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変彩金緑石の章 ~アレキサンドライト~
10.臆病、あなたを想う、恋を疑う
しおりを挟む「亜人だってことが、人間に近いってことが、そんなに大事? わけのわからないものは気持ち悪い? じゃあさ、例えば人間型ホムンクルス、彼らも気持ち悪い? テオフラストゥスが生み出した、得体のしれない複製人間だよ」
にこにこと、けれど目だけは笑っていないマレフィキウム。そんな彼の問いかけに、ミラビリスは思わずたじろいでしまった。
「でも……だって! もしかしたら私は、あの人と同じようにひどいことして、みんなに危害を加えるような存在かも――」
「きみはさ、得体が知れないやつと同じ種族ってだけで、そいつが他の人に同じように危害を加えるって思うの? だったら僕ら魔法使いだって、アイツの作ったホムンクルスと同じ……ううん、それよりよっぽど得体の知れない種族だよ。でも、そんな得体の知れない僕らより、僕はきみがすがりつこうとしてる人間の方が、よっぽど得体が知れないし怖いって思うけどね」
たたみかけるようなマレフィキウムの勢いに、ミラビリスは何も言い返せず黙り込んだ。そこへ助け船を出したのはカストール。彼はマレフィキウムからミラビリスを守るように立つと、冷え冷えとした視線を返した。
「マレフィキウムさん、論点がずれてます。何にイラついているのかわかりませんが、ミラビリスに当たらないでください」
そのまま今度は不敵な笑みを浮かべると、カストールは再び口を開いた。
「それにあなたは、ミラビリスをテオフラストゥスの元へ向かわせたいんじゃなかったんですか? これじゃまるで、止めてるみたいですよ。まあ、私としてはそちらの方が都合いいので構いませんが」
ピリピリとした空気に満たされた部屋の中、そこへ不意に響いたのはぱんっという乾いた音。
「はいはい! みんな、一度落ち着きましょ」
パーウォーが手を叩いた音で、場に張り詰めていた緊張の糸が切れた。すると、パーウォーはマレフィキウムの頭を軽く小突き、困ったように眉を八の字にして苦笑いを浮かべた。
「特にレフィ。アンタ、何をイライラしてんのよ」
「あ~、ほんと僕、何イライラしてるんだろ。ごめんねぇ」
先ほどまでまとっていた刺々しさを、現れたときのようなへらりとした空気に変え、マレフィキウムはきまり悪そうに頭をかいた。
「いえ。私の方こそ、ごめんなさい。危ない人と同じ種族だったからって、それだけでその種族の人みんなが危険だなんて思ってません。同じ種族だとしても一人一人は違う、それはちゃんとわかっているんです。昔、それを教えてくれた人がいたから……」
カエルラで唯一の理解者だったかつての恩人の姿を思い浮かべ、ミラビリスはざわつく心を落ち着かせるように大きく深呼吸した。
「私は、知りたい。自分がどうやって生まれてきたのか……ううん、違う。そうじゃない。本当は、本当に私が知りたいのは……」
小さな歯車を握りしめ、ミラビリスは自分へと問いかけ始める。
彼女の不安定な様子にカストールが声をかけようとしたのだが、それはいつの間にか隣に来ていたパーウォーによって制止された。パーウォーは小さく頭をふると人差し指を口もとに持ってきて、目だけで「黙って」とカストールに伝えてきた。
ただ、男二人のそんなやり取りも今のミラビリスの目にはまったく入らず。彼女はひたすら一人で、自問自答をくりかえし続ける。
「私は何? 違う。私は人間? 違う。私は危険? 違う、そうじゃない。私は……」
問い、否定。問い、否定。問い、否定。問い――
つかの間、落ちる静寂。しかしそれはすぐに、「なんで」というミラビリスのつぶやきによって破られた。
「なんで……私は、捨てられちゃったの?」
今にも泣きだしそうな顔で、ミラビリスはすがるようにパーウォーを見上げた。
「ねえ。お母さんは、なんで私を捨てたんだろう? 私の、何がだめだったんだろう?」
それはまるで、帰り道がわからなくなって一人泣いている子供のようで。
「私、なんでお母さんからいらないって思われちゃったんだろう。私はお母さんのこと、大好きだったのに」
ほんの数時間の間に経験した、目が回るような非日常と衝撃。そして先ほどの自問も相まって、普段は固く閉ざされていたはずのミラビリスの心の鍵は今、完全に緩んでしまっていた。
「いらないなら、何で私を生んだの? 私は、何のために生まれてきたの?」
堰を切ったようにあふれだしたのは、今まで見ないように、心の奥底にずっと押し込めていた幼いミラビリスの怒りと悲しみ。
「お母さんにさえ捨てられちゃった私なんか、誰が必要としてくれるの? 院長は、私をあの人たちのところへ送り出した。トートは優しくしてくれたけど、でも、私を一番にはしてくれなかった!」
ぽろぽろと大粒の涙を流す今のミラビリスの姿は、元々の幼い容姿もあって、本当に年端もいかない子供のよう。
「……嘘、違う。院長は悪くない。悪いのは、私。臆病で自信がなくて、だから自分に与えられる愛情が完全には信じられなくて……壁を作ったのは、私。本当は、一番になりたかった。でも、甘えて迷惑だって思われて嫌われたらって思ったら……怖くなって、助けてって言えなかった。違うの、私は院長のことを思ったんじゃなくて、自分が傷つきたくないから、逃げた!」
完全に箍が外れてしまったミラビリス。その姿は、もはや癇癪をおこした子供そのもの。泣き、わめき、感情のままに言葉を吐き出す。今の彼女はもう、大人としての自制心など吹き飛んでしまっていた。
「トートのときも、そう! トートは、なんにも悪くない。トートは充分、愛をくれた。なのに私が……違う気持ちを、欲しがったから。でも、それは絶対に手に入らなくて……だから、私は逃げた。また、逃げた!」
ずっと一人で心にため込んでいた、誰にも言うつもりのなかった秘密。育ててくれた人に抱いてしまった、秘密の気持ち。それすら吐き出し、ミラビリスは慟哭する。
「こんな臆病でわがままで卑怯で、そのうえあんな怖くてわけのわからない人と同じ存在かもしれないなんて…………私は私が、自分が怖くてたまらない! それに亜人だったなら寿命だって限られてただろうけど、あの人と同じだとしたら……私は、どのくらい生きればいいの? もしあの人が本当に不死だとしたら、私は――」
不意に。泣きじゃくるミラビリスを包み込んだのは、規則正しい鼓動と、じんわりとした温もり。
抱きしめられている――そう気づいた時には、すでに遅く。ミラビリスは見た目より存外力が強く、彼女の力ではびくともしない腕の檻に閉じ込められていた。慌ててみじろぎしたが、優しい拘束は強まるばかり。そしてとどめ、彼女の耳元に囁かれたのは密やかな殺し文句。
「きみが望むなら、その時は私が殺してあげる」
はっと顔を上げたミラビリスの目に飛び込んできたのは、言葉とは裏腹に、慈しみをにじませたカストールの山葡萄と銀の瞳。
「だからもう、堕ちておいで」
ミラビリスの胸に生まれていた、小さな小さな灯火。それはいつしか古い炎を飲み込んで、赤々と燃え上がっていた。新たな炎火は今、彼女の体も心も、そのすべてを焼き尽くし、新生させていく。
「なんで? なんで私なんかに、そこまでするの? それに私たち、出会ってからまだ一日も経ってないんだよ」
自らの急激な心の変化を素直に認められないミラビリスは、どうにか理由を探して踏みとどまろうとしていた。愛が欲しい癖に、いざ与えられると逃げる。臆病者の悪い癖。けれど、石人の執着はそれを上回るほどの業で……
「ミラビリスだから。それにね、時間は関係ないよ」
「半身、だから?」
「半身、だから」
半身――その言葉で、浮ついていたミラビリスの気持ちは見る間に萎んでしまった。
一方カストールの方は、そんなミラビリスの反応に笑いをこらえていた。
普段は冷静であろう、年相応であろうと気を張っているが、その実とても子供っぽく、気持ちがそのまま顔に出てしまうミラビリス。今もとてもわかりやすく落胆したその姿に、カストールの中に愛おしいという気持ちがわき上がる。
彼は声が震えないように気をつけながら、「聞いて、ミラビリス」と、彼女を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
『それって、本当に相手を愛しているの?』
「あの時きみに問われてから、ずっと考えてたんだ。確かに私たち石人は、本能で半身を求める。でもさ、それって人間たちのいう運命や愛と、何が違うの? だって、それだって言ってしまえば、本能からだろう? 私たち石人はさ、彼らが時間をかけて考えて導き出す結果を、瞬時に理解しているだけだよ」
「それは……そうかも、しれないけど」
「ミラビリスは難しく考えすぎなんだよ。私たちは半身のことは絶対に裏切らないから一生浮気の心配なんてしなくていいし、とにかく尽くすよ。こんな優良物件、逃す手はないだろう?」
もはや堕ちていることは明らかなのに、あくまでも認めようとしないミラビリス。そんな意地っ張りな彼女の最後の抵抗に、カストールから思わずといった笑いがもれた。
「なんで笑ってるのよ! それに私、この先もうずっとこの姿のままになるんだよ? カストールは……それでもいいの? あなたが大人になっても、私はこんな子供の姿のままなんだよ。この体じゃ、きっと子供だって――」
「そんな些細なこと」
ミラビリスの杞憂を笑い飛ばすと、カストールは彼女に見えないように、ほんの少しの憂いを含んだ笑みを浮かべた。
石人の半身への愛は本能。それは理性では制することの難しいほどの執着。そんな彼らがひとたび半身を見つけたならば、その先に待ち受けるのは……
「些細だよ、死をも分かち合う石人の執念の前ではね。私たちの愛は、もはや狂気の沙汰。だから……ごめんね、ミラビリス」
優しく優しく逃げ道をふさぐカストールに、ミラビリスの中の頑なな心が溶かされていく。
トートにはもらえなかった心。望んではいけなかった心。
「……そっか」
怖くて、だけど欲しくて、でも信じられなくて。
手を伸ばしては逃げていたミラビリスを、カストールは捕まえてくれた。捕まってしまったのなら仕方ない。そう、ミラビリスに言い訳を与えてくれて。
「じゃあ、仕方ないか」
だから、ミラビリスは捕まった。笑って、捕食者の手を取った。
ずっと一人でため込んでいたものを吐き出してしまったせいか、あるいは諦念か。ミラビリスの表情は、雨上がりの空のようにすっきりとしていた。張っていた肩ひじも予防線も取り払われ、今の彼女は本当の少女のようで。
「ごめんなさい、お待たせしました」
「ああ、そういえばいたのか」
ミラビリスはきまり悪そうに、カストールは興味なさげに。ここまで口を挟まず見守っていてくれたパーウォーたちへと向き直った。
「気にしなくていいわよぉ。特等席でいいもの見せてもらっちゃったし」
「僕は待ちくたびれたよ~」
「カストール、よかったなぁ! これで正式に姐さんは姐さんだな!」
三者三様の反応に、ミラビリスは思わず苦笑い。皆の前で自分の世界に入ってしまった手前、何も言えない。けれど隣のカストールはといえば、そんなものどこ吹く風。もう遠慮など一切しないとばかりに、先ほどからミラビリスにべったりとくっついていた。
「さて、と。じゃあ、本題に戻るけど……。ねえ、もういいんじゃない? 過去は過去、アナタは今、カストールちゃんとの未来を手に入れた」
パーウォーが最後の確認をする。過去より未来を選べと言うお節介な魔法使いに、けれど、ミラビリスは静かに首を横に振った。
「だからこそ、です。だって、カストールはどんな私でも受け入れてくれるらしいですから。だったら私は真実も愛も、全部全部手に入れたい」
いたずらっぽく笑ったミラビリス。その笑顔に、彼女はもう決めてしまったということはわかってしまったが……それでも、最後の最後にパーウォーは問う。
「それを願ってしまえばアナタはこの先、もう成長できなくなる。愛する人と共に老いることもできなくなる。それはミラビリスちゃんにとっても、カストールちゃんにとっても辛いことだと思う。……それでもアナタは、本当に望むの?」
ミラビリスとカストールはつないだ手に力を込め、一笑すると同時にうなずいた。
「もう一度あの人に会わないと、私は前に進めない。そんな気がするんです。あの人に会わないと、このもやもやした気持ちは、きっとずっと残る。そんなの、カストールと一緒に進む未来に持っていきたくない」
「ミラビリスの心を欠片でも取られたままなんて、私としても我慢ならないからね。それにミラビリスが未来永劫今の姿のままだとして、何も問題あるまい。ミラビリスが共にいてくれるのならば、私はそれで十分だからね」
想いを重ねて迷いのなくなった二人の瞳は、まっすぐに未来を目指していて。
「…………ほんと、なんでみんな、そんな軽く色んなものを投げ出せるのかしら。私にはわからないわ」
頭を抱えながら盛大なため息をついたパーウォーに、ミラビリスがぽつりと「臆病だからこそ、ですよ」と呟いた。
「このまま見ないふりをして、自分が何かわからないまま生きていくなんて、怖い。捨てられた原因がわからないままじゃ、安心できない。それに……」
くすりと自嘲するような笑みを浮かべると、ミラビリスはつぶやいた。
「臆病な私は、証が欲しい。不完全な私でもいい、そんな証が」
「なら、証明してあげる。ミラビリスの命が尽きるその時まで、私は必ず共に在ろう。……たとえ、きみに拒まれたとしても」
もうお手上げだとばかりに天を仰いだパーウォーの肩を、そっと労うように叩いたのはウィル。彼は静かに首を横に振ると、パーウォーの深いため息に合わせるようにカボチャ頭の中の青白い火を揺らめかせた。
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