貴石奇譚

貴様二太郎

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変彩金緑石の章 ~アレキサンドライト~

 7.揺籃の錬金術師

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 長かった悪夢が終わりを告げ、ミラビリスとカストールは薄暗い研究室へと戻ってきた。

「よかった! カストールもあねさんも、突っ立ったままいきなり動かなくなっちまったからあせったぜ」

 二人の周りをゆらゆらと飛び回っていたウィルは安堵のため息をつくと、すかさず「心配させんなよな!」とカストールの頭を軽くはたいた。

「悪かったよ、ウィル。ちなみに私たちは、どれくらい意識を失っていた?」
「あ? ん~、オレ様がこの部屋を三周したくらいだな」
「そうか、ありがとう。ほとんど時間は経ってないみたいでよかった」

 あれだけ長い夢だったというのに、現実ではほとんど時間が進んでいなかったことに驚くミラビリス。そんな彼女の反応にカストールはくすりと笑うと、改めて部屋の中をぐるりと見渡した。

「さて、と。少しばかり寄り道してしまったな。目的のものを探し出したら、こんな場所とっととおさらばしよう」

 再び部屋を調べ始めたカストール。やることのないミラビリスは、改めて目の前のハイドランジアを見上げた。
 焼けただれた肌はところどころ剥がれ落ちぬるりとした肉色をのぞかせ、あんなに美しかった銀の髪はいまや見る影もない。そして先ほどは気づかなかったが、右目には青の貴石の代わりに、どろりとくすんだ蘇芳色の瞳があった。

「それが、彼の心も映したのね」

 けれど、気になることはもう一つ。

 ――途中と最後に聞こえた、子供みたいなかすかな声。あれはいったい、誰の声だったの?

 考えながら、ミラビリスはガラス管の中のハイドランジアを見上げた。しかしすでに魂のない彼女は、ミラビリスに何も答えてはくれない。

「ねえ、さっき私を呼んだのは、あなた? それとも……」

 揺蕩うハイドランジアに、無駄だと知りつつ問いかける。と、その時、少し離れた場所からカストールの声が聞こえてきた。

「きみ、名前は?」

 ミラビリスがそちらに目をやると、部屋の中のフラスコやガラス管の中に、一つだけ毛色の違うものがあった。カストールはそのガラス管の前に立ち、中の誰かに話しかけている。これ以上ここにいても仕方ないので、ミラビリスはガラス管に背を向けると、カストールの方へと向かった。

「石人……ってことは、きみはここの人じゃない?」
「当然だ。こんな場所で働くなんて、死んでもお断りだよ。で、きみの名前は?」

 一つだけ違うガラス管の中にいたのは、裸の美しい青年。筒の中の半分を満たしているのは無色透明の液体で、青年はその水面から顔だけ出した状態でミラビリスたちを見下ろしていた。
 夜空に輝く星のような銀の髪に、深い海を思わせる青の瞳。体は首より上、背中を中心に頬の辺りまで美しい空色の鱗におおわれていた。手足には水かき、そしてその足の間、股間の部分はつるりと何もなく、人間とはまったく違う構造をしていた。
 けれど、それよりもミラビリスが気になったのは、彼の中性的で美しい顔立ち。それは先ほど夢で見た、ハイドランジアの面差しとよく似ていた。偶然にも彼の右の瞳もすみれ色の貴石だったため、余計にハイドランジアと重なる。

「あなたは人魚、ではないわよね? でも、石人というわけでもなさそうだけど」

 ミラビリスの疑問に、ガラス管の中の青年が微笑んだ。

「僕の名前はルークス。石人と人魚の亜人。さあ、僕は名乗ったよ。きみたちは何者? アイツ以外は入れないはずのこの部屋に来られるだなんて、ただ者じゃないってのはわかるけど」

 ルークスと名乗った亜人の青年に、カストールが答える。

「私はカストール。見ての通り石人だ。そして彼女はミラビリス。亜人で、私の半身だ」
「私はまだ認めてないけどね」
「あ~、残念だねミラビリス。石人に執着されちゃったらね、もう諦めるしかないよ。僕の父さんもさ、母さんを手に入れるために、色々やらかしたみたいだから。諦めて受け入れちゃった方が楽だよ」

 朗らかに物騒なことを言い放ったルークスに、ミラビリスは納得できないという顔で頬を膨らませた。

「私にだって選ぶ権利はあるの! それに私の好みは、優しくて穏やかでお人好しで一途で、年上の包容力がある人だし」
「へぇ、それは初耳だ。で、ミラビリス。それはいったい、誰のこと?」

 笑顔で冷気を噴出させるカストールに、ミラビリスは顔を真っ赤に、ルークスは真っ青にした。

「だ、誰だっていいでしょ! カストールには関係ないし」
「もしかして、トートってやつ?」

 さらに頬を赤く染め口ごもってしまったミラビリスに、カストールの笑顔がますます冷気を帯びていく。

痴話喧嘩ちわげんかならあとで、僕のいないところで思う存分やって! それより今は僕を助けてよ!!」

 真っ赤に茹だったミラビリスの隣で氷の笑顔を浮かべていたカストールだったが、彼は一つ咳ばらいをするとルークスへと向きなおった。

「ルークス、きみは陸でも活動できる?」
「いちおう。あまり長時間は無理だけどね。あと乾燥したところもちょっと苦手」
「了解だ。ではこの忌々しいガラス管を壊すから、少しだけ端に寄っていてくれ」

 ルークスがガラス面にへばりついたのを確認すると、カストールは反対の側面に向けて氷柱つららを突き立てた。すると瞬く間に蜘蛛の巣のようなヒビがガラス管全体に広がり、直後砕け散った。

「助かったよ、ありがとう。おかにかわいい娘がいてさ、その子のところに通ってたらうっかりヘマしてこのザマだよ。いやぁ、参ったね」

 あははと笑いながら、間抜けな理由を語るルークス。そんな彼の緊張感と危機感のなさに、ミラビリスとカストールは苦笑いするしかない。

「まあ、きみが捕まってくれたおかげで、私は半身を見つけることが出来たんだけどね。お互い結果さえよければいいさ。ミラビリスの想い人のことは……まあ、あとでじっくり追求するとして。さあ、行こう。あとはアイツにきみを引き渡せば、私の代償の支払いは終了だ。と、その前に……」

 カストールの両手に集まる大きな魔力。それを感じとったミラビリスが、ぎょっとした顔を彼に向けた。

「最初に言っただろう? こんなところ、全部灰にしていこうって」
「あれ、本気だったの?」

 呆れかえるミラビリスに、カストールは少しだけ眉を下げたなんとも言いがたい笑みを返した。

「きみとの未来を邪魔されたくないからね。……それにさ、こんな姿にされた同胞やその犠牲者たちをこのままにしていくのもしのびないというか、ね」

 言われて、ミラビリスは改めて部屋の中を見渡した。フラスコの中の彼らは一様に生気がなく、その体の大半はすでに石と化していて……もう助からないであろうことは、医療魔術師であるミラビリスにはわかってしまった。どうにもできない己の力不足にやるせない気持ちがわきあがるが、それは一歩間違えば傲慢ごうまんとなる。どうにもできない目の前の現実を受け入れようとミラビリスがもう一度部屋を見渡したその時、部屋の出入口を大きな影がさえぎった。

「なぜ、結界が消えている?」

 低い男の声にミラビリスとカストール、そしてルークスの視線が一斉に出入口へと向けられた。そこにいたのは、大きな影。形状からして、明らかに人ではない何かの影。
 圧縮された空気の抜けるような音と硬い金属のこすれる音が止まると、それの後ろから玉蜀黍とうもろこし色のくせ毛を後ろで一つに束ねた青年が姿を現した。

「……お前の仕業か」

 青年は琥珀色の瞳でミラビリスを一瞥いちべつした。一瞬だけ眉をひそめたが、それだけ。すぐに興味を失ったようで、彼は部屋へ入るなり、フラスコやガラス管を開放して回り始めた。その温もりや感情を感じさせない機械的な青年のふるまいに、ミラビリスはどことなく不安というか怖さを覚える。

 フラスコやガラス管疑似子宮から産みおとされた不完全な人造石人やホムンクルス。部屋は彼らの絶叫産声、そして石化した体が砕け散る甲高い破砕はさい音で隙間なく塗りつぶされる。けれど青年はそれらをまったく意に介すことなく、黙々と表情一つ変えずフラスコとガラス管を開けていった。

「あなたが揺籃ようらんの錬金術師、テオフラストゥス……なのか?」

 カストールの問いに、一瞬だけ青年が作業の手を止めた。けれど彼はそれ以上反応することなく、すぐにまた作業へと戻ってしまう。

「無視、か。つれないね」

 カストールの軽口も完全に無視し、青年はミラビリスたちをいないものとして作業を続けていた。そんな彼の周りでは、砕け散る人造石人やホムンクルスのかけらを大きな影――鉄と油で出来た人形ゴーレム――たちが忙しなく回収してまわっていた。
 しばらくすると青年は部屋の最奥、ハイドランジアのガラス管の前にたどり着いた。他と同じように彼女も開放するのかと思いきや、彼はそれをあっさり無視して後ろへと回り込む。そして巧妙に隠されていた扉を開けると鉄人形を二体、中へと送り込んだ。

「ねえ、あの人私たちには一切興味ないみたいだから、今ならあの子連れて逃げられるんじゃない?」

 ミラビリスの提案に、カストールは少しだけ眉を下げて困り顔を返す。

「それはそうなんだが……ほら、この施設をこのまま放置するというのはちょっと、ね。かといって、きみの目の前で彼ごと燃やすわけにもいかないだろう?」

 わざとおどけた風を装うカストール。彼にそんな態度を取らせてしまった己の浅慮さに、ミラビリスは自己嫌悪からうつむく。同族のひどい姿を見て彼がどんな思いをしていたか、先ほど目の前で見ていたというのに、そんな簡単なことに思い至らなかった己の軽率さに唇をかみながら。

「ごめんなさい」
「気にしないでくれ。それにね、彼の動向も気になるんだ。出入口は全部塞いでいたはずなのにどうやってここへ来たのかとか、自分の研究室が荒らされているというのに全く気にしていない理由だとか、こんな状況の中、わざわざ何を取りに来たのか、とかね」

 カストールの疑問を聞いて、ミラビリスも青年へと視線を移す。確かに、彼の行動には不審な点が多々あった。こんな状況だというのに、彼は表情一つ動かすことなく鉄人形たちに指示をとばしている。ミラビリスやカストールという侵入者がいるにも関わらず、それをまったく意に介さないというのは、普通に考えるとおかしすぎるのだ。

「あの人……さっきからずっと無表情。まるで感情がないみたい」
「私たちなど、いてもいなくても同じということか。自分の研究室を荒らした侵入者に対して、ずいぶんと寛大なことだ」

 しばらくすると、先ほどの隠し部屋から鉄人形たちが出てきた。運び出されたものを確認すると青年は一言、「運べ」と指示を出す。それを受け、鉄人形たちは部屋から運び出したものを二体がかりで丁寧に運んでいく。残りの鉄人形たちはこれも青年の指示でかけら集めをやめると、運搬役の二体の邪魔にならないようにと先に部屋から出された。

 ――ミラ

 またもや頭の中に飛び込んできた声に、慌てて辺りを見渡すミラビリス。そんな彼女の目が、ある一点で止まる。

「私を呼んでたのは……あなた?」

 二体の鉄人形たちが至極大事に運ぶ美しい硝子ガラスひつぎ。中には、一人の女性が横たわっていた。
 
 
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