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なんのための独占欲?
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しおりを挟む俯く私の髪を神宮寺さん――もう豊さんと呼んでいいのだろうか?――が拭ってくれる。
さっきからずっと続く沈黙が気まずくて、ついに口を開いた。
「誤解……ですから」
「…………」
「……あの記事は別になにもなくて」
手の中でタオルを握る。
(どうして説明してるんだろう)
私たちの関係は三ヶ月間だけの偽物なのだから、他に本物の好きな人ができたところで文句を言われる筋合いはない。
でも、神宮寺さんは怒っていた。
あるいは悲しんでいた。
――そうでなければ、こんなに後悔を滲ませて私に優しくするはずがない。
「私は」
「知っていたんだ、俺は。あいつが君を好きだって」
「……そう、なんですか」
目を合わせてくれない。
私も無理に見ようとしなかった。
「見ればわかるしな」
「……私はわからなかったです。おかしいな、って思うことがなければ、ずっと気付かなかったと思います」
アキくんは人懐っこいから、私にもそういう接し方をしているんだと思い続けていた。
神宮寺さんといるところを見られたあのときから、たぶん、なにかが変わってしまったんだと思う。
神宮寺さんを嫌いだと言い、こめかみへのキスをしてきたアキくん。あれがなければ、今も弟のような担当アイドルとして見ていただろう。
告白の瞬間まで彼の気持ちに気付けなかったのは間違いない。
「君は鈍いからな」
「……え」
神宮寺さんが少しだけ笑って手を止めた。
ぽた、と前髪を水が伝う。
「そんなきっぱり言われるほど鈍いつもりはないです」
「そう思ってるのは自分だけだと思うぞ」
指が顎にかかる。
唇が、重なった。
「自覚した方がいい」
どういう感情を込めてのキスなのか。
少なくとも情事のときに向ける欲は感じられない。
「……鈍く、ないです」
吐息のかかる距離で反論する。
私の囁きが神宮寺さんの唇をくすぐったのがわかった。
「私、鈍くないですよ。自分の気持ちは理解していますし」
「……つまり?」
(ここで言えたらよかった)
タオルを握った手が冷たくなっていく。
まるで独占欲を見せつけるような抱かれ方をされて、今までにないほど反応してしまった。
求められているように感じられたから、どうしようもなく嬉しくて。
今まで気付かない振りをしてきた分、気持ちが溢れた。
(……これは三ヶ月間だけの契約だから)
「鈍く見えても、好きな人ぐらいいます」
ゆっくり神宮寺さんの目が見開かれる。
声に出さずとも、信じられないと思っているのが伝わってきた。
「誰だ」
「言う必要はありません」
「俺の知っている男なのか?」
「聞いてどうするんですか?」
(あなただって言ったら、どんな顔をするの)
泣きそうになって唇を噛み締める。
この人は最初に言ったのだ。
本物の恋人はいらないから私を恋人にしたいのだ――と。
「あなたにだけは言いたくないです」
「な……」
「あと一ヶ月もすれば別れる相手に、いちいち報告する義務なんかないです。そこまで縛り付けられたくありません……!」
自然と声が大きくなってしまった。
髪を拭ってくれていた優しい手からも、触れるだけのキスをしてくれた唇からも遠ざかりたくて逃げようとする。
だけど、やっぱり逃がしてもらえなかった。
「言うんだ」
後ろから抱き締められる。
黙って、首を横に振った。
「言ってくれ」
「……嫌です」
(言ったら嫌われる)
どうせこのまま共にいられないなら、せめて奇妙な三ヶ月間を共有した戦友程度でいたい。
「私が誰を好きでも関係ないじゃないですか!」
突き放した弾みに肩を掴まれ、シーツの上に押し倒される。
神宮寺さんはすぐ私の上に覆いかぶさった。
腹部の上に腰を据えられれば身動きが取れない。
しかも、片手は押さえられている。
「ある」
「ありません……!」
「君は俺の恋人じゃないか」
「そうです、三ヶ月だけの恋人です!」
期限をことさら強調して突き放す。
まだ、離してもらえない。
「あと一ヶ月もすれば他人になるんですよ。それが最初の約束だったじゃないですか」
「……っ、それは」
「本当はもう、一秒も一緒にいたくないんです」
掴まれていない手で顔を覆った。
ひくりと喉が鳴って、声が震える。
「…………そういえば嫌われていたんだった」
(そういう意味じゃなくて)
肯定も否定もできない。どちらも私の心の平穏には繋がらないことを知っていた。
「わかっているなら踏み込んでこないでください。……私の気持ちは私だけのものです」
「……違う」
私の手首を掴む指に力がこめられる。
食い込んで少し痛いけれど、それ以上に胸が痛かった。
「今だけは俺のものなんだ」
反論を封じるようにキスを落とされる。
深く口付けられたわけでもないのに、なにも言えなくなった。
かつてこの人は『恋人』をテーマに撮影するなら、こなれていないモデルがいいと言っていた。
こんな風に切ない想いまで味わわせたのは、自分の求めるものを確実に写し取るためだろうか。
そこまで器用な真似なんてできるはずがないと思う。
けれど、そこまでの器用な真似をしていたらどうしよう、とも思う。
後者だったとき、希望にすがった私はどれだけ傷付くのだろう……。
(幸せな『恋人』の写真が撮りたいなら、今すぐ私を解雇しなきゃね……)
口付けが嵐のように降り注ぐ。
これまでに教えられた通り反応し、私もキスを返した。
神宮寺さんが私を捕らえているように、今は彼も私だけのもの。
(触れられた場所が全部火傷すればいいのに。そうしたら、一ヶ月経っても、どこに触れられたのかを忘れずに済む……)
お互い、どんな気持ちから相手を求め、受け入れているのかきっと理解し合っていない。
そんな状態でも肌を重ねることができるのだから、皮肉な話だった。
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