貴石奇譚

貴様二太郎

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百花の章 ~廻る貴石の物語~

 4.苛立ちと羨望

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「亜人だってことが、人間に近いってことが、そんなに大事? わけのわからないものは気持ち悪い? じゃあさ、例えば人間型ホムンクルス、彼らも気持ち悪い? テオフラストゥス得体のしれない男が生み出した、得体のしれない複製人間だよ」

 マレフィキウムはミラビリスに今ぶつけた言葉で、何が自分を苛立たせていたのかがようやくわかった。

「でも……だって! もしかしたら私は、あの人と同じようにひどいことして、みんなに危害を加えるような存在かも――」
「きみはさ、得体が知れないやつと同じ種族ってだけで、そいつが他の人に同じように危害を加えるって思うの? だったら僕ら魔法使いだってアイツの作ったホムンクルスと同じ……ううん、それよりよっぽど得体の知れない種族だよ。でもそんな得体の知れない僕らより、僕はきみがすがりつこうとしてる人間の方がよっぽど得体が知れないし、怖いって思うけどね」

 マレフィキウムはミラビリスの言葉に、パエオーニアを否定された気がしたのだ。
 パエオーニアは、テオフラストゥスが作り出したホムンクルス。ただし彼女は、普通のホムンクルスとは違う。謎だらけの――得体のしれない――存在だった。
 フラスコから出ない限りは死なない。生まれたときから膨大な知識を持っていた。石人と人間の中間のような、不思議な貴石の瞳。
 今まではただ楽しく何事もなく、だからこそパエオーニアの出自など気にしてこなかった。けれど、悪夢にうなされ苦しんでいた彼女を見て、そんな彼女に触れることも出来ない自分の無力さを痛感して……マレフィキウムに芽生えたのは、恐怖。このまま何も知らないままでは、パエオーニアを失ってしまうのではないかという、恐怖。
 恐怖はマレフィキウムを追い立て、いつもの彼の余裕を奪ってしまっていた。

「マレフィキウムさん、論点がずれてます。何にイラついているのかわかりませんが、ミラビリスに当たらないでください」

 言葉こそ丁寧だが、棘が多分に含まれたカストールの声にマレフィキウムの苛立ちもさらに増す。

「それにあなたは、ミラビリスをテオフラストゥスの元へ向かわせたいんじゃなかったんですか? これじゃまるで、止めてるみたいですよ。まあ、私としてはそちらの方が都合いいので構いませんが」

 とどめは、挑発的なカストールの台詞。いよいよ険悪な空気に満たされた部屋の中……そこへ不意に響いたのは、ぱんっという乾いた音。

「はいはい! みんな、一度落ち着きましょ」

 パーウォーが手を叩いた音で、皆の視線が一斉に彼へと集まった。するとパーウォーは困ったように眉を八の字にして苦笑いを浮かべると、マレフィキウムの頭を軽く小突く。

「特にレフィ。アンタ、何をイライラしてんのよ」

 聞き分けのない子供に向けるようなパーウォーの穏やかな声は、マレフィキウム中から一瞬で毒気を取り去ってしまった。

「あ~、ほんと僕、何イライラしてるんだろ。ごめんねぇ」

 へらりと笑ったマレフィキウムに、ミラビリスも素直に謝った。場の雰囲気が元に戻ったところで、話は再びテオフラストゥスへ。

「私は、知りたい。自分がどうやって生まれてきたのか……ううん、違う。そうじゃない。本当は、本当に私が知りたいのは……」

 小さな歯車を握りしめ、ミラビリスは自問自答を始めた。どこか不安定なその様子は、まるで入神トランス状態に入った巫覡シャーマンのよう。たまらず止めに入ろうとしたカストールを、パーウォーがそっと制する。
 そして繰り返される、ミラビリスの問いと否定。やがてそれは彼女のやるせない悲しみと怒りを、大粒の涙と共に外へと吐き出させた。嵐のような激情に翻弄ほんろうされるミラビリス。そんな彼女を受け止めたのはカストールだった。

「些細だよ、死をも分かち合う石人の執念の前ではね。私たちの愛は、もはや狂気の沙汰。だから……ごめんね、ミラビリス」
「……そっか。じゃあ、仕方ないか」

 目の当たりにした石人の半身への執着――それは、マレフィキウムに強い感動を与えた。
 幼い頃から両親の話をパーウォーに聞かされ育ったマレフィキウムは、石人の半身や世間一般で言う運命の相手という、唯一無二の存在に強い憧れを抱いていたのだ。人の顔を判別できないマレフィキウムにとって、本能でわかる相手というのは、まさに喉から手が出るほど欲しいものだった。

「さて、と。じゃあ、本題に戻るけど……。ねえ、もういいんじゃない? 過去は過去、アナタは今、カストールちゃんとの未来を手に入れた」

 パーウォーが最後の確認をする。優しい魔法使いは大きな代償を伴う願いには、いつも必ず最後に逃げ道を用意していた。けれど、その逃げ道を使った者たちをマレフィキウムは知らない。パーウォーのところに来る者たちは皆、最後は笑顔で代償を差し出していたから。

「だからこそ、です。だって、カストールはどんな私でも受け入れてくれるらしいですから。だったら私は真実も愛も、全部全部手に入れたい」

 いたずらっぽく笑ったミラビリスの姿に、ほらやっぱり、とマレフィキウム思う。

「それを願ってしまえばアナタはこの先、もう成長できなくなる。愛する人カストールちゃんと共に老いることもできなくなる。それはミラビリスちゃんにとっても、カストールちゃんにとっても辛いことだと思う。……それでもアナタは、本当に望むの?」

 ミラビリスとカストールはつないだ手に力を込め、一笑すると同時にうなずいた。そんな二人の姿を見て、マレフィキウムは心底羨ましいと思った。かたわらに唯一がいて、触れ合える幸せに。
 結局代償と引き換えに、ミラビリスは青玉髄ブルーカルセドニーの鍵と菊石アンモライトの錠前を手に入れた。

「テオフラストゥスが居を構えているは迷いの森の中。極夜国ノクスを囲む硝子の森の手前、薄暮はくぼの森よ。いい? これを使うのは森に入る手前、森の入り口でよ。森の中に入ってしまったら全員もれなくはぐれて、二度手間になるから気を付けてね。森の中で使ってしまった場合、最悪、使ったミラビリスちゃん一人でアイツのところに行くことになるからね」

 パーウォーはお使いに行く子供に言い含めるように、これでもかとミラビリスたちに注意を促す。そんな相も変わらず世話焼きな養い親に、マレフィキウムは呆れと憧れをないまぜにした笑みを向けた。

「極夜国へ行くなら僕やパーウォーでもなんとかできるんだけどさ、テオフラストゥスの住処は別なんだよねぇ。僕たち魔法使いの干渉もはね返すって、ほんとアイツ何者なんだろ?」

 魔導研究所の結界しかり、パエオーニアのようなホムンクルスや人造石人を作る知識と技術しかり。謎だらけのテオフラストゥスに、マレフィキウムは口をへの字にした。

「魔法使いったって万能じゃないもの。伝説の錬金術師サマの住処には、ワタシたちみたいな新参魔法使いじゃ及びもつかないような仕掛けがあるんでしょ。レフィ、油断しちゃダメよ」
「わかってるって。だいじょーぶ、だいじょーぶ。いざとなったら、僕だけは逃げ切ってみせるからさ」

 お節介な養い親は手のかかる子供に苦笑いをおくると、ミラビリスたちに最後の忠告を与えた。そして紅梅色チェリーピンクの扉を出すと、彼女たちを送り出す。
 マレフィキウムも続こうと足を踏み出したところで、パーウォーから制止の声がかかった。

「これ、ミラビリスちゃんに渡してあげて」

 マレフィキウムが渡されたのは、帆布で作られた簡素な肩掛けかばんだった。中に入っていたのは、かわいらしい包装紙に包まれた菓子らしきものと水筒。

「カストールちゃんは石人だから抜けちゃってると思うんだけど、ミラビリスちゃん、そろそろお腹空いてくる頃だと思うから」
「あ、僕の好きなやつ! 一個もらっちゃお~っと」

 ミラビリスへ渡す前に早速一つ失敬するマレフィキウムに、パーウォーはやれやれと苦笑いを浮かべた。

「レフィの分もちゃんと入れてあるわよ。ほーんと、アンタ昔から甘いもの好きよねぇ」
「そりゃまあ、毎日パーウォーの手作りおやつ食べて育ちましたから。じゃ、行ってくるね~」
「ほんと気をつけなさいよ! アンタ、魔法の操作ド下手くそなんだから」

 マレフィキウムはパーウォーの呆れ声を背中で受け、好物の菓子チョコレートバーをかじりながら扉を潜り抜けた。すると抜けた先、鬱蒼とした森の手前にミラビリスたちが立っていた。

「ご、ごめん! なんか朝だったんだなって意識したら、急にお腹すいてきちゃって」
「ああ、すまない。そうか……人間たちは、定期的に食べ物を摂取する必要があるんだったな。私たちはミラビリスたちみたいな食べ物は必要としないから、すっかり失念してたよ」
「ごめん、気にしないで! 大丈夫、一食抜いたからって別にどうってことはないから」

 頬を染め言いつくろうミラビリスに、マレフィキウムは預かったかばんを差し出した。

「お腹すいてるんでしょ? はい、どーぞ」

 一瞬、本当に一瞬だったが、マレフィキウムは自分に突き刺さる強い視線を感じた。そっと盗み見た先にいたのはカストール。マレフィキウムはその理不尽な嫉妬に呆れるよりむしろ、さすが石人だと感心してしまった。

「さすが石人だねぇ。あーあ、どうせなら僕も石人に生まれたかったなぁ」
「石人に? 魔法使いのあなたが、なぜまた?」

 首をかしげるカストールに、マレフィキウムは自嘲を多分に含んだ笑みを返した。

「だって石人ならさ、相手の顔がわかんなくても、半身だったら絶対に間違えないでしょ? 僕さぁ、人の顔が判別できないんだよねぇ」

 生まれたときからずっと、マレフィキウムは人の顔というものがわからなかった。目だとか鼻だとか、部分部分では認識することはできるのだが、それらを総合的にとらえて個人の顔として見ることが出来なかった。

「もしかして相貌失認そうぼうしつにん、ですか?」
「ふ~ん、そういう名前なんだぁ」

 名前がわかったところで治す術はないので、マレフィキウムはミラビリスの言葉を聞き流した。

「普段は服装や仕草、声や魔力なんかで判別してるんだけどさ。僕は生まれてこの方、人の顔の区別がついたことないんだよねぇ。男なのか女なのか、怒ってるのか喜んでるのか……だからこと恋愛に関しては、ちょっとね。あーあ、もし僕が石人だったら、顔なんかわかんなくてもここまで苦労しなかったんだけどなぁ」

 育ててくれたパーウォーの顔さえきちんと認識することができず、カーバンクルやパエオーニアの、一緒に暮らす者たちの顔も認識することができない。彼らはそういうものだと受け入れてくれていて、マレフィキウムは今まで特に困ったことはなかったが、それでもやはり少し寂しいとも思っていた。

「食べ終わった? ほら、さっさと行ってさっさと終わらせちゃおうよ。僕もヤツには聞きたいことがあるんだ」

 今は自分のことよりもパエオーニアのこと。頭の中で当初の目的を再確認すると、マレフィキウムは一方的に話を切り上げた。
 そして急かされたミラビリスにより道は開かれ、彼らの前に一軒の屋敷が姿を現した。
 
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