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まさか初デートなんて
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「そのときの彼が豊さん……なんて展開じゃないですよね」
「悪いが、高校時代は美術部だった」
「運動部って感じはしませんね。走るの、遅そうです」
「まあ、速くはないんじゃないか? スポーツテストの結果も悪かったしな」
「男子高校生として致命的な気がします」
「他人の評価なんてどうでもいい」
「その頃からそういう感じだったんですね……」
「どういう感じなのか言ってみろ」
「怒られるから言わないです」
豊さんは界隈では有名人なこともあって、インタビューに応えている回数も少なくない。けれど、そのほとんどはあまり深い内容ではなかった。
自分のことを語るのが好きじゃないからなのか、それとも単純に過去の話をどうでもいいと思っているからしないのか、他の理由があって話さないのかはわからない。
ただ、高校時代に美術部でスポーツが苦手だったなんて情報を聞いたのは、きっと私が初めてだろう。
「どうして美術部に?」
「自分の見た景色を残しておく方法が他になかった。写真部はまだなかったしな」
「じゃあ、絵も上手なんですね。写真と同じで」
「いや? 下手だから写真家になっただけだ」
(あ、そういう)
勝手に抱いていた完璧な人というイメージが崩れ落ちていく。
この人もただの人間なんだと、心のどこかで思った。
「見た通りのものを描けないから写真の方が早かった。勧められてコンクールに出したら賞を取って……後は気が付いたら仕事になっていたな」
(伊東さんが聞いたら発狂しそう)
才能があったということなのだろう。がむしゃらに突き進んで、もがきながら同じ位置に立つ人とは次元が違う。
「見た景色を残すのが目的だったんですよね。撮りたい景色があったりするんですか?」
「……さっきからずいぶん質問が多いな。インタビューか、これは」
「知らない情報ばっかり出てくるから、つい。でも、どこかにリークしたらちょっとはお金をもらえそうですね」
「どうして君がその情報を持っているのか、リークした瞬間に俺も流してやる」
「……おとなげないです」
「嫌なら黙っておくんだな」
鼻を鳴らし、豊さんが立ち止まる。
そして私の手を引いた。
「どうしました?」
「疲れた。君が質問攻めにするからだ」
「それはすみませんでした」
軽く流してついていくとベンチがあった。
さっさと座るかと思いきや、陽の当たる方の位置を譲ってくれる。
そこまでまだ疲れは感じていなかったけれど、このまま歩き続けていては行く道をなくして帰ることになっていただろう。
この瞬間を引き延ばせる休憩はありがたかった。
「……撮りたい景色はないが、やり直したい撮影はある」
「え?」
「さっきの質問だ。答えなくていいなら言わないでおく」
「聞きたいです」
「リークするなよ」
豊さんらしくない冗談と笑みに胸が騒ぐ。
「一度だけ、撮るべきじゃない写真を撮ったことがある」
「……どんなものなのか聞いても?」
「…………夕暮れの海辺、と……人物だな」
後悔していると言うだけあって、声が苦々しい。
「これでも一度、カメラを手放そうと思ったことがある」
「……冗談ですよね?」
「冗談なわけがあるか」
「だって、そんなに才能があるのに」
「撮り尽くした気になっていたからな。純粋に、飽きた」
(世の中のフォトグラファーに絞め殺されそう)
そうは思うけれど、天才ゆえの悩みというものがあるのかもしれない。
黙って聞いておく。
「その日も仕事だった。空いた時間に現場を離れて、近くの海に行ったんだ。ひと気のない寂しい海だったな。てっきり俺だけだと思ったのに、向こうから、こう、転びそうになりながら走ってきた女がいて」
今もその景色が頭に残っているのか、瞳の見ている先が遠い。
「面白いから撮った」
がく、と気が抜ける。
意味ありげに言った割にはずいぶんとノリが軽い。
「肖像権の侵害って知ってます?」
「逆光だし、ピントも合わせなかったからいいだろ」
(よくないと思う)
「……で、それがやり直したい撮影なんですか?」
「ああ、まあ」
豊さんがうつむく。
今は瞳になにを映しているのか、自分の手を見つめて。
「……泣いていたからな」
「その人が……?」
「だから撮り直したい」
繋がりはわからなかった。
ただ、よほどの思いがあるのは横で聞いていてわかる。
「仕事以外で人の泣く顔を撮ったことはない。これからも撮りたくない。……俺にとって残したい『画』じゃないんだ」
(そういえば……)
確か作品集として出していたものがいくつかあるはずだった。
なんとなく仕事で目を通したけれど、風景がほとんど、人物はすべて――笑顔だった気がする。
「人の笑っているところが好きなんですね」
「いや、それとは違うと思う。……なんだろうな。『幸せ』を残しておきたいんじゃないのか?」
ああ、と声が漏れる。
景色を残したいと言うから、綺麗なものが好きなのだと思っていた。
私が思っていたよりももっと綺麗なものを見て、シャッターを切っていたらしい。
「その人がモデルだったらいいですね。そうしたらまた撮れますし」
豊さんはゆっくり顔を上げた。
私を見て、ほろ苦い笑みを浮かべる。
「撮らせてくれないんじゃないか。ずっと前から片思いしていたなんて言われても怖いだろう」
甘やかな声が私の胸に鋭い痛みを走らせた。
「片思い……なんですか」
「ああ。一目惚れだった」
じわじわと痛みが広がって侵食していく。
恋をしている人の顔――私はそれを以前に学ばなかったか。
「ずっと囚われ続けているんだ。……今も」
切なげに囁いたその人の顔は、見知らぬ誰かに焦がれたものだった。
「悪いが、高校時代は美術部だった」
「運動部って感じはしませんね。走るの、遅そうです」
「まあ、速くはないんじゃないか? スポーツテストの結果も悪かったしな」
「男子高校生として致命的な気がします」
「他人の評価なんてどうでもいい」
「その頃からそういう感じだったんですね……」
「どういう感じなのか言ってみろ」
「怒られるから言わないです」
豊さんは界隈では有名人なこともあって、インタビューに応えている回数も少なくない。けれど、そのほとんどはあまり深い内容ではなかった。
自分のことを語るのが好きじゃないからなのか、それとも単純に過去の話をどうでもいいと思っているからしないのか、他の理由があって話さないのかはわからない。
ただ、高校時代に美術部でスポーツが苦手だったなんて情報を聞いたのは、きっと私が初めてだろう。
「どうして美術部に?」
「自分の見た景色を残しておく方法が他になかった。写真部はまだなかったしな」
「じゃあ、絵も上手なんですね。写真と同じで」
「いや? 下手だから写真家になっただけだ」
(あ、そういう)
勝手に抱いていた完璧な人というイメージが崩れ落ちていく。
この人もただの人間なんだと、心のどこかで思った。
「見た通りのものを描けないから写真の方が早かった。勧められてコンクールに出したら賞を取って……後は気が付いたら仕事になっていたな」
(伊東さんが聞いたら発狂しそう)
才能があったということなのだろう。がむしゃらに突き進んで、もがきながら同じ位置に立つ人とは次元が違う。
「見た景色を残すのが目的だったんですよね。撮りたい景色があったりするんですか?」
「……さっきからずいぶん質問が多いな。インタビューか、これは」
「知らない情報ばっかり出てくるから、つい。でも、どこかにリークしたらちょっとはお金をもらえそうですね」
「どうして君がその情報を持っているのか、リークした瞬間に俺も流してやる」
「……おとなげないです」
「嫌なら黙っておくんだな」
鼻を鳴らし、豊さんが立ち止まる。
そして私の手を引いた。
「どうしました?」
「疲れた。君が質問攻めにするからだ」
「それはすみませんでした」
軽く流してついていくとベンチがあった。
さっさと座るかと思いきや、陽の当たる方の位置を譲ってくれる。
そこまでまだ疲れは感じていなかったけれど、このまま歩き続けていては行く道をなくして帰ることになっていただろう。
この瞬間を引き延ばせる休憩はありがたかった。
「……撮りたい景色はないが、やり直したい撮影はある」
「え?」
「さっきの質問だ。答えなくていいなら言わないでおく」
「聞きたいです」
「リークするなよ」
豊さんらしくない冗談と笑みに胸が騒ぐ。
「一度だけ、撮るべきじゃない写真を撮ったことがある」
「……どんなものなのか聞いても?」
「…………夕暮れの海辺、と……人物だな」
後悔していると言うだけあって、声が苦々しい。
「これでも一度、カメラを手放そうと思ったことがある」
「……冗談ですよね?」
「冗談なわけがあるか」
「だって、そんなに才能があるのに」
「撮り尽くした気になっていたからな。純粋に、飽きた」
(世の中のフォトグラファーに絞め殺されそう)
そうは思うけれど、天才ゆえの悩みというものがあるのかもしれない。
黙って聞いておく。
「その日も仕事だった。空いた時間に現場を離れて、近くの海に行ったんだ。ひと気のない寂しい海だったな。てっきり俺だけだと思ったのに、向こうから、こう、転びそうになりながら走ってきた女がいて」
今もその景色が頭に残っているのか、瞳の見ている先が遠い。
「面白いから撮った」
がく、と気が抜ける。
意味ありげに言った割にはずいぶんとノリが軽い。
「肖像権の侵害って知ってます?」
「逆光だし、ピントも合わせなかったからいいだろ」
(よくないと思う)
「……で、それがやり直したい撮影なんですか?」
「ああ、まあ」
豊さんがうつむく。
今は瞳になにを映しているのか、自分の手を見つめて。
「……泣いていたからな」
「その人が……?」
「だから撮り直したい」
繋がりはわからなかった。
ただ、よほどの思いがあるのは横で聞いていてわかる。
「仕事以外で人の泣く顔を撮ったことはない。これからも撮りたくない。……俺にとって残したい『画』じゃないんだ」
(そういえば……)
確か作品集として出していたものがいくつかあるはずだった。
なんとなく仕事で目を通したけれど、風景がほとんど、人物はすべて――笑顔だった気がする。
「人の笑っているところが好きなんですね」
「いや、それとは違うと思う。……なんだろうな。『幸せ』を残しておきたいんじゃないのか?」
ああ、と声が漏れる。
景色を残したいと言うから、綺麗なものが好きなのだと思っていた。
私が思っていたよりももっと綺麗なものを見て、シャッターを切っていたらしい。
「その人がモデルだったらいいですね。そうしたらまた撮れますし」
豊さんはゆっくり顔を上げた。
私を見て、ほろ苦い笑みを浮かべる。
「撮らせてくれないんじゃないか。ずっと前から片思いしていたなんて言われても怖いだろう」
甘やかな声が私の胸に鋭い痛みを走らせた。
「片思い……なんですか」
「ああ。一目惚れだった」
じわじわと痛みが広がって侵食していく。
恋をしている人の顔――私はそれを以前に学ばなかったか。
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