11 / 181
黒玉の章 ~ジェット~
10.若きミオソティスの悩み
しおりを挟む屋敷に帰ってきたミオソティスは、心配そうなアルビジアに断りを入れると、そのまま自分の部屋に直行した。アルビジアに相談しようにも、まだミオソティス自身の気持ちの整理もついておらず、先に混乱した頭の中を整理したかったからというのもあったのだが、とにかく今は一人になりたいと思った。
ミオソティスはドレスのままベッドに倒れこむと、目を閉じて今夜のことを思い返す。
マルカジットの思わせぶりな言葉、いつにも増して意地の悪かったオルロフ、やたら感情的だった自分。
さっきまでのミオソティスはかなり情緒不安定で、それは自分でもわかっていた。そして、その不安定の原因がオルロフだということも。
――素直に認めろって。お前、俺のことが好きなんだろう?――
頭の中で、オルロフの声が再生される。
熱くなってきた顔を枕に埋め、ミオソティスは思った。もしかしたら自分は、いつの間にか本当にオルロフのことが好きになってしまっていたのかもしれない、と。
ミオソティスは恋をしたことがない。だから恋とか、男の人への好きというものが、どんな感情なのかわからなかった。
本で読んでなんとなく知ったような気にはなっていたが、本当のところはよくわかっていなかった。だからミオソティスの中で恋とは、物語のように甘く幸せなものというイメージで、王子様は決して意地悪なことなどしないものだったのだ。
それが実際に会った王子様はとても意地悪で、でも、ミオソティスはそんな彼と話すのが嫌いではなかった。むしろ、軽口の応酬を楽しいとさえ感じていたのだ。
「わからない……これも、好きっていう気持ちなの?」
声に出してみると、そういうものなのかもしれないと思えてくる。
ミオソティスは枕を抱きしめると、ドレスが皺になるのも構わずベッドの上で転がった。そして端からどさりと絨毯の上に落ちると、そのまま仰向けの状態でぼうっと天井を見つめる。
「でも……私は本当に、純粋にオルロフ様のことが好きなの?」
ミオソティスは当初、オルロフの加護の力だけが目的だった。
あくまで自分のため。だから最初は、オルロフの気持ちなど全然考えていなかった。そうでなければ、あんなにも軽く「結婚して」などと言えない。まだオルロフに気持ちがなかったから、自分の力さえ消してもらえればそれでよかったから、だから相手の気持ちも自分の気持ちも、まったく考えていなかった。
ミオソティスは床に転がったまま、枕に顔を埋める。
「最低だ、私」
くぐもった呟きと乾いた笑いが枕に吸い込まれる。
そもそも、本当に自分はオルロフのことを好きなのだろうか? 本当はオルロフの力を利用したいけど、それだけじゃあんまりだから、好きだと錯覚しているだけじゃないのか? もしくは初めて出会った忘却の力が効かない人だったから、それで執着しているだけなのではないのか?
嫌な考えばかりが次々と浮かんできて、考えても考えても、ミオソティスの思考は袋小路に行き当たる。
「わからない……好きって、どんな気持ち?」
ふと、ミオソティスの脳裏にロートゥスの顔が浮かんだ。
オルロフと踊っていた時の蕩けそうな微笑み、薔薇色に染まった頬、離れた時の切なげな瞳……
あの時のロートゥスこそまさに、ミオソティスの中の恋する乙女そのものだった。それにひきかえ、ミオソティスがオルロフにとった態度といえば、嫌味と暴言。
ミオソティスの中で、恋というものがますますわからなくなってゆく。ロートゥスとは全然違う、今のこのミオソティスの気持ちも恋なのだろうか? だとしたら全然甘くもないし幸せでもないし、むしろミオソティスには苦しいことの方が多いと思えた。
「……もう無理。今はこれ以上考えられないし、答えが出る気もしない」
※ ※ ※ ※
翌日からミオソティスは、屋敷の書庫に引きこもった。そして、日課だった迷いの森散歩に行かなくなって一か月――
「ティス、今日も行かないの?」
「うん」
引きこもるミオソティスを心配してか、アルビジアも時間が許す限り書庫に来ていた。
周りに無数の本を積み上げ、光苔の明かりの下で黙々と本を読むミオソティス。そんなミオソティスを呆れたように眺めながら、それでも隣に寄り添うアルビジア。
「しっかしまた、よくもこんなに恋愛小説ばかり取り寄せたわね」
積まれた本を適当にパラパラとめくりながら、アルビジアはうんざりしたような声で呟いた。
「すごいでしょ。今日やっと届いたの。今、人間の世界で流行っている物語なんですって。今まで家にあったのは百年以上前のお母さまの集めたものだけだったから、ちょっと心許なかったのよね」
アルビジアと喋りながらもミオソティスの視線は本に落とされたままで、指は次々と頁をめくっていく。
「でもよかったわ、虎目石商会の隊商の出発日に注文が間に合って。人間の世界の物を取り扱ってるのは、あそこだけだから」
「まあ、極夜国は鎖国中だしね。唯一認められている虎目石商会以外は、迷いの森を抜ける許可も手段も持ってないし」
再び二人の間に沈黙がおり、書庫にはミオソティスの本をめくる音だけが響く。しばらくすると手持無沙汰になったのか、アルビジアがミオソティスに話しかけてきた。
「で、参考になったの?」
「そうね。やっぱり百年前のものよりも種類が増えていたし、とても参考になったわ」
そう言って持っていた本をぱたんと閉じると、ミオソティスはアルビジアに笑顔で答えた。
「じゃあ、これで納得できたでしょ? だから言ったじゃない、ティスは殿下に恋したんだって」
呆れのため息をつくと、アルビジアはきっぱりと言い切った。それにミオソティスは口をとがらせ、不本意といわんばかりの顔を返す。
「……認めたくなかったけど。ジアの言った通り、私はオルロフ様が好き……なんだと思う」
「じゃあ、何で会いに行かないのよ。好きなら会いに行けばいいじゃない。どうせ迷いの森うろうろしているんでしょ、あの暇人王子。何でか知らないけど、ティスだけはあの森で殿下のところにたどり着けるんだから、行けばいいじゃない」
ぐいぐいと迫ってくるアルビジアに押され気味のミオソティスだったが、それでも首を縦には振らなかった。むしろ、頑なに拒んだ。
「好きなんでしょ? それなのに、なんで何もしないのよ! そんなんじゃ蓮華姫に殿下取られたって、ティスには文句を言う資格さえないわよ」
興奮して声を荒げるアルビジアに、ミオソティスも負けじと叫んだ。
「無理だよ! だって、私は惹かれあう二人を邪魔する当て馬だもの!!」
アルビジアは思わず「はぁ?」という気の抜けた声をもらし、次いでかわいそうな子を見るような目でミオソティスを見た。そしてさっきまでミオソティスが読んでいた本を手に取るとパラパラと流し読みし、最後に大きな、とても大きなため息を吐き出した。
「ティスの思い込みが激しいのは知ってたけど……ない、これはないわ」
そのまま頭を抱えて机に突っ伏してしまったアルビジア。目の前の妹が何をそこまで嘆いているのかわからなかったミオソティスは、彼女が顔を上げてくれるのをしょんぼりと待っていた。
「ジア? ねえ、ジアってば」
待ちきれなくなり、ミオソティスは隣で突っ伏す妹の肩を軽く揺らす。しかし、アルビジアは微動だにしない。そんな妹の様子にミオソティスがオロオロし始めた時、やっと、そして唐突にアルビジアが顔を上げた。そして無表情でミオソティスの肩を掴むと、次の瞬間、「この、おバカー!!」と叫んだ。
「このバカ、バカティス! 何でそんな結論に達したのよ!! これは物語、作り物なの。いくら今のティスたちに状況が似ていようが、全くの別物なの」
「で、でも――」
「でももだってもない! 好きって自覚したんでしょ? だったらまずは行動しなさい。行動して、それでもだめだったら、その時は私が責任もって慰めてあげる。それに宣戦布告しちゃったんでしょ、『貴方の方から愛を請わせてみせる』って」
ミオソティスは眉を曇らせると、すがるようにアルビジアを見た。
「だって、私、自分の力をなくしたいって目的でオルロフ様に近づいたんだよ。オルロフ様の気持ちなんて全然考えないで、自分のことばっかりでしつこくつきまとったんだよ。それに私は、ロートゥス様みたいに純粋な気持ちじゃないんだと思う。なのに……」
気づいてしまったかつての自分の行動への罪悪感から、ミオソティスはオルロフへの自分の気持ちを受け入れることができていなかった。
だからオルロフのことを純粋に慕っているロートゥスを見て、そんな彼女に優しく接していたオルロフを見て、ミオソティスは自分には無理だと、あの場所に立つ資格はないと思ってしまった。
「きっかけなんて何でもいいの! 好きなんでしょう? だったら逃げないで戦いなさい!! 欲しいもののために努力するのは、人として当たり前のことだわ。そこから逃げたら、欲しいものは一生手に入らないままよ」
そこにはもう、あの甘えん坊だったはずの妹の姿はなかった。どうやらアルビジアはこと恋愛方面においては、その儚げな見た目とは似ても似つかない苛烈な性質のようだった。
すっかり何かのスイッチが入ってしまった妹に気圧され、ミオソティスは思わず「はい!!」といい返事をしてしまっていた。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説



王命って何ですか?
まるまる⭐️
恋愛
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。
貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。
現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。
人々の関心を集めないはずがない。
裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。
「私には婚約者がいました…。
彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。
そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。
ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」
裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。
だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。
彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。
次々に積み重ねられていく証言に次第に追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実を傍聴席の貴族達は息を飲んで見守る。
裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。
「王命って何ですか?」と。
✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。

すみません! 人違いでした!
緑谷めい
恋愛
俺はブロンディ公爵家の長男ルイゾン。20歳だ。
とある夜会でベルモン伯爵家のオリーヴという令嬢に一目惚れした俺は、自分の父親に頼み込んで我が公爵家からあちらの伯爵家に縁談を申し入れてもらい、無事に婚約が成立した。その後、俺は自分の言葉でオリーヴ嬢に愛を伝えようと、意気込んでベルモン伯爵家を訪れたのだが――
これは「すみません! 人違いでした!」と、言い出せなかった俺の恋愛話である。
※ 俺にとってはハッピーエンド! オリーヴにとってもハッピーエンドだと信じたい。
【完結】愛猫ともふもふ異世界で愛玩される
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
状況不明のまま、見知らぬ草原へ放り出された私。幸いにして可愛い三匹の愛猫は無事だった。動物病院へ向かったはずなのに? そんな疑問を抱えながら、見つけた人影は二本足の熊で……。
食われる?! 固まった私に、熊は流暢な日本語で話しかけてきた。
「あなた……毛皮をどうしたの?」
「そういうあなたこそ、熊なのに立ってるじゃない」
思わず切り返した私は、彼女に気に入られたらしい。熊に保護され、狼と知り合い、豹に惚れられる。異世界転生は理解したけど、私以外が全部動物の世界だなんて……!?
もふもふしまくりの異世界で、非力な私は愛玩動物のように愛されて幸せになります。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/09/21……完結
2023/07/17……タイトル変更
2023/07/16……小説家になろう 転生/転移 ファンタジー日間 43位
2023/07/15……アルファポリス HOT女性向け 59位
2023/07/15……エブリスタ トレンド1位
2023/07/14……連載開始
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

【完結】断罪を終えた令嬢は、まだ恋を知らない。〜年下騎士から好意を向けられている?対処の仕方がわかりません⋯⋯。
福田 杜季
恋愛
母親の離縁により、プライセル公爵家の跡取り娘となったセシリアには、新しい婚約者候補が現れた。
彼の名は、エリアーシュ・ラザル。
セシリアよりも2つ年下の騎士の青年だった。
実の弟ともまともに会話をしてこなかったセシリアには、年下の彼との接し方が分からない。
それどころか彼の顔をまともに直視することすらできなくなってしまったセシリアに、エリアーシュは「まずはお互いのことをよく知ろう」と週に一度会うことを提案する。
だが、週に一度の逢瀬を重ねる度に、セシリアの症状は悪化していって⋯⋯。
断罪を終えた令嬢は、今度こそ幸せになれるのか?
※拙著『義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜』の続編ですが、前作を読んでいなくても楽しめるようにします。
※例によってふんわり設定です。なるべく毎日更新できるよう頑張ります。
※執筆時間確保とネタバレ&矛盾防止のため、ご感想への返信は簡単めになります⋯。ご容赦ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる