アルタイル!

小桃 もこ

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第3章 少年、田舎で暮らす

第20話 見慣れぬ青年

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 ある日の暑い時間に天文館を訪れたのは見慣れない青年くんだった。

 見慣れない、といっても彦星くんはここに来てまだ日が浅いから、ほとんどの来館者は「見慣れない」相手になるんだけどね。

 でも今回のこの青年くんは、長年ここで受付を担当している安田さんも「見慣れない」相手だったみたいだよ。

 浅黒い肌は夏の陽射しをよく浴びて育った証なのかな。都会の室内で育った彦星くんのようにやわ肌が赤くなって皮が剥ける日焼けの経験なんかしたことがなさそうな肌だ。

「あらこんにちは」

 安田さんが笑顔でそう声を掛けると、青年くんは「ちわす」と短く返す。ふむ。なんだか素っ気ないね?

「こんにちは」

 お次は彦星くんだ。彼、挨拶って苦手だったんだけど最近はがんばって自分からできるようになったんだよ。女神の美織さんのおかげだね。あとお礼も。「『ありがとう』は?」って、まるで小さな子に言うみたいに言うもんだから、彦星くんったら真っ赤になってね。ぷぷぷ。でもちゃんと言えるようになったんだ。えらいえらい。

 ところがあらら。青年くん、返事をしない。その上彦星くんのことまじまじと観察しちゃって。なんだ、ちょっと失礼じゃないか?

「あんた、ここらのもんとちゃうな?」

 面食らった、って「突然のことに驚いた」みたいな意味なんだけど、彦星くん、まさにそれ。『よそもん』それは自覚していても言われたくはない言葉だったんだね。

 会っていきなりそんなことを言われるとは。たぶん言葉のイントネーションでわかったのかな。「こんにちは」だけでも地方によって全然ちがうから。

「ええと……」
 咄嗟に返せなかった彦星くん。すかさず安田さんが「お宅さんこそ」と笑顔で問う。「オタクさん」っていうのは秋葉原方面の人々のことではなくて「あなた」という意味の田舎ことば。

「見ん顔やね? 美音原みとはらのほうの子やろか」

 『美音原』はここの最寄りの天原駅から西野家方面へ向かうのと反対方向にある漁港の地だそう。天原の人たちは「うちらより田舎」と言うけど実際は似たようなもんかな。向こうは海、こちらは山、という感じ。

「あ……そうです」

 青年くんはまた短く答えた。ふむ、素っ気ないのはどうやら『お年頃』で恥ずかしいからみたいだね。

 なんで美音原の人だってわかったんですか? と彦星くんはあとから安田さんに訊ねた。すると「バス待ちの時間ね、ようここに涼みに来はるんよ。天原の人らはみーんな知りよるから、知らん人は美音原やち、すぐわかる」だって。すごいね。

「もしかして高校見学? 今日は暑かったでしょう」
「あ……はい」

 まだチラチラと彦星くんを見つつ安田さんに答える。

「見学てことは中三いうことやんね? そしたら彦星くんと同学年やん」

 安田さんの言葉に再びその視線がギロリと彦星くんへと向いた。彦星くん、思わずごくり、と喉を鳴らしちゃったね。あは。

「『彦星』って……本名?」

 ぶええーっ!? さすがにそんなわけないだろ! おもしろいな、この子!

 一、二秒の沈黙のあと、彦星くんは「ぷふ」と可愛く噴いて笑った。その反応に……青年くんは頬をまっ赤にした。

「そんなわけないでしょ」
「わ、わからんじゃろが! そんなもん!」

「湊斗。……『二ノ宮 湊斗』。もしかしたら同じ高校に行くことになるかもしれないから。その時はよろしく」

「おう」だか「うん」だかわからない返事をして、青年くんは顔を赤くしたまま「おまえ」と話を続けた。なんだか彦星くんと仲良くなりたいみたいだね?

「ここでなんしよるんじゃ?」

「手伝い」

「親戚ん家かなんか?」
「ちがうよ」

 答えに「?」の表情を返す。そりゃわかんないよね。

「おまえ天中あまちゅう?」

 『天中』というのは『天原中学』のこと。西野家の最寄りの中学校でなゆうちゃんの母校でもある。

「ちがう」

 また青年くんは「?」を浮かべた。

「それより、そっちの名前は」

 おお、彦星くんも知らない相手とも話せるようになったんだねぇ。

大河たいが。佐久間 大河じゃ」

「ふうん。よろしく。佐久間くん」
「『大河』でええ」
「じゃあ『佐久間』」
「……なんでちょっと距離つくるん」
「え? そう?」
「『大河』でええってば、彦星」
「っぷふ、俺は『彦星』?」
「そう呼ばれよるんじゃろ」
「まあね」

 その日から時々大河くんは天文館を訪れるようになった。

「彦星ぃ」
「なんしよるんじゃ、それ」
「暑。冷房弱いで」
「な、アイス買いに行かん?」

 手伝いに忙しい彦星くんに、俺よりももっとベッタリ付き纏って「うるさい暑苦しい」と鬱陶しがられていたよ。んふふ。微笑ましいね。けどちょっと羨ましいな。だって俺のことは未だに完全無視なのにさ。ぶう。どうなってんのさ、まったく。


「つまりはなんじゃ、彦星。おまえ家出してここに来よんか」

「そんなカッコ悪い言い方しないでよ。『自立』したいんだよ、俺は」

 館内のベンチに並んで座って揃って大河くんはカシュ、と缶ジュースを開栓した。お金のない彦星くんは安田さん特製の緑茶が入った茶器をすする。最近は水出しの冷えた緑茶を出してくれるようになったんだ。これは革命的な進歩だ。

「『自立』ねぇ……。すげーな。俺は今ひとりで東京行け言われたら結構ビビる。いや、無理やな。たぶんたどり着かん」

「はは」

「そんでここで働くんが、おまえの『夢』なん?」

「……まあ」
「こんな寂れた天文館でか」

「そんな言い方は」
「そうじゃろが。お客なんかだぁれも来ん」

 今日も来館者といえるのは大河くんだけだもんな?

「俺は星に近づきたかっただけだよ」

 ふむ。それが彦星くんの今の気持ち、か。まだ伝令が足りてないね。

「星、ねぇ……」

 大河くんは言いながら何も無い天井を見上げた。彦星くんもそれに倣う。

「……大河はしたことある?」

「エッチを?」
「バカかよ」

「天体観測を、だよっ」

 んはは! そうそう。もうじき館長と約束している【ペルセウス座流星群】の観測日だ。彦星くん、大河くんを誘ったみたいだよ。おお、それはいいね。楽しみが増えたな。

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