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変彩金緑石の章 ~アレキサンドライト~
14.硝子の棺と過去の夢 後編
しおりを挟む『まさか、こんなに愛着がわいちゃうなんてさ……どうしてあの日のボクは、ミラを量産型ホムンクルスでいいやなんて思っちゃったんだろう。ミラもテオと同じ、特注型で作ればよかった』
量産型と特注型――まさかホムンクルスに種類があるとは思ってもみなかったミラビリスとカストール。二人は顔を見合わせると、そのままテオフラストゥスを見た。しかし彼が動く様子はなく、二人は仕方なく映像の方へと視線を戻す。
『とは言っても、賢者の石はなかったし、特注型は作れなかったんだけどさ。……飽きる、って思ってたんだ。ボクはずっと一緒にいるテオにさえ、強い執着を持つことができなかったんだもん。今のテオが壊れたら、ボクはきっとなんのためらいもなく新しいテオを作る。それこそ量産型でね。だからミラを作る時もどうせ飽きるだろうと思って、六年って寿命がある量産型にしたんだ』
トリスの独白にミラビリスは首をかしげた。寿命が六年と設定されている量産型ホムンクルスだったのなら、なぜ自分は今ここに立っているのだろうかと。
『あんなに手のかかる生き物、初めてだったんだ。言うことは聞かないし、すぐ泣くし吐くし汚すし、とにかく面倒くさいんだ。でも次に何やるかわかんなくて、抱きしめると甘い匂いがして温かくて、ミラが笑うとなんかボクまで嬉しくなって……ほんとなんなんだよ、あの生き物!』
トリスは両手を天体観測機へと伸ばすと、静かに目を閉じる。そのままの姿勢でしばらく立っていたが、やがてゆっくりとまぶたを上げた。そして吹っ切れた顔でにっと笑うと――
『絡繰りの魔法使いトリス・メギストスの名に於いて。ボクの残りの寿命と引き換えに、ミラビリスの命の上限を目一杯引き延ばす! 合意は遵守すべし』
願いと、代償と引き換えに魔法を行使するときの誓いの言霊を放った。
天体観測機の中心部から青い光があふれ、周囲の円環が動き始めた。そこへ必死の形相で飛び込んできたのはテオフラストゥス。
『トリス!! バカな、なんということを……』
『テオ、遅かったね。契約は成立したよ。もう間もなく、天体観測機はその動きを止める。そしてボクとミラの運命は、変わる』
得意げに笑うトリスに対し、テオフラストゥスは顔をしかめ激高した。
『貴女はバカだ!! 魔法使いが自分の願いを自分で叶えるなんて……それがどんな結果をもたらすか、トリス、貴女自身が一番よくわかっていることだろう!』
天体観測機から放たれていた光が消え、中心部から歯車が一つこぼれ落ちた。トリスは床に落ちたそれを拾うと、テオフラストゥスを見ずに「ごめん」とつぶやいた。
『これでボクは、もう魔法使いとして誰かの願いを叶えることはできなくなった。遠からず、賢者の石になるだろうから』
『そんなこと、させない! 勝手に私を作り出して、勝手に置いて逝くなんて……そんなの、創造主だろうと許さない!!』
――賢者の石になる――
その不思議な言い回しに、ミラビリスとカストールは顔を見合わせた。
『テオはバカだなぁ。なんでこんなボクみたいな薄情なやつに……ま、いいや。じゃあさ、そんな薄情なご主人様からの最後のお願い、聞いてくれない?』
『聞かない。トリスは死なない』
『ミラをさ、頼むよ。あの子はまだ、一人じゃ生きていけない。だからいつか、あの子が一人で生きていけるようになるその時まで……』
トリスが天体観測機からこぼれ落ちた歯車をテオフラストゥスに差し出したところで映像が乱れ、場面が切り替わる。
天体観測機の前に、空っぽの硝子の棺が置かれていた。その隣に立っているのは初めて見る人物。深紅の燕尾服に深紅の紳士帽子。赫赫たる赤毛を背に流し、金の双眸をきらめかせたるは、妖しくも美しく燃え盛る青年。
『いいでしょう。貴方の望み、この額装の魔法使いエテルニタスがお受けいたしましょう』
新たな登場人物――額装の魔法使いエテルニタス――は、芝居がかった大仰な仕草で一礼する。テオフラストゥスはそんな彼を無視し、腕の中で昏々と眠っているトリスを棺の中へとそっと下ろした。
『おやおや、冷たいですねぇ。まあ、いいでしょう。では――』
眼窩に黄金色のきらめく石がはめ込まれた銀の髑髏があしらわれた杖を棺に向け、エテルニタスは甘い毒のような声音で宣誓の言霊を紡ぎだす。
『テオフラストゥスの中に生まれたミラビリスへの愛着、ミラビリスのテオフラストゥスに関する記憶、そしてトリスの目覚めと同時にテオフラストゥスがその生を終えることを代償に。額装の魔法使いエテルニタスの名にかけ、トリス・メギストスの時を止めることを今ここに誓おう……時よ止まれ、汝は美しい!』
エテルニタスの誓いの言葉が終わると同時に、トリスが眠る硝子の棺のふたが閉ざされた。
『愛された者は時を止め、愛したものは彼女の目覚めとともに眠りにつく……嗚呼、なんたる悲劇! なんたる喜劇!』
いちいち仰々しいエテルニタスを無視し、テオフラストゥスはそっと棺に寄り添う。中で眠るトリスをじっと見つめ――――ここで映像は終わった。
「お前をカエルラの町に捨ててきたのは私だ。おそらくその後に生じた代償によって、お前の記憶は改竄されているだろうがな」
硝子の棺を、その中で眠るトリスを見つめたまま、テオフラストゥスは淡々と過去の真実を語る。
「私を捨てたのは、お母さんじゃなかったんだ……」
ほっとしたような、けれど、少しだけ納得できないという顔で。ミラビリスはテオフラストゥスを見下ろすと、静かに問う。
「あなたは、どうして私を捨てたんですか?」
ミラビリスの問いにやはり顔を上げないまま、テオフラストゥスは心底面倒そうなため息を返した。
「私にとって必要なのはトリスただ一人。お前は彼女を救う手段を探すための邪魔になる。だから捨てた」
単純明快、しかし残酷な答え。けれど、テオフラストゥスに関する記憶がなかったためか、ミラビリスの心はたいした傷を負わずにすんだ。存外薄情だった自分を知り、ミラビリスは苦笑いをこぼす。
「それに、お前は生き延びられただろう?」
平坦な声で、なんでもないことのように言ったテオフラストゥス。そのあまりに他人事な態度に、ミラビリス中にざわりとしたさざ波が生まれる。
「なんとか、ですけど。たまたまいい人たちと出会えて、攫われた先で偶然あなたに出くわして、なんとかここまでやって来ました」
ひとりぼっちでカエルラに放り出され、売られそうになって必死に逃げ出し、そうやってなんとか生き延びてきたのだ。それらをまるで簡単なことのように言われ、ミラビリスの中で埋み火のように埋もれていた怒りが顔を出す。
「そんな簡単に言わないでくだ――」
「たまたまに偶然。本当にそう思っているのか?」
ようやく硝子の棺から顔を上げたテオフラストゥス。相も変わらず無表情で、淡々と問う。けれどその口調には、確かな嘲りの色があって。
「……何が、言いたいの?」
テオフラストゥスの硝子玉のような琥珀の瞳が、ミラビリスを冷冷と射貫いた。
見透かすような、見下すような。決して好意的とはいえないその視線に、ミラビリスの心がざわつく。
「偶然じゃなかったから、なんだって――」
「お前のたまたまや偶然は、すべてあの歯車……天体観測機の心臓が引き寄せたもの」
テオフラストゥの答えに、ミラビリスの眉間にしわが寄った。
「なに……それ」
「トリスがお前に与えた歯車……お前はあれに導かれ、必然的にここへとやって来たのだ」
寡黙から饒舌へ。テオフラストゥスはかく語りき。
引き離された天体観測機の心臓は、本体へと回帰するために運命を手繰り寄せる。持ち主を守護し、力をつけさせ、人脈を引き寄せ、本体へと導く。
だからトリスは、お守りとしてそれをミラビリスへ贈った。何かあっても、確実に生き延びられるように。いつかここへ、帰ってこられるように、と。
そしてそれを知っていたからこそ、代償を支払う前のテオフラストゥスは、あえてミラビリスを捨てた。それさえあれば、ミラビリスは確実に生き延びられるとわかっていたから。
「代償を支払う前、私はお前に少しばかりの情を抱いていたようだ。だからお前を逃がすなどという、馬鹿なことをしたらしい」
代償を差し出す前の自分を鼻で笑うと、テオフラストゥスは再び語りだした。
「だが、それはあながち間違いというわけでもなかったようだ。もしあのまま、お前を手元に置いてなどいたら……私は確実に、お前を殺していた」
「……そんなに私が、憎かったの?」
今まで感情らしい感情を見せなかったテオフラストゥスが、初めて強い感情をあらわにした。おののくミラビリスに、テオフラストゥスは冷たい笑みで答える。
「当然だ。だがお前を殺してしまっていたら、トリスが目覚めたとき、私は拒絶されてしまうだろう。それは駄目だ。それだけは、絶対に」
「……あなたの気持ち、私はわからなくはないけれど」
テオフラストゥスからミラビリスを守るように、カストールが二人の間に立った。
「だが、ミラビリスに危害を加えるというのなら……私も、黙ってはいない」
ピリピリと、ささくれだった空気が肌を突き刺す。
「殺していた、だ。すべては過去のこと。あったかもしれない、可能性の一つの話だ。今は、もうどうでもいい。天体観測機の心臓は戻った。トリスの歯車が導くのなら、私はそれに従うまで」
テオフラストゥスは再び無表情に戻ると、硝子の棺に視線を戻した。
「これで満足したか? お前はトリスと私を原料に作られた、ただの量産型ホムンクルス。だが、世界でたった一人……創造主に愛された、特別なホムンクルスだ」
二十六年かけて、ようやく交わった二人の道。けれどそれは、もう一つになることはなかった。今のテオフラストゥスの中にはミラビリスに対する愛情などかけらも残っておらず、あるのは嫉妬、羨望、そして――厭悪。あの研究所で出会った時には欠片すら見えなかった感情が、今の彼からはまざまざとあふれ出ていた。
「同じ形じゃなかったかもしれないけど、あなただって愛されて――」
「黙れ! それ以上戯言をほざくなら……今度こそ殺すぞ。忌々しい量産型が」
まぎれもない殺気を放つテオフラストゥスに、カストールがミラビリスを背中にかばうと身構える。
「ミラビリスに手を出すというのなら……お前こそ殺すぞ」
「待ってカストール、落ち着いて! 今のは……私が、悪かった。ごめんなさい」
殺気立つカストールにしがみつくと、ミラビリスは慌てて彼を抑えつけなだめた。
たとえ好意を持てない相手だったとしても、今の言葉は傲慢だったと、ミラビリスは自分の放った言葉に自己嫌悪する。自分がテオフラストゥスの立場だったら、きっと同じように怒っただろう、と。
愛する人がその命をかけてまで助けた相手に、「あなただって愛されていた」などと言われて、それを素直に受け取る者がどれほどいるのだろうか。多くの選ばれなかった者はそれを、選ばれた者ゆえの傲慢と受け取るのではないだろうか。そう考えると、ミラビリスは本当に自分が嫌になった。
しかしミラビリスとて、大きな代償を支払ってまでここへ来たのだ。多少ヘマをしたからといって、今さら引くなどという選択肢はない。聞かなければならないことはまだある。気になることもたくさんある。
目を閉じ深呼吸をして心を落ち着けると、ミラビリスはテオフラストゥスへと視線を戻した。
「ここまでして、お母さんを助ける手段は見つかったんですか?」
いくぶんか殺気を弱めたテオフラストゥスはミラビリスを一瞥すると、再び硝子の棺に視線を戻し静かに首を横に振った。
「あの研究所でやっていたのは、もしかしてお母さんを助けるための研究だったんですか? それとさっき言ってた『賢者の石になる』って、どういうことなんですか?」
テオフラストゥスは質問に首を縦に振った。けれど、それ以上は答えるつもりはないようで、固く口を閉ざしている。
「じゃあ、これが最後の質問です。私の寿命、それに終わりはありますか?」
彼はミラビリスを見ないまま、ひどくつまらなそうに「ある」とだけ答えた。その答えを聞いた瞬間、ミラビリスの体から力が抜けた。
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