貴石奇譚

貴様二太郎

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変彩金緑石の章 ~アレキサンドライト~

 8.灰は灰に、塵は塵に

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 硝子の棺の中で眠るのは、少年のような女性。棺が揺れるたび、栗色の髪が彼女のまるい額の上でさらさらと踊る。

 ――ミラ

 深い霧の向こう、ぼやけた記憶……ミラビリスの脳裏を、おぼろげな面影がよぎる。そして同時に胸に押し寄せるのは、切ないほどの渇望。

「……あ、さん」
「ミラビリス!?」

 カストールの制止をふりきり、床でうごめく人造石人やホムンクルスたちを飛び越えて、硝子の棺を運ぶ鉄人形たちへと向かって走りだしたミラビリス。

「お母さん!!」

 けれどあと少し、ほんの拳一つ分というところで、ミラビリスの手は無情にもはねのけられた。棺と彼女の間に立ちはだかったのは、鉄人形たちの主たる青年。

「どいて! お願い、確かめさせて!!」
「それを私が受け入れなければならない理由は?」

 青年の言い分に、とっさに返すことができず言葉に詰まるミラビリス。ここは彼の領域。当然、彼がミラビリスの言うことを聞くいわれはない。けれど、何かつかめそうな今、ミラビリスはこの機会を逃したくはなかった。

「お願いします! 今なら思い出せそうなの。お願い、その人の顔を見せ――」
「断る」

 青年はミラビリスの懇願をはねつけると背を向け、鉄人形たちと共に部屋を出て行く。ミラビリスもすぐさま後を追いかけたが、彼女が廊下にまろび出たときには、彼らの姿はもう影も形もなかった。

「そんな! だって、たった今まで、そこに……」

 愕然がくぜんと立ち尽くすミラビリスを迎えたのは、一足先に廊下に出ていたルークス。

「なんかね~、ぱって光って、しゅわ~ってみんな消えちゃったよ。すごいね、あの人。魔法使い?」

 ルークスは緊張感皆無な口調で感想を残すと、カストールが出した氷の柱が気になるのか、そちらへと行ってしまった。
 あと少し、もう少しで何かつかめそうだったというもどかしさに、ミラビリスは唇をかんだ。あの呼び声も思い返してみれば、記憶の奥底にかすかに残る母の声に似ていたような気がして……今更ながらに、ミラビリスの心は後悔で波立つ。

「お母さ――」

 ミラビリスの口からこぼれ落ちたつぶやき。けれどそれは、たった今出てきた部屋から聞こえてきたいくつもの叫び声によってかき消されてしまった。何事かと振り返ったミラビリスの目に飛び込んできたのは、部屋から走り出てきたカストールとウィル。そして一瞬遅れて、目を焼くような閃火せんか

「走れ!」

 カストールのかけ声と突如現れた激しい炎に、ミラビリスとルークスは慌てて走り出した。二人が少し離れたところでカストールは振り返ると、素早く氷の防火壁を作り上げる。そして 衣嚢ポケットから小さな緑色の石を取り出すと、叫んだ。

「約束通り代償は支払ったぞ! 来てくれ、海の魔法使い」

 立ち止まっていたミラビリスとルークスの目の前、何もなかった廊下に、カストールの呼び声に呼応するかのように紅梅色チェリーピンクの扉が唐突に現れた。

「契約は完了ね。ありがとう、助かったわ」

 扉から現れたのは、珊瑚色さんごいろお姫様のような服プリンセスラインのドレスと派手な化粧をまとった大柄な男。

「パーウォー!」

 子犬がじゃれつくようにルークスが大柄な男――パーウォー――に飛びついた。

「無事でよかったわ、ルークスちゃん。さ、アンタたちも来て。ひとまず、こんなところ退散しましょ」

 一人だけわけがわからず立ち尽くしていたミラビリス。そんな彼女の手を取ると、カストールは「説明はあとで」とだけ言って扉へと走り出した。そして全員が扉の中に入ると、カストールは振り返り、両手を扉の外へと突き出す。

なんじらその身を我が劫火ごうかにゆだね、呪いは加護に、怨嗟は祝福に、偽りは真実に……輪廻のへ、帰りなんいざ」

 先ほど作った氷の防火壁を瞬時に消すと、カストールはくだんの部屋へとさらなる業火ごうかを放った。悲鳴をも燃やし尽くす炎に呑まれ、すべてが灰へと帰っていく。けれど、それを最後まで確認することなく、カストールは静かに扉を閉ざした。

「もう、いいの?」
「ああ。じき、炎がすべてを焼き尽くすだろう。彼らも狂ったまま互いを傷つけることなく、一瞬で逝けたはずだ。すべては灰燼かいじんに帰す。だからもうこれ以上、あそこで歪な命が生み出されることはなくなる……」

 力なく笑うカストール。出会ってからいつでも自信たっぷりだった彼のその姿に、ミラビリスの胸にじわじわとした痛みがにじみ出てくる。その痛みに顔をしかめたミラビリスを見て、カストールはうなだれ、幽かな笑みを浮かべた。

「すまない。最初に言われていたのに、きみの目の前で人を――」
「違う!」

 強く叫んだミラビリスに、カストールが目を見開く。

「違うよ……あれは、仕方なかった。だって、彼らはもう……私たちには、救う手立てがなかった。あなたは、彼らを助けた。それに、助けられなかったっていう点では、私も一緒。だから……」

 ミラビリスは少しだけ背伸びをすると、うつむくカストールの頭を左手でそっと抱き寄せた。

「そんな泣きそうな顔、しないで? カストールは、カストールにできることをした。それが罪だというのなら、見ていただけで何もできなかった私も同じ」

 左肩にじんわりとしみる温もりと重さに、ミラビリスの鼻の奥もつんとなる。

「…………ありがとう。それと名前、やっと呼んでくれたね」
「ばか。今は黙って泣いてなさい」

 医療魔術師であるミラビリスとて、できることならば彼らを助けたかった。けれど、無理なものは無理。世間一般では恐れられている魔術師だろうが、魔法使いの血を引いている亜人であろうが、一度歪められてしまった彼らを助けることは、現時点ではできなかった。魔術も魔法も万能ではない。たとえ魔法使いであろうと、不可能なことは不可能なのだ。もし可能だったとしても、その奇跡には必ず大きな代償が伴う。
 そもそもミラビリスは、見ず知らずの彼らのためにそこまでできる自信はなかった。人を助けるはずの医療魔術師の癖にこんなことを考えてしまう自分に、ミラビリスはカストールに気づかれないように心の中だけで自嘲した。
 しばらく無言で寄り添っていた二人。パーウォーもウィルもそんな二人に声をかけるのをためらい、そっとしておいた。……のだが、

「やっぱり二人は半身なんだねぇ。いいなぁ……僕も早くいちゃいちゃできる半身、見つけたいなぁ」

 一人だけ、まったく空気を読まない者がいた。

「ちょっ、ルークスちゃん! アンタ……そういうとこ、ほんと父親そっくりよね」

 ルークスの余計な一言で我に返ったミラビリス。彼女がぎこちなく顔を動かすと、そこには満面の笑みのルークスと苦笑いのパーウォー、そしてやれやれといった風に肩をすくめるウィル。
 状況に気が付いたミラビリスは一気に顔が熱くなるのを感じ、動揺から思わずカストールを突き飛ばしてしまった。とはいえ非力なミラビリスでは、カストールを少し揺らすことしかできていなかったが。

「もう少し肩を貸していて欲しかったんだけどな。私の愛しの半身は照れ屋さんだね」
「照れてない! うるさい!!」
「そんな耳まで真っ赤にして言われても、かわいいだけだよ。いやぁ、こうしてミラビリスに男として意識してもらえると、なんというか……ものすごく嬉しいよ」

 にやりと、少しだけ意地悪そうに笑ったカストールにミラビリスが嫌そうな顔を返す。そんな二人のやりとりを見守っていた三人からも、思わずといった笑いがこぼれた。
 
「もう! それよりも今のこの状況のことを教えて!!」

 半ば自棄やけぎみに言い放ったミラビリス。それにカストールとパーウォーがうなずいた。

「その話はとりあえず、ルークスちゃんを海へ帰してからにしましょうか。ちょっとだけ待っててね」
「えー! なんかよくわかんないけど、僕も聞きたいよ!!」
「あとで教えてあげるわよ。とりあえず今は、両親に無事だったことを知らせてあげなさい。マーレちゃんもリリィも、すごく心配してたのよ」
「……わかった。ごめん」

 しばらくすると、ルークスを海へと帰してきたパーウォーが戻ってきた。彼は使い魔にお茶を用意させると、ミラビリスとカストールを長椅子ソファへと座らた。そして、自らも向かいの長椅子に腰を下ろす。

「さて、と。何から話せば――」
「テオフラストゥスって何者なんですか? あとあの人が持っていった硝子の棺の中の人、それにカストールが言ってた契約とか代償とか、それから……」

 ミラビリスは待ちきれないとばかりにパーウォーに次々と質問を投げかけた。その勢いにパーウォーは困ったように笑うと、人差し指を差し出し、ミラビリスの口をそっとおさえる。

「欲張りさんね。でも待って、順番に説明するから」
「私一人だけ何も知らないみたいで。それに……」
「慌てないの。ねえ、それよりもワタシたち、お互い自己紹介もまだでしょう?」

 パーウォーの言葉に小さく「あ……」と声をもらすと、ミラビリスは少しだけきまり悪そうに笑ってから改めて自己紹介した。それに続き皆も名乗り、ようやく場が落ち着く。

「じゃあ、順番に説明するわね。まずはそうねぇ……ワタシとカストールちゃんとの契約から説明しましょうか」

 語られたパーウォーとカストールの出会いは、ルークスが人間に捕まったことに端を発していた。
 とある人間の少女に恋をしたルークス。彼は少女に会いたいがために、必要以上に人間の集落へと近づいてしまった。少女は彼を好意的に受け入れてくれたものの、集落の者たちはそうではなかった。人魚でも人でも石人でもないルークスの姿は、人間に恐れを抱かせるには十分過ぎて。少女を守るためという名目で、彼は村人たちに魔導研究所へと売られてしまったのだ。

 それに気づいたルークスの両親、マーレとリーリウム。彼らは慌ててパーウォーのもとへと助けを求めに飛び込んできた。なんでも差し出すから息子を助けてくれという二人に、パーウォーは頭を抱えるばかり。過去に大きな代償を支払ってしまった二人にはもう、魔法使いに差し出せるような代償は命に関わるようなものしか残っていなかったから。かといって、パーウォーが自らの意思で助けに行くというのも難しかった。

 ルークスが囚われたのは魔導研究所でも最奥、魔法使いであるパーウォーでも解くことの出来ない防壁が張られたいわくつきの場所――錬金術師テオフラストゥスの研究室。炎や氷のような直接的な攻撃魔法というものが一切使えないパーウォーには、空間を直接つなげる手段が断たれている状況では成す術がなかった。

「でね、そんな状況で見つけたのがカストールちゃんとアナタ……ミラビリスちゃんだったの」
 
 
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