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官能

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深い夜も回り、徐々に当たりが明るくなっていく。
激しい酔いと共に繰り広げられていた喧騒は、いつしか静かになっていた。屈強な男たちが大きなイビキをかきながら、眠りにつくカジノ。

その中で、衣服を根こそぎ持っていかれたエリーゼは、薄い布切れ一枚を体に巻いただけの状態で、テーブルに突っ伏しながら眠りについていた。

「おい、起きろ。エリーゼ」

彼女は、肩を揺すられながらゆっくりと目を覚ます。
いつもの半分も開かない目を擦りながら上を見ると、フランツがこちらを覗いていた。

「…ふらん、つ。おはよう…」

「おはよう。帰ろうか」

そう言われ、抱き抱えられる。

「…待って…、まだ…酔いが。あ、待って……で、でる」

「は?え?ちょ、ちょっと待って姫様今袋用意するから、あ、あああああああああああああっ!」








結局、二日酔いが治らないエリーゼはフランツに背負われながら彼の家まで戻ってきた。

「…ありがとう」

フランツは、エリーゼをダイニングの椅子に座らせると、タンスの中から毛布を持ってきて、彼女の肩に掛ける。
そのままキッチンの方へ移動すると、やかんに火をつけ、即席の温かいスープを作って彼女に振る舞う。

「…美味しい…」

スープを飲んで、エリーゼは一つそう呟いた。
そして、酔いも醒めて冷静になってきた彼女はこう続ける。

「…ごめんなさい、フランツ。私、はしゃぎすぎちゃって、せっかくくれた貴方の大事な服を…」

薄い布一枚の彼女は、酷く反省している口調でそう言った。
それを見たフランツは、少し笑って、こう続ける。

「今日は、楽しかったか?」

「…人生で一番、楽しかった」

「なら、それでチャラ。別に服なんていつでも作れるんだし、その服に代わって、一生モノの思い出が手に入ったのなら、十分じゃねえか」

フランツは満足そうなドヤ顔でエリーゼの方を向く。
お互い、目があう。数秒の間を置いて、クスッと二人で笑い合った。

「…ねえ、フランツ。どうして、私を連れ出してくれたの?」

「…『過去の教訓』…かな」

「貴方にも、色々あるのね…。人生の先輩だね」

少しの間を開けて、エリーゼが立ち上がった。



「ねえ、仕立て屋テーラーさん。良かったら…なんだけど、私の市民用のお洋服、作ってくれないかしら?」

「あぁ、いいよ。とびっきりの服を作ってやる。採寸データは前測ったのがあるから…」

そう言って、フランツは自分のカバンの中から、顧客データカルテを取り出そうとする。すると、その手をエリーゼが掴み、こう答えた。

「それは、前のだから…。今、この場で測って欲しいの」

「えっ…?」

エリーゼは、体に巻いていた薄い布切れをゆっくりと脱いでいく。
白い下着だけになった彼女が、上目遣いでフランツの顔を覗き込んだ。










フランツは、ゆっくりと巻尺を伸ばしながら、彼女の体に沿わせていく。

何も、いつもやっている事なのだ。

それなのに、フランツの眼前に広がっている彼女の突き出た胸部が、丸みを帯びた臀部が、急に色っぽく見えてくる。

息を大きく一回飲んだ。
採寸値が頭の中に入ってこない。
心臓の鼓動が、早くなるのを感じる。
体が火照り、一筋の汗が彼の額を伝う。

「…終わったよ、エリーゼ。は、早く服を」

「…何か、感じましたか?」

エリーゼは、急に敬語になる。
彼女もまた、恥ずかしそうに布を巻き直し、赤い顔を隠すように下を向きながらこう続けた。

「…私の体を見て、何か感じましたか…?」

「……何って…」

フランツは何も答える事が出来なかった。
数秒の沈黙がお互いを包む。その後、エリーゼが口を開いた。

「…私、恋が知りたいんです」

「こ、恋…?」

「1年前、将来の婚約者とのお食事会が開かれた時、恥ずかしながら異性に興味深々だった私は、楽しみにしながら婚約者の方とお会いしました」

エリーゼは続ける。

「その方は凄く紳士な方で、人見知りな私でもよくお話ししてくださいましたし、彼の雰囲気は穏やかで、凄く落ち着いたんです。けど…」

「けど…?」

「その方と一緒にいても、体の底から湧き上がる情熱の様な感情は一切感じませんでした。恋について何も知らなかった私は、これが『恋』なんだと。思い込むように自分の悲しい感情を抑え込みました。」

「…」

「でも、本で読んだ『恋』は違った。本には、好きな人が目の前にいると、顔が熱くなって、ドキドキが抑えられなくなって、目を見ることもできなくなって、一言話すだけでもクラクラするぐらい、自分の感情の起伏が激しくなって…。そう書いてありました。」

エリーゼは顔面が真っ赤になっていた。
その顔を、フランツは真剣な眼差しで見つめている。

「俺は君の裸を見て、凄くドキドキしたよ、エリーゼ。一年前に測った時と比べて、凄く大人になったね。君はどう思っているんだい?」

「あぁ…もう顔も見れません…。私は、まだわかりません…、私も凄くドキドキしますし、顔も熱くなってますが…。この感情が、貴方のことを本気で好きだからなのか。それとも、ただ異性の方にこの話をしたからだけなのか…。でも、貴方の事、もっと知りたいとは素直に思います」

「じゃあ、それで良いじゃねえか。焦ることはない。俺もまだまだ君のことは知ってる訳じゃないし、君も俺のことはゆっくり知っていけばいい」

そう言って、フランツは笑顔でエリーゼの肩を叩いた。
彼女も、顔の火照りが徐々に収まり、やがて笑顔になる。




「そうだ、エリーゼ。新しい服作るのに、一週間ぐらいはかかりそうだから、今即席の服を…」

そう言って、フランツはクローゼットの中を漁り出す。
そこから、深い緑色の生地を取り出した。

最高級の麻を使用した、深緑のザクザク感が程よい生地を、鋏を持ちスーッと切っていく。
エリーゼは、椅子に座ってその様子を頬杖をしながら見守っていた。

フランツは真剣な顔つきで、針の小さな穴に糸を通し、滑らかに慣れた手つきで生地を素早く縫い合わせていく。
エリーゼは、彼の骨ばった手や浮き出た血管をうっとりした目つきで眺めていた。

「(…あぁ、凄くステキ…。この手、顔)」

「出来たよ。さぁ、着てみて」

そう言い、彼女に深緑の生地で出来た服を着せ、鏡の前に案内する。
ワンピース型のシルエット。首から肩までの生地がストンと下に落ち、彼女の膝丈まで伸びている。

「まぁ!凄くステキ…!」

「型紙も取ってないし、採寸もしてないから、完成度はかなり低いんだけどね。うん、君は派手なドレスより、こっちのシンプルで着る人を引き立たせてくれる服の方が似合うね」

そう言って、フランツは彼女の金髪をそっと耳に掛ける。
同じ深緑と黄金の花びらがあしらわれた耳飾りが、いい雰囲気で洋服に溶け込む。

「イヤリングと同じ色味の生地を選んだんだ。この生地は『北の島国』で栽培される、最高級の麻を使用してる。素朴な麻の風合いと、耳飾りのさりげないエレガントさがいい雰囲気だね。凄く似合ってるよ」

「…凄い、凄いよ、フランツ。ありがとう。この服、大切にするね」

「ありあわせで作っただけなんだけど、そんなに気に入ってもらえるとは思わなかった」

お互いを見つめ合って、静かに微笑んだ。


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