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血まみれの拳
しおりを挟む麻美父視点
今、俺の目の前にいる女は、未知の生物のようだ。
しらばっくれる事もせず、妊娠時の矛盾を指摘されれば、表面だけの謝罪をした。
初っ端の、娘に対する挑発的な物言いといい、この女が一つも反省していない事が分かる。
事前に友利が調べてくれて、金はある事が分かっていたから、金で終わらそうとすると言われていた。
反省も誠意もない謝罪をして終わらそうとしたら、慰謝料を増額すると決めていた。
娘の為にサッサと終わらそうと式場のキャンセル料や入院費、引越し費用や移動した交通費だけにしようと決めていたが、まだ娘を甚振ろうと思っているのが分かったから、両家全員が訴える事にした。
あの言い草・・・
“ダメになったんですか?”
同じ妊婦なのに、よくもあんな台詞が出てくるもんだ。
どれだけ怒鳴り散らしたかったか。
殴りつけたかった。
娘が、どれだけボロボロになったのかも知らないくせに、謝罪もしない目の前の女をボコボコにしたかった。
娘は…一瞬だったが、耳まで聞こえなくなったんだ。
あの時の衝撃を忘れない。
ニコニコして、
「今日は静かやね」と言った麻美。
あの時、全員がキョトンとしてから、一斉に麻美に突っ込んだ。
なのに、今度は麻美がキョトンとしている。
「お母さん、何ゆうてるん?」
俺が、「麻美、聞こえないのか、麻美!」
と肩を揺らしても、「お父さん、やめてや」と言って、倒れた麻美。
あの時、お腹の子はよく耐えたと思う。
流れてしまってもおかしくないほどのストレスがかかったのだから。
なのにこの女、ダメだったのかと言いやがった!
爪が食い込み、握った拳が痛いが、怒りでやめられない。
絶対許さない。
隣りの部屋には娘が聞いている。
俺が怒って麻美に負担をかけてはいけないと思い、必死に堪えた。
大丈夫だろうか…倒れてるんじゃないだろうか…かみさんについて来て貰えば良かった。
隣りの雅彦くんも、唇を噛んで耐えている。
この女はストレス発散の為だけに娘を追い詰めた。
思春期の子供のような行動。
きっと中身は子供なんだろう。
だからと言って許さないが。
目の前の女は、お金が足りないと分かると態度を変えたが、今更遅い。
茫然自失で事務所を出て行った女にはもう会う事もないだろう。
本当は今日も会う必要はなかった。
麻美が話しを聞きたいと言ったから来ただけだ。
あの女が戻ってくる事もないのを確認して、麻美のいる部屋に行くと、俺と雅彦くんの姿を見て安心したのか、力が抜けたように倒れた。
雅彦くんが抱きとめたが、意識がなかった。
極度の緊張から解けた事で失神してしまったんだろうとそのままソファに寝かせた。
麻美の頭を撫でようとして、雅彦くんに止められた。
「お義父さん…手が…」
見れば、真っ赤だった。
ずっと俺も力を入れっぱなしだったようだ。
真っ赤になった手を洗わずに見ていると、
「俺も少し切ってしまいました…。」と雅彦くんが切れた唇で苦笑していた。
「あんなバケモンみたいな女、よく殴らんと我慢したと思うわ…どんだけ殴りたかったか…」
「俺は我慢出来ずに怒鳴ろうとした時、お義父さんの手を見てしまいました。
お義父さんが耐えてるのに俺がキレるわけにはいかなかったので…。お義父さんがいてくれて良かった。」
「雅彦くん。お義父さんお義父さんって、まだ早ない?まだ俺娘さんを下さいって言われてないし。」
「娘さんを、麻美さんを下さい!」
「娘はあげない、ものじゃないから。」
「麻美さんと結婚させて下さい。」
「麻美はなんて言ってるの?」
「まだプロポーズしてません…」
「出直してこい!」
「うるさい…」
「「麻美!」」
「うるさくて起きた…」
「大丈夫か、具合、悪くないか?病院行くか?」
「緊張してただけだから、大丈夫。」
「そうか、良かった…もう帰ろう。」
「もし、良かったら、実家に来ませんか?是非、泊まっていってほしいと両親に頼まれてたんです。
麻美にも会いたいからって。
子供の事報告してもらえないかな?
泣いて喜ぶは、麻美が嫁に来るってまた泣いて、収拾つかなくて…。」
「俺は挨拶出来て助かるが、麻美はどうする?」
「私が行ってもいいのかな…」
「絶対行ったら喜ぶから。母さんなんて大騒ぎしてたから。顔見せてあげて。」
「私もちゃんと謝りたいし、子供の事も報告したいから行こうかな」
麻美の身体の事もあり、友利に挨拶してタクシーで雅彦くんの実家にお邪魔した。
「麻美ちゃん!」
タクシーから降りた麻美に玄関から飛び出して来た佐々木さんの奥さんが麻美を抱きしめていた。
「良かった、良かった…。身体はなんともない?冷えちゃうから早く中に入って。
谷川さんもどうぞどうぞ。雅彦、ご案内して。」と泣きながら俺と麻美を迎えてくれた。
玄関には、ご主人の佐々木さんがいて、
「この度は本当に申し訳ございませんでした。」と頭を下げていたが、
「まだ顔合わせもしていなかったので、ご挨拶させて下さい。谷川麻美の父の谷川健治です。この度は娘が先走ったばかりに佐々木さん方にはご迷惑をおかけ致しました。
本当に申し訳ございませんでした。」
「何を仰います、こちらこそ…」
「お父さん、もう玄関先じゃなくて早く奥に案内して。」
それからは和やかに食事をしながらたくさん話しをした。
とても良いご夫妻で、雅彦くんの素直で真っ直ぐな性格はこの二人の教育の賜物だと実感した。
麻美は、それはそれは猫っ可愛がられていた。
奥さんは娘が欲しかったんだと、雅彦くんには目にも入れず、麻美を労っていた。
ご主人も奥さんも、孫が出来た事を泣いて喜んでいた。
もう麻美が嫁いでくる事もなく、あの胡散臭い人が来るんだと思ったら、憂鬱でたまらなかったと言っていた。
その日は麻美と同じ部屋で、久しぶりに親娘で布団を並べて眠った。
「お父さん、ありがとう。付いて来てくれて。あの人に怒ってくれてありがとう。」
と麻美が言った。
「父親だからな。娘を守るのが仕事だ。
お父さんは幾つになってもお前を守る。
安心しろ。」
「うん、おやすみ…」
しばらくすると麻美の寝息が聞こえてきた。
「麻美、おやすみ。お父さんは死んでもお前を守るよ。」
綺麗になった手で頭を撫でた。
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