恋する洗濯機

滝川創

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2.洗濯中

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 夜八時、俺は洗濯機の前にしゃがみ込んで洗濯機の電源をつけた。
 ピンポロリン
 ボタンが光り、電源が入る。

「あ、またココに戻ってきた」

 またも予想外な台詞。

「君はどこか行ってたの?」
「ええ。天馬さんが電源を消したのと同時に目の前が真っ暗になって、また不思議な夢を見てきたわ」
「へえ、夢に戻るのか」
「そうなの。不意に目の前が白くなったと思いきや、あなたの声よ。同じ世界に来たのは今回が初めてだわ。やっぱりココだけは夢じゃない特別な世界な気がする」
「ほう。それは不思議だな。まあ、その話は後で詳しく聞かせてもらおうかな。君を起こしたのは洗濯をしてもらいたいからなんだ」

 俺は服を脱いで洗濯機の中に入れ、そこで考える。
 こんなにも頭が良いのだ。まさかとは思うが、臭いも感じたりするのでは?

「臭かったらごめん」
「臭いは感じないから大丈夫よ」
「それは良かった。じゃあよろしくね」

 流石に臭いは感じないのか。
 まあ、いちいち感じてたら苦しくてやってられないもんな。
 洗剤を入れようとして、便利な機能を思い出す。

「この洗濯物に必要な洗剤の量はどれくらいかな?」
「……私に聞いてる?」

 なんだその返答。

「そりゃもちろん。説明書には聞けば教えてくれるって書いてある」
「えーと、私はわからないわ。まず洗濯物が入っていることさえ感じないもの」

 一体どうなってるんだ。この洗濯機は不良品なのか?
 説明書と違うし、会話もなんだか自然すぎて妙だ。
 もしかして、本当に彼女は人間で何かの拍子に洗濯機に生まれ変わったのか?

 ……そんな事があるわけない。自分が信じかけたことがバカみたいで恥ずかしくなってくる。

「済まないが君は不良品のようだ。だから君を工場に戻させてもらう。悪く思わないで――」

 ピピピッ

 俺の言葉を遮るようにして電子音が鳴り響き、洗濯機上面にあるモニターに文字が表示される。

「なになに……洗剤量は二五グラムか。会話機能と軽量機能は連携してないのか、ややこしいな」
「私、捨てられちゃうの?」

 彼女が発した声は弱く、震えていた。

「いやいや捨てないよ。大丈夫。不良品じゃないってわかったから」
「……良かったわ。お願いだから捨てないで。私、もう寂しい夢の世界で迷い続けるのは嫌なの」

 なんだか可哀想になってきた。相手は洗濯機だというのに。
 これでは次の買い換えの時に捨てるのが大変そうだ。

「おう。大切にしてできるだけ長持ちさせるから安心してなって。高かったんだし。じゃ、風呂入ってくる」
「ありがとう。行ってらっしゃい」

 俺はシャワーを浴びながら様々な考えを巡らせていた。
 彼女が言っていたことがもし本当だとしたら、彼女は何かの拍子に人間の体を離れて夢の中をさまよった。そして今、この家に届いた洗濯機の中に、本来埋め込まれているはずの人工知能のかわりに存在しているということになる。

 あまりにぶっ飛んだ話で信じられない。それともこれは洗濯機を作った電子機器会社の経営戦略の一つなのだろうか。
 もしくは製造中に何らかのミスが起こり、それが原因で人工知能が暴走しているのだろうか。それにしてはあまりにもファンタジーな故障だが。
 俺は考え込みすぎて頭を二回も洗ってしまった。
 
 色々と考えた末、『丁度、琳菜にフラれて寂しかったし、話し相手がいると気が紛れるから今のところは置いておく』という結論に至った。



 風呂から出ると俺は寝間着を来て洗濯機の前に座り込んだ。

「出たよ。話を聞こうか」
「うん。でもその前に気になるんだけど、何か天馬さん、声が寂しそうじゃない?」
「う……そんな事までわかるのか」
「だいぶわかりやすかったよ。何か悩みでもあるの? 私で良かったら聞くよ。これから一緒にやっていくことになりそうだし、お互いに助け合いましょう」

「君はいい洗濯機だな」
「あと、もう一個気になってたんだけど、私のことを『洗濯機』以外の名前で呼んで欲しいわ」
「うーん、そうだね。じゃあ、『キレイ』でどう?」
「変わった名前ね」
「洗濯機は綺麗にするじゃん。だから」

「うーん。ネーミングセンスが良いとは言えないけど、まあ『洗濯機』よりはマシだわ。次はあなたの事について教えて欲しいわ」
「まず俺は漫画家をやってる。小さい頃から静かな方で、学校でも休み時間は一人で絵を描いていたっけな。そのまま二十年が過ぎて二八歳の大人になった今でも、一人で部屋にこもって絵を描いてるのさ。まだあまり有名ではないけれどそろそろ売れる予定なんだ」
「へえー。漫画家なんだ。私、初めて漫画家と会ったわ。なんか歳も私と近い気がする。自分の年齢を覚えているわけではないんだけどね。それにしても小学校から一人で寂しくなかったの?」
「うん。絵を描くのに夢中になっていたから寂しくなかったよ。それにそういえば絵描き友達が一人いたな。その子とよく絵を描いてた。名前は木下咲良さくらだったかな。俺は彼女の絵が好きだった。でも、友達がいたのは小学校まで。中学校でも咲良と同じクラスになったんだけど、優しい女の子がいて、その子が咲良を活発なグループに誘ったんだ。そしたら咲良はそっちで気が合ったみたいで、俺は一人絵の世界に取り残されたんだ。その咲良を誘った優しい子、池林利美りみっていうんだけど、俺はその子のことが好きだったんだよな。俺が生まれて初めて好きになった人だよ」

 はっと我に返り顔が赤くなる。なぜ俺は洗濯機に向かって初恋の話なんかをしているのだろうか。

「ごめん。俺の悩みを打ち明けるつもりが、なんか話が全然関係ないところへ行っちゃった。人の初恋の話なんて聞かせて悪かった」
「全然。良いよ。そういうロマンチックな話、好き」
「そう? まあそれは置いといてなぜ俺のテンションが低いか、それは長いこと付き合ってた彼女に今日、突然フラれたんだよ」

 キレイは言葉を詰まらせた。

「……それは大変だったわね」
「そう。俺は琳菜のことが好きだったのに理由もよくわからない中フラれたんだよ」

 俺はそう言って深いため息をついた。それから洗濯機に向かってしばらく彼女との思い出を話したり、何がいけなかったのかなど相談をした。
 キレイは俺の話をしっかり聞いてくれて、話し終えたときにはだいぶスッキリしていた。

「それは苦しかったわね」
「ああ、泣きたいくらいだよ」
「泣いても良いわよ。我慢しているより、思い切り涙を流した方が心も疲れないから」
「そうだね。ありがとう。キレイは優しいんだね」
「助け合わなきゃね」
「だね。今日は遅いからもう寝るよ。おやすみ」
「おやすみ」

 俺はキレイの電源を消して布団に入った。

 窓から月明かりがぼんやりと差し込んでいた。
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