【R18】きみを抱く理由

さくら蒼

文字の大きさ
上 下
2 / 81
契約は少し強引に

しおりを挟む
***

「志保(しほ)ちゃーん、おはよ」

 やや冷たい印象を与える事務所の廊下で、賑やかな声が響く。
 人懐っこく駆け寄ってきたのは、私がマネージャーとして担当しているアイドルのアキくんだった。
 歳は私の二つ下、二十六歳。売り出したばかりとはいえ、なにをしても憎めない明るいキャラクターが人気を博し、徐々に知名度を上げている事務所の希望である。

「アキくん、ちゃん付けはどうかと思うってこの間も言ったと思うんですけど」
「じゃあ、相模(さがみ)さん?」
「それでお願いします。……変な風に思われたら、困るのはアキくんなんですよ」
「志保ちゃんとなら変な風に思われても全然いいけどね」
「私が困るんです」
「えー」

 ぶー、とわざとらしく唇をとがらせている姿はあまり二十六歳に見えない。
 私は私で、そんなアキくんをときどき弟のように感じてしまうから困っている。

(上も、担当するアイドルを考えてくれればよかったのにな。たった二歳しか違わないなんて、お互い接し方に困るよ)

「ねー、志保ちゃーん」

 結局、アキくんは私を相模と苗字ではなく、志保と下の名前で呼ぶことにしたらしかった。毎度のやり取りはある意味儀式のようだったけれど、今日はこのぐらいで諦めておく。

「他の人がいる前でそれはやめてくださいね」
「あは、じゃあ二人っきりの秘密ってことで」
「誤解されるような言い方はしないでください」
「だから、俺は誤解されてもいいんだって」
「そういうのもいいですから」

 アキくんの冗談は正直あまり笑えない。

(マネージャーがアイドルとデキちゃうって、そんなの嫌すぎる)

 物語ならばよく聞く話だった。でも、私の身近ではあってほしくないし、私自身も勘弁願いたい。

(だってこの仕事を続けたいし)

 ただひたすらにそれだけ。
 キラキラまっすぐな生まれたてのアイドルを、私の手で世界に羽ばたかせたいだけ――。

「俺、先に行ってるね。捕まえてごらんなさーい」
「走るとまた転びますよ」
「もー、乗ってくれてもいいじゃん!」

 あはは、と明るい笑い声が遠ざかっていく。
 笑えない冗談ばかりのアキくんだけど、こういうところが各所で好かれる要因なのだろうとわかっていた。
 彼は本当に憎めない。わざとあそこまでの年下っぷりを演じているのだとしても、それがうまくはまっている。
 ――私、相模志保(さがみしほ)が新人アイドル『アキ』の担当になったのは、一年前。
 あの日、私はようやく先輩マネージャーの有沢静香(ありさわしずか)さんに認められ、新人のアイドルを任されることになった。
 そこまでの道のりは本当に長かった。途中で腐ってなにもかもやめようかと思ったことだってあった。
 仕事の出来がだめだったとは今も思っていない。やれることをやった上で、一番必要な運が私についてこなかった。
 あるいは、欲しいものを手に入れる貪欲さか。
 一番きつかったのは当時サポートしていたアイドルの撮影に同行した際、とある俳優に声をかけられたことだろう。
 君の方がアイドルに向いている、口利きしてあげる、だから今夜。
 聞いた瞬間に頭が真っ白になった私は外へと飛び出した。
 帰ってきたときにはもう、身に覚えのない問題を起こしたことになっていて。

(……本当にここまで長かったな)

 しみじみ思いながら、嘆息する。

(きっとアキくんはもっと上を行く。スキャンダルにさえ気を付けてくれればいいけど、意外にそういう話は聞かないし)

 こつこつと軽快な足音が、自分の歩みに合わせて反響する。
 そう、アキくんにはこういったアイドルにありがちな浮ついた話がない。
 言い寄られたという話さえ聞かないのだから、よほどうまくやっているか、まったく話がないかのどちらかなのだろう。
 そこまで考えて、以前その話をしたときのことを思い出してしまった。
 ――志保ちゃんは? そういう相手、いるの?
 無邪気すぎて残酷な、アラサー女に聞いてはならない質問第一位。
 今も耳に残るあの明るい声が、じくじくと私の胸をえぐる。

(どうせ恋人どころか男っ気もありませんよ……)

 親からはなんとなく探りを入れられている。友人たちは二年前に結婚ラッシュを迎えた。
 焦らないと言えば嘘になるけれど、今はアキくんを売り出すので忙しい。
 まさに『仕事に生きる女』という状態だ。
 今はもう、それのなにが悪いと開き直ることにしている。

(別にいいじゃない? 夢中になれることがなんにもないより、仕事に打ち込んでる方がずっと有意義だし)

 誰に向けているのかわからない言い訳を心の中でつぶやいたとき、廊下の奥から歓声のようなものが聞こえた。
 そちらにはスタジオがある。

(なんだろう)

 まだ、アキくんと打ち合わせをするまでには時間があった。
 気になってスタジオへ向かってみる。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜

雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。 【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】 ☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆ ※ベリーズカフェでも掲載中 ※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

決して飼いならされたりしませんが~年下御曹司の恋人(仮)になります~

北館由麻
恋愛
アラサーOLの笑佳は敬愛する上司のもとで着々とキャリアを積んでいた。 ある日、本社からやって来たイケメン年下御曹司、響也が支社長代理となり、彼の仕事をサポートすることになったが、ひょんなことから笑佳は彼に弱みを握られ、頼みをきくと約束してしまう。 それは彼の恋人(仮)になること――!? クズ男との恋愛に懲りた過去から、もう恋をしないと決めていた笑佳に年下御曹司の恋人(仮)は務まるのか……。 そして契約彼女を夜な夜な甘やかす年下御曹司の思惑とは……!?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

処理中です...