70 / 181
番外編3 ※ネタバレ注意
藍玉番外編 雨の歌声 後編
しおりを挟む公開日当日――
海のど真ん中、その海上に設営されたのは劇場船。とはいえそれは座席もない、本当に舞台設備だけの簡素なものだったが。
この歌劇のためにマーレは曲を作り、リーリウムはマルガリートゥムで宣伝し、パーウォーは大道具一式を用意し、マレフィキウムは舞台効果全般を請け負った。
演目は「石人と人魚姫」
それは、マーレとリーリウムの物語だった。だから当然、主演はマーレとリーリウムの二人。その他の足りない人員は、パーウォーやマレフィキウムの使い魔たちで補った。
夜のとばりがあたりを包み込み、月の光が波間でころころと踊り始めた良宵。いよいよ演目が始まる。
「うーん、あんまり人……っていうか、人魚たち来てないねぇ」
「仕方ないわ。マーレちゃんはまだ彼らに認められてないし、しかも会場は海の上だもの」
舞台裏から海を覗き見るは魔法使い二人。
「でも、心配ないわ」
「なんでそんなこと言えるのさ?」
「だって、彼らは人魚だもの」
パーウォーの答えに首をかしげるマレフィキウム。彼も半分とはいえ、人魚。けれど、パーウォーの自信の理由はさっぱりわからなかった。
「完全な人魚じゃないと理解できないってこと? 僕みたいな半分の人魚じゃだめなのかぁ」
「バカね。アンタの場合は、種族云々以前に趣味が悪いのよ」
「えー、なんかひどくない? 僕のどこが趣味悪いって言うんだよ」
「ワタシの歌を子守歌にしてたんだから、相当に趣味悪いと思うわよ。自分で言うのもなんだけど、アンタ、よくアレで寝られたわね」
「うーん、なんでだろうねぇ? でも僕、なぜかパーウォーの歌だけは好きなんだよねぇ」
へらりと笑ったマレフィキウムの言葉に、パーウォーは言葉を失う。しばらくぽかんとしていたパーウォーだったが、我に返ると、「やっぱり趣味悪いわよ、アンタ」と苦笑いした。
「バカねぇ、レフィは。いーい? アンタの母さんはワタシなんかとは比べ物にならないくらいきれいな声で、本当に素敵な歌を歌っていたのよ」
「それは何回も聞いたよ。でも僕が好きなのはパーウォーの歌なんだから、仕方ないでしょ?」
再び放たれた殺し文句に、今度こそパーウォーは絶句した。濃い化粧に隠れてはいるものの、頬は普段よりも赤くなっており、心なしか瞳も潤んでいる。彼は逃げるように慌てて舞台裏へ引っ込むと、マレフィキウムに背を向けてしゃがみこんだ。その心に浮かぶのは、幼いころの自分とエスコルチア。
「ねぇねぇ、始まったよ! って、パーウォーってば何してんの?」
「あ、アンタねぇ……! わかってるわよ!!」
月明かりの下、マーレの奏でる旋律に合わせてリーリウムが歌うのは、「月華の故郷」。マーレが奏でる物悲しい旋律に朧月のような柔らかなリーリウムの歌声が寄り添い、その姿はまさに比翼鳥。
「この歌は半身を求め故郷を旅立った石人たちを歌ったもので、『月華の故郷』というんだ」
マーレから聞こえてくるのは、かつての彼の声とほのかに似た少女の声。
声の出せないマーレの代わりに台詞を喋っているのは、今ここにはいない、パエオーニアというマレフィキウムと共に暮らしているホムンクルスの少女。彼女はマレフィキウムの指示に従い、マーレの衣装の中に忍ばせた使い魔を通じて遠く離れた場所からマーレの台詞を担当していた。
「そろそろ、かしら。……見てなさい、レフィ。すぐにわかるから」
パーウォーの言葉通り、変化はすぐに訪れた。二人の歌に引き寄せられるように、波間から一人、二人と人魚が姿を現し始めたのだ。
「なんで? だって、あれだけあの子が宣伝しても、みんな全然興味なさそうだったのに」
「人魚だから、よ。彼らを説得したいのなら、言葉じゃなくて歌ったり奏でたりした方が早いの。歌が本能に組み込まれている種族、歌の形をした災厄は伊達じゃないのよ」
「ふーん、僕は特に魅力を感じないけどなぁ。これが世間一般で言う、きれいっていう歌なのかぁ」
マレフィキウムの発言に再度頭を抱えるパーウォー。
エスコルチアの血をひいていながらのこの発言。これは半身たるもう一方の彼のせいなのか、マレフィキウムが元々生まれ持ってしまった性質なのか、はたまた育てたパーウォーのせいなのか……。
嬉しいような悲しいような、なんとも言い難い気分にパーウォーの笑顔が引きつる。
そんなやり取りやあれこれの中、劇はとうとうヘムロックとの決戦の場面にまで進んでいた。
「なぜ……なぜ、おまえが名を呼ばれるですよぅ! こんなにも愛しているのに、私はいまだ彼女の名すら知らないのに……なぜ、なぜなぜなぜなぜなぜ、なぜだ、ですよぅ!!」
いまいち緊張感がないヘムロック役のカーバンクルの台詞。だが普段演劇など見ない、ましてや歌と曲に夢中になっている今の人魚たちには、そんなものは気にならないらしい。
おかげで劇は順調に進んでいき――
「リーリウム、僕の半身。どうかずっと……死がふたりを分かつまで、一緒にいさせてください」
「マーレ、私の半身。いいわ……死がふたりを分かつまで、ずっとずっと、私を虜にしてみせてね」
最後の曲の演奏も終わり、マーレとリーリウムの物語は無事幕を下ろした。
気が付けば波間にはたくさんの人魚たちが顔を出しており、彼らはこぞってマーレたちに拍手喝采を送っていた。
※ ※ ※ ※
「まさかパーウォーさんが人魚だったなんて……あ、今はそれはいいや。で、その劇でマーレさんは人魚たちに認められたの?」
ヘルメスの問いに、パーウォーは笑顔でうなずいた。
「ええ、ばっちりよ。確かにマーレちゃんは歌えなかったけど、楽器の腕前と曲を作る才能で、人魚たちに受け入れられたわ」
「よかった! マーレさんも、リリィさんも」
大団円に喜ぶリコリス。けれど、ヘルメスにはまだ気になることがあった。先ほどまで憂いていたパーウォーのことだ。
「ねえ……マーレさんたちって、今も元気にしてるの?」
再びのヘルメスの問い。それに、今度は一瞬だけパーウォーの笑顔が寂しげに陰る。
「残念だけど……」
そして窓の向こう、いつの間にか降り出していた雨を眺めながら、パーウォーは言葉を続けた。
「五年前の今日……彼らは二人で、輪廻の輪の中に戻っていったわ」
その言葉でヘルメスは納得した。今日、どこかパーウォーの様子がおかしかったのはそのせいだったのだと。
「やだ、そんな顔しないでよ二人とも」
一気にしょぼくれてしまった少年と少女の姿を見て、パーウォーは全てを隠し通せなかった己の迂闊さに心の中で苦笑いする。
「ほら、そんな悲しそうな顔しないでちょうだい。確かにマーレちゃんたちともう会えないのは悲しいし寂しいわよ。さっきもそんな感傷に浸ってたのは事実だけど。でもね……」
そこで言葉を区切ると、パーウォーは今度こそ正真正銘の穏やかな笑みを浮かべた。
「彼らは、ちゃんと残してくれたもの」
「残した?」
「そ、残してくれたの。いわゆる、愛の結晶ってやつを」
「それって……」
ヘルメスの言葉にパーウォーがうなずく。
「ルークス、っていうの。菫色の立方晶ジルコニア の瞳にきらめく空色の鱗を持った、父親そっくりのきれいな男の子。基本的にはのんびりだけど、時々のぞく勝気な性格は母親似ね」
そう、マーレとリーリウムは生きた。次へとつなぐ小さな種もきっちり残し、最後は笑顔でその生を全うしたのだ。
パーウォーは彼らの幸せな最期を思い出し、そしてヘルメスとリコリスをみると満面の笑みを浮かべた。
「ヘルメスちゃんとリコリスちゃんも、マーレちゃんやリリィみたいに幸せになってちょうだいね! そしていつか、ワタシにかわいい子供の姿を見せてくれるのを待ってるから」
パーウォーの言葉に、ヘルメスの顔が一瞬で真っ赤に染まる。つられたように隣のリコリスの頬も赤くなり、そんな微笑ましい二人の姿にパーウォーの口元は一気にゆるんだ。
「もー、二人ともホントかわいいんだから!」
パーウォーはふっきれたように破顔すると、そのままの勢いで二人を存分に抱きしめた。
「ちょっ、突然なんだよ! 痛い、痛いから!!」
「パーウォーさん、力、強い」
腕の中の愛おしい温もりたち。いつか消えてしまうのはわかっているけれど、それでも愛さずにはいられない者たち。パーウォーはもがく二人をさらに強く抱きしめる。
――泡になって消えるのも悪くはないけど
「二人とも、楽しみにしてるわよ! あ、子供の服は任せてちょうだいね。ワタシがとびきりかわいいのを選んでア・ゲ・ル」
――ワタシの人生はまだまだ長そうだし
「気が早い! 僕とリコリスはまだそんな……だって、……スだって…………」
「私、ほしい! ヘルメスとだったら、子供、ほしい」
――もう少しだけ、期待してみようかしら
パーウォーは思いを馳せる。目の前の愛おしい者たち、過ぎ去っていった愛おしい者たち、これから出会うであろう者たち……そして、いつか出会うかもしれない運命……
「あー、早く会いたいわぁ」
「だから! 気が早い!!」
「パーウォーさんが選んでくれる服、きっと、かわいい」
――今日だけは、涙は空にお任せしちゃおうかしらね
彼の雨が止むのは、あともう少し先のお話…………
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる