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藍玉の章 ~アクアマリン~
3.招待
しおりを挟む「わかったわ! マーレちゃん、ワタシに任せなさい。アナタの足りない心を見つける手伝い、ワタシも協力してあげる」
パーウォーは逞しい胸をどんと叩くと、呆気にとられるマーレを差し置き鼻息荒く宣言した。そして彼が指を鳴らすと、どこからともなくその手の中に霧に浮かぶ湖のような石が現れた。
「青色月長石?」
「ご名答、さすがは石人ね。ほら、今夜は丁度おあつらえ向きの満月でしょう?」
パーウォーの視線の先、透かし模様の線帯の窓掛けの向こうに丸い大きな月が見える。マーレは吸い寄せられるようにふらふらと窓に近づくと、目を閉じ月の光を浴び始めた。
「これでお腹いっぱいになれるー。しばらく水だけでも生きていけるー」
嬉しそうに食事を堪能するマーレの隣に来たパーウォーは、持っていた青色月長石を唐突に自分の口の中へと放り込んだ。
「魔法使いって石が食事なの!?」
慌てて自分の左目を隠して飛び退くマーレ。けれどパーウォーはそんなマーレを無視して、月の光をめいっぱい浴びられるように窓から身を乗り出し、目を閉じた。
微動だにしないパーウォー。マーレはその横顔をおそるおそる覗き見る。とその時、ばさっと音がしそうな勢いでパーウォーが目を開けた。
そして素早く石を口から出すと、マーレをまじまじと見つめてきた。
「僕の目は、おおお、おいしくないから!」
しりもちをつき、ぶんぶんと首を振りながら後退るマーレ。パーウォーはそんなマーレの震える肩をがっと掴むと、ずいっと目と鼻の先まで顔を近づけてきた。
食い入るようにマーレの顔を凝視するパーウォー。その顔は出会ってから一番真剣なもので、マーレは目の前の鬼気迫る濃い顔に思わず口をつぐむ。
少しの沈黙、のち、パーウォーは口を開いた。
「マーレちゃん。半身のこと…………知りたい?」
――半身
その言葉に、マーレは即座に反応した。
「僕の半身のこと、何か知ってるの? だったら教えて! 会って、確かめてみたいんだ。半身の存在がどんなものなのか、それが本当に僕を満たしてくれるものなのかを」
逃げ腰一転、パーウォーを押し倒す勢いで迫るマーレ。そんなマーレにパーウォーは眉間に皺をよせると、ものすごく嫌そうな顔でぼそりと一言つぶいた。
「…………人魚」
「人魚?」
「そう、人魚。あなたの半身、おそらく人魚よ」
「人魚……人魚、かぁ…………。どうしよう。僕、水の中で息できないなぁ」
困り顔で斜め上の心配をし始めたマーレを無視し、パーウォーは難しい顔のまま話を続ける。
「あとね、魔法使い。おそらく関わってくるわ」
「パーウォーさんじゃなくて?」
「ワタシだけだったらよかったんだけど……厄介なヤツが見えちゃったのよ」
苦虫を噛み潰したような顔のパーウォーに、さっぱり事情がわからないマーレは首を傾げる。するとパーウォーは大きなため息を吐き出し、そして諦めたようにその名を口にした。
「……朱の魔法使い、サンディークス」
「朱の魔法使い?」とおうむ返しするマーレに、パーウォーは眉間のしわをさらに深くしながら説明を始めた。
――朱の魔法使い、サンディークス。
調薬を得意とする、アカハライモリの獣人の魔法使い。パーウォーが物心ついた時には彼はすでに成人していて、魔法使いとして様々な依頼を受けていた。
代償さえ支払えば依頼者が善人だろうが悪人だろうが問わず、魔法使いとしてすべからくその願いを叶える。誰に対しても平等で、そして容赦ない。それが朱の魔法使い。
そこまで説明すると、パーウォーは一瞬だけ切なげに瞳を揺らした。
「パーウォーさん?」
「ああ、ごめんなさい。ちょっとね……サンディークスとは色々あったから」
「その人、ひどい人なの?」
マーレの問いにパーウォーは静かに首を振る。
「魔法使いとしては、アイツはどこまでも真っ当よ。依頼者には最初に代償のことも説明するし、支払いさえすればそれにみあった願いも叶える。ええ、彼は悪くない。だって、それでもと望んだのは依頼者たちだもの。そんなことはわかってるの、でも……」
パーウォーは自嘲するように笑むと力なく首を振り、何かをこらえるようにうつむいた。けれどそれはほんの一瞬で、すぐにいつもの調子に戻ると、ずいっと人差し指をマーレの鼻先に突きつけた。
「とにかく! 朱の魔法使いには絶対に関わっちゃダメ。アイツに関わったが最後、マーレちゃんは大切なものを失う」
目の前に迫る濃い顔の迫力に気圧され、マーレはこくこくと頷く。
「なんかよくわかんないけど、わかった。とにかく、無茶はしないようにする」
マーレの答えにいちおうは納得したのか、パーウォーは鼻を鳴らすと立ち上がった。そしてマーレを見下ろすと、ついでのように告げる。
「ああ、それとアナタの半身、そっちにはじき会えるわよ。……色々思うところはあるでしょうけど、まずは我慢なさい」
パーウォーの言葉にマーレは興奮で頬を上気させ、ぶんぶんと音がしそうな勢いでうなずいた。けれどパーウォーはそんなマーレの様子に顔を曇らせると、それきり黙り込んでしまう。
様子のおかしいパーウォーに気づいたマーレはすぐに声をかけてみたが、彼は物憂げな視線をよこすだけで、「今夜はここに泊っていきなさい」とだけ残して部屋を出て行ってしまった。
翌朝、マーレはパーウォーに送られカエルラに戻ってきた。
じき、半身に会える――そのことが気になって気になって、マーレは朝からずっとそわそわし通しだった。昨日のならず者たちのこともあり今日は歌う気にはなれなかったので、外套の頭巾を深くかぶると広場の端の方で一人、噴水をぼうっと眺めていた。
半身――パーウォーは人魚だと言っていたが、いったいどんな人なのだろうか?
マーレはあれやこれやと想像してはにやけたり青ざめたり笑ったり、一人で百面相に勤しんでいた。と、その時、マーレの視界を不意に影がおおう。
「今、下町で評判だという石妖精の吟遊詩人というのは、おまえか?」
頭上から投げかけられたやたらと偉そうな声にマーレが顔を上げると、そこには人間の男が二人立っていた。揃いの服をきっちりと着こなし、いかにも真面目そうな男たちだ。
そんなお役人然といった男たち、根無し草の、それも石人のマーレには当然覚えなどあるはずもなく……。不思議そうに首をかしげたマーレに男たちはもう一度、「石妖精の吟遊詩人というのは、おまえか?」と問いかけた。
こんなところですぐわかる嘘をついても仕方ないので、マーレは素直にうなずく。すると男たちは顔を見合わせ何かを確認するとマーレを見下ろし、「領主さまがお前の歌をご所望だ」と事務的に告げた。
そして今、マーレは海辺の崖近くに建てられた一軒の屋敷の前に立っていた。
白い漆喰の壁にオレンジの素焼きの瓦、そして鮮やかな青で彩られた窓枠には色とりどりの花が飾られている。
男たちに連れられ屋敷に足を踏み入れたその瞬間、マーレの鼓動が跳ね上がった。驚き、思わずあたりを見回すが、特に変わったところはない。突然挙動不審になったマーレに、男たちは訝しむような視線を向ける。
「あ、すみません。なんか急にドキドキしてきちゃって」
へらりと笑うマーレを男たちは冷たく一瞥すると、無言で応接室まで案内する。そして一人を部屋に残し、もう一人は領主を呼びに出て行った。
しばらくすると使用人の少女がお茶を持ってきてくれたが、石人であるマーレは基本的に水以外は飲めない。けれどせっかく持ってきてくれたものだからと、マーレは香りだけ味わうことにした。目を閉じ、ふわりと鼻腔をくすぐる花の香りを楽しんでいると、応接室の扉が開かれる音がして。
扉から入ってきたのは、ゆるりと波打つ茶色に近い金髪を撫でつけ後ろで一つ結びにした優男、そして栗色の豊かな巻き毛をハーフアップにした少女だった。
「やあ、初めまして。カエルラの領主をさせてもらっている、ヘムロック・マクラトゥムだ。きみが今、町で話題の石人の吟遊詩人くんだよね?」
にこにこと、人好きしそうな笑顔で手を差し出したヘムロック。マーレはその手を握り返すと、偉い人間なのに気さくな人だなぁ、と目の前で微笑むヘムロックに好印象を抱いた。
次いでヘムロックの隣にいた少女が、マーレに向かって綺麗なお辞儀をする。
「そちらの都合もきかず、突然御呼びたてしてしまってごめんなさい。私はキクータ・ウィーローサと申します。ふふ、けれどあと少しで、キクータ・マクラトゥムになるのですけどね」
「ああ、貴女はマクラトゥム様の半身なんですね」
「はんしん?」
キクータは不思議そうな顔でマーレに聞き返した。
「あ、そっか。えーと、人間たちの言葉だと伴侶? いや、運命の人……かな?」
「まあ、素敵! そうね、ヘムロック様は私の運命の人よ。子供の頃から、ずっとお慕いしてきたのだもの」
ぱっと顔を輝かせ、ヘムロックへの思慕を素直に語るキクータ。その恋するキラキラとした笑顔に、マーレはキクータにも好印象を抱いた。
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