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契約は少し強引に
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「どうかしたんですか?」
そう声をかけると、中にいたスタッフたちが一斉に口元に人差し指を当てた。
意味は『黙っていろ』だ。
(……ああ、そういうこと)
さっきまで騒いでいたくせにと思ったけれど、なにが行われているかを知ってすぐ理解する。
「表情が硬い。そんな顔でカメラの前に立つな」
「すみません……!」
「謝罪する暇があったら行動で応えろ」
「はい!」
鋭い指摘は若いモデルの子だけでなく、私の胸にまで小さな痛みを生んだ。
彼女を叱咤しながら撮影しているのは、天才フォトグラファーと名高い神宮寺豊(じんぐうじゆたか)さん。
気難しい、怒りっぽい、笑ったところを見たことがない――などなど、よくない印象を聞く方が多いその人は、そんな態度では干されかねないこの業界を自らの腕だけで乗り切っていた。
けれど、残れるだけの腕があるのはわかる。
天才というものは本当に存在するのだ――と私も思ったのだから。
初めて見たのは、とあるモデルの写真だった。
結婚式場の広告で、ウェディングドレスに身を包んだモデルがこちらを見て笑っている――というよくあるもの。
私が息を呑んだのはそのシーンの切り取り方とモデルの表情で。
参列者の姿ないのだから本物の結婚式と見間違いようがない。けれど、空間が既に『幸福』に包まれていた。
モデルもまた、これから結婚する本物の幸せな花嫁にしか見えなかった。
どこにでもある構図だからこそ他との違いが一目瞭然に映る。
目を惹きつけられて、強烈に憧れた。結婚とはいいものなのだと、この式場でこのモデルのように幸せを味わいたいと思ってしまった。
それまでまったく結婚に興味のなかった私が、である。
たった一枚の写真がそれほどまでに私の心を揺さぶってきた。
実際、その広告を出してから件の式場は人気ランキングの圏外から上位に駆け上がったと言う。今もキープし続けているというから驚きだ。
いつか彼にアキくんを映し出してもらいたい。そうすれば、もっともっとその魅力を引き出せるだろう。
そう思うと同時に、いつも鬼気迫った様子で仕事に向かうその横顔を目で追っていた。
(写真家本人がモデルみたいなんだよね……)
何度も切られるシャッター音を聞きながら、今日も神宮寺さんの眼差しに見とれてしまう。
確かに彼には主に性格面でのよくない噂が多い。けれど、見た目の悪い噂は一度も――それこそ、笑ったところを見たことがないという不満くらいしか――聞いたことがない。
ほんの一瞬を切り取るためには瞬きすら惜しい。そんな心の声が聞こえてくるほどの真剣な表情。
きっと私たちが見ているものとは違う世界を見ているのだろう。モデルが見せるその瞬間を彼は片時も目をそらさず待っている。
あんなに熱っぽく、焦がれるような視線を向けられたら。
仕事振りを見ている最中、本人に知られればどんなオファーさえ断られそうなことを考えてしまう。
だって、あまりにも――綺麗だった。
本人はもちろん、仕事に対する真剣な姿勢が。
「ねー、志保ちゃん? なに見てんの?」
突然後ろから声をかけられ、息が止まりそうになる。
いつの間にかいたアキくんに、慌てて先ほどの皆と同じく『黙っていろ』とジェスチャーをした。
はっとした様子でアキくんが自分の口を両手で塞ぐ。
カメラを向けられているわけでもないのに、よく咄嗟にそんなあざとい仕草ができるものだ――なんて他人事のように思ったときだった。
「――さっきから騒いでいるのはどこのどいつだ」
あんなに聞こえていたシャッターの音が、気が付けば止まっていた。
ゆっくりと神宮寺さんが振り返る。
それにあわせて――なんて薄情なことか、スタッフたちは『犯人はこいつです』と言わんばかりに私の前からすっと引く。
当然、神宮寺さんから私までまっすぐ道ができることになった。
つかつか歩み寄った神宮寺さんが、邪魔者となった私の顔を確認し、軽く瞬く。
しばらくじっと見つめられ、ひどく落ち着かない気持ちになった。
「君は仕事をしに来たのか、それとも邪魔しに来たのか、どっちなんだ」
「……申し訳ございません」
「なにをしに来たのか聞いているんだが」
「…………仕事です」
これ以上なにを言われるのかハラハラしていると、パチパチと場違いな拍手がすぐ側で聞こえた。
「噂には聞いてましたけど、神宮寺さんってほんとに怖いですね」
「……は?」
「俺、アキって言います。アイドルやってるんですけど、いつか神宮寺さんに撮ってもらうのが夢で!」
「なんなんだ、お前」
「すすすすみません、アキくんが」
慌てて割って入り、へらへらしているアキくんを引っ張り出す。
「これ以上お仕事の邪魔はしません! 本当に申し訳ございませんでした!」
「あれ、もっと仕事してるとこ見たかったんだけど」
「いいから!」
スタッフたちの視線が温かいやら痛いやら。
アキくんの天然っぷりが今に始まったことではないのを知っているからだろう。
大変だね、またか、なんていう心の声が聞こえてくるようだった。
今日はそこに「よくあの神宮寺さん相手に」というのも聞こえるような気がしたけれど、あいにくのんびり気にしていられる余裕はない。
そう声をかけると、中にいたスタッフたちが一斉に口元に人差し指を当てた。
意味は『黙っていろ』だ。
(……ああ、そういうこと)
さっきまで騒いでいたくせにと思ったけれど、なにが行われているかを知ってすぐ理解する。
「表情が硬い。そんな顔でカメラの前に立つな」
「すみません……!」
「謝罪する暇があったら行動で応えろ」
「はい!」
鋭い指摘は若いモデルの子だけでなく、私の胸にまで小さな痛みを生んだ。
彼女を叱咤しながら撮影しているのは、天才フォトグラファーと名高い神宮寺豊(じんぐうじゆたか)さん。
気難しい、怒りっぽい、笑ったところを見たことがない――などなど、よくない印象を聞く方が多いその人は、そんな態度では干されかねないこの業界を自らの腕だけで乗り切っていた。
けれど、残れるだけの腕があるのはわかる。
天才というものは本当に存在するのだ――と私も思ったのだから。
初めて見たのは、とあるモデルの写真だった。
結婚式場の広告で、ウェディングドレスに身を包んだモデルがこちらを見て笑っている――というよくあるもの。
私が息を呑んだのはそのシーンの切り取り方とモデルの表情で。
参列者の姿ないのだから本物の結婚式と見間違いようがない。けれど、空間が既に『幸福』に包まれていた。
モデルもまた、これから結婚する本物の幸せな花嫁にしか見えなかった。
どこにでもある構図だからこそ他との違いが一目瞭然に映る。
目を惹きつけられて、強烈に憧れた。結婚とはいいものなのだと、この式場でこのモデルのように幸せを味わいたいと思ってしまった。
それまでまったく結婚に興味のなかった私が、である。
たった一枚の写真がそれほどまでに私の心を揺さぶってきた。
実際、その広告を出してから件の式場は人気ランキングの圏外から上位に駆け上がったと言う。今もキープし続けているというから驚きだ。
いつか彼にアキくんを映し出してもらいたい。そうすれば、もっともっとその魅力を引き出せるだろう。
そう思うと同時に、いつも鬼気迫った様子で仕事に向かうその横顔を目で追っていた。
(写真家本人がモデルみたいなんだよね……)
何度も切られるシャッター音を聞きながら、今日も神宮寺さんの眼差しに見とれてしまう。
確かに彼には主に性格面でのよくない噂が多い。けれど、見た目の悪い噂は一度も――それこそ、笑ったところを見たことがないという不満くらいしか――聞いたことがない。
ほんの一瞬を切り取るためには瞬きすら惜しい。そんな心の声が聞こえてくるほどの真剣な表情。
きっと私たちが見ているものとは違う世界を見ているのだろう。モデルが見せるその瞬間を彼は片時も目をそらさず待っている。
あんなに熱っぽく、焦がれるような視線を向けられたら。
仕事振りを見ている最中、本人に知られればどんなオファーさえ断られそうなことを考えてしまう。
だって、あまりにも――綺麗だった。
本人はもちろん、仕事に対する真剣な姿勢が。
「ねー、志保ちゃん? なに見てんの?」
突然後ろから声をかけられ、息が止まりそうになる。
いつの間にかいたアキくんに、慌てて先ほどの皆と同じく『黙っていろ』とジェスチャーをした。
はっとした様子でアキくんが自分の口を両手で塞ぐ。
カメラを向けられているわけでもないのに、よく咄嗟にそんなあざとい仕草ができるものだ――なんて他人事のように思ったときだった。
「――さっきから騒いでいるのはどこのどいつだ」
あんなに聞こえていたシャッターの音が、気が付けば止まっていた。
ゆっくりと神宮寺さんが振り返る。
それにあわせて――なんて薄情なことか、スタッフたちは『犯人はこいつです』と言わんばかりに私の前からすっと引く。
当然、神宮寺さんから私までまっすぐ道ができることになった。
つかつか歩み寄った神宮寺さんが、邪魔者となった私の顔を確認し、軽く瞬く。
しばらくじっと見つめられ、ひどく落ち着かない気持ちになった。
「君は仕事をしに来たのか、それとも邪魔しに来たのか、どっちなんだ」
「……申し訳ございません」
「なにをしに来たのか聞いているんだが」
「…………仕事です」
これ以上なにを言われるのかハラハラしていると、パチパチと場違いな拍手がすぐ側で聞こえた。
「噂には聞いてましたけど、神宮寺さんってほんとに怖いですね」
「……は?」
「俺、アキって言います。アイドルやってるんですけど、いつか神宮寺さんに撮ってもらうのが夢で!」
「なんなんだ、お前」
「すすすすみません、アキくんが」
慌てて割って入り、へらへらしているアキくんを引っ張り出す。
「これ以上お仕事の邪魔はしません! 本当に申し訳ございませんでした!」
「あれ、もっと仕事してるとこ見たかったんだけど」
「いいから!」
スタッフたちの視線が温かいやら痛いやら。
アキくんの天然っぷりが今に始まったことではないのを知っているからだろう。
大変だね、またか、なんていう心の声が聞こえてくるようだった。
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