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林檎黙示録

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#2 ウメコと虫捕り仲間たち

ウメコとワイナのコンポジション・7 レモンて思うやん

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7)レモンて思うやん 


――あかん、やってもうた・・・――

 これでチャッターボックス社への就労は絶望的となった。それだけではない。あこがれのコメディ作家への道にも大きな障壁をつくってしまった。

 夢は立ち消えた、とワイナはまだ名残惜しむように、古ぼけた合板のドアの前で立ち止まったまま、しばらく動けずにいた。

――そやかてケッタなんかに審査されたないわ!あいつのことなんか、いままでいっぺんだってオモロい思たことない!ビトーには褒められたことあるんやし――

 開拓連合の盟主トランスヴィジョン社なら、権利労特権を捨てずとも、要望が聞き入れられれば、転属できる可能性はあるけれど、学務労役も義務労役もずっと捕虫労コースで来たワイナでは、その可能性はごくわずかだった。主に学術労や技術労の配属先であるトランスヴィジョンに、ましてエクスクラム系企業人種のワイナが就労することなど、自由労のチャッターボックス社に就労するより困難なのだ。

 しかしなにより――トラビの提供する笑いはオモロな――かったので、ワイナには、自分の笑いのセンスがトランスヴィジョンみたいな堅苦しいところで理解され、発揮できるとは到底思えなかった。上層部から、口述、作文能力を買われ、転属要請でもされないかぎり、これまでの捕虫労としてのキャリアを投げうってまで、自分から転属要望を出し、わずかな望みにかけ、義務労からやり直すなどは、まっぴらだった。

 ワイナは気抜けして、腰からへなへなと崩れてしまいそうだった。子供の頃から大好きで聴いていたチャッターボックスの放送から、はじめて採用された自分の書き送ったネタ話、うれしくて、それから毎日、話のネタ作りのことばかり考えつづけ、投稿を繰り返し、「鬼門送り」の烙印を押されることも辞さずに、本社ビルのある、不吉な裏鬼門と呼ばれる8区への配属を志願してまでやって来て、やっと今日、念願かなって、1カ月かけて作った喜劇を直接見せることができたというのに、無慈悲にダメ出しをうけ、さらにいま、激しい罵倒の末、死刑宣告に等しい仕打ちを受けた。――・・・・・なんやねん!

――配給笑いというのは、本当や――けれど、普段ワイナも連合の「オモロない」配信に対し軽蔑して使うその言葉を、たったいま自分に向けられて発せられたことには、腹が立ってくる。――しかも連合枠?間接的な配給やて!?ウソや!いままでのネタが連合枠で採用なんてウソにきまっとる!

 ドアにぶつけられた額と鼻の痛みが、いまごろになってジーンと効いてきた。けれどコメディ作家転属への道を閉ざされ、絶望的な暗い穴の中にたたき落とされたことに比べたら、こんな痛みなど、どうってことなかった。じんわりと、目から涙がこぼれた。

――もう夢も希望もない・・・・。おまけに吐き気も来ないわ!――夢と希望が配給で与えられるなどと露とも思ってないけれど、トランスヴィジョンがほんの少しでも見せてくれるなら、ワイナは飛びついてでもありつき、普段デタラメなことばかり吹き込んでは、つねに笑わそうと仕掛けているウィキッドビューグルに、いまは泣きついてでも、すがりつきたい気持ちだった。

――けれど連合枠なんてものが本当にあるなら・・・採用された喜びも、いままでずっと見ていた、夢も希望も・・・結局、みんな配給されたものやったんか・・・・?
 
 そやかて夢と希望が配給でまかなわれるなら、こない落ち込むことあらへんやん。また支給されるんやから。たったいま失った夢と希望なんか、きれいさっぱり忘れてもうて、またしれっと、新たな夢と希望、配給してもらったらええんちゃうの。

 せや、どうせ忘れんねん。ウチはアホやから、このビル出て、虫霧の中を歩いたら、いつもの自分に戻るはずや。3区で生まれた女子やさかい、虫が好かんこと、よう振り返らんのや。 

 そもそもウチは配給以外のもんは受けつけない身体なんやし。今日のことはみんな吐いてまうんや。吐き気が来んのなら、お腹でくだしたる!

 大体、あのコーヒーの苦さの方がおかしいんや、あんなんを美味しいと飲んでる自由労の舌が、どないかなっとんねん!配給のコーヒーの方が、甘くて断然美味しいにきまっとる!――

 ワイナは歩き出した。冷め切った頭に、さっきまでの興奮が、ふっと、よみがえると、無邪気な自分が恥ずかしくなった。そうして、ここに至るきっかけが、思い起こされた。

――ウメコさんどこや!?なんでウメコさんおらんのや!クレームに乗り込んだんとちゃうなら、どこに行ったんや!

 ほんまに地下活動しとるんちゃうか!?いまごろ秘密の地下室で破壊工作してんのや!

 やっぱイカれてんねん!かかわったらあかん人やねん!仲間と思われたらどないしよ!?自由労になりたいなんて言うんやなかったわ・・・!!!

 あかん。ウチもこんなことしとったら、夢や希望どころか、いずれ捕虫圏居住権まで失うわ。ウィキッドビューグルのお仕置きどころじゃ済まへんで・・・・―― 
     

 階段を力なく降りながら、ワイナは子供の頃、トランスヴィジョンで観た「地獄の盆地巡り流労るろう記」を思い出していた。それは、すり鉢状の、スカラボウルに似せた盆地の辺縁を降りていくたび次々と現れる悪鬼によって使役される、開拓拒否労民の悲惨な末路を、トラビで追体験する、教育配信だった。

――ウチは非開拓民になるより前に、自由労民の方から門前払いをくらったんや、しかももうウチには戻る場所さえないんとちゃうか・・・。

 いまに自由労になろうとしたバチがあたる・・・ウィキッドビューグルにも見放される・・・配給止められたら生きていかれへん・・・どないしよ――。


 2階のチャットフリー・スカラボウルのスタジオに憔悴しきったワイナが降りたとき、そこに観覧のパイプ椅子に退屈そうに座って放送席を眺めているウメコの姿をみつけた。ワイナは茫然自失のまま、黙ってウメコの置いたトラメットの隣に腰かけた。ウメコの手にしたベークライトのコップから立ち昇るコーヒーの香ばしい匂いが、ワイナのズキズキする鼻の奥をついた。

 ウメコはワイナに気づくと、すぐに顔の赤らみと、泣きべそに目がいった。

「あ!」心配よりさきに、ウメコは手にしたレモンと並べてみることに興がわいた。赤ら顔が惜しかったが、悪くない配置だった。まさに、これぞコンポジションの成果!と確証した。「ウン、フム、やっぱり生形きなりのレモンの方が涙には合うんだわ」

 ワイナは目の前にあげられたレモンに一瞥してからウメコを問い詰めるような涙目で見据えた。「ええんですか、こんなとこでサボっとって」

「ノルマ終わったもん。なに?泣いてんの?」ぶしつけに訊いた。

「泣いてません」ワイナはヨレヨレと声を出した。

「だってさ、」

「そう見えるだけです。それよりなんなんですか、これ?どないしましたの?密輸品ちゃいますの、このレモン」

「これ、レモンじゃないの。これもそう見えるだけだから」ウメコはそのレモン形のソフトビニールの代物を、ワイナの頬にギュッと押しつけた。
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