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百花の章 ~廻る貴石の物語~
10.転生の魔法使いと朱の魔法使い
しおりを挟むそこへすかさず、不法侵入者を感知したロビンとケット・シーが部屋へと飛び込んできた。
「大丈夫ですか!?」
「な、なんだいアンタ!」
彼らはフラスコの前に立つ赤い青年に対峙すると、警戒心もあらわに睨みつけた。
「おやおや、怖い怖い。そんなに睨まないでくださいよ。鍵が開いていたんで、ちょっとお邪魔させていただいただけじゃないですか」
肩をすくめ芝居がかった笑みを浮かべる青年に、使い魔たちはいっそうの嫌悪をあらわにした。
「ただいま主人は留守にしております。申し訳ありませんが、日を改めてはいただけないでしょうか。それと次回は、事前にご連絡をいただけると助かります」
言外に「おととい来やがれこの不法侵入者が」という気持ちを乗せ、ロビンは慇懃無礼な態度で青年を睨め付けた。
明確な敵意を向けられているというのに、当の青年はどこ吹く風。警戒する使い魔たちに背を向けると、彼は帽子を取ってパエオーニアへと一礼した。
「初めまして、小さなお姫様。私は魔法使い、永久保存一族のエテルニタス。人は私を『額装の魔法使い』と呼びます。以後、お見知りおきを」
――古き魔法使い、額装を辿れ
パエオーニアの脳裏によぎったのは、パーウォーが導き出したプリムラへとつながる細い糸。この糸は掴まなければならない。そう瞬時に判断したパエオーニアは、一度深呼吸をするとエテルニタスを見上げた。
「初めまして、額装の魔法使いさま。私はパエオーニア。見ての通り、このフラスコから出ることの出来ない、不完全なホムンクルスです」
パエオーニアの名を聞いた瞬間、エテルニタスの眉が軽く跳ねた。
「パエオーニア……百花王、ですか。なるほどなるほど、これはどちらかわからなくなりましたねぇ」
わけのわからない独り言をつぶやくと、エテルニタスは再び使い魔たちに向きなおった。
「あなた方の主人が帰ってきたら、これを渡しなさい」
一方的に言い終えるやいなや、エテルニタスは黄金色に輝く透明な石をロビンに放り投げた。慌ててロビンが受け取った時には、エテルニタスはすでに自らの前に出した大きな額縁に足をかけていて――
「第三幕も、引き続き楽しませてくださいね」
どこか嘲るような笑みを残し、額縁の中へと消えてしまった。彼が消えると同時に額縁も消え去り、後に残されたのは使い魔たちとパエオーニア、そして黄金色に輝く石だけだった。
※ ※ ※ ※
袋小路の突き当たり。隠されるようにひっそりと建つ、蔦に覆われたこじんまりとした一軒家。赤い扉を抜けると、そこは……
「ひどいな」
「ひどいね」
オルロフとファートゥムは物が散乱する廊下を見つめ、同時につぶやいた。
本に巻物、何に使うのかわからない道具の数々――それらが廊下の両脇に無造作に積み上げられ、本来なら二人が余裕で通れる幅を、一人がやっとの状態にしてしまっていた。
そんな廊下から三人と一匹が案内されたのは、さらに物があふれかえり、座る場所どころか足の踏み場さえもない部屋だった。
「どうしたの? ほら、入って入って。好きなところに座っていいよ」
サンディークスが進むたびに本の山が崩れ、埃が舞い、もともと見えなかった床がさらに見えなくなっていく。
「じゃあ、お邪魔しまーす」
躊躇するオルロフとファートゥムを横目に、マレフィキウムは軽い足取りで混沌の部屋へと踏み入った。そしてサンディークスと同じく道なき道を切り開き、適当な箱を見つけると上に乗っていた服やら本やらをなぎ払い、平然と腰を下ろす。
「きみたちも早くおいでよ。特に小さいほうのきみ、私に用があるんでしょ?」
「あ……はい。じゃあ、お邪魔します」
サンディークスに急かされ、恐る恐る部屋へと足を踏み入れたファートゥム。オルロフはそもそも興味がないというのもあり、「俺はここでいい」と部屋の入り口から動かなかった。
そしてカーバンクルは、舌なめずりするサンディークスの視線から逃げるようにオルロフの陰に隠れてしまった。
「で。私にお願いって、何?」
カーバンクルが見えなくなるとサンディークスはちょこんと首をかしげ、そのまるい大きな瞳にようやくファートゥムを映した。
「額装の魔法使いっていうのに聞き覚えないですか?」
「あるよ」
即答だった。サンディークスはさも当然といった様子で、「それが何?」とさらに首をかしげる。あまりにもあっさり返ってきた答えと手掛かりに、ファートゥムは少しの間次の言葉が出てこなかった。
「きみたち、額装を探してるの?」
サンディークスの確認に、ファートゥムは無言でぶんぶんと首を縦に振った。
「で、あの人の何が知りたいの? 言っておくけど、私だってたいしたことは知らないよ。あとは商売上教えられないこともあるから、それは承知しておいてね」
ファートゥムはもう一度ぶんぶんと首を振ると、勢いよく挙手した。
「額装さんの家、教えて!」
「無理。というか、そんなの私が知ってるわけないでしょ。あともし私が知っていて教えたとしても、きみたちじゃあの人の領域には入れないと思うよ」
「じゃあ……どうしたら額装さんと会えますか?」
ファートゥムの問いにサンディークスは目を細め、少しだけ口角を上げた。そして椅子にしていた机から降りると、部屋の奥に設置された棚から何かを取り出し戻ってきた。
コトンと軽い音をたて、先ほどまで椅子にされていた机に置かれたのは、赤茶色に金の粒子が漂う液体の入った硝子の小瓶。
「これは指定された特定の相手を呼び寄せる薬。使い方は簡単、ただ蓋を開けるだけ。呼び寄せる相手の種族や能力によって来るまでの時間はまちまちだけど、魔法使いならそれこそ瞬く間だろうね」
「ありがとうございま――」
身を乗り出したファートゥムの眼前に差し出されたのは小瓶ではなく、使い込まれたサンディークス愛用の木の杖。
「代償。きみはこれと引き換えに、何を差し出す?」
ふっと目を細めるとサンディークスは背筋を伸ばし、見定めるようにファートゥムを見下ろした。
常ならば、商談相手にはサンディークスから代償を提示する。けれど今回の相手は魔法使いということで、彼はファートゥムを試すように、代償の提示をわざと相手に委ねた。
「この世界では絶滅しちゃった植物の生息場所……なんて、どう?」
ファートゥムの言葉に、サンディークスの尻尾がぴくりと反応した。同時にマレフィキウムも身を乗り出す。
「それは興味深いねぇ。ちなみにその植物って、何?」
顔だけは平然を装ってるつもりのサンディークス。けれどその興味津々な様子は、そわそわと揺れる尻尾で周囲にはまるわかりだった。
「高野星草。生息場所は、亡国マギーア」
サンディークスの尻尾がぴんと張った。
「高野星草にマギーア! え、亡国ってことは、やっぱりマギーアって滅んじゃってたの?」
滅びた植物と亡びた国の名に、サンディークスの瞳が好奇心で輝き始めた。
「俺は転生の魔法使いファートゥム。マギーア生まれの、正真正銘最後の一人。あの国にはもう俺しか住んでないから、亡国で間違ってないでしょ」
「マギーア……古文書で名前だけは見たことはあったけど、本当にあったんだ。いいよ、契約は成立だ。じゃあ、きみの気が変わらないうちに! 朱の魔法使いサンディークスの名にかけ、転生の魔法使いファートゥムに、額装の魔法使いエテルニタスを呼び寄せる『呼び声の薬』を与えることを誓う。朱に染まれ、朱夏を謳歌せよ」
サンディークスの杖が小瓶に触れた瞬間、中の液体から淡い金の光が発せられた。しばらくして光が収まると、サンディークスは小瓶をファートゥムの手のひらへ。
「契約は成立だね。転生の魔法使いファートゥムの名にかけ、朱の魔法使いサンディークスにマギーアへの鍵を与えることを誓う。流転輪廻、迷い繰り返す愛しき世界に幸あれ」
引き換えにサンディークスの手のひらに納められたのは、常盤色の貴石。よくよく見ると、中に蓮の葉のような内包物が見える。
「俺が象徴として扱ってる、睡蓮葉状内包物入橄欖石。これがマギーアへの鍵。でもこれだけじゃ片道切符だから、サンディークスさんの象徴もちょうだい。俺の領域とサンディークスさんの領域に、連絡口作っちゃお」
「他人と領域を繋げるのは不本意だけど……ま、いいか。マギーアへ行けるようになるんなら、安いもんか」
「いいなぁ。僕もマギーア、行ってみたいなぁ。見たことない植物とか、他にもあるんだろうなぁ……」
ほくほく顔のサンディークスは、あっさりと辰砂をファートゥムへ。
そんな一連のやり取りをマレフィキウムは羨望のまなざしで、オルロフは入り口であくびをかみ殺しながら眺めていた。
「終わったなら、とっとと次へ行くぞ」
「はいはい。もう、王子様はせっかちだなぁ。そんなんだから春まで待てずに、代償なんか払って魔法使い頼ることになるんだよ」
「春までなんて待てるか! いいか、今のミオソティスを守るのは、あのうるさい妹しかいないんだぞ!! ……いや、あの小姑がいればむしろ鉄壁か?」
「心配ないですよぅ、兄さん。あの姐さんが、お嬢さんをそう易々と他の男に譲るわけないじゃないですかよぅ」
満面の笑みで保証するカーバンクルにオルロフは心底嫌そうな顔を向けたあと、深いため息をついた。
「ありがとね、サンディークスさん。じゃ、今度はマギーアで会おうね」
最後にファートゥムが笑顔でサンディークスに別れを告げると、一行は赤い扉をくぐり、カエルラの町へと戻ってきた。
橙色に染まる路地を行き交うのは、家路を急ぐ影絵のような人々。昼とは違う少しひんやりとした夜の空気に混じった夕餉の匂いが、マレフィキウムたちの鼻先をふわりとかすめる。
「すっかり日が暮れそうだねぇ。お腹も空いたし、今日のところは戻ろっか」
「うん。俺、もうお腹ペコペコ~!」
そして盛大に空腹を訴え始めたファートゥムの腹に急かされるように、三人と一匹も影絵の人々に混じって家路へとついた。
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