。
「そう。だからわたくしは、半身が大嫌いだった。大嫌いだったから、半身ではないあの人を半身だと言って執着していたの。わたくしが自分の意志で選んだ、好きになったあの人だったから……」
「それで、その人とはどうなったの?」
ロートゥスの心を掴んで離さない憎らしい男への嫉妬で、ウェリタスの声が刺々しくなった。
もうすでに終わったこととして語ってはいるが、ロートゥスの声にはまだまだ未練が残っていて。それもウェリタスの心を波立たせた。
「だから、ここにいるの? ここで神様に、ごめんなさいって言ってるの?」
過去しか見ないロートゥスがもどかしくて、ウェリタスはつい責めるようなことを言ってしまった。けれどロートゥスはそれにも静かに頭を振ると、また自嘲するような笑みを浮かべる。
「わたくしがここに来たのは、逃げてきたから。わたくしが謝るのも償うのも、相手は神様なんかではないもの。でもあの人もその半身も、わたくしを責めなかった。それが余計に辛くて、そんなふたりを見るのも辛くて、だから……」
「ここに引きこもって、自分をあわれんで、不幸に浸ってるの?」
荒く波立つ心のせいで、ついついロートゥスを責めるようなことばかり言ってしまう。だというのに、こんなときばかりは決して反転しない言葉に、ウェリタスはあの赤い魔法使いの悪意をひしひしと感じていた。
「そう。わたくしは弱くてずるいから、逃げて、不幸に浸って、幸せにならないことで償っている気になっているの。そんなの、あのふたりには迷惑にしかならないというのに」
けれど、ロートゥスの声は先ほどより少し軽くなっていて。なぜかはわからないが、この会話でロートゥスの心は少し浮上したようだった。だからウェリタスは、もっと彼女の心を軽くしようと励ましの言葉をかけようとしたのだが……
「そうやってずっと、不幸に浸ってればいい!」
出てきたのは、またも反転した言葉だった。
「なら、幸せになればいい」、そう言いたかったというのに。
「あ、僕――」
「ごめんなさい。いい大人が、みっともなかったわよね。あなたにはなんだか話しやすくて、つい。……呆れてしまった?」
「うん」
口から出てきたのは、やはり反対の言葉で。ウェリタスはぶんぶんと頭を左右に振りながら、ロートゥスに違うんだと必死に目で訴えた。
「僕、違う……言いたいのは……」
「聞いてくれて、ありがとうございました。それと、わたくしが石人だということは、できればウェリタスさんの胸だけにおさめておいてもらえると助かります」
けれど、返ってきたのは諦めを多分に含んだ笑顔と声だった。顔の包帯を巻き直し頭巾をかぶると、ロートゥスは部屋を出ていってしまった。
「なんだよ、これ……こんなの、どうやって伝えたらいいんだよ」
ウェリタスはその場に崩れ落ちると、押し寄せてくる絶望に乾いた笑いをもらした。
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