俺も恋愛対象者‼

私欲

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第四章

佐藤友

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 重たい瞼を開く。真っ暗闇で何も見えない。
 頭が重い。身体が熱い。重い。
 もう一度瞼を閉じた。
 
「おー」
 バッドに当たったボールは、カーンと良い音と共に、高く高く飛んでいく。
 俺はいつものように教室で野球部の練習を見ていた。記憶から抹消したいぐらい恥ずかしくて、うぬぼれた俺の、あの練習試合は思い出したくもないが、やっぱり北中野球部の練習は見ていて、幸せな気分になれるというか、温かい気持ちになれる。その日は夕焼けも綺麗で、気分が良くなった俺は、歌を口ずさんでいた。音楽好きの叔父に教えてもらった洋楽を、俺は気に入って何度も何度も聴いていた。
「take on me~」
 少し自分自身に酔っていたのかもしれない。放課後、誰もいない教室、綺麗な夕日。俺は気持ちよく歌っていた。再度、サビを歌いながら俺は、なんとなしに、窓の枠を掴んだまま腕を伸ばして、首を後ろに倒した。廊下側の教室のスライドドアに人影があった。思わず動揺して、窓枠から手を放してしまった。
 結果、机や椅子も巻き込み、大きな音と共に教室の床に倒れこんだ。パタパタと俺を動揺させたであろう人影が近付いてきた。そして、しゃがみこんで俺を覗き込む。
「だ、大丈夫?」
 栗色のロングヘア―が俺の頬を擽る。透明感のあるヘーゼル色の瞳は、不安そうに俺を見つめている。最近隣の席になった広瀬だった。
「だ、大丈夫」
 俺は歌を聞かれていたことと、盛大に転んだところを見られた恥ずかしさで、顔が燃えるように熱かった。
「……き、いてた?」
 俺はゆっくり上半身を起こし、目を泳がせながら広瀬に訊いた。ちらっと広瀬を確認すると、気まずそうにゆっくりと頷く。
 俺は目をぎゅっと瞑り、顔を腕で覆った。中学二年の男子が、夕日に向かって洋楽を気持ちよさそうに口ずさんでいるなんて、なかなかの面白さだろう。俺だったら、悲しいことがあった時に、こんなやつもいたなあと思い出して元気をもらうエピソードになる。広瀬の落ち込んだ時の笑いモノに俺はなってやったんだ、いいことしたわ……と遠い目をしていると、広瀬が口を開いた。
「私も、その歌、すごく好きなの」
「え?」
 思わず、広瀬に顔を向けると、興奮した表情で俺を見つめていた。
「最近、そのMVをね、見て。すごく、好きなの。でも、同級生で、好きな人いるなんて」
 広瀬はキラキラした瞳をこちらに向けて、ずっと探していた探し物を見つけたかのように興奮していた。
 この歌は、俺達が生まれるずっと前の歌だ。同級生で知っている人、ましてや好んでる人などなかなかいないだろう。だから、広瀬だけが喜んでいるわけじゃなかった。俺も、この歌を好きだと言われて、心臓が早く動き出すのを感じた。すごく嬉しかった。
 俺は、先ほどの恥ずかしさなど忘れて広瀬と語り合った。何故、この歌を知ったのか。どんなところに惹かれたのか。他にはどんな曲を聴くのか。女子と話慣れているわけでもなかったし、口が上手い方では無いのだが、広瀬との会話は途切れることなく、あっという間に時間が流れた。
 ふと時計を見ると、六時半を過ぎていた。
「あ、広瀬、時間平気?」
「え? わっもう六時半過ぎてる!」
 広瀬は慌てたように立ち上がり、広瀬自身の席に置いてあった筆箱をスクールカバンの中にしまう。おそらくこれを取りに来たのだろう。
「佐藤君は? 帰らないの?」
「あ、ああ……そうだな。俺も帰ろうかな」
「じゃあ、一緒に帰ろうよ。私、まだまだ話したりない」
 無邪気に微笑んだ広瀬を見て、俺の身体の熱が再度、急速に回っていくのを感じた。
 先ほどの恥ずかしさや嬉しさで身体が熱くなった時とは違う熱。
 目の前の女の子が途端にキラキラと輝いて見えた。
 今ほど幸せな時間は無いと思った。
「あ、ああ。一緒に帰ろう」
 初めての感覚に俺は戸惑い緊張していて、必死に絞り出した声は少し震えていたと思う。

 幼馴染でも無いし、壮絶な過去も無いし、幼少期に結婚の約束や、命に関わるようなピンチを一緒に切り抜けたわけでもない。
 それでも、俺は。
 なんてことないことなのかもしれないけど、俺はこの時から広瀬を好きになっていった。


 瞼を開けると視界がぼやけていた。倦怠感がひどい。
 変に違和感があって、ゆっくりと下瞼に手を持っていくと濡れていた。泣いていたらしい。
 カーテンの隙間から光が差し込んでいた。俺は寝ころんだまま、カーテンを少し開ける。眩しくて目を細めてから、目覚まし時計へと視線を移す。十時だった。
「はあ……」
 ため息をついて、天井を見上げる。長い夢を見た気がする。
 でも、ここ最近の出来事は俺にとって現実で。
 一昨日、冬期講習の放課後に倒れた俺は、寒気やダルさ、頭痛の最悪コンボで、保健室で熱を測れば、三九度六分。迎えに来てもらった母親に、そのまま病院に連れていかれ、インフルエンザだと診断された。俺は、そこからずっとベッドで泥のように眠った。
 ……そういえば、学園で誰かに見つけてもらったおかげで、保健室へ連れて行ってもらったような気がするが、誰だったのだろうか。
 インフルエンザのまま年越すなんて、縁起悪いなと思いながら、熱を測ると三七度二分まで下がっていた。
 無意識にスマホの電源をつけると、予期せぬ人からのメッセージにバッと身体を起き上がらせる。突然起きたせいで、頭がクラッとして、またベッドに身体を預けた。
「広瀬……」
 広瀬からメッセージが届いていた。昨日の昼間に届いていたようだ。
《こんにちは。たくさん寝て、早く回復できるといいね…!返信は無理しないでね。》
 俺は何度も何度もその短文を読み返す。
 広瀬と夏目……。あのあと二人はどうしたのだろう。一緒に帰ったりしたのだろうか。そもそも、二人は……――。
《ありがとう。インフルエンザだった(笑)でも、今は熱が下がったから、大丈夫。広瀬も気を付けてね。ところで、話は変わるんだけど、冬休みって忙しい?もし、少しでも時間あったら、ちょっと話したいことがあるんだけど、》
 下手な文章に自己嫌悪に陥りながら、俺は一文字ずつ消していった。もう一度、メッセージを打ち直そうとするが、夏目の告白に顔を真っ赤にした広瀬の顔を思い出して、ベッドにスマホを投げ捨て、瞼を閉じた。
 そうだよ、もう、すでに夏目と……。
『その、助っ人と、期間限定のマネージャーって、また困った誰かを助けてるのかなって思って』
『なるほど……。やっぱり佐藤君とお話するの楽しいな。自分自身じゃ考えもしないことを言ってくれるから』
 広瀬の笑った顔や困った顔、楽しそうな顔が、広瀬から言われた言葉と共にとめどなく思い出していく。
 俺はゆっくり上半身を起こして、もう一度スマホを握りしめる。再度メッセージを打ち直す。
《大丈夫、ありがとう。突然なんだけど、冬休み、開いてる日ある?》
 送信ボタンに親指を押そうとして、固まる。
「んんん…」
 胡坐の状態で、頭だけベッドに沈めながら、送信ボタンから削除ボタンへと親指をずらし、一文字ずつ消し、『大丈夫、ありがとう』だけにする。どうしたって、恥ずかしさや恐怖が勝ってしまうのだ。仰向けになって、情けない自分自身に両手で頭を覆う。
「う~……」
 「広瀬、一緒に帰らない?」そのセリフさえも言えない・言うことが出来ない俺にとって、広瀬から発信のメッセージは最後のチャンスに思えた。
 ……このチャンスを逃していいのだろうか。
 上半身を起こし、深呼吸をしてからスマホに文字を打ち込む。余計な雑念を追い払い、そのままの勢いで、送信ボタンを押した。
《大丈夫、ありがとう。広瀬、会って話したいことがあるんだけど、いつ開いてる?》
 俺は、今まで出来なかったことをついに出来た喜びと、充実感で満たされ、笑いが零れる。
 病み上がりの癖に頭をフル回転させたせいか、ドッと疲れて、もぞもぞと掛布団の中に潜る。
 そういえば、広瀬は何で俺が具合が悪いことを知っているのだろうか……?
 重たい瞼をそっと閉じた。
 一四時、喉が渇いた俺は目を覚まして、近くにあったスマホを見て、急激な恥ずかしさに苛まれる。
「数時間前の俺……すげえ……」
 もう既に広瀬は夏目と付き合っているのかもしれない。
 それでも俺は広瀬に伝えたかった。どうしようもなく広瀬が好きだってことを伝えたかった。その後のことは分からない。ただ伝えたい。俺の気持ちを。
 …………。
 いや、やっぱり広瀬を独り占め出来ることならしたい。なるだけ広瀬と同じ時間を共にしたい。
 大好きな幼馴染と中学から時々話す程度の俺。結果は明らかだ。
 掛布団を頭まですっぽり被る。
 それでも俺の中に告白をしないという選択肢はない。広瀬にとって友達の中の一人なのは、もう嫌だ。広瀬の特別になりたい。そう思ってしまった時点で、ただの友達として傍にいるのは嫌だった。
 布団の中で、おそるおそるスマホに手を伸ばし、電源を入れる。薄目で、画面を確認する。
《明後日は開いてるよ!佐藤君は?》
 一時間前の広瀬からの返信を見て、バッと起き上がる。《大丈夫》と打ち込んでから、はたと思い出す。
 俺、インフルエンザだった。
《ごめん、俺インフルになったの先に言っとくべきだった。正月明け……三日、四日とかどう?》
 一週間は期間を開けなきゃだよな? こちらから日にち提示した方が親切か? などと考え始めて三〇分が過ぎた頃、見返し過ぎてよくわからなくなり始めたので、半ばやけくそで送信ボタンを押す。
 頭を使い過ぎて、また熱が上がってきた気がした。勉強机に母さんが置いといてくれたのだろうスポーツドリンクをガラスのコップに注いで飲んだ。氷枕を交換しようと、フラフラした足取りで一階に降りていく。
「おはよう、どう具合?」
 リビングに立っていた母さんが、俺の顔を心配そうに見つめる。
「あー……昨日よりは全然まし。あの、氷枕なんだけど……」
「変えておくから、部屋に戻ってていいよ。他に欲しいものある?」
「いや……」
「食欲は?」
「んー……少し」
「そしたら、おうどんでも後で持っていくね」
 母親はそう言うと、ベランダに出て洗濯物を取り込み始めた。俺は、お願いしますと言って、二階にある自室に戻った。
 身体は重だるいままだが、たくさん寝たせいで眠気が無かったため、暇つぶしにスマホの電源をつけると、早速広瀬のメッセージがあって、寝かけてた体制から、ベッドの上で正座をする。
《え!インフル!?つらいよね……!お大事にしてね。三日は、大丈夫だよ。佐藤君も身体大丈夫そうなら》
 そのメッセージを読んで、ついに告白するのだと実感が湧いてきた。
《ありがとう、安静にします。それじゃあ、近づいたらまた連絡する》
 広瀬は俺が告白するなど全く想定していないのだろう。
《うん、またね》
 広瀬の返信が表示されているスマホから窓へ目を向ける。外と部屋の温度差で、窓枠に霜が出来ていた。
 再度スマホに顔を向けて、スマホのスピーカーをオンにして曲を流した。
『take on me~』
 今思えば、この歌詞、俺にぴったりだと思いながら、目を瞑った。


「あけましておめでとうございます」
 駅前で広瀬を待っていた俺に、白いショートダウンコートに、赤のマフラーと手袋、黒のスキニーパンツを履いた広瀬が笑顔で年初めの挨拶をする。待ち合わせ時刻の十分前だった。
「あけましておめでとう」
 肌の白い広瀬は、冬になると鼻の頭や頬の赤みが人より目立つ。
 かわいい。
「インフル、無事治ってよかった」
「おかげさまで」
 俺は苦笑する。
 去年の春までボブだった広瀬の髪は、ミディアムと呼べる長さになっており、今日はハーフアップをしていた。ビュウと突然吹いた冷たい風に、広瀬のサラサラの髪の毛が俺の鼻先をかする。
 いい香りがした。
「それじゃ、行こ、っか」
 考えに考えた結果、呼び出してすぐの告白は、緊張のし過ぎで、逃亡したくなってしまうと考え、ワンクッションとして、映画を観ようとメッセージを送っていた。幸いなことに広瀬は気になっている映画があるというので、それを観に行く。
「佐藤君って席、どこ派?」
「え」
 広瀬の質問に頭が真っ白になる。
 もう席取っちゃったよ!?
 女子と二人で出かけたことなど人生で一度も無かったので、広瀬と出かけるプランを今までの人生で一番悩んだと思う。熱が下がってからは、女性に引かれないデート作法をネットで調べまくった。情報があり過ぎて、迷宮入りした。もう、悩みに悩みまくって、背に腹は代えられないと杉谷に頼った。映画は良いチョイスだと褒められ、その後、アドバイスされたのだ。先にチケットを買っておけと。買ったはいいが、広瀬の質問にハッとした。そうだ、映画館の座席は、人それぞれ好みがあるのだ。
「……お、おれは、一番後ろの真ん中かな」
 真ん中の席でも、余裕をもって座席に座るし、途中で席を立つこともしないので他の人の迷惑にもならないし、後ろの人に気を使うこともない。しかし、端席や前からも後ろからもど真ん中の席を好む人がいるのだ。
 訊いておくべきだった。
「私は、あまりここ!って決まってないんだよね。流石に一番前は首が痛くなるから座らないんだけど……。じゃあ、今日は一番後ろが空いてるといいね。流石にど真ん中は難しいかもだけど」
 ホッとした。
「実は、もう既にチケット買ってて」
「え!」
 広瀬が驚いてこちらに顔を向ける。
「ごめん、座席の好み聞いてなかったんだけど、一番後ろの真ん中でいい?」
「うん! ありがとう!」
 広瀬の無邪気な笑顔が俺だけに向けられる。心臓がキュッとなる。
 今朝見た天気予報では、気温が五度を下回っているはずだが、広瀬が立っている右側だけ異常に熱かった。とりあえず、杉谷に感謝した。
 広瀬が観たいと言っていった映画は、話題のミュージシャンのサクセスストーリーだった。多くあるライブ演出が凝っていて、サントラがヒットするわけだと納得した。しかし、一人で映画を観ることが多い俺の隣に広瀬がいることと、映画を観終わった後の告白予定も相まって、正直、映画に集中することは出来なかった。
「佐藤君、このあと時間ある?」
 映画を見終わり、映画館が入っているビルの一階のカフェに誘おうとしたとき、広瀬から声を掛けられる。
「え、あ、ああ」
 俺は、既にこの後のことで、いっぱいいっぱいだったので、ぎこちなく頷く。
「良かった、初詣行かない?」
 広瀬の小さな口の口角が緩く上げられた。
「初詣?」
「そう、まだ行けてなくて。佐藤君は行った?」
「いや……。うん、行こうか」
「うん!」
 駅前で広瀬を待っている間、駅前では、初詣に行く人たちを見かけたのを思い出した。スマホで場所を調べると、徒歩20分のところにあったので、地図アプリを頼りに映画の感想を言い合いながら、神社に向かった。
「映画のラスト……すごくかっこよかった。ちょっともやっとしたけど」
 広瀬は少し不満そうに笑った。
 ドキッとした。映画のラスト、主人公はずっと好きな幼馴染に何も言わずに、ニューヨークに行ってしまう。幼馴染は手紙を読んで気付く。
「あー……幼馴染とは結局くっつかなそうだよな」
 俺は、自分と重ねて、弱弱しく呟く。
「うん、そうかも。私もそう思う。でも、幼馴染も好きだったと思う」
「え? そうかな?」
 俺は映画の内容を思い出す。人としては好いていたと思うが、主人公に照れているといったシーンは思いつかない。
「好きじゃなかったら、あの街にいないかなって」
 幼馴染はずっと街を出たいと言っていた。でも、出ていなかった。何故か?
「二人とも言葉足らずだったってこと、かな」
「なるほど」
 広瀬の言葉に俺は納得した。
 16時半。出店も出店しており、賑やかで丁度良い混み具合だった。俺達は、参拝をした後、おみくじを引くことにした。
「大吉!」
 広瀬は両手で開いたおみくじを俺に見せながら満面な笑みを見せた。
 俺のおみくじと言えば……。
「……小吉」
 これから告白をしようとしているのに、なんとも勇気を貰うことが出来ないくじ運だと思った。詳細を見ることは躊躇われた。顔を上げると、広瀬はおみくじを凝視していた。
「なにかいいこと書いてあった?」
「んー……、ちょっと…んー……」
「え? なに?」
「えーと……あっ、佐藤君、甘酒だって。初詣ぐらいしか飲まないよね」
「え、あ、ああ」
「貰いに行こうよ」
 俺は頷いて広瀬の後に付いていく。話を逸らされた気がしたが、気のせいだろうか。
 俺たちの目の前に、松葉づえをついた大学生らしき男性が過ぎ通る。広瀬は二つ受け取った甘酒を一つ俺に渡しながら言った。
「懐かしいね」
「ありがと…え、ああ、あの時はお世話になりました」
 おそらく松葉づえの時期のことだろうと俺が軽く頭を下げると、広瀬はフフッと笑って俺から目線を外す。
「実は、ずっと話したかったことがあったの」
 心臓が跳ね上がる。広瀬から? 俺に?
 周りの喧騒がだんだんと俺の耳に入らず、広瀬の声だけが俺の耳に届くような気がした。
「佐藤君は、そんなにいい思い出じゃなかったみたいだったから、話すの躊躇ってたんだけど、私にとってすごく大切な思い出だから」
 広瀬と俺はゆっくりと境内の中を歩く。
「中学の野球部の話なんだけど」
 野球部? 
 なにかと広瀬と話をする際によく出てくる思い出に首を傾げる。広瀬と北中の野球部はほぼ接点が無いはずだが。
「多分、佐藤君たちの試合終わりだったと思う。帰りの電車、丁度私も乗ってて。なんとなく、落ち込んでる、空気が重い……ような団体が目に入って。よく見たら、うちの中学の野球部だなって気づいて。その中に、うちのクラスの佐藤君がいて。特に意味はないんだけど、遠くからなんとなく見てて」
 広瀬は俺を見ることなく、境内の周りを見ながら、たどたどしく言葉を紡ぐ。俺は時折、広瀬を盗み見しながら、甘酒に口をつける。広瀬の言葉を一言も漏らさずに聞く。
「試合するって学園で話題だったから、試合後なのかなって思ったんだけど……。野球部じゃなくて飛び入りらしい佐藤君が野球部の皆と同じくらい、もしかしたらそれ以上に悔しそうにしていたのが、印象的で」
 たしかにあの時、完全に俺のせいだと思っていた。今思えば、俺の力でひっくり返せるとでも思ったかのようなうぬぼれで恥ずかしい。
 電車内で大泣きしていたところも広瀬に見られていたんだなと、恥ずかしすぎて笑えて来た。
「そのおかげって言ったら失礼かもだけど……。当時、喧嘩してた葵と仲直り出来たきっかけで」
「…仲直り?」
「…うん。何で喧嘩してたとか、しっかり覚えてはいないんだけど…。その、佐藤君たちの、落ち込んでる重い雰囲気ではあったんだけど、一体感っていうのかな。悔しさを皆で、いい意味で共有出来ているというか…んー言葉にするの難しいね。でも、それで、私の、そのときのモヤモヤしてたのが、馬鹿らしく思えて、翌日、素直に葵に謝ることが出来たの」
 広瀬がこちらを向いて、困ったような笑顔をする。大きなモミの木の下で、丁度人混みの邪魔にならないところで広瀬が立っているので、俺も横に立つ。
「あの場面に私、立ち合えていなかったら、もしかしたら、今でも変な意地張って、葵とギクシャクしてたかもしれない」
 広瀬の視線が地面から、俺に向けられた。
 他の人にとったら、取り留めもない出来事で、俺にとっては、思い出したくもない恥ずかしい惨めな思い出で、広瀬にとったら夏目と仲直り出来た大事な思い出。惨めな思い出だけだと思っていた。広瀬の一言一言で、俺の苦い思い出が、色を変えていく。
「だから、ずっと言いたかったの。私の自己満足なのかもしれないけど、ありがとうって」
「……野球部の、みんなにも会った時に言っとくな」
「うん。……あ、いや、佐藤君に言いたかったの」
「?」
「野球部のために飛び入りして、それで本当に野球部の一員になってた佐藤君に言いたかったの」
 はにかんだ広瀬を見て、何とも言えない感情になる。
 ……今も当時仲直りした夏目と、うまくいってるってことだよな。
 重たい濁った感情が腹の中で渦巻くが、広瀬が甘酒の入った紙コップを両手で包み込んで、ゆっくり飲んでいる姿を見て、黒い感情が無くなりはしないが、あたたかいなにかと混ざり合って、むしろ清々しい気持ちになる。諦めの境地に入ったのだろうか。
 それでも俺は、広瀬に告白をする。その後のことなど何も考えていない。ただ、伝える。
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 ……全て関係している気がした。
「広瀬」
 周りは、参拝客の明るい声に包まれている。冷たい風が吹いて、誰かのおみくじが風で飛ばされている。そのおみくじから広瀬の視線がこちらに向けられる。
 黒衣集団は現れない。
 もう邪魔しなくても広瀬と夏目が恋人同士になったからなのか。
 もしかしたら、俺は、隠しキャラの攻略対象者だったのかもしれない、なんて浮かれたことを思う。
 そういえば、さっきの俺のおみくじには、恋愛の欄、なんて書かれてあったんだろう?
 何故か、俺は落ち着いていた。
 広瀬の瞳には顔を真っ赤にした俺が映っていた。
「好きだ」

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