【R18】きみを抱く理由

さくら蒼

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契約は少し強引に

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***

「志保(しほ)ちゃーん、おはよ」

 やや冷たい印象を与える事務所の廊下で、賑やかな声が響く。
 人懐っこく駆け寄ってきたのは、私がマネージャーとして担当しているアイドルのアキくんだった。
 歳は私の二つ下、二十六歳。売り出したばかりとはいえ、なにをしても憎めない明るいキャラクターが人気を博し、徐々に知名度を上げている事務所の希望である。

「アキくん、ちゃん付けはどうかと思うってこの間も言ったと思うんですけど」
「じゃあ、相模(さがみ)さん?」
「それでお願いします。……変な風に思われたら、困るのはアキくんなんですよ」
「志保ちゃんとなら変な風に思われても全然いいけどね」
「私が困るんです」
「えー」

 ぶー、とわざとらしく唇をとがらせている姿はあまり二十六歳に見えない。
 私は私で、そんなアキくんをときどき弟のように感じてしまうから困っている。

(上も、担当するアイドルを考えてくれればよかったのにな。たった二歳しか違わないなんて、お互い接し方に困るよ)

「ねー、志保ちゃーん」

 結局、アキくんは私を相模と苗字ではなく、志保と下の名前で呼ぶことにしたらしかった。毎度のやり取りはある意味儀式のようだったけれど、今日はこのぐらいで諦めておく。

「他の人がいる前でそれはやめてくださいね」
「あは、じゃあ二人っきりの秘密ってことで」
「誤解されるような言い方はしないでください」
「だから、俺は誤解されてもいいんだって」
「そういうのもいいですから」

 アキくんの冗談は正直あまり笑えない。

(マネージャーがアイドルとデキちゃうって、そんなの嫌すぎる)

 物語ならばよく聞く話だった。でも、私の身近ではあってほしくないし、私自身も勘弁願いたい。

(だってこの仕事を続けたいし)

 ただひたすらにそれだけ。
 キラキラまっすぐな生まれたてのアイドルを、私の手で世界に羽ばたかせたいだけ――。

「俺、先に行ってるね。捕まえてごらんなさーい」
「走るとまた転びますよ」
「もー、乗ってくれてもいいじゃん!」

 あはは、と明るい笑い声が遠ざかっていく。
 笑えない冗談ばかりのアキくんだけど、こういうところが各所で好かれる要因なのだろうとわかっていた。
 彼は本当に憎めない。わざとあそこまでの年下っぷりを演じているのだとしても、それがうまくはまっている。
 ――私、相模志保(さがみしほ)が新人アイドル『アキ』の担当になったのは、一年前。
 あの日、私はようやく先輩マネージャーの有沢静香(ありさわしずか)さんに認められ、新人のアイドルを任されることになった。
 そこまでの道のりは本当に長かった。途中で腐ってなにもかもやめようかと思ったことだってあった。
 仕事の出来がだめだったとは今も思っていない。やれることをやった上で、一番必要な運が私についてこなかった。
 あるいは、欲しいものを手に入れる貪欲さか。
 一番きつかったのは当時サポートしていたアイドルの撮影に同行した際、とある俳優に声をかけられたことだろう。
 君の方がアイドルに向いている、口利きしてあげる、だから今夜。
 聞いた瞬間に頭が真っ白になった私は外へと飛び出した。
 帰ってきたときにはもう、身に覚えのない問題を起こしたことになっていて。

(……本当にここまで長かったな)

 しみじみ思いながら、嘆息する。

(きっとアキくんはもっと上を行く。スキャンダルにさえ気を付けてくれればいいけど、意外にそういう話は聞かないし)

 こつこつと軽快な足音が、自分の歩みに合わせて反響する。
 そう、アキくんにはこういったアイドルにありがちな浮ついた話がない。
 言い寄られたという話さえ聞かないのだから、よほどうまくやっているか、まったく話がないかのどちらかなのだろう。
 そこまで考えて、以前その話をしたときのことを思い出してしまった。
 ――志保ちゃんは? そういう相手、いるの?
 無邪気すぎて残酷な、アラサー女に聞いてはならない質問第一位。
 今も耳に残るあの明るい声が、じくじくと私の胸をえぐる。

(どうせ恋人どころか男っ気もありませんよ……)

 親からはなんとなく探りを入れられている。友人たちは二年前に結婚ラッシュを迎えた。
 焦らないと言えば嘘になるけれど、今はアキくんを売り出すので忙しい。
 まさに『仕事に生きる女』という状態だ。
 今はもう、それのなにが悪いと開き直ることにしている。

(別にいいじゃない? 夢中になれることがなんにもないより、仕事に打ち込んでる方がずっと有意義だし)

 誰に向けているのかわからない言い訳を心の中でつぶやいたとき、廊下の奥から歓声のようなものが聞こえた。
 そちらにはスタジオがある。

(なんだろう)

 まだ、アキくんと打ち合わせをするまでには時間があった。
 気になってスタジオへ向かってみる。
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