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パセリナの恨み・2
しおりを挟む8区生まれ8区育ちのパセリナは、ウメコとは労児のころから顔見知りだった。6区生まれのウメコが学労4年のうちに鬼門送りで8区に転属してきたからだ。労年はウメコより2年下でも、なやこ学所(南西學務所)に通うバスではいつも乗り合わせたし、8区労児の集まる友労会などでも顔を合わせ、そこでの捕虫訓練や、それ以外の開拓ノルマ体験でも一緒になった。学労時代の長期休み定番行事である斥候ノルマの前線キャンプでは、同じ班になって一つのテントを張った。よく話すようになったのは、そのキャンプがきっかけだった。
8区の天才捕虫労児だったパセリナは、捕虫労養成コースへの配置も早くに決まり、それからは虫捕りのこみいった話題となると同年学労の友労では相手にならなくて、もっぱらウメコとするようになる。家が古式捕虫術の道場を開いているくらいだから、実家は開拓要員にはめずらしく捕虫圏の中間地区にあって、当時ウメコのいた居留地からもほど近く、それでお互いよく行き来するようになった。学労期の長い時間のなかで、ゆっくり仲は深まっていった。
お家芸でもある捕虫にかけては、幼い頃から手ほどきを受け、祖父が亡くなってからは、流派二代目の父を師とした。
古式捕虫術は、ただ虫を取ることのみを目的としない。第一に「活虫術」であらねばならず、そのために精神の鍛練なくしては、虫を捕るどころか見つけることすらできない、というのが全ての古式捕虫術の思想である。特に<雁モドキ流>では、捕虫以上に徹底した行儀作法も重要視され、立ち居振る舞いや言葉使いといった日常生活が、ここ一番の網のひと振りにつながるとされた。
だから、しつけにはウィキッドビューグルの道徳ノルマ以上に、厳しく育てられた。
労児の頃から礼式での会話が身につき、普段からけっしてお行儀は崩さなかった。時としてそれが、年長者からはかえって嫌味に聞こえ、友労からは煙たがられる。
一方それとは逆にまったくの行儀知らずで生意気なウメコは当然、誰からも煙たがられていた。お互い鼻つまみ労児同志だった。
そんな無作法なウメコにパセリナも、礼儀や行儀を期待することなど端からないから、労年の差も関係なくウメコとだけは気安くいられ、いっときの子供らしい感情も無理に抑えず吐き出せることができた。ときにはお行儀も放り捨て、くだけたおしゃべりも自分に許してしまえた。
ウメコの前では、将来流派を継ぐ責任など忘れ、ただの労児でいられた。
そんなウメコだからこそ許容できない感情の昂ぶりは、余計に激するものがあった。いつも己を厳しく律しているはずのパセリナは抑えきれず、はっきり怒りの感情をあらわにした!
ウメコが<二天プラ流>のお免状といって嬉々として見せびらかしていたもの、実際それは印可状だった。はっきりとした免許皆伝なのだ。
それがただの手習いだとしたら、仕方ないと流すこともできたかもしれない。――でも――とパセリナの思考はツインワームのミミズ巻きのように捻じれていく。――ただの古式捕虫術の手習いなら、なぜ<雁モドキ流>じゃないのか?――それに<二天プラ流>でなく、他の古式捕虫術の流派なら、まだしも許せた――でも――思考のミミズ巻はさらにきつく捻じり回った。―――暇つぶしの手習いでさえ<雁モドキ流>では不足だというの?――
それまでのウメコとの長い付き合いで、せっかくの関係性が崩れたら嫌だから、ウメコに流派を勧めることは、いっさいしなかった。どうせ古式捕虫術という格式ばったものにウメコは興味などあろうはずがないし、不向きだと知っていたから。それなのに謹慎期間の暇つぶしという軽いノリで、よりにもよって<二天プラ流>の印可状まで受け取った。パセリナは情けなかった。裏切られた感じがした。ウメコが因縁の経緯を知らないのはむろん承知だ。そんなことじゃない。いままでの流派の興隆のための苦労はなんだったのか。身近な友労にまで、たかが暇つぶしにする手習いの興味にすら持たれなかったことに。自分自身にたいして情けなかった。
<雁モドキ流>にとって<二天プラ流>は積年の宿敵であった。
パセリナの祖父である<雁擬キ流>の創始者、雁擬きバジローはスカラボウル学所の捕虫科必須科目のための、開拓連合認定古式捕虫術、指南役流派を決める勝ち抜き試合において、一回戦、<ニ天麩羅流>創始者、天麩羅ムシシとの一戦で、接戦のすえ敗れた。のちにこの試合は事実上の決戦と呼ばれるほどの激闘だったといわれる。
<雁モドキ流>を撃破した<二天プラ流>は、その後の試合を楽々と勝ちあがり、決戦での<柳川新鍋流>との戦いでも、大差で勝利した。そして見事に捕虫学科のご指南流派の役を得た。しかし捕虫術による戦いにしか興味のなかった天麩羅ムシシは、自身のあみ出した<ニ天プラ流>が単なる競技捕虫術や学労のお稽古事になり下がることを嫌って、その役をためらいもなく辞退したのだ。
連合認定の指南流派の役は、順当に二位の<柳川新鍋流>ときまった。
このことに雁擬バジローは激怒した。
初戦で敗れたとはいえ<ニ天プラ流>ムシシとの戦いで、わずかの点差しかつかなかった<雁モドキ流>よりも、決戦で大差で敗れた<柳川新鍋流>が選ばれたことに。
しかし許せないのは<新鍋流>でも、主催の開拓連合でも捕虫労組合でもない。辞退した<ニ天プラ流>のムシシだ。連合認定のための試合だと始めからわかっていながら、ただ対決だけを求め、おのれの腕を誇り、勝負欲と流派の優越感だけを満たし、それが達成されれば、あとは試合の主旨を愚弄するようにその権利を捨て、あっさり壇上から降り、ご指南流派の役を貶めるような発言を繰り返したことにだ。
そしてムシシさえいなければ間違いなく優勝していたはず、せめて決勝まであたらなかったら、確実に勝ち進むことができたはずと、バジローはおのれの不運を呪い、未熟を苛み、妄念に苦しんだ末、すべての無念を呑みこんで、ならばもう一戦と対決を求めたが、捕虫圏にもはや敵なしと、ムシシは開拓労員の身分さえ捨てて、虫霧の中へ姿をくらまし、行方知れずとなった。
バジローはムシシを探し、スカラボウル中を放浪した挙句、まだ充分な防虫対策が確立されていなかった当時のこと、いくたびもの虫の破裂に見舞われ、じょじょに身体を壊していった。
トランスビジョンの普及によって、すでに古式と呼ばれていた捕虫術自体の衰退とともに、「雁モドキ流」もその潮汐から免れることはできず、やはり廃れていく。そうして「流派の仇」といまわの際まで呼びながら、初代バジローは不遇の中で死んだ。最後を看取った幼いパセリナは、いよいよ<ニ天プラ流>への恨みを強めていった。
パセリナの父、温厚な二代目のセージローは達観していた。勝負は時の運、虫捕りのように虫の周期に巡り合わなければ、いくら網が立っても虫は入って来ない。取り逃がした虫などに執着するな、忘れてしまえ、という教えだった。
パセリナがちょうど、権利労身分となったとき、あの騒動で所属班を失い、その後、謹慎期間が半年で許された際に、三代目を継いだ。祖父のように「流派の仇」と呼ぶ激烈な感情はしまっておいた。けれど父のように、いっさいを虫霧に流す諦観も達観もまだ持たなかった。流派の宗家を襲名し、家元を名乗ったときから、その宿命を背負う覚悟はきめたのだ。
捕虫圏では、すでにムシシも、<ニ天プラ流>の名さえ、流派の興隆どころか、まったく虫霧の中にかき消え、存在すら忘れ去られていた。
しかし!古式捕虫術におぼえのあるものたちのあいだでは、もう長いこと、捕虫圏から隠遁し、或いは死んだとまで囁かれていた、天麩羅ムシシが生きていた!?
虫の出現に周期があるのなら、必然、虫捕りの宿命にも周期があるのだ。消えたと思った<二天プラ流>が音もなく眼前に、寝耳に虫のごとく、その網印をはためかせたのだから!これを宿命といわずして、何というのか!
パセリナがその名を耳にしたのは、まもなく謹慎明けのウメコが、8班復活の際の集まりで、皆がそれぞれ何の気なしに話した、謹慎中のエピソードからだった。
<雁モドキ流>の、止まっていた時間が動き出した。
古式捕虫術などに興味のない他の班員たちが適当に聞き流すなか、ウメコの話にその名を聞くと、パセリナひとり、そこから時間が止まったかのような物思いに憑りつかれた。
ウメコが謹慎期間中に会得した、古式捕虫術<二天麩羅流>、その印可を得たことで、<雁擬キ流>宗家のパセリナが、ウメコとの距離を置いてから約半年、ちょうど<レモンドロップスiii>結成以来、二人の間のわだかまり、というよりパセリナ一方向に横たわったわだかまりによる、このぎこちない関係はずっと続いていた。
そして今朝唐突に、ウメコのトランスビジョンにメッセージが届いた。
『果たし状、二天麩羅流、免許皆伝、浜納豆ウメコ殿。貴殿に対し、いっさい私怨はございませぬが、我が流派積年の宿怨を相果たしたく、ここに決闘を申し込みたく候。雁擬キ流宗家、雁擬パセリナ』
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