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蒸着水晶の章 ~オーラクリスタル~
10.約束
しおりを挟むリコリスが地下に下りると、作業中だったヘルメスが顔を上げ振り返った。
「うわぁ! すっごい似合ってるよ、リコリス。すっごくかわいい!」
なんのてらいもなく満面の笑みでまっすぐ褒めてくるヘルメスに、リコリスは思わず頬を真っ赤にしてうつむいてしまった。そしてなんとか絞り出した小さな声で、「ありがとう」と返した。
そんなリコリスの様子に、不思議顔で小首をかしげるヘルメス。
生まれてから十七年、一度も恋をしたことがなかった少年に乙女心の機微などわかるはずもなく……。鈍感少年は再びしゃがみこむと、「これだけやったら出発だから」と目の前の機械をいじり始めてしまった。
手持無沙汰になってしまったリコリスは、初めて入った部屋の中をなんとはなしに眺める。よくわからない機械類、無造作に積まれた木箱、床には何かの入った袋類や散らばった紙……。一言でいえば、汚い。
密かにリコリスが呆れていると、「できた!」とヘルメスが立ち上がった。ヘルメスは壁に駆け寄ると掛けてあった保護眼鏡と頭巾付き外套を取り、リコリスに渡した。
「さ、乗って乗って。僕の愛車、メギストス三号だよ」
そう言ってヘルメスが誇らしげに跨ったのは、ピカピカに磨かれた真っ赤な自動二輪車だった。
ヘルメス自慢のメギストス三号は、機工都市クレピタークルムから取り寄せた精霊式自動二輪車だ。精霊式は普通の自動二輪車よりはるかに燃費がいいのだが、精霊を扱える者しか乗れないという扱いにくさから生産台数はごく少数、一部の好事家か変わり者しか注文しない代物だ。動かせる者に至っては、精霊師や精霊錬金術師などの、精霊と通じている者くらいしかいない。
そんな精霊式自動二輪車は、原動機の部分に精霊が入り、貴石燃料を消費して走る。各精霊により好みがあるので、貴石燃料の種類は実に様々。ちなみにメギストス三号にはザラマンデルが入るが、彼が好むのは赤い柘榴石である。
貴石燃料とは、魔術師が貴石に魔力を込めたものだ。しかし、その全てを天然石で賄っていては、種類にもよるが非常に懐が痛い。資源も無限ではない。なので、一般的に燃料には錬金術師たちの作り出す合成宝石が用いられる。天然ものに比べて燃費はだいぶ落ちるが、それでも機械式よりはるかに走る。当然、ヘルメスが使っているのも合成宝石だ。
リコリスは初めて見る自動二輪車が興味深いのか、不思議そうに眺めていた。
「自動二輪車っていうんだ。えーと、機械で出来た馬みたいなもの……かな?」
「馬? これが、馬?」
「あー、見た目は似てないけど、こいつも馬みたいに人や荷物を乗せて走ってくれるんだ」
ヘルメスの答えに一応納得したのか、リコリスは恐る恐るといったていで積み荷とヘルメスの間に跨る。
「ここが見つかるのも時間の問題だし、じゃ、行くよ!」
ヘルメスが手元や足下で操作をすると、メギストス三号は地鳴りのような音を出し振動し始める。その音に後ろからびくりとした気配が伝わってきて、ヘルメスは思わず笑ってしまった。
「大丈夫だよ、リコリス。でも、振り落とされないようにしっかりつかまっててね」
リコリスは返事の代わりに、ヘルメスの腹に回した腕に力を込めた。それを確認したヘルメスはシルフを呼び出すと、鎧戸を開けてもらう。そして手元の加速装置を回すと、ゆるゆると発進させた。
ヘルメスの家兼工房は下町の入り組んだ路地の奥、町外れにある。玄関は町へと続く路地に面しているが、車庫の出口は反対側、荷物の搬入などがしやすいように町の外へと面していた。
鎧戸に施錠し再びメギストス三号に跨ったヘルメスは、振り返ると名残惜し気に自宅を眺めた。そして、小さな声で一言。
「いってきます、トート」
そのヘルメスのつぶやきに、リコリスは自分がヘルメスにしてしまったことの重大性を今更ながら思い知った。
「……ごめん。ごめんなさい、ヘルメス」
本来ならヘルメスは、きっと今もこの町で穏やかに暮らしていたはずだったのだ。それを自分が奪ってしまった。「連れてって」なんて、どうしてあのとき言ってしまったのか。リコリスの心に後悔の影が差す。
リコリスはヘルメスの背に額をつけ、小さな声で謝った。
「え? なんで謝るの?」
心底不思議そうな顔で振り返ったヘルメスに、リコリスは考えたことをそのまま伝えた。そして再度、助けを求めてしまってごめんなさい、と謝った。
そんなリコリスにヘルメスは苦笑いを浮かべると、腹に回された自分よりも小さくて真っ白な手に自分の手をそっと重ねた。
「言ったでしょ、決めたのは僕だって。だからそこは、『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』って言ってほしいな。僕はリコリスに罪悪感じゃなくて、幸福感を感じてほしいんだ。で、その幸福感を自分が引き出せたんだとしたら、僕はすごく嬉しくなる。ね、だから顔上げて。僕は、リコリスには笑っててほしい」
重ねられたヘルメスの手と言葉の温かさに、リコリスの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「ごめ……ううん、ありがとう。助けてくれて、ありがとう」
「うん、どういたしまして。じゃ、今度こそ行こうか」
田舎であるアルブスでは、自動二輪車はとても珍しく目立つ。だからヘルメスは人の往来の多い街道を避け、荒野を進んでいた。なお、旅路は順調で、すぐにかかると思っていた追手の影もなく、むしろ順調すぎるのが不安に感じるほどだった。
町を出てから約半日。そろそろ日も暮れてきたため、ヘルメスは大きな木の下にメギストス三号を停めた。そしてリコリスを降ろすと、手際よく野宿の用意を始めた。
「ヘルメス、わたしも、手伝う」
「大丈夫だって。僕に任せといて。それにリコリス、慣れないことの連続で疲れてるでしょ? 足、がくがくしてるよ」
ヘルメスは笑いながらザラマンデルで火をおこし、手持ちの材料で手早く夕食を作っていく。その手馴れた様子に、自分が手伝ったらかえって邪魔だろうと思い直し、リコリスは大人しくヘルメスの厚意に甘えることにした。
小さな鍋からおいしそうな匂いが立ち上るころにはすっかりテントも張り終わっていて、リコリスはヘルメスの生活力の高さにただただ感心していた。そして反対に何も出来ない自分が情けなく、リコリスはついそのまま思ったことを口に出してしまった。
「わたし……何も、出来ない」
「これから覚えていけばいいんだよ。僕が教えられることは教えてあげる。だからさ、これから一緒に頑張ろ」
「一緒? 本当? ヘルメス、ずっと一緒にいてくれる?」
「リコリスが嫌じゃなければ、僕はずっと一緒にいさせてほしいな。だってほら、リコリスはやっと出会えた僕の半身だもん」
嬉しそうに、本当に幸せそうに目を細め笑うヘルメス。そんなヘルメスに、リコリスは不安そうな顔で遠慮がちに右手の小指を差し出した。
「約束、して。わたし、頑張る。いろんなこと、覚える。いつか、ヘルメスの役、立つ。だから、これからも……一緒に、いて。いなく、ならない……で」
まるで迷子の子供のように不安そうな顔で言葉を絞りだすリコリスに、ヘルメスは胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
――だって! 僕、今のままじゃトートに迷惑しかかけてない。与えられるだけで、僕は何も……
――僕は、偽物の何の役にも立たない子供だ! だから、なんでもいいから価値が欲しかった。
過去、自分がトートに抱いていた気持ち。力がないために、大好きな人に何もしてあげられないもどかしさ。与えられるだけで何も返せない、足手まといな自分への絶望。
今のリコリスは、昔のヘルメスそっくりで。そう悟った瞬間、ヘルメスはあの時トートが怒った気持ちがようやく本当に理解できた。
だからヘルメスは右手の小指を、リコリスの小指にそっと絡ませた。
「約束、するよ。ずっと、ずっと一緒にいよう。でもね、一つだけ言わせて」
ほっとした顔で首をかしげるリコリスを、ヘルメスは真剣な顔で見つめる。
「役に立つとか立たないとか、そんなの関係ない。僕はただ、リコリスと一緒にいたいだけ。だから、変に気負わないで。これから一緒に、ちょっとずつ出来ることを増やしていこう? 僕はね、リコリスと一緒にいるだけで楽しいし、すごく幸せだよ」
「でも! だって、わたし……ヘルメスに、何もあげられ、ない」
まだ言い募ろうとするリコリスに、ヘルメスは苦笑いを浮かべながら首を横に振った。そして再び真顔になると、リコリスをまっすぐ見る。
「十分もらってるよ。言ったでしょ? リコリスが一緒にいてくれるのが僕の幸せ。贅沢言えば、僕のこと男として意識して、なおかつ好きになってもらえればさらに幸せ、かな」
そう、はにかんだヘルメスを見た瞬間、リコリスの心臓は今までになく暴れ始めた。しかもどくどく、どくどくと身体中に血液を送り出すと共に熱も送っているらしく、リコリスは急に暑くてたまらなくなってきた。特に顔が火照っていて、ヘルメスを見ていると、どんどんと熱が上がってくるような気がしていたたまれなくなってくる。リコリスは思わず右手を振り払い、ヘルメスに背を向けて顔を両手でおおうとしゃがみこんでしまった。
「え!? な、何で? リコリス、僕、何か気に障るようなこと言っちゃった?」
突然手を振り払われ背を向けられてしまったヘルメスはうろたえ、おろおろとリコリスの顔をのぞきこもうと周りをうろつく。
けれどリコリスの方はそれどころではなく、初めて経験する激しい動悸や羞恥に悶えていた。けれど結局どうしてよいかわからず、リコリスはわからないまま、すがるようにヘルメスを見上げた。
すると、今度はヘルメスが固まってしまった。
好意を寄せている女の子が、真っ赤な困り顔と潤んだ瞳で見上げてくるのだ。なんとも言えない気持ちがわいてきて、ヘルメスもどうしたらよいのかわからなくなって、結果固まってしまった。
そんな二人の金縛りを破ったのは、すぐ近くから漂ってきた焦げた匂い。
「あー! 鍋、焦げてる!!」
大慌てで鍋を火からおろすヘルメスを見て、いつもの雰囲気に戻ったことにリコリスは安堵のため息をもらした。そしてまだドキドキする胸に手を当て、ちらりとヘルメスを盗み見る。
一番最初、出会った時はただただ驚いた。
助けに来てくれた時、あの時は純粋に嬉しかった。
半身だと言われた時、あの時はよくわからなった。
そして今……
リコリスはヘルメスに対する自分の気持ちが、今、完全にわからなくなっていた。少し前までは手をつなぐのも抱きしめるのも恥ずかしいなど思わなかったのに、今は一度意識してしまうと心臓が暴れだす。そわそわとして落ち着かなくなる。でも、ヘルメスと一緒にいるのは嫌ではない。むしろ一緒にいたい。
そんな自分の支離滅裂な気持ちに、初めて経験する感情に、リコリスはひたすら戸惑っていた。
一方ヘルメスの方といえば、こちらもまた戸惑っていた。
リコリスの雰囲気が突然変わったように感じて、ヘルメスはどう対応していいかわからなくなっていた。今まではヘルメスの言葉にぽかんとしたり不思議そうな顔をすることが多かったリコリスが、なぜか急に恥じらいを見せ始めたのだ。おかげでつられてヘルメスまで恥ずかしくなってきてしまい、よくわからないいたたまれなさに苛まれる。
隣に座るリコリスをちらりと盗み見た瞬間、ばっちりと目が合ってしまい、ヘルメスは再び固まった。
「えーと…………あっ、ちょっと焦げちゃったけど、夕飯、食べようか」
妙に上ずった声が出てしまい、ヘルメスはそんな自分にますます焦る。リコリスはリコリスでそれどころではないようで、壊れたおもちゃのようにぶんぶんとうなずいていた。
お互い意識しすぎてどうしていいかわからず、ただ無言で食べ物を口に運ぶ。時折ちらちらと互いを見やっては、またうつむく。それを何回か繰り返した後、ヘルメスは意を決してスプーンを置いた。
「リコリ――」
ヘルメスの呼びかけを、シルフとグノームの険しい声が遮った。
「ヘルメス、誰かこっちに来る!」
「足音からして騎馬の男が八人、それに機械の乗り物が一台じゃろう」
このあたりで騎馬隊や車を持てるほど財力がある、そしてヘルメスたちに用がある者ときたならば……。それはほぼ間違いなく、アワリティアの私兵とクルーデーリスだろう。
「あとどれくらいで来る?」
「そうじゃな……あと十分てとこかの」
ヘルメスの問いにグノームが答えた。それを聞いたヘルメスはすぐさま火を消しリコリスの手を取ると、メギストス三号のエンジンをかけた。
「ちょっと飛ばすから、しっかりつかまっててね」
そしてヘルメスとリコリスは、真っ暗な夜の荒野に飛び出した。
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