恋する洗濯機

滝川創

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8.夕陽差す休憩所

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 俺は船で川を渡っていた。突然、背後から名前を呼ぶ声が響く。
 振り返ると岸にキレイが見えた。

 俺は何の躊躇もせず、すぐさま川へと飛び込んだ。


 *****


「動かないで。天ちゃんは助かったんだよ」

 病院のベッドだった。

「坂口さん、あなたは大量出血により命の危機に面していました。しかし、あなたは運が良かった。今は回復状態で、死の可能性はほぼ無くなりました」

 咲良が俺の手を握った。

 俺は生きていたのだ。キレイに呼び戻されてこの世界に戻ってきたのだ。


 俺は病院で入院生活を送った。
 その間もベッドの脇にある机で『恋する洗濯機』の原稿を描いた。
 少し無理をしてでも、記憶が薄れる前にできるだけ多く描いて、忘れないようにしなくては。
 

 静かに日々を過ごしていくうちに、だいぶ動けるようになった。

 俺は飲み物を買うために休憩所へ向かう。
 休憩所には大きな窓があり、そこにソファがある。
 そこでジュースを飲みながら外の景色を見るのは気持ちが良い。

 今日はそのソファの横で車椅子に座っている女性がいた。
 彼女も窓から夕陽を見ている。
 黒い髪の女性だ。
 
 俺がソファに座ると女性がこちらを向いて、目が合った。

「こんにちは」

 俺から声をかけてみた。
 色白で柔らかそうな肌、純粋な心を思わせる澄んだ瞳。キュートな桃色の唇。俺と同じくらいの歳に見える。

「夕陽が綺麗ね」彼女が言った。「私、しばらく外の景色を見ていなかった」

 夕陽を眺める彼女はどこかうっとりとした表情を浮かべていた。
 彼女が続ける。

「あなたはどこかご病気?」
「ついこの前、肩を刺されてね」
「ええ!? それは大変だったでしょう」
「ええ、まあ犯人は捕まったし、俺もこの通り元気になったから大丈夫。あなたは?」
「私、実はついこの前までずっと夢を見ていたの」

 彼女の目ははどこか遠くを見ているようだった。

 家族は私の眠った顔を悲しそうだと言ってた。でもそれがある日、私は微笑み始めたらしいの。
 それからぐんぐんと体調が良くなって、意識が戻ったり、無くなったりを繰り返すようになった。
 そして私は今、ついに普通に生活が出来るようになったの。

 彼女の口調からは、力強い「生」が伝わってきた。

 実はこの話にはもっと変わった事があって、私が見た夢はどれも人が登場しない不思議な世界だったの。
 そして、一つの夢が覚めるとまた、次の夢へと移動するの。
 最初は寂しい気持ちで一杯だったわ。でもある時、夢の中で素敵な出会いがあったの。
 私はその人に恋をしていたわ。

 短い間だったけど幸せな日々を送った。
 私は今でも、彼に会えなくなってしまったことを寂しく感じているの。
 変よね。実在する人物でも無いのに。
 むしろ動けるようになった奇跡があるのだから、それで夢のことなんてすぐに忘れてしまいそうなのに。

 俺は彼女の話を聞いていてキレイのことを思い出した。

「でも、この夢で一番おかしなところは……」

 彼女は一呼吸置いて言う。



「変な話なんだけど、夢の中の私は……『洗濯機』だったの」

 さっきから、彼女の声に何だか聞き覚えがあるとは感じていた。
 だが、俺はこの時点で確信した。この声はキレイの声だ。

 今、目の前にいるこの美しい女性は、キレイの元の姿なのではないだろうか。
 体の中で凍り付いていた何かがじわじわと溶け出しているのを感じる。 

「そしてね、私が目覚める直前に彼は私に向かって想いを伝えてくれた。そして、私にそっとキスをしてくれたの」

 俺は今、神と奇跡の存在をはっきりと感じていた。
 決して会えないと思っていた彼女との再会を果たしているのだ。 

「意識が戻っていくその中で、私と彼は愛を伝え合った。そして最後の最後、目覚める前に私は言ったの……」

 俺は息を飲んだ。


「「あなたと夕陽が見たかった」」


 俺と彼女の声が重なった。
 彼女は信じられないというように口を手で押さえ、目を丸くしている。

「キレイ……信じられないよ。俺だよ……天馬だよ」
「天馬さん……」

 俺とキレイはしばらくの間、お互いの瞳を見つめ合っていた。

「キレイ、ずっと会いたかった」
「私も」

 彼女の目が涙で煌めいている。恐らく俺も同じだろう。

「キレイ、色々と話したいことはあるんだけれど、まずは一つ聞きたいことがある」
「うん。何?」

「君の本当の名前は?」
「私の名前……」

 彼女の目から涙が溢れ出した。
 



「私の名前は……池林利美」



 その時、俺は彼女と三度目の恋に落ちた。
 長い、長い初恋。


 俺は彼女の手を取って言う。

「ずっと、君のことが好きだ」



 昔の面影残る君の微笑みは、真っ赤な夕陽に照らされていた。
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