俺も恋愛対象者‼

私欲

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第三章

夏目葵

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「じゃあ、うちのクラスは多数決でお化け屋敷に決まりました」
 クラス委員長が、教壇に手を着きながら言う。書記が黒板に書いたいくつかの候補を消し、「お化け屋敷」の文字だけ、黒板に残る。
 二学期が始まり一カ月が過ぎた。俺の怪我も完治していた。
 十月三十一日から三日間開催される学園祭のクラスでの出し物がお化け屋敷に決定した。
 学園祭は、一年と二年だけがクラスの出し物を出すことが出来る。三年生は受験のため、クラスの出し物は行っていない。部活毎に出し物をすることも可能で、売上は部費に充てることが出来るというシステムから、クラスよりも部活の方に力を入れる人が多い。そんな中、俺のクラスである一組は、お化け屋敷など、必然的に手間がかかる出し物に決定したことから、意外にうちのクラスは仲が良いのだと気づく。ぼんやりそう思っているといつのまにかお化け屋敷のテーマがピエロに決まっていた。
 クラス委員長が、次の決め事について話し出す。
「そしたら次は役割分担を決めようと思います」
 クラス委員長が発した「役割」に少しだけ身体が反応したが、そんなことより、と姿勢を正す。
 学生の一大イベントである学園祭で長く広瀬と一緒に過ごすために、この役割分担は最重要事項だ。
 書記が黒板に役割を書いていく。クラスメイト達も、必要であろうポジションについて発言していく。最終的に決められた役割が、事前準備だと内装係、小物・衣装係、ギミック係、ポスターや外装係。学園祭中だと、受付、おどかし係、ギミック係に分けられた。
「学園祭中のシフトは、部活動とかも考慮したいので、各自、来週までに入ることが出来ない時間帯を教えてください。それじゃあ右から事前準備の紙、左からは学園祭中の紙を渡すので、希望の役割を書いて回してください」
 クラス委員長が説明しながら、紙を左右から渡していく。各々周りと相談し始め、ザワザワと騒がしくなる。
 素晴らしい形式だとクラス委員に感謝した。俺より左側に広瀬が据わっているため、学園祭中の広瀬が希望する役割だけでも分かる。
 俺も広瀬と同じ役割を希望すればいいだけだ。
 ふと右隣を見ると、俺と同じようにそわそわしている女子がいた。おそらく俺しか気づいていない程度に深呼吸をした隣の女子は、前の席の透明感のあるブラウン髪の男子の肩をポンと叩いた。
「ねえ、夏目ってどれにするの?」
「ん? んー…、どーしよっかなあ…あやちゃんは、なににするの? 俺、あやちゃんと一緒のにしよっかな」
 女子慣れしていない俺には到底出来ないような軽口を、その男子、夏目はサラッと言う。あやちゃんと呼ばれたボブカットのメイクばっちりの女子は、はいはいとあしらう、が、俺は見た。その女子が耳を赤くしているところを。
「ひえ~」と俺は、あしらわれて後ろを向いていた身体を前に向き直した夏目を盗み見る。
 おそらく広瀬の最後の恋愛対象者と仮定している夏目は、いつもこのように女子達を所構わず口説くため、今でも本当にコイツが広瀬と? と思う。
 夏目葵、広瀬と幼馴染で、同じクラス。女子受けだけでなく、男子受けも良く、盛り上がっている場には大抵夏目が居ることが多い。前髪を上げたセンター分けで、形のよい眉が良く見える。涙袋がぷっくりとある猫目と、小さくて高い鼻。二ノ宮先輩や風見に劣らず、整った顔をしている。肌のきめ細かさは女子よりも綺麗に見えるが、角ばった手や広い肩幅で、男性ポイントもしっかり押さえてあった。身長は一七六センチと俺と同じ身長であるが、脚の長さが圧倒的に違った。違い過ぎて悔しさよりも笑いが出てくる。はは。
 例の三名は皆、当たり前のように顔が良く、女子人気もすさまじいもので、三者三様の良さがあると女子の会話を盗み聞いたことがある。二ノ宮先輩は正統派で綺麗。風見は高級ブランドのモデルをしていてもおかしくなく、夏目は少年のようなあどけなさと危うい色気が併せ持った魅力がある、と文芸部の女子たちの熱弁を杉谷と共に聞かされたことがある。その当時は右から左へ流していたが、今はなるほどと思う。
 二ノ宮先輩、風見と二人の恋愛対象者を妨害した俺は、いつ広瀬と夏目の例の恋愛映画のような二人の馴れ初めが脳内に入ってくるのか怯えながら待っているというのに、一向にあの胸糞悪い夢を見ない。
 そうこうしている間に夏休みが終わり、俺のギプスが外れても、俺の知る限り、夏目はなにも広瀬にアクションを起こしていない。そもそも夏目が広瀬を口説いているところを今まで見たことが無い。代わりに風見は諦めが悪く、ずっと広瀬の周りをウロチョロしている。
 お前のフラグは折れた。諦めろ。
 俺は早く夏目を恋愛対象者から引きずり下ろす手立てが欲しかった。風見と広瀬の物語を妨害しても、俺起点で広瀬にアピールしようとすると、必ず黒衣集団が現れるのだ。そろそろ挫けそうだ。広瀬の恋愛対象者――例の三人全ての邪魔をすれば、この悪夢は終わるのだろうと推測を立てている。だから早く広瀬と夏目の物語をぶち壊したかった。そして、この俺の推測が合っているかどうかを確認したかった。
 三名の物語を台無し――恋愛フラグを折ったとしても、黒衣集団が現れ広瀬と満足に話すことが出来なかったら……と頭を過ったが、考えても答えが分からないものは、堂々巡りになる。俺は考えるのをやめた。
「はい」
 前の女子から、事前準備の役割を決める紙が回ってきた。こちらにはまだ広瀬の希望が書かれていないので、俺が広瀬の希望を予想した役割を、希望欄に記入する。ちらっと先ほどのあやちゃんと呼ばれていた女子の希望欄を見ると、夏目の希望欄と同じ「ギミック係」を記入しており、また「ひえ~」と心の中の俺が震えた。

「ここでいいかな」
 放課後、クラス委員がクラスメイト全員の希望を元に、役割分担した名簿を、教室背面の黒板に張り出していた。俺の予想は的中し、事前準備では広瀬と同じ小物・衣装係になれた。もちろん学園祭中の受付係も、広瀬の希望を見て書いたので一緒……ではなかった。俺はおどかし係になっていた。
「あれ?」
 俺は無意識に声を出してしまう。
「申し訳ないんだけど、希望が多かった所は、抽選で少なかった方に移したので、どうしても都合が悪い人はクラス委員に言ってね」
 クラス副委員長の発言に、ちらほらと「えー」と不満な声が上がったが、仕方がないという空気に従うしかなくなっていた。俺も、広瀬と準備も学園祭中も一緒にいられると思っていたので、肩を落としたが、結果を受け入れるしかなかった。

 週明けの放課後、小物・衣装係を選んだ広瀬と俺と夏目と広瀬とよく共に行動している黒髪ロングの間宮の四人が、一つの机を囲んで座っていた。
「他の係に比べて少なくね? 俺、抽選でこっちに割り振られたんだけど、元々三人だったってこと?」
 夏目が俺ら三人の顔を見ながら呟いた。
「人気ないみたいね」
 抑揚のない間宮の一言で、賑やかな周りに対して、俺達の机だけシン……と静まり返る。
「え、えっと、とりあえず、衣装や小道具、何が必要か考えよ」
 広瀬がぎこちなく笑いながらノートを広げる。
「おーそうだね」
 優しい声の夏目が頷く。
 週明けからそれぞれの役割で動くようにとクラス委員から指示があったため、とりあえず一応話し合いをしようと広瀬と間宮に言われ、放課後に集まっていた。周りも係ごとに分かれて話しているようだった。
「衣装は、既製品に少し付け足すぐらいで良いのかなって思ってたんだけど……」
 俺は広瀬の顔を見ながら言った。俺自身が纏う衣装にもなるため、あまり凝った衣装だと気恥ずかしくなると思ったのと、なるべく楽なものが良かった。
「うん、そうだね。あと顔にペイント出来るものとか、お面とか」
 流石演劇部の裏方だけあって、広瀬はサラサラと素人な俺達でも作れそうなピエロのイメージ図を描いた。
 演劇部の裏方である広瀬は、衣装とか凝りたいのかなと思っていたが、場にあったレベルで良いものを作っていこうとする広瀬を見て、やはり好きだと思った。
「じゃあ、こういうのとか?」
 広瀬の描いたピエロの隣に、夏目もサラサラと違ったバージョンのピエロのイメージ図を描いた。
 え?
 さも当たり前のようにピエロのイメージ図を描いた夏目に驚く。
「わー、いいね!」
 広瀬がキラキラとした笑顔を夏目に向ける。
「じゃあ、こんなの使えそうじゃない?」
 間宮は、スマホで使えそうなパーティーグッズや衣装を調べていたらしく、検索画面を机の上に置く。意外にピエロ衣装はネットでたくさん売られており、一着三千円程度だった。
「あれ、衣装と小物で使える金額っていくらだっけ?」
「1万円だった気がする」
「……足りるの?」
「最安値を探す旅に出るのよ」
 先ほどの違和感に少し取り残されていた俺だったが、あまり気にしないことにした。
「服とかはネットで安いの見つかりそうだけど、一応百円ショップと見に行く?」
 夏目の提案に同意する俺達。放課後に買い出しに行こうとするが、今週はなかなか四人の予定が合わず、広瀬と俺と夏目が辛うじて今週の水曜日だけ開いていた。
「……私はネットでなにか良さげなものを探すので、申し訳ないけど百円ショップには、三人で行ってもらうのはどうかしら?」
 常に眠そうな間宮が口を開く。反論は特になかった。
 逆に人数が少ない方が、意見がまとまりやすいので良かったかもしれない。なんなら俺は広瀬と二人きりが良かった。

「これとかどうかな?」
 広瀬は、赤白黄色の布が等間隔に紐にぶら下がっている、ガーランドが入った袋を持っている。
「うーん、そういうのは、内装係が買ってくるんじゃないかな?」
「あ、そっか」
 広瀬は納得して商品を棚に戻す。
 予定通り、広瀬と俺と夏目は、水曜日の放課後、学園の最寄り駅から一駅のところの百円ショップを訪れていた。
 広瀬と俺は並んで、サーカスやピエロらしさを感じるものを互いに見せ合って、購入するか否かを決めていた。
「なあ、これは?」
 少し離れていた夏目が戻ってきて、先ほど広瀬が持っていたガーランドの袋を手に取る。広瀬はくすくすと笑う。
「……そういうのは、内装係が買うかなって」
 俺は先ほど広瀬に言ったことを、繰り返し夏目に言った。
「あ、そうか」
 夏目が広瀬と同じような反応をして商品を棚に戻したので、広瀬は抑えきれずに声を出して笑った。
「え、なんだよ」
「だって葵、私と同じ行動してるんだもん」
「え、翔子もこれいいと思ったの?」
 夏目は棚に戻したガーランドを指差して広瀬の顔を見た。
「そう、佐藤君に指摘された後も同じ反応してたよ」
「あぶねー……。佐藤いなかったら、俺達、絶対これ買ってたじゃん」
「そうなの」
 広瀬は両手で口を押えて笑って、夏目も居心地悪そうに照れていた。
 ……。え? なんだこれ。いや、なんか薄々感じていたけど、この二人なんかいい感じじゃない? 他の人は入れない空気感無い? 幼馴染だから? この前のピエロのイメージ図の違和感ってこれか? 二人、似てるってことか? 似た者同士だから、お似合いに見えるってか??
 俺はぐるぐると嫉妬の渦に飲み込まれていく。
「どしたん? 佐藤」
 広瀬と夏目が同じような表情をして俺を見ていた。反応が同じというだけで、また俺は嫉妬の海に放り出された。
 その後も二人の相性の良さを見せつけられながら、お面や、シール、心臓のレプリカなどの小道具を購入した。
 家に帰って鬱々としていたが、ふと気づいた。いつも学園で見かけるような女たらしの夏目の姿は、やはり広瀬の前では現れないのだ。


「しょーこー…泣くなよ」
「だって、だって、あおい……血が出てた」
 夕暮れに、幼い少年と少女が、銀杏の木の下、半分埋まっている一つのタイヤに二人で座っている。遠くのベンチには二人の母親達が座ってなにやら話している。少女は肩を震わせていた。
「い、いたくないの……?」
「いたいけど……」
 膝に血を滲ませた絆創膏を貼っている男の子が口を尖らせている。その目は少しだけ涙目だった。少年の言葉に少女はまたうるっと目を滲ませ、泣き出しそうになるので、少年は慌てる。
「な、泣くなって」



 少年は長袖の袖を伸ばして、少女の涙を拭う。
「私、あおいがいなくなったら、いやだ……」
 少女の涙を拭っていた少年の左手を、少女はぎゅっと掴んで、少年の顔を見つめる。真っ赤な夕日をバックに、頬を染めた少年はこくりと頷く。
「俺も、しょーこの傍にずっといたい……しょーこのこと泣かせたくない」
「やくそくだよ」
 少女が小指を立てて、少年の目の前に出す。少年はその小指に自身の小指を絡ませた。

「……ひろせと、なつめ?」
 目が覚めた。嫌な気分というより、悔しい気分に胸を締め付けられるようだ。見た夢は、広瀬と夏目だと思う。しかし、二ノ宮と風見のような広瀬と夏目、二人の距離が縮まる過程が分かるような情報は、頭の中に入っていなかった。

「これ全部にカラースプレーする?」
 広瀬は、間宮がネットで購入したピエロの服を三着机の上に広げて、夏目に訊いている。既に汚れを出すために、広瀬と間宮が紅茶染めをしていたので、それらしき雰囲気は既に出来ている。
「そうだな、一着破るとかもいいかも」
日常の学園では見られないピエロの衣装に、放課後、教室に残っていたクラスメイトがわらわらと近づいてきては「これ、突然現れたら怖いよね」「俺、着るならこれがいい」など盛り上がる。
「じゃあ、佐藤、校庭に行って、汚しに行こう」
「え、おう」
 夏目に声を掛けられ、間宮と一緒に白の無地のお面に色を塗っていた筆を机の上に置き、立ち上がった。
 体育館付近の人があまり出入りしない場所にブルーシートを広げて、ピエロの衣装を並べる。学園祭準備で違うクラスの奴らも看板など、学園祭で使用するだろう大道具に色を塗っていた。
 俺らは、念のためジャケットやセーターを脱ぎワイシャツ姿で、下は体操着を履いていた。
 シューっとスプレーの音と共にピエロの衣装が汚れていく。俺はこういったセンスが皆無なので、夏目の指示通りに手を動かした。
「佐藤ってさ、翔子のこと好きなの?」
 突然の夏目の質問に思わず固まる。
「……なんだよ、いきなり」
 周りにバレても良いと思っていたが、ドストレートに訊かれてしまうと、やはり恥ずかしいというか、なんともいえない気持ちになる。
「いや、明らかに好きなのバレバレじゃん」
 周囲に人はいるが、それぞれ作業に夢中になっており、俺達の会話に気に留めるやつもいない。俺もずっと気になっていたことを投げかける。
「……夏目は? 幼馴染だろ?」
「まーな、あいつ可愛いし」
 誤魔化された気がした。俺は追求しようとしたが、出来なかった。
「葵じゃん。葵のクラス、なにするの?」
 唇がテカテカした二つ結びの女子が、しゃがんでいた夏目の頭に両肘を置いて、話しかけていた。
 胸がでかい。
「お化け屋敷~千晴先輩のところは?」
「喫茶店~メイド服着るよ~」
「まじですか? 俺、絶対行きますね」
「とかいって、口だけなんだもん。葵」
 千晴先輩と呼ばれた女子は、夏目の頭から肘をどけずに、指で自身の髪の毛をくるくるとさせる。夏目も作業の手は止めずに、会話を続けた。
「バレちゃいました?」
「腹立つ~、また今度デートしようね、皆とじゃなく、二人で」
「それもいいですね」
「あー……、またそうやってあしらおうとする~」
 俺は、もくもくと作業に集中するが、二人の会話はどうしても聞こえてしまうし、聞いてしまう。
「あ」
 スプレーの蓋が、離れた場所に落ちているのに気付いて、取りに行こうと立ち上がり、二人に背を向けたが、夏目に声を掛けられる。
「あ、佐藤。ここなんだけどさ」
「え?」
「先輩、すんません。先輩の服汚しちゃうと思うので、またあとで」
 俺が振り返ると、夏目は、千晴と呼ばれた先輩にスプレー缶を見せながら、困ったような顔をする。千晴先輩は少しだけムッとしていたが、諦めたようで「じゃあね、葵」と軽く手を振って離れていった。
「い、いいのか……?」
 俺は思わず小声で夏目に訊いた。最初はきょとんとして何のことだか見当がついていない様子の夏目だったが、「あぁ」と思いついたように自嘲気味に笑って言った。
「ちょっと千晴先輩とは近すぎたかもなあ」
「…………そうか」
 俺の経験値では想像もできない世界に、それ以上何も言えずに、夏目に指示された通り、淡々と手を動かした。
 夏目は、輪の中心にいるような明るい人物に見えるが、どこか陰があって、不安定のようにも見えた。女であれば誰にでも優しく、色々な噂が飛び交うが、夏目が特定の誰かと付き合ったという話は聞いたことが無かった。
「忍者みたいに分身出来たらいいのに」
 突然、夏目が呟いた。
「え?」
 スプレー缶を持って遠い目をしている夏目は、ピエロ衣装を挟み俺の真正面にしゃがんでいる。
「同じ人を好きになっても、分身したら喧嘩しないじゃん?」
「なるほど……?」
 俺は考え込む。広瀬が分身して、二ノ宮先輩や風見、夏目、俺の隣に一人一人いたとして、俺は嬉しいのだろうか? まあ、嬉しいけど。それでもやっぱり、俺は。
「でも、その分身元? が欲しいとか、独り占めしたいなあって気持ち、出たりしないか?」
 ぽろっと口から言葉が零れる。返答がない夏目の方を向くと、目から鱗が落ちたような顔をしてこちらを見ていた。
「え、なに?」
「……佐藤、付き合ってる人でもいるの?」
「は、はあ?」
 まさかの質問に動揺を隠せない。
「いや、翔子が好きなんだし、そんなわけないか。それに、その発言、ちょっと童貞っぽさも感じるし」
「ど、どどど」
「あ、ごめん」
 俺の図星を察した夏目がサラッと謝る。地味に傷つく。
「そーだなあ、そっか、俺も本当は、独り占めしたいのかなあ」
 ただただ俺を傷つけただけの夏目が立ち上がって両手の平を真上にして伸びをする。
 俺には夏目が口にしている真意が分からないが、表情が明るくないため俺の発言は夏目の求めたものではないらしい。
 教室に戻り俺たちは、広瀬と間宮と、何故か風見がいる席に近づき、ピエロの衣装を広げた。風見は俺の隣にいる夏目を見た時、少しだけ嫌そうな顔をしていた。
「いい感じじゃない?」
「二人ともありがとう!」
 広瀬と間宮が、衣装をチェックしていると、夏目が両手を上げ「俺、手洗ってくる」と教室を出ていった。俺も体操着のズボンを着替えようと、教室から出ると、後ろからついてきていた風見に肩を叩かれる。
「先輩、あの夏目って人、要注意」
「は? 要注意って?」
「俺、聞いちゃったんだよね」
「なにを?」
 風見は俺達が立っていた近くの教室に誰もいないことを確認して、俺の肩を掴みながら入る。
「なんだよ」
 俺が訝し気に風見を睨むと、神妙な顔をした風見が話し始めた。俺は、丁度人がいないことを良しとして、体操着から制服のズボンに履き替えながら、風見の話に耳を傾けた。
 昨日、広瀬と一緒に帰ろうとした風見は、俺達のクラスの下駄箱を通りかかって足を止めたという。二名の女子が広瀬の下駄箱の前に立っていたらしい。その女子達は、最近、風見が何度もあしらっていた女子に似ていたらしく、嫌な予感がして、声を掛けようとした時には、既に誰かが話しかけていた。それが夏目だったらしい。夏目は女子達を責めるわけでもなく、どうしたの? と優しく声を掛け、要約すると『風見にとても構われている広瀬が羨ましかった』と言う女子達を上手くなだめながら、一緒に学園を出ていったらしい。
「…………なんだ、それ」
 先ほどの校庭での夏目と千晴先輩のやり取りを思い出して、ハッとして風見の顔を凝視する。
「……だったら、今までも風見関係で、広瀬に突っかかってくる女子がいなかったのは」
「俺らが知らないだけで、夏目先輩がどうにかしてたのかなって……」
 俺と風見はそれから何も言えずにただ眉根を寄せ、重い空気が俺達を包む。
 以前、杉谷に見当違いな嫉妬無いのかと訊かれ、しっかり調べたわけでもないのに、無いらしいと安心して話した自分が恥ずかしくなった。
 風見は鈍い動きで机に腰かけて話す。
「俺、ショーコのこと好きってだけで、それ以外、全く気にしてなかった……。もし、夏目先輩がいなかったら、ショーコが嫌がらせ受けてたかもしれない、なんて」
「……広瀬、そういうのお前関係だって分かったとしても、風見が風見自身を責めるかもしれないと思って、黙るタイプだよな」
 風見は黙って頷く。
「でも、夏目先輩って、ショーコに対して、他の女子に比べてあっさりしてるっていうか、よく観察するとよそよそしく見えるっていうか……。最初は、幼馴染だからかと思ってたけど」
 夏目は、基本的に女子に優しく、所構わず口説ているイメージだ。俺も、例の三人の中――広瀬に訊かれた男子メンバーに夏目が入っていなければ、夏目と広瀬が恋愛というイメージが湧かなかった。幼馴染だとしても夏目が広瀬にあまりにも淡泊だったからだ。でも、今思えば、他の女子達と違う扱いをしているということは、特別扱いをしているということになる。
「あの人、ただの女好きの先輩だと思ってたんだけど、ショーコのこと好きだから、女子に平等に接してるとか?」
「………わ、からない」
「それって、苦しくねーの、かな」
 風見の苦々しい呟きは、俺と風見しかいない教室に響いた。


 しとしと雨が降っている中で、背の低い青と赤の傘が雨音を助長している。
「翔子、最近、俺のクラスに来なくなったよな」
 先日の夢の中で見た時よりも背が伸びた青色の傘を差している少年――夏目は、前を歩く赤い傘を差した同年代に見える少女に問いかける。少女――広瀬はずっと足元を見ている。
「……そう? あまり行っても良くないかなって」
 雨音で少女の声が上手く聞き取れない少年は隣を歩こうと駆け寄る。広瀬は、夏目が近付くと肩をビクッと震わせる。
「……俺のこと避けてるの?」
「そ、そんなことない」
 夏目の靴はビショビショで、広瀬の赤い長靴の先は、泥がついている。
「……今日だって、俺、算数の教科書借りに行ったのに、貸してくれなかった」
「それは……」
「ボロボロにされたんだろ?」
 夏目の言葉に広瀬は、俯いていた顔を夏目に向ける。その顔は「なんで知ってるの?」と書いてあった。
「なんで相談してくれなかったの?」
「……だって」
 広瀬は泣かないように下唇を噛む。
「俺のせい?」
「違う!」
 広瀬は俯いていた顔を上げた夏目を見つめる。二人は歩くのをやめて、お互い向き合っていた。
「俺、翔子と一緒にいたいけど、俺のせいで翔子が辛いって分かって、どうすればいいか分かんなくなった」
 夏目は顔をしかめて、広瀬にだって分かりはしない答えを求めようとする。
「……私も一緒にいたい。だから、葵は気にしないでいてくれたらいいよ。また、時間が経ったら大丈夫になるから……」
 広瀬は、今にもでも泣き出しそうな表情なのに、震えている声なのに、笑う。
 広瀬は自分自身よりも夏目のことを優先した。
 夏目は、広瀬の口にした答えが欲しかった答えではなかったようで、顔を俯き、弱弱しく「そっか」と呟いて、歩き出す。


 重たい瞼をゆっくりと開けた。外は雨が降っているようで、雨音が耳に届く。
 俺はなんとなく少年が求めていた答えが分かった気がした。
 そして、まだ二人の馴れ初めの情報は入らない。
 
 日分寺学園は、学園祭モードに入っていたが、その前に中間試験があった。
 自宅でテスト勉強をしても全く集中が出来ない俺は、学園内の図書室へと向かっていた。杉谷を誘ったが、「愛ちゃんとするから」と断られた。恋人と会ってしまったら勉強など捗るわけないだろ。
「葵、うちで勉強しない?」
「魅力的な提案だなあ」
 図書室へと続く渡り廊下前の階段で、夏目と女子の声がして、咄嗟に近くの壁に隠れる。風見から聞いた話や夢での夏目と、俺が良く見る夏目には、あまりにもギャップがある。
「でも、あやちゃんと二人きりの空間は、緊張するからな」
「……葵って、二人きりってなると、途端に逃げ腰だよね」
「そう?」
「……やっぱ本命がいるんでしょ? 誰? 同じ学年? 先輩とか? むしろこの学園にいないとか」
 以前、学園祭で同じ係を希望したあやちゃんという女子が、夏目に矢継ぎ早に質問をする。壁越しからそっと盗み見ると、夏目は全く表情を崩さずに答える。
「……俺は、みんなが、同じくらい好きだよ」
「……その気がないくせにその気にさせてるんじゃん。逆に優しくない。そろそろ一人に決めた方が、みんなのためになるでしょ」
 俺は知っている。この女子は夏目に本気じゃないように見えて、ガチガチの本気であることを。そのためか、二人の会話に勝手にハラハラする俺がいた。
 夏目が俯いて、いつもの明るい声ではない、低いかすれた声で口を開く。
「……駄目だったんだよ」
「……え? え、ってことは、」
「はい、このお話おしまい~それじゃ、またね」
「ちょっと! ねえ……もう……早く踏ん切りづけたいんだって」
 夏目はいつもの明るい口調と笑顔に戻ると、あやちゃんから逃げるように去っていった。残された女子は、ぽつりと泣きそうな声で呟いていたので、片想い中の俺としては、共感で胸が痛かった。
 図書室に着くとテスト期間中のせいか、いつもより人が多い気がする。
 どのぐらい数学のテスト範囲の問題を解きなおしていたのだろう。休憩をしようと顔を上げると、広瀬の姿があった。
「え?」
 思わず口から出た音は、予想以上に大きくて、視線が集まる。もちろん、広瀬も顔をこちらに向ける。広瀬が口パクで「休憩?」と訊いてきたので、俺はぎこちなく頷く。すると、広瀬はゆっくりと立ち上がって、「わたしも」と口パクしながら、目で図書室を出ようと合図してきた。
 図書室は飲食厳禁である。俺達は勉強道具を机に残して、図書室を出た。
「ふふ、ごめんね、驚かせちゃった?」
 広瀬が図書室から出るなり、笑顔を向けてきた。
「うん。顔上げたら広瀬がいたから」
 夢かと思った。
「テスト勉強?」
「そう、広瀬も?」
「うん。そしたら佐藤君がいて、集中してたから声かけなかったんだけど、丁度前の席開いてたから」
 少しいたずらっぽく笑う広瀬は新鮮で、耳が熱くなる。
 俺達はそのまま渡り廊下の自動販売機に向かって飲み物を買い、近くのベンチに腰掛ける。俺の手にはオレンジジュース、広瀬の手にはアップルジュースの紙パックがある。
「結構進んだ? テスト勉強」
 俺は紙パックにストローを突き刺しながら質問する。アップルジュースを飲んでいる広瀬が中庭を眺めながら答える。
「現代文はノートを見返せばおそらく大丈夫。化学も練習問題を解けば……でも、数学が、ちょっと不安かも」
「あー…二年になってから数学の先生変わったからなあ」
 一年の頃の数学のテストは、授業中で行った比較的簡単な問題の数字を少し変える程度だったが、二年の数学の先生は、ガッツリ応用を組み込んでくる。その分、質問をすれば、懇切丁寧に教えてくれはする。
「佐藤君、さっき数学の問題解いてたよね? あとでわからないところ聞いてもいい?」
「うん、もちろん」
「それと……他に」
 広瀬の雰囲気が少し変わった気がした。
「佐藤君に、聞きたいことがあるの」
 広瀬が眉を寄せてこちらをじっと見た。
 あ、と思った。
 広瀬と二人きり、ベンチに座って雑談をする幸せに浸っていたところに突然、頭に冷水をぶっかけられたようだった。
 広瀬の綺麗な髪がサラサラと風に靡く。少し肌寒い。
「何が訊きたい?」
 口が勝手に動く。
「葵、のことなんだけど、」
 やっぱりと思った。
 最近この現象が無かったので忘れていたが、この世界は、俺には都合がよくないのだ。
「最近、久しぶりに葵と話すきっかけが増えて嬉しいんだけど、なにか葵、変な気がして……」
「どこが変な気がするの?」
 好きな子の恋愛相談なんて聞きたくない。それでも俺の口は止まらない。
「言葉では言い表せないんだけど……」
「直接訊いてみた方がいいかもね」
 直接広瀬が訊いたら、そのまま夏目はポロっと告白するに違いない。頼むから、もう勝手に喋らないでくれ。
「……広瀬って夏目のこと」
 好きなの? と広瀬に自覚させるような質問を言い終わる前に、俺のスマホのアラーム音が鳴る。科目の区切りとしてアラームを設定していたことをすっかり忘れていた。
「……そろそろ、戻ろっか」
 アラーム音がきっかけで、広瀬が話を切り上げる。俺の勝手に口走る現象も終わっていた。
 その後、図書室の利用時間ギリギリまで勉強をしたが、もちろん俺は集中など出来なかった。

「やっぱり俺らのクラス、断トツで作りこみが違うぞ」
 事前準備も学園祭中もギミック係である杉谷が、昼飯を買いに行った帰りに、1組の教室含め他のクラスの出し物を見てきたらしい。杉谷は買ってきた焼きそばや、焼き鳥を机の上に並べていく。
「さんきゅ。へーどうだったうちのクラス、混んでた?」
 杉谷が買ってきたお茶を飲みながら訊く。
「列出来てた。ちっちゃい子とか泣いてた」
 笑いながら杉谷が俺の隣に座る。
 学園祭二日目の午前中、俺と杉谷は文芸部の留守番をしていた。
 文芸部らしく、部員が書いた部誌や、二次創作の小説や漫画を販売している。人はちらほら入ってきてはいるのだが、一次創作物は売れず、二次創作物だけ売れるので、形容しがたい悲しい気分だ。
 逆に文芸部員の身内は、一次創作物を買おうとするため、部員は恥ずかしくてやめてくれと誰しも言うのだが、買われていく。俺の母さんもニヤニヤして買おうとしたので、全力で止めたが、去年同様、俺がいない間に買うのだろう。
「俺らって一三時からだよな、クラスのシフト」
「ああ」
 杉谷は焼きそばを食い終えて、時計を確認する。一二時二〇分だった。丁度、文芸部員が交代に来たので、俺らはブラブラ校内を見てから、クラスに向かうことにした。
「あれ、夏目、受付だったっけ?」
 杉谷が受付に座っている夏目に声をかけた。夏目は午前中おどかし係だったのだろう。顔にメイクを残したままだ。夏目の隣に広瀬も座っていた。
「いや、なんか委員長に夏目は受付に居た方がいいって言われて」
 ピエロメイクを施したイケメンは、話題性を集めることが出来るのだろう。
「俺、休憩中なんだけどさ。少しでもいいから置物になってろって」
「顔がいいのも大変だな」
「まあな」
「腹立つわー」
 杉谷は、夏目を小突いてから禍々しいサーカステントのように飾り付けられた教室に入っていく。俺も続いて入ろうとして、ふと横目で広瀬と夏目を見ると、楽しそうに会話をしていた。もやっとする重い気持ちと焦りで胸が圧迫されて苦しくなった。
「あーやっと交代か」
「…おー、お疲れ。どう?」
「いや、素直に逃げてくれる客の有難さよ」
 俺は午前中におどかし係だったクラスメイトから渡されたピエロ衣装に着替える。下手に攻撃してくる客は非常に厄介だと言う。広瀬と夏目の二人の笑ってる姿が頭から離れず、鬱々とした気持ちでお面を装着し、定位置に着いた。

『本日はありがとうございました。学園祭、二日目終了です』
 校内アナウンスが流れる。丁度、最後の客が出て行って、おどかし係やギミック係は一斉に「終わったー」と叫ぶ。それほどまでに客が途切れなかった。
 俺もその場に座り込んだ。俺の今日の仕事は、しゃがみこんだまま客を待ち、目の前に来た瞬間に立ち上がる単純作業。単純作業ではあるが、客が近づいているかどうかを常に注意して意識しないといけないため、精神的にも疲れていた。
「喉乾いた……」
 俺は、ノロノロと立ち上がり、教室近くの自動販売機に向かう。自動販売機前に夏目の姿があった。
「……おつかれ」
 俺は夏目に声を掛けながら、二つある自動販売機の夏目が立っていない方に百円玉を入れる。
「おつかれ」
 コーラを飲んでいる夏目を横目で見て、最近の夢と風見から言われた話がちらついた。
「すーげ、混んだな。これで大賞が俺らのクラスじゃなかったら、忖度があるぞ」
 夏目は俺達の教室を眺めながら笑った。
「だな」
 夏目はそのまま教室に戻ろうとする。
「……夏目!」
 無意識に声をかけてしまった。不思議そうに振り向いた夏目に訊きたいことはたくさんあるが、なにから、どうやって訊いたらいいのか分からず、俺は頭が真っ白になる。
「…………広瀬のこと、どう思ってる?」
 ドストレートな質問をしてしまった。
 俺は、自分自身が焦って口を滑らせて出た言葉かと思ったが、勝手に口が動いた気もした。
「なんだよ、またそれ?」
「前、ちゃんと聞けなかったから」
「あー……」
 夏目は、気まずそうに、決して目を合わせようとしない。
「もし好きだったとしたら、矛盾した行動多いから、ずっと変だなって思ってたんだ」
 ヘラヘラ笑っていた夏目の口が、水平になる。
「……つーか、なんで俺が翔子好きだって確信したような質問なの?」
 夏目の視線は床を見つめたままだ。俺はこの先の言葉を聞きたいような聞きたくないような気持ちで、手に力を込めて、質問を続ける。
「風見から聞いた」
 夏目がやっとこちらに顔を向ける。なんのことだか分かっていないようだ。
「広瀬のこと、こそこそと庇ってる理由が分からない」
 夏目の瞳は不安そうに揺れている。
「庇ってるって……なにが?」
 自動販売機の近くにある開いた窓からは、校庭にいる女生徒たちの楽しそうな会話が聞こえる。
「…………」
 夏目がしらばっくれるので、何も言えずにいると、夏目の口が開く。
「俺だって、分かんねえよ。どうしたらいいのか。いつのまにか翔子の傍にいることが出来なく、なってた。ただ、翔子に泣いてほしくなかっただけなのに。平等に女の子たちと接するようにしたら、何故か翔子と過ごす時間が減ってさ、よくわかんね」
 あれ?
 ふと、おかしいと思った。
 なんで俺は、夏目のことを焚きつけるような言い方をしているのだろうか。
 夏目は広瀬が好きで、不器用な恋をしている。
 それをわざわざ夏目の口から聞く必要性はどこにある?
 俺から夏目に広瀬について聞く必要は無かったんじゃないのか? 
「俺……」
 だって、夏目がずっと不器用なままでいれば、二人が結ばれることは無いのだから。
「ずっと好きだったんだ、翔子のこと」
 ガタガタッバタンッと、夏目の後ろから、何かが倒れる音がした。俺と夏目は同時に勢いよく音のした方を向く。
 なんで、そこに。
 さきほどまで、この自動販売機周辺の人の気配は無かったはずなのに。
 顔を真っ赤にした広瀬が立っていた。
「ッ」
 突然、俺の脳内に広瀬と夏目、二人の恋愛過程の情報が流れ込んできた。



 さっきの違和感を早く察知すべきだった。
 俺が妨害すべきシーンは今ここ。
 俺が、夏目に広瀬のことを訊いてはいけなかった。
 俺のせいで、おかげで、夏目の気持ちを広瀬が知ることになる。
「た、立ち聞きするわけじゃなかったんだけど……えっと……」
 広瀬が倒してしまった立て看板を戻しながら、俺達の顔は見ずに弁明している。動揺しているのだろう、起き上がらせた看板を上手く立てかけなかったせいで、また看板が倒れる。
 ふと夏目を見ると、耳まで真っ赤に染めた夏目が、広瀬を凝視していた。その夏目に気付いた広瀬は、より一層顔を赤くして、目を泳がしている。
「あの、えっと……じゃあ、また明日!」
 広瀬は耐えきれないように、俺達の前から走り去った。
「ッ、広瀬」
 夏目が弾かれたように広瀬の後を追った。
 俺は、ただ立ち尽くしていた。
 後を追っても、俺はただ、邪魔になるだけだと理解していた。
 広瀬と広瀬の恋愛対象者との起承転結の「転」の部分を、初めて、妨害失敗した。

 学園祭最終日、俺と杉谷はまだサーカス仕様になっている教室から、校庭で行われている後夜祭の光景を眺めていた。俺ら以外にも教室で後夜祭を見ている人は数人いた。
 校庭には仮設のステージが組まれており、そこでは、学園祭の来場者や生徒からの投票で最も票が集まったダンスグループや軽音部がパフォーマンスをしていた。仮設ステージは、校門を背後にして、俺らのように校舎からでも見られるように真正面に建てられていた。ステージを見に来た生徒たちの群れを囲むように三つの屋台もあった。
「うちの学園、後夜祭にも力入れてんなー」
「……ああ」
 杉谷が俺をチラッと見る。昨日からの俺の覇気の無さに気付いているのかもしれない。
 あの後、広瀬と夏目はどうなったのだろう。昨日、俺は色々考えすぎて眠れなかった。まさか、俺が、二人の距離を縮める引き金になっているとは思わないじゃないか。
 家に帰ってから、頭の中にある広瀬と夏目の物語の情報を整理しようとしたが、学園祭以降のことは、ページが破られたように、何も分からなかった。
 この世界が本気を出して俺を、定めた役割以外で動けないようにし始めたのかもしれない。
 ぼーと眺めていたステージでは、軽音部の演奏に合わせてファッションショーが行われていた。服飾部などが展示した衣装で人気のあった10着を着るモデルとして、生徒の投票で選ばれた10名が衣装を着て出てくる。実質、このファッションショーに選ばれた生徒は外見の良い人が選ばれるようなミスコン・ミスターコンにもなっている。案の定、二ノ宮先輩、風見、夏目がステージ上に立っている。ステージを見に集まっている生徒たちは、女子も男子もカメラやスマホで各々お気に入りの人物を撮影している。その群れの中に広瀬を見つけた。いつもの二人と一緒だ。俺の被害妄想かもしれないが、夏目と広瀬がお互い見つめあっているように見えた。
「俺、帰るわ……」
「え、優秀賞の発表、見ないの?」
 クラスの出し物での最優秀賞・優秀賞が、後夜祭の最後に発表される。俺は見る気分にはなれず、教室を出ていった。


 英語の教師が黒板に英文を書いている。俺は黒板から窓に目を向けると、みぞれまじりの雨が降っていた。黒板の板書の音や、クラスメイトがそれを書き写している音、その音を耳に入れながら、ぼやっと窓の外のみぞれを見つめていたが、廊下側の教室の壁に飾られている学園祭の最優秀賞の賞状が窓に反射したのを見て、目線を黒板に移した。
 学園祭が終わってから、目に見えて夏目の様子が変わった。所構わず女子を口説かなくなったし、女子からの誘いも全て断っていた。夏目にいつも構ってもらえていた女子達は不満が爆発して、理由を夏目に問い詰めると、「別に遠くから見守る必要が無い」と発言したらしく、本命が出来たと噂になった。そのせいで、見当違いな嫉妬をする女子の嫌がらせが、ダイレクトに広瀬に来てはいたが、風見も夏目もコソコソせずに庇うことで、どんどんと鎮静化していった。
 俺は何も出来ていなかった。出来なかった。
 二学期最終日・12月24日の放課後、俺は筆記用具を机の中に置いてきたのを思い出し、杉谷に「先に帰っててくれ」と言って教室に戻る。教室の中を見て、即座にスライド式の教室のドアに隠れた。広瀬と夏目がいたからだ。
 俺はその場から逃げ出そうとした。
「ッ」
 しかし、ひどい頭痛でその場から動けず、蹲る。
 頭が割れるように痛い。
 反射的に瞑っていた目を薄く開くと、木の床が白黒になっていた。頭を押さえながら、顔を上げると、みぞれ雨が止まっているように見えた。
 時が止まっているようだった。
 誰かが俺の近くに駆け寄ってきた。
「うう」
 猛烈に頭の痛みが増し、意識がふっと遠のいた。
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