帝国軍人の専属娼婦

カスミ

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第二章 Dance in the dark -闇のサーカス-

第14話 lips poison

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扉のノブを回すと、外側から鍵が掛けられているようだ。
くそ、あの男……、とアヤメは心の中だけで吐き捨てた。
ここから出られないのなら、あとはあの窓だ。
誰かがこちらを見ているかもしれない窓。
アヤメはピエロが腰掛けていた椅子を引き摺ってきて持ち上げると、横長の窓に向けて投げつけた。
意外にもガラス細工のように簡単に割れてしまって思わず固まった。
派手な音だったのであの男に気づかれたかも、と耳をそばだてたが、足音が近づいてくる気配がない。
ハイヒールを窓の向こう側に投げてから、窓枠を乗り越えた。

そこは黒い壁紙に、大きなシャンデリアが薄暗く灯っている部屋だった。
何人か肩を並べられそうな横長のドレッサーには、化粧道具や小物が雑に置かれている。
その前で下着姿の女や、ドレス姿に女装した男が汚い言葉を口にしながらショーの準備をする様が目に浮かぶようだ。


ここは一体、何なの?


いや、ここがどこだろうとロクなところではないことは容易に想像がつく。


早く逃げないと。


部屋の奥には人1人がやっと通れるような狭い通路が、どこかに繋がっているようだった。
その通路の左右に、少しの隙間もないくらいぎっしりと掛けられた服。手に取ってみる気もしないが、女物のドレスや、極彩色のジャケットなどの衣装のようだ。日が当たらないからだろうか、黴のような臭いがするその空間を恐る恐る進んでいると、何かがアヤメの右腕をぐっと掴んだ。

「……!?」

いきなりのことで声も出ない。
見つかってしまった。


呼吸することすら忘れていると、意外な顔が現れた。



「無事ですか?!アヤメさん」

「リヒト君?!」


アヤメが声を上げるとリヒトはしーっと指を唇に当てた。

「怪我はないっすか?すんません、遅くなって……」

「ど、どうして……」

「隊長との約束っすから。ちゃんとアヤメさんを守るっすよ。」

相変わらず人懐っこい笑顔。
それはここから抜け出してみせるという一心で気丈に振る舞っていたが、内心は不安でいっぱいだったアヤメの緊張を一気に解した。

「うぅ……、ありがとう、リヒト君……」

そう言いながらアヤメは思わずリヒトに抱きついたが、リヒトは赤面してしまった。

「だ、ダメっすよアヤメさん。こんなとこ見られたら、オレが隊長に殺されるっす……」

「あっ、ごめんね?つい……」

「さ、さぁ、こんなとこ早く出ましょう。」

リヒトはまだ身長も手足も伸びきっていない自分より年下の少年だが前を歩くその背中は頼もしいものだった。
リヒトもやがてヤマトのような立派な軍人になるのだろう。
2人の姿を瞳の奥に重ねていると、リヒトの左腕が血で汚れているのに気付いた。

「リヒト君、怪我してるの……?」

「え?あぁ、こんくらい平気っすよ。こんな仕事してたら身体中、傷ばっかりっすから。」

そう照れ臭そうに笑うリヒトを見て、ヤマトの身体に刻まれた大小の傷跡を思い出した。

「……そうね。ヤマト様も傷だらけだったもの。」

「あー、確かに。でも隊長、脱いだら結構いい体でしょ?鍛えてるから、腕とか背中とかスゲーっすよね。」

「ふふっ、そうね。着痩せするのかな?軍服着てると華奢に見えるよね。」

そこまで言って、リヒトが「って、あれ……?」と振り返った。

「……見たんっすか?いつ?」

「えっ?!あ……ち、違うの。ちょっと、着替えの時……」

「き、着替え……?」

はぐらかそうとしたが、墓穴を掘っただけのようだ。リヒトは困惑した表情で顔を赤らめている。

「ああっ、ほら、少し前に2人で出かけてたらすっごい雨が降ってきて…。服が乾くまで家に寄ってもらってて、その時にちょっと……」

まったくのデタラメな出来事なのだが、
「あ、なるほど、そうなんっすね。隊長ってば……、女の人の前で着替えるなんて失礼っすねぇ?」
と、納得してくれたようだ。
本人不在のところでリヒトの中のヤマトに対する評価を下げてしまったような気がして、申し訳ない気持ちになった。

長い通路を抜けると、階段の踊り場のような場所に出た。
せいぜい一人しか通れなさそうな、いかにも軽量そうな金属で出来た折り返し階段。薄暗くて天井がよく見えないが、結構な高さまで階段が続いていそうだ。

「そう言えば、ここはどこなの?リヒト君はどうやってここまで?」

「帝都を出て南にある森の中っすよ。馬で追ってきたんっすけど、その途中で怪しいテントが張られてたんで、もしかしたらって思って。外観はなんか、サーカスみたいな奇妙なところで……」

狂気的なメイクをしたピエロの存在、猥雑な化粧部屋、ケバケバしい衣装たち。

何かのショーの裏側だと思っていたが、まさかサーカス小屋とは。

だけどまぁ、サーカスと一口に言っても様々だろう。
子供から大人たちを楽しませる一流のものから、一部の観客を悦ばせる悪趣味で低俗なものまで。
ここは明らかに後者だ。




「そうだ。ここは闇のサーカスだ。」




その声にリヒトは右手をサーベルに掛け、アヤメを庇うようにして自身の後ろに下がらせた。

「入れば最後。決して出ることのできない血に塗れたサーカスだ。」

はじめに足先だけが、正面の黒いカーテンの隙間から現れた。
目線を上げるとそこにいたのは、黒い口髭を蓄え、頭頂部だけ禿げた中年の男性……なのだが、身体が異様に小さく、身長がリヒトの腰あたりくらいまでしかない。
だが、小さいながらもきちんとしたスリーピースのスーツを着こなすその姿は知的そのもので、鋭い目つきにはどこか聡明さを感じさせる。
小男はアヤメとリヒトを交互に見比べて目を細めた。

「お前たち、いったいどうしてこんなところに来た?」

「好き好んで来たわけじゃねーよ。お前は何者なんだよ。」

「相手にものを尋ねるときはまずは自分から、と教わらなかったのか?小僧。」

「あいにく、生まれはいいけど育ちが悪いんだ。」

そう鼻で笑うリヒトは、やはりヤマトの部下として側にいるからだろうか、こういう時の口の利き方がなんだかヤマトを彷彿とさせるな……とアヤメは思った。

「見たところ帝国軍人のようだが、仲間を助けにきたのか?だとしたらもう手遅れだぞ。」

「仲間……?」

リヒトが眉をひそめると、小男の背後のカーテンが控えめに開いた。

「どうしたの?ジョージ。」

透明感のある無邪気な声とともに、裾の広がったバレエ衣装に身を包んだ少女が出てきた。


まだ女性特有の曲線がない、大人の身体になる手前の華奢な身体。ブロンドの髪を綺麗に一つにまとめ、薔薇のように染まった頰と、バレエダンサーらしい真っ直ぐ伸びた脚。



だが彼女には、しなやかに伸びているはずの両腕がなかった。



アヤメは思わず目を見張ってしまう。
その感情を持つことを恥ずべきことだと、頭の中では理解している。
だがこうして実際に目の前にして、驚いてしまったのは事実だ。




そしてアヤメの中で、点と点が結びついた。
あのピエロが自分に言い放った言葉。



『いい見世物になるぜ』





そう、ここは見世物小屋だ。
日常では目にすることのできない異形の者たちを披露する興行。
アヤメがここに連れてこられた理由の一つは、この赤い瞳なのだろう。
幼い頃から母親や周囲に気味が悪いと罵られていた、血のように赤い瞳。
鏡を見るたびに嫌気が差すこともあったが、最近は以前ほど気にならなくなっていた。

ヤマトと出会ってからだ。
ヤマトは、はじめて自分を肯定してくれた人。
ヤマトにさえ認められていれば、他の誰に何を言われても気にならない。

だが、ここに連れて来られたことで、自分はやはり他人にとって異形の存在なのだと思い知らされ、あの頃の惨めな気持ちが蘇ってきた。



「ここはお前たちが来るようなところではない。早く逃げるんだ。」


低く諭すような声色に、その意味をまだ理解していないのだろう、リヒトが怪訝そうな顔をする。

「そう言うオッサンたちはなんで逃げないんだよ?」

「見てわからないか?私たちのような姿では、外の世界では生きていけない。」

「そんなことねぇだろ。」

リヒトから出たその言葉は安っぽい慰めではなく、心の底から出てきた本心だと、アヤメは感じる。
ヤマトのことを話していた時にも、彼の無邪気な感性にはっとさせられたが、アヤメはリヒトよりは世間の理《ことわり》をいくらか知っている。
それはこの小男も同じだろう。

「口先だけで綺麗事を言おうと、差別というものは無くならない。人と違うということは、好奇の目に晒されるものだ。君も少なくとも、わかるんじゃないか?」

男は後半はリヒトではなく、アヤメに問い掛けるように、その赤い瞳を見つめた。

「私、外の世界は嫌いよ。気持ち悪いって言われたり、ぶたれたりするんだもん。」

少女がわざと頬を膨らませる。
おどけて見せてるが、年齢に不相応な憂いを帯びた瞳が彼女がこれまで受けてきた仕打ちを物語っているような気がした。

「そっか。でも世の中、そんな人間ばっかりじゃないぞ?」

リヒトが少女の顔を覗き込んで笑うと、少女は顔を赤くして俯いてしまった。

彼のそれは無意識で、天性のものなのだろう。
暗い水の底でも手を差し伸べてくれて、周囲を明るく照らしてくれる。
まるで太陽のような存在。
そんなリヒトを、アヤメはとても眩しく感じた。

すっかり場の雰囲気をリヒトに持って行かれた小男は溜息をつく。

「……ついてくるんだ。外まで案内しよう。あいつらに見つかってはいけない。」

そう言うと階段を登り始めた。
敵意はないということだろうか。
リヒトとアヤメは目を合わせたあと、小さく頷いた。


  
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