1 / 1
粘着
しおりを挟む
彼女が何故そんな出来事を覚えていたのか、正直そんなことはどうでもよかった。
でも彼女はその出来事にとても固執していた。どうしてもその出来事に決着をつけたいのだろう。
僕はといえば、昨日買ったばかりの高級ブランドの鞄に傷がついていないか、それがとても気になっていた。さっき急いでここへ来る途中、どこかにぶつけてしまったのだ。一通り鞄を入念に調べたが、幸い傷は見当たらなかった。
「なにしてるの? 私の話し聞いてる?」と彼女は言った。
彼女は妙にしなやかな手をテーブルのうえで上品に組んでいる。既に運ばれてきていた紅茶にはまだ一度も手をつけていなかった。
僕は「聞いてる」と言って、鞄を隣の席に丁寧に置いた。
「なんであんなことしたの?」と彼女は訊いた。
「別に深い意味はないよ。ただ、そんな気分だったんだ。君があんなに怒るとは思ってなかったんだよ」
「怒るわよ。当たり前じゃない。あの頃、あなたは私をずっと馬鹿にしてたんでしょ」
「そんなことないよ」と釈明したあと直ぐに「悪かったよ」と僕は真摯に謝罪した。
「そんな簡単な問題じゃないわ。謝って済むことと済まないことがあるの。あれは済まないことなのよ」
僕はだんだん気分が塞いでいく感覚をじんわりと味わっていた。
確かによく考えれば、簡単に許されることじゃなかったのかもしれない。でも、もうあれから六年の歳月が流れているんだ。六年と言えば中学に入学した生徒が高校を卒業してしまうほどの時間だ。彼女はその六年間ずっとそのことに拘り続けていたのだろうか? もしそうならそれは彼女に何か問題があるんじゃないのか。僕にはそう思えてならなかった。
僕は、「今夜、友達と会う約束があるんだ」と一方的に見切りをつけ、自分の珈琲代をテーブルに置き店を出た。幸い彼女は追って来なかった。
約束の時間に遅れそうだったので、僕は久しぶりにタクシーを拾った。
運転手に行き先を告げ一息ついたところでガラケーが鳴った。(僕はいまでもガラケーを使っている。僕はスマホがあまり好きじゃないんだ)相手はさっきの彼女からだった。
「あなた、逃げるつもり?」と、妙に落ち着いた彼女の低い声が耳にへばりついた。
「悪いけど、僕はその件に関してもうなにも言うつもりはないんだ。君には悪いことをしたといまは思ってる、でも六年もの間ずっとそのことを気にかけてるなんておかしいよ。君、どこか心を患ってない? こんなことは言いたくないんだけど」
「なによ、私の頭がおかしいってこと? よくもそんなことが言えるわね。あなたって最低ね。いつも自分勝手で私のことなんて一度だって真剣に考えてくれたことなんてなかったじゃない。それにあの時だって──」
僕は電話を切った。
これ以上もう彼女には関わりたくない。それにさっきから少し頭痛がしていて話すのが億劫になってきてたんだ。
ふと、パトカーのサイレンが聞こえた。かなり大きな音だ。僕は即座に車窓の外を見回した。でもパトカーは見当たらなかった。たぶん僕の気のせいだったんだろう。
また電話が鳴るといけないので、僕はガラケーをマナーモードにした。そうだ、始めからマナーモードにしておくべきだった。僕はこの手のミスをよくするんだ。
途端、ガラケーが振動し始めた。見るとまたあの彼女からだった。僕はそれを無視することにした。
車窓から外を眺めると、そこには夜の街のいくつものネオンが煌びやかに、ぬらぬらと後方に流れていた。
と、その風景の中に見覚えのある女を見つけた。女と目が合った。
まさか……。いや、いまのはあの彼女だ。間違いない。どうしてあんなところに彼女が……。
僕は混乱した。
彼女はスマホを耳にあてこちらを睨んでいた。
彼女の瞳は、まるで時空を貫くかの如く鋭い眼力で、戸惑う僕の瞳を的確に捉えていた。
ガクン、とクルマが大きく揺れた。
続いて、静かだったガラケーが突然振動した。着信だ。
僕は相手を確かめることなく、妖しげに唸り続けているケータイを鞄の奥に仕舞い込んだ。
「えっ……」
掴まれた。
鞄に入れた僕の手を、しなやかな手が力強く掴んだ。
僕は絶叫した。
でも彼女はその出来事にとても固執していた。どうしてもその出来事に決着をつけたいのだろう。
僕はといえば、昨日買ったばかりの高級ブランドの鞄に傷がついていないか、それがとても気になっていた。さっき急いでここへ来る途中、どこかにぶつけてしまったのだ。一通り鞄を入念に調べたが、幸い傷は見当たらなかった。
「なにしてるの? 私の話し聞いてる?」と彼女は言った。
彼女は妙にしなやかな手をテーブルのうえで上品に組んでいる。既に運ばれてきていた紅茶にはまだ一度も手をつけていなかった。
僕は「聞いてる」と言って、鞄を隣の席に丁寧に置いた。
「なんであんなことしたの?」と彼女は訊いた。
「別に深い意味はないよ。ただ、そんな気分だったんだ。君があんなに怒るとは思ってなかったんだよ」
「怒るわよ。当たり前じゃない。あの頃、あなたは私をずっと馬鹿にしてたんでしょ」
「そんなことないよ」と釈明したあと直ぐに「悪かったよ」と僕は真摯に謝罪した。
「そんな簡単な問題じゃないわ。謝って済むことと済まないことがあるの。あれは済まないことなのよ」
僕はだんだん気分が塞いでいく感覚をじんわりと味わっていた。
確かによく考えれば、簡単に許されることじゃなかったのかもしれない。でも、もうあれから六年の歳月が流れているんだ。六年と言えば中学に入学した生徒が高校を卒業してしまうほどの時間だ。彼女はその六年間ずっとそのことに拘り続けていたのだろうか? もしそうならそれは彼女に何か問題があるんじゃないのか。僕にはそう思えてならなかった。
僕は、「今夜、友達と会う約束があるんだ」と一方的に見切りをつけ、自分の珈琲代をテーブルに置き店を出た。幸い彼女は追って来なかった。
約束の時間に遅れそうだったので、僕は久しぶりにタクシーを拾った。
運転手に行き先を告げ一息ついたところでガラケーが鳴った。(僕はいまでもガラケーを使っている。僕はスマホがあまり好きじゃないんだ)相手はさっきの彼女からだった。
「あなた、逃げるつもり?」と、妙に落ち着いた彼女の低い声が耳にへばりついた。
「悪いけど、僕はその件に関してもうなにも言うつもりはないんだ。君には悪いことをしたといまは思ってる、でも六年もの間ずっとそのことを気にかけてるなんておかしいよ。君、どこか心を患ってない? こんなことは言いたくないんだけど」
「なによ、私の頭がおかしいってこと? よくもそんなことが言えるわね。あなたって最低ね。いつも自分勝手で私のことなんて一度だって真剣に考えてくれたことなんてなかったじゃない。それにあの時だって──」
僕は電話を切った。
これ以上もう彼女には関わりたくない。それにさっきから少し頭痛がしていて話すのが億劫になってきてたんだ。
ふと、パトカーのサイレンが聞こえた。かなり大きな音だ。僕は即座に車窓の外を見回した。でもパトカーは見当たらなかった。たぶん僕の気のせいだったんだろう。
また電話が鳴るといけないので、僕はガラケーをマナーモードにした。そうだ、始めからマナーモードにしておくべきだった。僕はこの手のミスをよくするんだ。
途端、ガラケーが振動し始めた。見るとまたあの彼女からだった。僕はそれを無視することにした。
車窓から外を眺めると、そこには夜の街のいくつものネオンが煌びやかに、ぬらぬらと後方に流れていた。
と、その風景の中に見覚えのある女を見つけた。女と目が合った。
まさか……。いや、いまのはあの彼女だ。間違いない。どうしてあんなところに彼女が……。
僕は混乱した。
彼女はスマホを耳にあてこちらを睨んでいた。
彼女の瞳は、まるで時空を貫くかの如く鋭い眼力で、戸惑う僕の瞳を的確に捉えていた。
ガクン、とクルマが大きく揺れた。
続いて、静かだったガラケーが突然振動した。着信だ。
僕は相手を確かめることなく、妖しげに唸り続けているケータイを鞄の奥に仕舞い込んだ。
「えっ……」
掴まれた。
鞄に入れた僕の手を、しなやかな手が力強く掴んだ。
僕は絶叫した。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
鈴ノ宮恋愛奇譚
麻竹
ホラー
霊感少年と平凡な少女との涙と感動のホラーラブコメディー・・・・かも。
第一章【きっかけ】
容姿端麗、冷静沈着、学校内では人気NO.1の鈴宮 兇。彼がひょんな場所で出会ったのはクラスメートの那々瀬 北斗だった。しかし北斗は・・・・。
--------------------------------------------------------------------------------
恋愛要素多め、ホラー要素ありますが、作者がチキンなため大して怖くないです(汗)
他サイト様にも投稿されています。
毎週金曜、丑三つ時に更新予定。
感染した世界で~Second of Life's~
霧雨羽加賀
ホラー
世界は半ば終わりをつげ、希望という言葉がこの世からなくなりつつある世界で、いまだ希望を持ち続け戦っている人間たちがいた。
物資は底をつき、感染者のはびこる世の中、しかし抵抗はやめない。
それの彼、彼女らによる、感染した世界で~終わりの始まり~から一年がたった物語......
静かな隣人
吉良朗(キラアキラ)
ホラー
彼と彼女のハートフルバイオレンスホラー
和雄とひかりは駅近のマンションで暮らす若い夫婦。
そんな二人は、3か月ほど前に隣の部屋に引っ越してきたユーチューバーのゲーム実況の声に毎晩悩まされていた。
そんな状況に和雄の我慢は限界を迎えようとしていた……
心友
みぅ✩.*˚
ホラー
高校生になって
新しい友達 新しい先生
初めての「恋」……
皆優しくて毎日楽しくて…
でも…
少しずつ何かが変わって行く…
「親友」?「心友」?
「友達」って何?
私…誰を信じたら良いの?
強面おじさんと無表情女子大生の非日常~出会い編~
黒木メイ
ホラー
白金 猛(しらかね たける)は裏社会では『腕が立つ何でも屋』として有名だ。
昔に比べたら平和な仕事のはずなのだが……とある依頼を受けたことで命の危険に晒される。
何とか命は助かったものの。以降、白金の身に襲いかかる奇々怪々。
対処の仕様がない事象に頭を抱える白金。
そんな彼に手を差し伸べたのは、一般人?(大学生)の黒井 百合(くろい ゆり)。
本来交わるはずのない世界で生きている二人が交わったことで起きる非日常。
※現代を舞台にしていますが、あくまで架空の設定です。
※小説家になろう様にも掲載。
夏が終わっても
師走こなゆき
ホラー
※作者的にはホラーを書いたつもりです。
※他サイトに投稿したものに加筆したものです。
夜のお墓で知らない人たちと線香花火をする。
それがわたしの参加したイベントの内容。
そして始まる、誰にも話せない秘密を明かす時間。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる