15 / 18
第二章 Dance in the dark -闇のサーカス-
第15話 Black platinam
しおりを挟む——10年前
エルリア帝国・ローゼンバーグ王国国境付近、ローゼンバーグ王国領カトゥユの森。
鬱蒼とした森の中を、完全に日が落ちるのを待ってから動きはじめるその姿は、まるで狩りを行おうとする獣のようだった。
薄い雪をきゅっと踏みしめる軍靴の音。その歩みは微かな波の音に引かれるように進んでいく。
森を抜けると、眼下に海が広がる切り立った崖の上に出た。
青白い満月の光に照らされた背中。
まだ手足も伸びきっていない、華奢なその背中にマクシミリアンは声をかけた。
「ヤマト。」
ゆっくりと振り返ったその顔貌は、僅かに少年の影を残している。
片頬に一筋だけ残る涙の跡。
そして足元に横たわる身体。
こちらに背中を向けて顔は見えなかったが、その見事に輝くような金色の髪が、彼が誰であるかを示す確かな証。
「エリアは死んだのか……。」
ヤマトが虚ろな目で頷いた。
「クリスさんが、僕を助けてくれた……。水底から、引き上げてくれたんだ……。」
マクシミリアンは灰色の瞳を僅かに見開いた。
波の音に消えそうなくらいの声でヤマトが呟いたのは、既に死んだはずの上官の名前だったからだ。
だから、そんなことが起こり得るはずがないのだが、可愛がってくれた上官が死んだとなっては混乱するのも無理もないことだ。
軍人と言えど、まだ15歳の少年。
その心境は理解するが、だからと言って甘えさせるつもりは一切ない。
その頃のマクシミリアンにとって、任務の遂行が最優先だった。
「早く埋めるんだ。ここにいては王国兵に見つかる。私たちも一旦撤退するぞ。」
ヤマトにとって、マクシミリアンのその言葉は、耳を疑いたくなるような台詞だっただろう。
「……嫌です。この人には、待っている家族がいるんだ。亡骸だけでも帰してあげないと……。」
「残念だがそれはできない。お前もわかっているだろう。」
「だからって、こんなところに置いていけと?」
「任務で死ぬことなんて、彼も承知なはずだ。それともお前はその覚悟もなく私についてきたのか?」
マクシミリアンの口調は、いつも変わらず、どこまでも穏やかで、淡々としている。
そのことが、ヤマトの心に火をつけたようだ。
途端に鋭い目つきになったヤマトは、ナイフを抜くとマクシミリアンに襲いかかった。
が、いとも簡単に躱されると、その腕を掴まれて背中から地面に叩きつけられた。
「ぐ、っう……!」
マクシミリアンに馬乗りになられ、右膝で首に体重を掛けられると苦しそうな声を上げたが、それでも尚、地面に落ちたナイフを指で掴もうとしている。
その間、マクシミリアンは煙草を取り出して火をつけるくらいの余裕を見せつけ、怪訝そうな顔で見下ろした。
「なんのつもりだ?ヤマト。私を殺すか?」
「僕たちをこの国に連れてきたのはアンタだ……!戦争を止めさせる、平和のためにって……!なのに何なんだこれは!人が死んでばかりじゃないか!アンタの部下はもう僕とメアリさんだけなんだぞ!何とも思わないのか?!」
「部下が死んだからといっていちいち悲しんでいたらキリがない。私には隊長として任務を遂行する義務と責任がある。お前もいずれ人の上に立つ時がきたら、私の言っていることが分かるだろう。」
「僕はアンタのようにはならない!」
マクシミリアンはヤマトのその言葉に目を細める。
脳に過ぎった青い頃の追憶に、紫煙と自嘲が入り混じったようなものを肺から吐き出した。
「……私もお前くらいの歳の頃、そう思っていたさ。」
その言葉に訝しげな顔をするヤマトに向かって、人差し指を自らの唇に当てる仕草をした。
それは何者かが近づいてきたことを示す合図。
気づいたヤマトが目線だけを森の方を向けると、2人の男が木々の間から現れた。
朱色の派手な軍服を身に纏ったローゼンバーグ王国兵。
「こんなとこにいたのかぁ?ガキ。」
無精髭を生やした壮年の男が嫌な笑みを浮かべた。
「そっちは死んだようだな、帝国軍のネズミが。」
もう1人の爬虫類みたいな顔をした若い男のその言葉に、ヤマトは唇を噛んだ。先ほどまでマクシミリアンに刃を向けていたヤマトだったが、この状況における合理的判断はできるのだろう。咄嗟に体を起こして立ち向かおうとしたが、マクシミリアンに手で制された。
「下がっていろ、ヤマト。お前、目が悪くなっているな?そのままでは戦えないだろう。」
「……!」
ヤマトは気づいていたのか、というような顔をした。
お前のことなんて全てお見通しだ。
そう言いたげな意味深な笑み。
立ち上がったマクシミリアンは煙草を足元に捨てると、薄い色素をした髪をかき上げ、さて、と前置きした。
「帝国の平和を脅かす貴様ら王国こそ薄汚いドブネズミじゃないのか?」
「言うじゃねぇか、色男。おまえ、軍人には見えねえが、そのガキの上官か?」
「それを知ってどうするんだ?お前らはこれから死ぬというのに。」
「黙れ!」
「生きて帝国に帰れると思うなよ?!」
2人がサーベルを抜いてマクシミリアンに向かってきた。
だが、マクシミリアンを相手にした彼らに訪れるのは、宣言通りの「死」だ。
それしかあり得ない。
命を狩ることを本能とする獣のような動きで、マクシミリアンは剣先を何度か躱すと、壮年の王国兵の心臓をナイフで深く突き刺した。
鮮やかに、たった一撃で決まった。
男の朱色の軍服が黒く染まり、断末魔の声をあげる暇もなくあっけなく死んだ。
その体が、崩れ落ちるのを見届けることもなく、もう1人の男を振り返ると、ほんの一瞬だけ怯んだのを見逃さなかった。
マクシミリアンの目には人体の構造が透けて見えているのだろうか。
精密に、そしてなんの躊躇いもなく、若い王国兵の内腿の動脈を刺す。
「ぎゃあああ!」
ナイフを引き抜くと同時に溢れ出る夥しい鮮血。
致命傷なのは明白だ。
マクシミリアンは、反射的に出血部位を押さえようとする男の背後に回り、その腕を捻り上げて首元にナイフを押しつけた。
「お前、家族はいるか?恋人は?子供は?お前が死んだら悲しむ人間はいるか?どうした?答えるんだ。」
「い、いる!妻と子供がいる!だから殺さないでくれぇ!」
「……。」
それを聞いたマクシミリアンは、ふぅとため息をつくと、ヤマトを見下ろした。
「……いいかヤマト。私にとって仲間が死ぬということは、当たり前のことなんだ。それを覚悟の上で私についてきてくれた彼らを誇りに思う。だがお前の言うように、彼らを待っていた家族のことを思うと、居た堪れない気持ちになることはある。彼らの家族や愛するものは、殺した相手を憎いと思わないだろうか?と……。」
「隊、長……」
マクシミリアンの相変わらず穏やかで淡々とした声色と、ボタボタと地面に零れ落ちる血液の音の落差に気が触れてしまいそうだった。
ヤマトでさえそうなんだから、生殺与奪を握られているあの男の心中察するに余りある。
マクシミリアンが、伏せていた長い睫毛をゆっくりと持ち上げる。
「そう。この男だってまた同じだ。」
それだけ言うと、王国兵の喉元を背後からバッサリと掻き切った。
その瞬間、動脈性の鮮血が勢いよくヤマトの顔に飛び散る。
鉄のような匂いと、体温の残滓。
ヤマトは緩慢な動作で両手で顔を拭い、血に染まった掌を眺めた。
「私やお前に、仲間が死んだからと言って悲しむ資格なんてない。今まで同じことをしてきたのだから。私たちはただ、残された人たちの思いを背負って生きていくだけだ。」
「……。」
茫然とするヤマトの傍らで、マクシミリアンは王国兵2人の死体を崖から海に蹴落としていく。
黒い海の底に沈んでいく2人の体が表すのは、はたして帝国か、王国の行く末か——。
マクシミリアンは死んだ部下の左指から指輪を抜くと、ヤマトに手渡した。
「これはお前が家族のもとに返してやれ。生きて、必ずだ。」
血に染まった掌に鈍く光る、細くて銀色の、何の飾り気もない指輪。
「僕が……?……ふっ、ふふふっ」
ヤマトが肩を震わせて低く笑いはじめた。
「何が可笑しいんだ?」
「だって……これをどんな顔をして渡せって言うんだ……?この僕が……。どうかしている、あんたも、僕も。」
泣き出したい気持ちと、恐ろしい気持ちを天秤に掛けられたかのような引き攣ったヤマトのその笑顔に、マクシミリアンは悟った。
ヤマトの心が、壊れていくのを。
誰でもない、マクシミリアン自身の手によって、まだ15歳の少年の心が蝕まれていく。
だが、自責の念というよりかは寧ろ、好奇心の方が勝っていた。
繊細で優しい本性を、冷めた生意気な目で隠したこの少年が、この先どんな風に変わっていくのかという興味だ。
そんな自分の異常さを十分に自覚しつつも、高揚さえした。
狂気に染まっていくのか、あるいは。
できることなら——……
ヤマトはひとしきり笑ったあと、力無く呟いた。
「アンタはいつか、僕も殺すんだろうな……。」
「……。」
透き通った黒い空から雪が降ってきた。
頬に一筋、冷たく張りつく氷の結晶。
ここでの出来事を覆い隠すように、静かに、白く、降り積もる。
マクシミリアンは白い息をひとつ吐くと、柔らかく微笑んだ。
「そうなった時は、お前が私を殺すといい。」
青い瞳が真っ直ぐに見上げてくる。
何かを決断したような、確信に満ちた目。
——できることなら、
その目がいつまでも抗ってほしい。
降り続く雪が、この世界から、色や音すら奪っていく。
——そして現在、エルリア警察署。
窓からの月明かりに照らされた取調室。
コツコツ、と乾いた足音が近づいてくるのを、机の上に足を投げ出し、鼻歌を歌いながら聞いていた。
扉が開き、視線だけを動かす。
入り口に立つ人物の顔を見て、ピエロは口元を歪ませる。
「来ると思ったぜぇ。総帥閣下。」
その言葉に、マクシミリアンが僅かに唇の端を持ち上げた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
御機嫌ようそしてさようなら ~王太子妃の選んだ最悪の結末
Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。
生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。
全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。
ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。
時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。
ゆるふわ設定の短編です。
完結済みなので予約投稿しています。
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる