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百花の章 ~廻る貴石の物語~
26.忘れ草と忘れな草
しおりを挟む翌朝、マレフィキウムはオルロフが極夜国へ戻ったことを皆に告げた。ヘタレ王子はあれで意外と人望があったようで、テオフラストゥスをのぞく全員が残念がった。ただし、カストールとパーウォーの残念がり方は、明らかにオモチャを失ったことへの残念がり方だったが。
「四十日目。これより魂の定着に入ります」
ミラビリスの緊張した声が、ホムンクルスの製造が最終段階に入ったことを告げた。
「ちょっといいですか」
そこへ声を上げたのはプリムラ。彼女はファートゥムと共にマレフィキウムの前に進み出ると、おもむろに賢者の石を差し出した。
「え? 何、どういうこと?」
「この賢者の石を代償に、あなたに叶えて欲しい願いがあります」
突然のことに目を白黒させるマレフィキウムに構うことなく、プリムラとファートゥムは話を進める。
「わたしが望むのは、パエオーニアを必ず目覚めさせること。そして――」
「俺が望むのは、俺たちが死んじゃったとき、あとに残されたものを引き取って、絶対に大切にして欲しいってこと」
「ちょ、ちょっと待ってよ! いや、二人とも何言ってるの!?」
あまりに唐突かつ予想外な願いに、マレフィキウムは目の前の二人が何を言っているのか瞬時に理解することができなかった。
「だって、まずプリムラ! きみがニアの目覚めを願うのって、きみにとってどんな得があるの? なんできみが、赤の他人のニアのことをそんなに強く願えるの!?」
プリムラは慌てふためくマレフィキウムに、「もちろん、ちゃんと得があるからですよ」と微笑んだ。
「じゃあ、ファートゥム! きみはまた、なんでそんな縁起でもないこと言うんだよ。死んでしまったときとか、きみの方が僕よりずっと年下でしょ!!」
「人なんていつ死ぬかわかんないじゃん。それにね、僕は半分だけど石人の血を引いてるんだよ。半身と死を共にする石人の性質ことは知ってるでしょ? だからさ、俺ってばマレフィキウムさんより先に死ぬ確率、すごく高いと思うんだ」
「だからって……そんなのまだ、わかんないのに!」
まるで二人は、近いうちに自分たちは死んでしまうと言っているようで。マレフィキウムはそれを認めたくなくて、二人の願いを拒絶する。
「頼むよ、マレフィキウムさん。俺たちには今、あなた以外に大切なものを託せるような人がいないんだ」
「お願いします、マレフィキウムさん。それにね、ファートゥムの意思で正式に譲られた賢者の石なら、あなたでも扱えるはずなの」
決して引かない二人。しかもとどめとばかりに賢者の石をちらつかされ……何度首を横に振っても引き下がらない二人に、結局はマレフィキウムが折れることになった。
「受けるけど……でも、そんな簡単に死ぬとか、ほんとやめてよね! それに、なんで急にこんなこと言い出したんだよ。なんで、今なんだよ」
「そんなの、今だからに決まってるじゃないですか。いいですか? 相手に選択を迫るときは、なるべく考える余裕のないときに、ですよ。覚えておいてくださいね、先輩」
ニヤリと、ファートゥムは悪そうな顔で笑った。
「さあ、契約しちゃいましょう。賢者の石を差し出すんだ、二人分でもおつりがくるでしょ? それと今は、マレフィキウムさんはパエオーニアさんを一番に考えて。その他のことはとりあえず置いといて、利用できるものは全部利用しちゃってください。俺たちだって、俺たちの都合であなたを利用するんだから」
お互い様だと笑うファートゥムとプリムラ。彼らは彼らの中でもうすべてを決めてしまっているようで、これ以上マレフィキウムが何かを言っても、もうその意思を変えることはなかった。
「ごめん。それと、ありがとう」
マレフィキウムは二人からの祝福を受け取ると、顔を上げた。
「百花の魔法使いマレフィキウムの名にかけて、賢者の石を代償に、パエオーニアを必ず目覚めさせることをプリムラに誓う。そしてファートゥムには死後、残したかけがえのないものをマレフィキウムが引き取ることを誓う。百花繚乱の未来を来らしめよ!!」
最後はもはや自棄な調子で叫び、マレフィキウムは二人と契約を結んだ。
「もう、なんなんだよ。せっかく知り合ったのに、なんでみんな……」
パーウォーはしょぼくれるマレフィキウムの隣に立つと、何も言わず、ただ黙って寄り添った。人と関わり始め、これから色々経験していくであろう息子の未来を案じ、今はただ何も言わず。
「じゃあ改めて。これより、パエオーニアの体へ魂を定着させます。ただ本来なら、ここで入れるのはあらかじめ別に作っておいた疑似魂なんだけど……今回この魂は、人魚石の中に閉じ込められているパエオーニアの魂を使います」
人魚石も賢者の石も装置の中に組み込み、あとは魂定着のために魔力を注ぐだけ。
ここまできて――いや、ここまできたことで、かえってミラビリスの中に恐れが生まれてしまった。不安で揺らめく瞳を無意識にテオフラストゥスへと向けるミラビリス。けれど、テオフラストゥスの方はまったく取り付く島もない。するとそれでかえって吹っ切れたのか、ミラビリスは一度だけ深呼吸するとマレフィキウムたちに向き直った。
「マレフィキウムさん。私ができるのは、フラスコの中のパエオーニアを目覚めさせるまで。そこから先、彼女を解き放つのはあなたの役目」
「うん、わかってる。ニアの夢をかなえるのは僕の、僕だけの特権だから。僕は、ニアの魔法使いだから」
四十日目。鍵はすべて揃った。あとは、一つずつ開けていくだけ。
パエオーニアの新しい体が入っている丸底フラスコから伸びたいくつもの管の一つ、その先に繋がれたのは底に魔法陣が刻まれた三角フラスコ。魔素がたっぷりと含まれた黄緑色の液体の中、パエオーニアの魂が入った人魚石が魔法陣の中央に沈んでいた。
いよいよ、ミラビリスとテオフラストゥスがパエオーニアの魂定着に着手する。フラスコの底の魔法陣にテオフラストゥスの魔力が注ぎ込まれ、装置全体が薄く発光し始める。魂の取り出しはテオフラストゥス、定着はミラビリスが担当する。この四十日間、親しい会話こそ交わさなかったものの、ずっと一緒に作業していた二人。親子の距離には程遠いが、それでも最初よりはだいぶ息が合うようになっていた。
「パエオーニアの魂、定着させます」
パエオーニアの体が眠るフラスコの周囲にいくつもの魔法陣が浮かび上がる。十個目の魔法陣が浮かび上がったそのとき、一際輝きを強くした魔法陣すべてが光の道で繋がれた。光が弾け、魔法陣が消え――
けれど、それだけだった。期待していたような奇跡は起こらず、フラスコの中のパエオーニアはぴくりとも動かない。
「そん、な……私、失敗、した?」
「落ち着いて、ミラ。判断するにはまだ早い。少し、様子を見よう」
顔面蒼白でフラスコの方へふらふらと歩きだしたミラビリスの肩をカストールが慌てて押さえて止めた。テオフラストゥスは眉間にしわを寄せ黙したまま、ただじっとパエオーニアのフラスコを見つめている。
代わりにパエオーニアのフラスコの前にやって来たのはマレフィキウム。彼は目覚めないパエオーニアの前にしゃがみ込み、フラスコにそっと手を添えた。
「ニア、起きて。もう一度、きみの声を聞かせて。もう一度、僕を見て」
身体は生きているのに、心が見えない。魂は入ったはずなのに、一向に目覚めの兆候が表れないパエオーニア。
「ニア、パエオーニア。今までの僕のことは全部忘れちゃってもいいから、だから目を覚まして」
目を閉じフラスコに額を寄せ、未だほころぶ気配を見せない牡丹にマレフィキウムは懇願する。とそのとき、うつむいた拍子にマレフィキウムの上着から小さな紙きれがひらりと落ちた。
「これ……」
パエオーニアの眠るフラスコの前に落ちたそれは、オルロフが置いていった勿忘草の栞。「嫉妬のための無実の犠牲」によって仮死の眠りに囚われたミオソティスを、「真実の愛」によって目覚めさせた……
マレフィキウムは落ちた栞を拾い上げると、なんとなく頭の中に浮かんできた言葉を口にした。
「真実の愛による、再誕」
刹那、勿忘草から淡い光があふれだした。とっくの昔に魔法を発動し終わった、しかも押し花になってしまった勿忘草から。けれど光ったのはほんの一瞬。勿忘草色の淡い光はすぐに消えてしまった。
マレフィキウムの固有魔法は生花からしか引き出せない。だからすでに役目を終えて押し花になってしまっていたこの勿忘草からは、マレフィキウムは魔法を引き出せないはずなのだ。
ならば今、この勿忘草は何に反応したのか? マレフィキウムは自らが今さっきつぶやいた言葉を思い出す。
真実の愛による再誕
それは、パエオーニアの加護の力。どのような力なのか、マレフィキウムは知らない。どんな条件でいつ発動するのか、何もかもわからない未知の力。
そもそも石人の加護の力は、極夜国にある教会で曹灰硼石の瞳を持つ聖職者たちによって判定される。「見通す心」、「心眼」といった加護の力を持つ聖職者たちが、訪れた石人たちの加護の力を判定するのだ。だから極夜国の外で生まれた半石人たちの多くは、己の加護の力を知らないままで一生を終える。
「……ここ、は?」
勢いよく顔を上げたマレフィキウムの視線を捉えたのは、流れる金糸からのぞく蜂蜜色と菫色の入り混じった不思議な瞳と、虹彩と瞳孔の部分だけが瑠璃色の貴石となっている瞳。
「パエオーニア!!」
ばねのように顔を上げたマレフィキウムは、その勢いのままフラスコをがばっと両手でつかんだ。
「ひっ!」
マレフィキウムの勢いに、フラスコの中のパエオーニアはすっかり縮み上がっていた。かたかたと震える彼女の姿は、どう見ても再会を喜ぶというものではなく。すっかり怯えてしまったパエオーニアの姿を見て、マレフィキウムははっと我に返る。
「あ……そっか。うん、そうだったね」
マレフィキウムはしゅんと肩を落とすと、泣きそうな笑みを浮かべてフラスコから一歩引いた。
「驚かせちゃってごめんね。…………初め、まして。僕は百花の魔法使い、マレフィキウム」
パエオーニアは胎児のように両手両足を縮こめたまま、いまだ怯えの残る瞳でマレフィキウムを見上げていた。じっと見つめあう二人、そんな二人を周囲もまたじっと見守る。しばらくすると少しだけ警戒が解けたのか、パエオーニアの緊張が徐々に緩まってきた。すると彼女は意を決したようにマレフィキウムを見上げ、小さな口を開いた。
「私は、型式HHB010。名前は、ない」
――名前は、ない。
本当にまっさらになってしまったパエオーニアに、マレフィキウムは次の言葉が出てこなかった。何かを言わなくては、そう思うのに、マレフィキウムの口からこぼれ落ちるのは意味のない音ばかり。
そんな挙動不審なマレフィキウムにパエオーニアはどう対応してよいかわからず、彼から視線をそらすようにうつむいてしまった。するとうつむいたパエオーニアの視線の先、フラスコの前の床に落ちていたものが彼女の目に入る。
「……わすれな、ぐさ?」
落ちていたのは勿忘草の栞。薄青の涙色の花が飾られた、小さな栞。
「私を、忘れないで……私を、私は…………」
パエオーニアの瞳から、ぽろりと温かな雫がこぼれ落ちた。
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