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藍玉の章 ~アクアマリン~
15.玉盗人と代償
しおりを挟む「待って、本当に違うの! 今のは冗談、ただの冗談だから。だって私たち、お互いのことなんて何も知らないじゃない。まだ名乗りあっただけの、友人とも言えないような関係よ」
あたふたと言い訳を並べるリーリウムに、マーレはへらっと返した。
「だったらさ、これから知ってけばいいんじゃない? 僕はリーリウムのこと、もっと知りたい。リーリウムは?」
なんのてらいもないまっすぐなマーレの言葉に、思わずぽかんとしてしまうリーリウム。つかの間呆けていたが、一度背を伸ばすと、真剣な顔で考え始める。そして眉間にしわを寄せながら首をかしげ、一言つぶやいた。
「知り……たい、かも?」
「僕は知りたい!」
疑問形のリーリウムの答えに、朗らかに即答するマーレ。そんな彼の反応がおかしかったのか、リーリウムはついふきだしてしまった。
「マーレこそ子供みたいだわ」
「そう? だってさ、こんな気持ち初めてなんだ! すごく気分がよくてくすぐったくてふわふわして、リーリウムといると、すごくすごく幸せな気分になるんだ」
「ふふ、そこまで言われると、さすがに私もくすぐったいわ。私もマーレのこと、嫌いじゃないわよ。面白いし、きれいだし、それにとても素敵な歌声だもの!」
くすくすと楽しそうに笑いあう二人。その囁くような笑い声が途切れた瞬間、マーレは鉄格子の向こうへと、今は見えない手を伸ばした。
「きみに、触れたい。こんな邪魔なもの越しじゃなくて、青い海の中で、触れて、抱きしめて……ひとつになれたら、すごく幸せなのに」
一度自覚してしまえば、石人はもう止まらない。いや、止まれない。欠けていた心が満たされると同時に、半身に対して、本人にもどうにもできない強い執着が生まれてしまうから。出会ったが最後、石人は半身以外求めなくなる。
熱を帯びたマーレの独白に、リーリウムの頬が真朱に染まる。
「決めた。僕が必ず、きみをここから救い出してみせる」
マーレの決意に満ちた声に、リーリウムの胸には一抹の不安がわき起こった。
ここは領主の屋敷で、しかも頑丈な鉄格子がある。例えここからリーリウムを連れ出せたとしても出入り口は一つしかないし、ましてやリーリウムを抱えて逃げるなど不可能。
もう一つ出口はあるといえばあるのだが、そちらはこの潮だまりを作っている海へとつながる道。それは人間や石人のような陸で暮らす種族には通ることはできないし、なおかつそちらも海側の出口に封印が施されているのだ。
だからこそ、リーリウムにはマーレの自信に満ちた声が不安だった。
「ねえ、マーレ……あなたの気持ちはとても嬉しいわ。だけど、どうやって私をここから出すつもり? 私は人魚、陸を歩くことはできない。あなたは石人、水の道を通ることはできない」
「大丈夫。ちょっとした伝手があるんだ。だから、心配しないで」
「伝手って何? ねえ、お願いだからよく考えて。私とあなたはまだ出会ったばかり。お互い何も知らない、ほとんどただの他人なのよ。そんな他人のために、あなたが危険を冒すなんて――」
なおも言い募ろうとするリーリウムの言葉を遮ると、マーレはきっぱりと断言した。
「他人じゃないよ。きみは、僕の半身。だからどんな手を使ってでも、必ずここから助け出してみせる」
マーレの強い口調に、リーリウムは身を震わせた。石人とは何よりも半身を求め執着する種族だと知ってはいたが、まさか自分がその対象になるとは思っていなかったからだ。
「あなたは私を半身だと言うけれど、私にはわからない。だって、私は石人じゃないもの。あなたたちみたいに、本能でそれがわかるわけじゃない。そもそも半身だと感じるのは、あなたたち石人だけでしょう? 私は、あなたと恋はできるかもしれないけど……永遠を誓えるかは、正直わからない。そんな私のためにあなたが……そんなの、やっぱりだめ」
戸惑いと正直な気持ちを伝えてくるリーリウム。そこに感じられる自分への確かな気遣いが嬉しくて、マーレは思わず口もとをほころばせた。そんなふわふわした気持ちを深呼吸で落ち着かせると、マーレはもう一度はっきりと自分の気持ちを口にする。
「たとえリーリウムがやめてって言っても……僕はやるよ。これは、僕の意思。僕が自分のために、やりたいからやるんだ」
「でも、でも!」
「ごめんね、リーリウム。僕はわがままだから、自分の気持ちを優先するよ。きみがこのことで何かを負い目に感じても、僕はそれさえも利用する」
まったく引く様子のないマーレに、リーリウムはもう何も言うことができなかった。
「またね、リーリウム。必ず、迎えにくるから」
それだけ言い残すと、マーレは潮だまりの牢獄を後にした。
※ ※ ※ ※
「パーウォーさん! ねえ、僕の声が聞こえているなら返事して」
もらった孔雀石を握りしめ、マーレは人気のない岩場でパーウォーに呼びかけた。直後、目の前の空間にあの紅梅色の扉が現れ、そこから憂い顔のパーウォーが出てきた。
「マーレちゃん……残念だけどアナタのお願い、私には叶えられないわ」
「なんで!? だって、一度だけ助けてくれるっていったじゃないか!」
食ってかかるマーレを悲し気に見下ろし、パーウォーはやはり首を振った。
「やっと見つけたんだ! 足りなかった心を、それが満たされる至福を。母さんが全部を捨てていった気持ち、今ならわかる。キクータ様や領主様のどうしようもない気持ちも! これはもう、どうしようもないんだ。お願いだよ、代償は払うから……だから、僕を助けてよ」
助けてとすがりつくマーレを、パーウォーは何も言わず抱きとめた。そしてむずがる子供をなだめるように、震える背を優しくなでる。
「本当に、まるで呪いね。たった一晩でここまで変わってしまうなんて……自覚して認めてしまったら最後、なんて難儀な種族なのかしら」
「僕も知らなかったんだ……まさかここまでだったなんて。でも、もう戻れない。僕はリーリウムがいないと、きっと、狂ってしまう」
いつでも飄々としていて、悩みなどと無縁だったマーレ。その顔は今や見る影なく、苦悩と焦燥に苛まれていた。
「代償なら払うから……だから、リーリウムを助け出す力を、ください。そして僕を……人魚に、して」
震える声を絞りだし、懇願するマーレ。そんな彼に、パーウォーは静かに首を振る。
「ワタシには出来ない。だって、それをワタシに願ってしまったら……アナタ、代償で死ぬわよ」
「いいよ。それでもいいか――」
マーレが最後まで言う前に、その脳天にパーウォーのごつい拳骨が落とされた。そして彼はその美しいが濃すぎる化粧の施された顔を怒りに染め、「この、おバカ!」とマーレに雷を落とした。
「そんな簡単に命を投げ出すんじゃないわよ! アンタ、わかってんの!? もしアンタが死んじゃったらその子、心に一生消えない傷を負うのよ」
「いいよ。それでリーリウムが僕に囚われてくれるな――」
「このおバカ! それに、アンタ言ってたじゃない。一緒に生きたいって。もしアンタが死んじゃったら、あの子はまたいつか、別の誰かに恋をするかもしれない。あの子は石人じゃないもの。忘れて、別の誰かを選べる。そうしたらマーレちゃんは、あの子の思い出の一つになるだけよ」
パーウォーの示した残酷な仮の未来に、マーレの顔から血の気が引く。
「やだ……そんなの、やだ!」
「だったら生きなさい! そんな簡単に自分の命を捨てるなんて言わないで、欲しいもののためにみっともなくもがいて、生きて手に入れてみせなさい」
「でも……じゃあ、どうしたら」
眉を八の字にしたマーレから情けない声がもれた。これまで加護の力もあって、流されるがまま生きてきたマーレ。初めて直面した困難に、彼はまるで子供のような反応しか返せなくて。
「だから言ったでしょ。ワタシにはって」
だから、お節介な魔法使いは導く。迷える旅人を、星のように。
「わたし、には?」
「そう、ワタシには。魔法使いっていっても、それぞれ得手不得手ってもんがあるの。確かにワタシは比較的何でもできるから、やってやれないことはないわよ。でもね、得意じゃないことをやろうとすれば、得意な人よりも大きな代償を必要とするの」
パーウォーの言葉に、マーレは眉間にしわを寄せながら首をかしげる。
「それって、得意な人に頼めば代償は軽くなる……ってこと?」
「そ。マーレちゃんは、もう知ってるでしょ、そういうのが得意な、もう一人の魔法使い」
マーレの知っている魔法使いは二人。パーウォーと……
「サンディークスさん! そっか、あの人なら人魚になる薬、作れるんだ」
希望に顔を輝かせるマーレ。けれど、そんな彼とは対照的に顔を曇らせるパーウォー。
「ええ、アイツの専門は調薬。だからそういうのは、ワタシよりアイツの方が断然得意よ。でもね、おそらく……それでも代償は、やっぱりそれなりのものになると思う」
「いいよ! 生きて、リーリウムと死ぬまで一緒にいられるなら!!」
即答するマーレに、思わず頭を抱えるパーウォー。今までのマーレとのやり取りでわかっていたとはいえ、あまりにも先を考えない刹那的な思考に大きなため息がこぼれる。
「ああ、もう! こんなことになるんだったら、余計なお節介なんてするんじゃなかったわ。石人の半身への執着をなめてたってのもあるけど……まさか、こんなややこしいことになるなんて」
「僕はとっても感謝してるよ! だって、パーウォーさんと会えなかったら、リーリウムとも会えなかった。僕はきっと一生、この苦しい気持ちも満たされた気持ちも知ることはなかったんだから」
「ワタシは後悔してんのよ! ちょっと懐かしさから余計なことしちゃって、その結果がこれじゃあ……ああ、もう! こうなったらムカつくから、サンディークスもがっつり巻き込んでやるわ。そんでもってマーレちゃんたちには、コルたちの分まで絶対に幸せになってもらうんだから」
半ばやけくそ、ほぼ私情の贖罪という名の代償行動から、パーウォーはマーレの願いを叶えることを胸に誓った。
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