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#2 ウメコと虫捕り仲間たち
ウメコとワイナのコンポジション・5 ワイナのスタンダード
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5 ワイナのスタンダート
いま予想外に早く店を出てきたウメコと、除虫スペースで鉢合わせしたのにはワイナも面食らって、トラメットの中で小さく声を漏らしてしまった。店へ入ったはいいが、すでにウメコの出て行ったいま、ここに何の用もないワイナは、申しわけ程度に品物を見て、探しモノがなかった態を装い、さっさと退散してきた。
いったい何の店なのか、あれらの物品が何のためのモノなのか、ワイナにはかいもく見当がつかなかった。ほとんどガラクタにしか見えないモノばかりなのだ。バグモタの部品でさえないのは、バグモタ乗りの端くれとはいえ、ワイナにもわかる。腕組みしてアゴに手を置き、スクラップを寄せ集めただけの店なんか成り立つんかいな、と訝しんだ。
現在ではバグモタチューニングメーカーに所属しているとはいえ、その長い付き合いからワイナは、ウメコから専門的な技術の話など、いっぺんだって聞いたことがない。ウメコがこんなものに興味あるとは思えないし、理解できるとも思えなかった。自分と比べて確かに実技は格段に上だけれど、学科の成績はほとんど変わらないはずだった。――常識ならウチの方があるくらいや――
――反捕虫圏の革命組織にでも一枚嚙んでるんやないか?――
ワイナは想像を働かせる。――なんや悪い仕掛けのための部品仕入れてるんちゃうん?――捕虫圏居住民の身分利用して、配給品横流ししとるんか?――配給ちゃうかて、あないなスクラップ品なら、ちんまいチューニングショップに所属しとんのやから、なんかしらに手に入るはずやな――
――そやなかったら、あのひと自体が電気仕掛けなんとちゃうか?自分の足りないアタマの神経回路の部品でも、探しとんのや――
ウメコは少し前を歩いている。さっき間近ですれ違ったとき、はっきりウメコに視線を向けられたのを感じたワイナは、さすがに次は気づかれるだろうと、もうさっき以上の接近は、あきらめるほかなかった。
一旦、距離をおいて道沿いの電磁除虫スペースに待避して、再びジャンパーを着込んだワイナは、思い切ってトラメットでウメコを確認してみたけれど、ウメコの信号は発信されていなかった。ウメコはトランスヴィジョンを切っているか、トランスネットから退出しているのだ。――労務中やのに、あかんやろ!――
ワイナは慎重に距離を保ってゆっくりあとを追うと、ウメコは通りの向こうに不気味に横たわる、ジャンクハーバー名物のあの悪名高いユニット群体、通称<雑居房>の中へ入っていった。――ウソやろ!?――
はじめて見る、トランスヴィジョンの合成描画による補正さえままならないその外観に、ワイナは怖気だった。
それはユニットハウスをゴタゴタ、デコボコくっつけ盛り上げた、巨大な虫の巣のような塊で、そのうちの一つのドアを開け、何食わぬふうに中へ侵入していったウメコの様子は、さながら巣穴に誘導され、飲み込まれたとでも言ったほうが、ワイナの目にはしっくりきた。
――外労連の巣窟ちゃうんか!?ほんまに合法なん?――
――大体なにしに行くねん?!ほんまに革命の地下活動してるんとちゃうの?――
トラビの補正などまったく効かない、どころか、むしろおぞましく改悪された景観に近づくたび、ワイナはすくみあがる。これならバイザーのスクリーンをクリアにして、実景を見た方がまだマシかも知れなかった。
ここであとに引くわけにはいかない。ワイナは覚悟を決めた。――これもネタのためや。ネタ探しの冒険やて思うんや!絶対いいネタみっけて、二度と配給笑いなんて言わせへん!――
いくつもあるドアのうち、ウメコの通ったドア、というより後付けされた丸いハッチを、ワイナは意を決してくぐった。入ると、除虫エリアの跡形があるだけで、内ドアは取っ払われ、ほとんど機能せず、うっかり虫を数匹引き入れてしまった。――ウチの知ったこっちゃないわ、どこでも勝手に破裂せえや!――
虫の侵入など、すぐにどうでもよくなった。自由労の掃きだめのような光景に、ワイナはおののいた。たったいま心の中で吐いたと思ったセリフは、この巣窟からの歓迎の言葉となって、そのままワイナの身に呪いのように振りかかる。『ウチの知ったこっちゃないわ、どこでも勝手に破裂せえや!』
ほとんど先が見えない。雑居ユニット繋ぎの狭いアーケード通りは不気味さと、いかがわしさを絵にかいたようだ。
早速、トラビの規制などいっさい無効な怪しげな看板が、容赦なく迫って来た。その破廉恥さは意味を知らずとも、ワイナにも伝わる。さっきの店の汚らしさの比ではない。蠢く人並と、自分の吐く息でゆらめく視界と、トラビの不安定さで、通路が流動しているかに見える。ここだけ重力がねじれているのではないかと疑った。天井や側壁に看板を掲げ、品物を広げている店まであるのだ。
ワイナはトラビの合成景色を諦めて、バイザーをクリアにした。破廉恥な看板に加え、不気味な様相は、トランスネットがわざとおぞましく補正しているとしか思えなかったから。
視界はなんとか耐えられるものとなったけれど、トラビを切って騙しが効かなくなったぶん、今度は全感覚がアレルギー反応を引き起こしそうだった。虫の速烈度のどんなに高い中よりも、身体は身構えてしまう。眩暈を起こしかけ、一瞬足許がグラついた。
『誰も知ったこっちゃないわ!どこでも勝手に野垂れ死んだれ!』さっきのひそかな毒づきが、アタマのどこかで木霊のように返ってきた。まるでその声までトラビで補正された罵りのように聴こえた。
――ユニットハウスで野垂れ死にて!?どんな室内やねん!怖わないで!こんなん虫の怒破裂に比べたらたいしたことないわ!――負けたらあかん、と強がり、ワイナは踏んばる。
そしてさっきの気構えを思い起こし、ノルマの最中、苦しいときいつもそうするように、ワイナ自身が学労時代に作り、コンクールで受賞し表彰された、連合の標語を、お題目のようにひそかに唱えながら、おのれを鼓舞して進んだ。
『成せば慣れる、慣れねば成らぬ開拓労!』『バグモーティヴ、乗れる!慣れる!動く!歩く!』『捕虫労、見つけ!捕まえ!クラック虫!』・・・・・。
前を歩くウメコの足どりは、店頭だけ見たり、素通りするだけで、奥まで入る様子はない。ガラクタの類いを興味ありげに眺めながら、2、3歩踏み込むに留め、すぐに歩きだす、といった具合だった。
ウメコが手に取って眺めていたものを、ワイナもあとから見た。それは色褪せ汚れた、地球製のジュースの空き缶だった。――なんやこれ!ただのゴミちゃうの?――
ここは開拓連合のゴミで築いた城なのだ。それを落ちぶれた自由労たちが迷宮に作り替え、出口があるとしたら、その行きつく先はきまって外労連の入り口に通じているのだ!――もうイヤや、こんなとこ!――
深入りせず、そぞろに練り歩いているだけのウメコの様子に、ワイナはホッとする。通路だけでもケッタイやのに、奥の方まで踏み込むなんてありえへん。
ここでウメコの姿を見失ったら、とワイナに怖ろしい予感がよぎる。それは予感でさえ、あまりにも残酷だ。アーケードの中だというのにワイナはバイザーを上げたくても上げられなかった。ウメコからは距離があったから、見つかるのを怖れてではない。のらくらと目的もなく、ここを行き交う自由労たちの目線が怖いのだ。
「ねーちゃん、アルコール欲しいんだろ?あるよ」「高い虫、さっき届いたばかりだよ、いらない?」「その恰好、おねーちゃんバグモタ乗りだろ、仕事あるよ」「バグモタ乗りじゃなくても、もっといい仕事紹介するよ」
虫で焦げ、破れ、ツギハギだらけのツナギ服の自由労たちが、次々と気安く声をかけてくる。ワイナは結構ですと、精いっぱいの手のジェスチャーだけで応えた。
――なんでなん、ウメコさんには誰も声かけてへんのに!?ウチばっかり――やっぱ怖がられとるんや、自由労の間でも!――
むさ苦しい熱さと緊張感で、耐虫服に包んだ身体は、この数分の間に、すっかり汗でダクダクだった。――早よ出たい!――
天井が少しずつ迫って来るみたいだった。狭まる洞窟の中をくぐり抜けるように、ワイナは背中が折れてきた。
『慣れれば成れる自由労!』すがるように歩きながら唱えるワイナの標語は、いつしかアドリブとなって、心細い心境に合わせて変化していく。
『雑居房、居れる!慣れる!よける!歩く!』
労民服を着ているわけでもないのに、なぜか見透かされて、開拓労民の身分をなじられているような気がする。――ウチも自由労やと思いこむんや――
『・・・歩く!耐える!慣れる!歩く!・・・』
『・・・耐える!慣れる!慣れる!耐える!』
このリズムはいまのワイナにしっくりきた。ふるえるような自意識を埋没させ、シートの下のバグモタのエンジン音を聴くように、全身に響くよう唱え続けた。
ダークピンクのウメコの頭を視界の中で捉えているうちは、一人ではないと安心できた。いまや命綱にでもしがみつくように、ワイナは大きく目を見開いて、視線をウメコに釘づけていた。見失ったらあかん。
『障泥烏賊、見つけ 追いかけ 浜納豆!』
ここではトラメットを被っているだけで、自分が異星人になった気がする。当然、ここでは誰しも無帽なのだ。それで余計にジロジロと怪訝な目線をうけるのだ。なによりワイナ自身、息苦しさで倒れそうで、せめてバイザーだけでも上げたいけれど、ここの酸素を吸うやいなや、たちまち窒息してしまいそうだった。
『・・・耐える!慣れる!慣れる!耐える!・・・』
――ウチら連合労民に反感を持ってる自由労も、よおけおるちゅうのに、ウメコさんは平気なんや。トラメットまで脱いで捕虫労のツナギ着て堂々と歩いとんのやから、尋常やないメンタルやで!――
――あの大破裂で英雄視されとるんちゃうか?自作自演説なんてデマ報言が、ここでは賛美の対象なんやから――
『・・・耐える!慣れる!なえる!耐える!・・・』
――そやかて、ウチやて<レモネッツ!!!>の元班員なんや、あの直後は、自由労の人気投票で3位にまでなったんやし。謹慎中やったから全然目立たんかったけど、胸を張ってええんや、堂々としとったらええんや。いつか1位獲ったら、捕虫労のままラジオ波でしゃべるのも夢やない!――
『・・・なれる!獲れる!獲れる!なれる!・・・』
そうこうしているうち、人混みの中で、ワイナはウメコを見失った――ウメコさん、どこや!
行き交う自由労たちが、肉に飢えたゾンビに見えてきた。切ったはずのトラビの合成画像によるありえない補正なのか、自分の目の錯覚なのかもわからない。ワイナは、ひとり置いてきぼりにされた子供のように、泣きそうになりながら、小走りにウメコを追いかけた。もう限界だった。
『・・・走る!逃げる!早く!帰る!・・・』
『・・・なれず!なえる!帰る!帰る!・・・』
『・・・かえる!カエル!ゲロロ!ゲーロ!!』
トラメットの中でハァハァと息もたえだえに、無我夢中で道なりに進むと、除虫エリアの跡形が見えた。ウメコはそこを抜けたのだろうと、即断してドアをあけ、急いで外へ出た。
まず無事に抜け出したことにホッとした。――ネタどころやなかったわ!――
やっと息を整え次に辺りを見回す。ウメコの姿は見当たらない。――どこや!?おらんわ!まだあん中かいな!?――
すぐに、通りを歩きかけた先に、それらしいシルエットが歩いているのをあっさり見つけた。駐機場の方向へ続く、もと来た道だった。
――なんや、もう帰るんかいな、つまらんな・・・ネタにならんやん――
すっかりケロリとして、ワイナは後を追いながらブツクサ言うが、さっき自分が出てきたばかりの<チャッターボックス>のビルにウメコが入って行ったのを見て、失いかけた面白ネタへの期待が、再びふくらみ始めた。
――そや!こないだの、ビトーのチャナスカのガセネタの件でイチャモンつけに乗り込むんちゃうか!?ウメコさんならやりかねんで、きっとそや!これは見ものや!――それでや!そんために怪しげな店、物色してなにか仕込んだんや!――
ワイナはウメコを追ってチャッターボックスビルへと入っていった。用心深く、今度は除虫スペースで鉢合わせなどしないよう、充分に見計らった。内ドアが開くと勝手知ったる動きで、すぐに階段まで近づき壁に身を寄せて、バイザーを上げ、トラメットを脱いで、中にたくし込んだ防虫ジェルでドロドロの髪を下ろした。
もはやウメコに見つかろうが、お構いなしだった。堂々と間近で現場に接近できる。これは尾行などという後ろめたい行為ではない。これには、はっきりアリバイがあるのだ。自分はここへ台本を見せに訪れたところ、たまたま、イチャモンつけに現れたウメコが暴れている現場に遭遇しただけなのだと。
ワイナは慎重に階段を上がった。ウメコが暴れるより先に、自分と遭遇してしまったら、なにもかも台無しにしてしまうから。
2階のスタジオ観覧席にウメコはいない。狭苦しい放送スタジオ内も、ウメコが乗り込んでひと悶着起こしている気配はない。アクリル窓の向こうでは、淡々と音楽をかける、昼間の当たり障りのないおしゃべりの、変わらぬ退屈な放送風景だった。席にはウメコどころか、人っ子ひとりいなかった。
――まさか、上階の運営フロアまで行ったんやろか!?――
ワイナは、さすがにそこまで出向くのには躊躇いがあった。もしウメコがそこにいて、騒動を起こしているとして、自分がウメコの同僚であるということが、ここの運営にわかってしまったら、自分までとばっちりを喰らうかも知れないからだ。スタジオでなら、まだ言い逃れはできる。事実さっきまで居たのだし、あのあと下で苦いコーヒーを飲んだあと、スタジオ見学してたのだと言えばいい。
いつか開拓労民をやめ、自由労役のチャッターボックスで労務をしたいワイナは、ここで騒動に巻き込まれるのは避けたかった。しかもあのガセネタを書いたのは自分なのだ。もしこのことまで表沙汰になったら、いくらガセとはいえ、捕虫労の内幕をバラしたとして、連合や組合から目をつけられ、捕虫労の身分も危うくなる。――そないなったらどないしよ!?――
けれどワイナにとって、人生で最も優先されるべきは、開拓前進でも捕虫補給でもなく、オモロいことだった。
同僚のウメコがチャッターボックス社に、あのビトーにクレームをつけに怒鳴りこみに行った。こんな最高に面白い光景を見逃すなんて手があるだろうか。絶対に見るべきだ。この先コメディを作るうえで間違いなくいい素材として残るはずだ。どんなリスクをとったって、これは見るべき喜劇なのだ。ワイナは覚悟を決め、おそるおそる3階への階段を上がっていった。
『勧笑懲悪』
これがワイナの、口先だけの標語以上に大切な行動基準なのだ。
――笑いのためやったら、スカラボウル中の虫やて殺したるねん!――
いま予想外に早く店を出てきたウメコと、除虫スペースで鉢合わせしたのにはワイナも面食らって、トラメットの中で小さく声を漏らしてしまった。店へ入ったはいいが、すでにウメコの出て行ったいま、ここに何の用もないワイナは、申しわけ程度に品物を見て、探しモノがなかった態を装い、さっさと退散してきた。
いったい何の店なのか、あれらの物品が何のためのモノなのか、ワイナにはかいもく見当がつかなかった。ほとんどガラクタにしか見えないモノばかりなのだ。バグモタの部品でさえないのは、バグモタ乗りの端くれとはいえ、ワイナにもわかる。腕組みしてアゴに手を置き、スクラップを寄せ集めただけの店なんか成り立つんかいな、と訝しんだ。
現在ではバグモタチューニングメーカーに所属しているとはいえ、その長い付き合いからワイナは、ウメコから専門的な技術の話など、いっぺんだって聞いたことがない。ウメコがこんなものに興味あるとは思えないし、理解できるとも思えなかった。自分と比べて確かに実技は格段に上だけれど、学科の成績はほとんど変わらないはずだった。――常識ならウチの方があるくらいや――
――反捕虫圏の革命組織にでも一枚嚙んでるんやないか?――
ワイナは想像を働かせる。――なんや悪い仕掛けのための部品仕入れてるんちゃうん?――捕虫圏居住民の身分利用して、配給品横流ししとるんか?――配給ちゃうかて、あないなスクラップ品なら、ちんまいチューニングショップに所属しとんのやから、なんかしらに手に入るはずやな――
――そやなかったら、あのひと自体が電気仕掛けなんとちゃうか?自分の足りないアタマの神経回路の部品でも、探しとんのや――
ウメコは少し前を歩いている。さっき間近ですれ違ったとき、はっきりウメコに視線を向けられたのを感じたワイナは、さすがに次は気づかれるだろうと、もうさっき以上の接近は、あきらめるほかなかった。
一旦、距離をおいて道沿いの電磁除虫スペースに待避して、再びジャンパーを着込んだワイナは、思い切ってトラメットでウメコを確認してみたけれど、ウメコの信号は発信されていなかった。ウメコはトランスヴィジョンを切っているか、トランスネットから退出しているのだ。――労務中やのに、あかんやろ!――
ワイナは慎重に距離を保ってゆっくりあとを追うと、ウメコは通りの向こうに不気味に横たわる、ジャンクハーバー名物のあの悪名高いユニット群体、通称<雑居房>の中へ入っていった。――ウソやろ!?――
はじめて見る、トランスヴィジョンの合成描画による補正さえままならないその外観に、ワイナは怖気だった。
それはユニットハウスをゴタゴタ、デコボコくっつけ盛り上げた、巨大な虫の巣のような塊で、そのうちの一つのドアを開け、何食わぬふうに中へ侵入していったウメコの様子は、さながら巣穴に誘導され、飲み込まれたとでも言ったほうが、ワイナの目にはしっくりきた。
――外労連の巣窟ちゃうんか!?ほんまに合法なん?――
――大体なにしに行くねん?!ほんまに革命の地下活動してるんとちゃうの?――
トラビの補正などまったく効かない、どころか、むしろおぞましく改悪された景観に近づくたび、ワイナはすくみあがる。これならバイザーのスクリーンをクリアにして、実景を見た方がまだマシかも知れなかった。
ここであとに引くわけにはいかない。ワイナは覚悟を決めた。――これもネタのためや。ネタ探しの冒険やて思うんや!絶対いいネタみっけて、二度と配給笑いなんて言わせへん!――
いくつもあるドアのうち、ウメコの通ったドア、というより後付けされた丸いハッチを、ワイナは意を決してくぐった。入ると、除虫エリアの跡形があるだけで、内ドアは取っ払われ、ほとんど機能せず、うっかり虫を数匹引き入れてしまった。――ウチの知ったこっちゃないわ、どこでも勝手に破裂せえや!――
虫の侵入など、すぐにどうでもよくなった。自由労の掃きだめのような光景に、ワイナはおののいた。たったいま心の中で吐いたと思ったセリフは、この巣窟からの歓迎の言葉となって、そのままワイナの身に呪いのように振りかかる。『ウチの知ったこっちゃないわ、どこでも勝手に破裂せえや!』
ほとんど先が見えない。雑居ユニット繋ぎの狭いアーケード通りは不気味さと、いかがわしさを絵にかいたようだ。
早速、トラビの規制などいっさい無効な怪しげな看板が、容赦なく迫って来た。その破廉恥さは意味を知らずとも、ワイナにも伝わる。さっきの店の汚らしさの比ではない。蠢く人並と、自分の吐く息でゆらめく視界と、トラビの不安定さで、通路が流動しているかに見える。ここだけ重力がねじれているのではないかと疑った。天井や側壁に看板を掲げ、品物を広げている店まであるのだ。
ワイナはトラビの合成景色を諦めて、バイザーをクリアにした。破廉恥な看板に加え、不気味な様相は、トランスネットがわざとおぞましく補正しているとしか思えなかったから。
視界はなんとか耐えられるものとなったけれど、トラビを切って騙しが効かなくなったぶん、今度は全感覚がアレルギー反応を引き起こしそうだった。虫の速烈度のどんなに高い中よりも、身体は身構えてしまう。眩暈を起こしかけ、一瞬足許がグラついた。
『誰も知ったこっちゃないわ!どこでも勝手に野垂れ死んだれ!』さっきのひそかな毒づきが、アタマのどこかで木霊のように返ってきた。まるでその声までトラビで補正された罵りのように聴こえた。
――ユニットハウスで野垂れ死にて!?どんな室内やねん!怖わないで!こんなん虫の怒破裂に比べたらたいしたことないわ!――負けたらあかん、と強がり、ワイナは踏んばる。
そしてさっきの気構えを思い起こし、ノルマの最中、苦しいときいつもそうするように、ワイナ自身が学労時代に作り、コンクールで受賞し表彰された、連合の標語を、お題目のようにひそかに唱えながら、おのれを鼓舞して進んだ。
『成せば慣れる、慣れねば成らぬ開拓労!』『バグモーティヴ、乗れる!慣れる!動く!歩く!』『捕虫労、見つけ!捕まえ!クラック虫!』・・・・・。
前を歩くウメコの足どりは、店頭だけ見たり、素通りするだけで、奥まで入る様子はない。ガラクタの類いを興味ありげに眺めながら、2、3歩踏み込むに留め、すぐに歩きだす、といった具合だった。
ウメコが手に取って眺めていたものを、ワイナもあとから見た。それは色褪せ汚れた、地球製のジュースの空き缶だった。――なんやこれ!ただのゴミちゃうの?――
ここは開拓連合のゴミで築いた城なのだ。それを落ちぶれた自由労たちが迷宮に作り替え、出口があるとしたら、その行きつく先はきまって外労連の入り口に通じているのだ!――もうイヤや、こんなとこ!――
深入りせず、そぞろに練り歩いているだけのウメコの様子に、ワイナはホッとする。通路だけでもケッタイやのに、奥の方まで踏み込むなんてありえへん。
ここでウメコの姿を見失ったら、とワイナに怖ろしい予感がよぎる。それは予感でさえ、あまりにも残酷だ。アーケードの中だというのにワイナはバイザーを上げたくても上げられなかった。ウメコからは距離があったから、見つかるのを怖れてではない。のらくらと目的もなく、ここを行き交う自由労たちの目線が怖いのだ。
「ねーちゃん、アルコール欲しいんだろ?あるよ」「高い虫、さっき届いたばかりだよ、いらない?」「その恰好、おねーちゃんバグモタ乗りだろ、仕事あるよ」「バグモタ乗りじゃなくても、もっといい仕事紹介するよ」
虫で焦げ、破れ、ツギハギだらけのツナギ服の自由労たちが、次々と気安く声をかけてくる。ワイナは結構ですと、精いっぱいの手のジェスチャーだけで応えた。
――なんでなん、ウメコさんには誰も声かけてへんのに!?ウチばっかり――やっぱ怖がられとるんや、自由労の間でも!――
むさ苦しい熱さと緊張感で、耐虫服に包んだ身体は、この数分の間に、すっかり汗でダクダクだった。――早よ出たい!――
天井が少しずつ迫って来るみたいだった。狭まる洞窟の中をくぐり抜けるように、ワイナは背中が折れてきた。
『慣れれば成れる自由労!』すがるように歩きながら唱えるワイナの標語は、いつしかアドリブとなって、心細い心境に合わせて変化していく。
『雑居房、居れる!慣れる!よける!歩く!』
労民服を着ているわけでもないのに、なぜか見透かされて、開拓労民の身分をなじられているような気がする。――ウチも自由労やと思いこむんや――
『・・・歩く!耐える!慣れる!歩く!・・・』
『・・・耐える!慣れる!慣れる!耐える!』
このリズムはいまのワイナにしっくりきた。ふるえるような自意識を埋没させ、シートの下のバグモタのエンジン音を聴くように、全身に響くよう唱え続けた。
ダークピンクのウメコの頭を視界の中で捉えているうちは、一人ではないと安心できた。いまや命綱にでもしがみつくように、ワイナは大きく目を見開いて、視線をウメコに釘づけていた。見失ったらあかん。
『障泥烏賊、見つけ 追いかけ 浜納豆!』
ここではトラメットを被っているだけで、自分が異星人になった気がする。当然、ここでは誰しも無帽なのだ。それで余計にジロジロと怪訝な目線をうけるのだ。なによりワイナ自身、息苦しさで倒れそうで、せめてバイザーだけでも上げたいけれど、ここの酸素を吸うやいなや、たちまち窒息してしまいそうだった。
『・・・耐える!慣れる!慣れる!耐える!・・・』
――ウチら連合労民に反感を持ってる自由労も、よおけおるちゅうのに、ウメコさんは平気なんや。トラメットまで脱いで捕虫労のツナギ着て堂々と歩いとんのやから、尋常やないメンタルやで!――
――あの大破裂で英雄視されとるんちゃうか?自作自演説なんてデマ報言が、ここでは賛美の対象なんやから――
『・・・耐える!慣れる!なえる!耐える!・・・』
――そやかて、ウチやて<レモネッツ!!!>の元班員なんや、あの直後は、自由労の人気投票で3位にまでなったんやし。謹慎中やったから全然目立たんかったけど、胸を張ってええんや、堂々としとったらええんや。いつか1位獲ったら、捕虫労のままラジオ波でしゃべるのも夢やない!――
『・・・なれる!獲れる!獲れる!なれる!・・・』
そうこうしているうち、人混みの中で、ワイナはウメコを見失った――ウメコさん、どこや!
行き交う自由労たちが、肉に飢えたゾンビに見えてきた。切ったはずのトラビの合成画像によるありえない補正なのか、自分の目の錯覚なのかもわからない。ワイナは、ひとり置いてきぼりにされた子供のように、泣きそうになりながら、小走りにウメコを追いかけた。もう限界だった。
『・・・走る!逃げる!早く!帰る!・・・』
『・・・なれず!なえる!帰る!帰る!・・・』
『・・・かえる!カエル!ゲロロ!ゲーロ!!』
トラメットの中でハァハァと息もたえだえに、無我夢中で道なりに進むと、除虫エリアの跡形が見えた。ウメコはそこを抜けたのだろうと、即断してドアをあけ、急いで外へ出た。
まず無事に抜け出したことにホッとした。――ネタどころやなかったわ!――
やっと息を整え次に辺りを見回す。ウメコの姿は見当たらない。――どこや!?おらんわ!まだあん中かいな!?――
すぐに、通りを歩きかけた先に、それらしいシルエットが歩いているのをあっさり見つけた。駐機場の方向へ続く、もと来た道だった。
――なんや、もう帰るんかいな、つまらんな・・・ネタにならんやん――
すっかりケロリとして、ワイナは後を追いながらブツクサ言うが、さっき自分が出てきたばかりの<チャッターボックス>のビルにウメコが入って行ったのを見て、失いかけた面白ネタへの期待が、再びふくらみ始めた。
――そや!こないだの、ビトーのチャナスカのガセネタの件でイチャモンつけに乗り込むんちゃうか!?ウメコさんならやりかねんで、きっとそや!これは見ものや!――それでや!そんために怪しげな店、物色してなにか仕込んだんや!――
ワイナはウメコを追ってチャッターボックスビルへと入っていった。用心深く、今度は除虫スペースで鉢合わせなどしないよう、充分に見計らった。内ドアが開くと勝手知ったる動きで、すぐに階段まで近づき壁に身を寄せて、バイザーを上げ、トラメットを脱いで、中にたくし込んだ防虫ジェルでドロドロの髪を下ろした。
もはやウメコに見つかろうが、お構いなしだった。堂々と間近で現場に接近できる。これは尾行などという後ろめたい行為ではない。これには、はっきりアリバイがあるのだ。自分はここへ台本を見せに訪れたところ、たまたま、イチャモンつけに現れたウメコが暴れている現場に遭遇しただけなのだと。
ワイナは慎重に階段を上がった。ウメコが暴れるより先に、自分と遭遇してしまったら、なにもかも台無しにしてしまうから。
2階のスタジオ観覧席にウメコはいない。狭苦しい放送スタジオ内も、ウメコが乗り込んでひと悶着起こしている気配はない。アクリル窓の向こうでは、淡々と音楽をかける、昼間の当たり障りのないおしゃべりの、変わらぬ退屈な放送風景だった。席にはウメコどころか、人っ子ひとりいなかった。
――まさか、上階の運営フロアまで行ったんやろか!?――
ワイナは、さすがにそこまで出向くのには躊躇いがあった。もしウメコがそこにいて、騒動を起こしているとして、自分がウメコの同僚であるということが、ここの運営にわかってしまったら、自分までとばっちりを喰らうかも知れないからだ。スタジオでなら、まだ言い逃れはできる。事実さっきまで居たのだし、あのあと下で苦いコーヒーを飲んだあと、スタジオ見学してたのだと言えばいい。
いつか開拓労民をやめ、自由労役のチャッターボックスで労務をしたいワイナは、ここで騒動に巻き込まれるのは避けたかった。しかもあのガセネタを書いたのは自分なのだ。もしこのことまで表沙汰になったら、いくらガセとはいえ、捕虫労の内幕をバラしたとして、連合や組合から目をつけられ、捕虫労の身分も危うくなる。――そないなったらどないしよ!?――
けれどワイナにとって、人生で最も優先されるべきは、開拓前進でも捕虫補給でもなく、オモロいことだった。
同僚のウメコがチャッターボックス社に、あのビトーにクレームをつけに怒鳴りこみに行った。こんな最高に面白い光景を見逃すなんて手があるだろうか。絶対に見るべきだ。この先コメディを作るうえで間違いなくいい素材として残るはずだ。どんなリスクをとったって、これは見るべき喜劇なのだ。ワイナは覚悟を決め、おそるおそる3階への階段を上がっていった。
『勧笑懲悪』
これがワイナの、口先だけの標語以上に大切な行動基準なのだ。
――笑いのためやったら、スカラボウル中の虫やて殺したるねん!――
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本編終了しました。続きは「気まぐれな婚約者に振り回されるのはいやなので、もう終わりにします」となります。
悠久の機甲歩兵
竹氏
ファンタジー
文明が崩壊してから800年。文化や技術がリセットされた世界に、その理由を知っている人間は居なくなっていた。 彼はその世界で目覚めた。綻びだらけの太古の文明の記憶と機甲歩兵マキナを操る技術を持って。 文明が崩壊し変わり果てた世界で彼は生きる。今は放浪者として。
※現在毎日更新中
無限回廊/多重世界の旅人シリーズIII
りゅう
SF
突然多重世界に迷い込んだリュウは、別世界で知り合った仲間と協力して元居た世界に戻ることができた。だが、いつの間にか多重世界の魅力にとらわれている自分を発見する。そして、自ら多重世界に飛び込むのだが、そこで待っていたのは予想を覆す出来事だった。
表紙イラスト:AIアニメジェネレーターにて生成。
https://perchance.org/ai-anime-generator
夜空に瞬く星に向かって
松由 実行
SF
地球人が星間航行を手に入れて数百年。地球は否も応も無く、汎銀河戦争に巻き込まれていた。しかしそれは地球政府とその軍隊の話だ。銀河を股にかけて活躍する民間の船乗り達にはそんなことは関係ない。金を払ってくれるなら、非同盟国にだって荷物を運ぶ。しかし時にはヤバイ仕事が転がり込むこともある。
船を失くした地球人パイロット、マサシに怪しげな依頼が舞い込む。「私たちの星を救って欲しい。」
従軍経験も無ければ、ウデに覚えも無い、誰かから頼られるような英雄的行動をした覚えも無い。そもそも今、自分の船さえ無い。あまりに胡散臭い話だったが、報酬額に釣られてついついその話に乗ってしまった・・・
第一章 危険に見合った報酬
第二章 インターミッション ~ Dancing with Moonlight
第三章 キュメルニア・ローレライ (Cjumelneer Loreley)
第四章 ベイシティ・ブルース (Bay City Blues)
第五章 インターミッション ~ミスラのだいぼうけん
第六章 泥沼のプリンセス
※本作品は「小説家になろう」にも投稿しております。
特殊装甲隊 ダグフェロン 『廃帝と永遠の世紀末』 第三部 『暗黒大陸』
橋本 直
SF
遼州司法局も法術特捜の発足とともに実働部隊、機動隊、法術特捜の三部体制が確立することとなった。
それまで東和陸軍教導隊を兼務していた小さな隊長、クバルカ・ラン中佐が実働部隊副隊長として本異動になることが決まった。
彼女の本拠地である東和陸軍教導隊を訪ねた神前誠に法術兵器の実験に任務が課せられた。それは広域にわたり兵士の意識を奪ってしまうという新しい発想の非破壊兵器だった。
実験は成功するがチャージの時間等、運用の難しい兵器と判明する。
一方実働部隊部隊長嵯峨惟基は自分が領邦領主を務めている貴族制国家甲武国へ飛んだ。そこでは彼の両方を西園寺かなめの妹、日野かえでに継がせることに関する会議が行われる予定だった。
一方、南の『魔窟』と呼ばれる大陸ベルルカンの大国、バルキスタンにて総選挙が予定されており、実働部隊も支援部隊を派遣していた。だが選挙に不満を持つ政府軍、反政府軍の駆け引きが続いていた。
嵯峨は万が一の両軍衝突の際アメリカの介入を要請しようとする兄である西園寺義基のシンパである甲武軍部穏健派を牽制しつつ貴族の群れる会議へと向かった。
そしてそんな中、バルキスタンで反政府軍が機動兵器を手に入れ政府軍との全面衝突が発生する。
誠は試験が済んだばかりの非破壊兵器を手に戦線の拡大を防ぐべく出撃するのだった。
東京虫
猫村まぬる
現代文学
夫の転勤で東京で暮らし始めた早希は、故郷にはいなかった奇妙な『虫』をあちこちで目にするようになった。大きさ十数ミリしかないその『虫』は、人間の形をしていた。(全6話)
※注意・私の作品にしてはややきつめの性描写、残酷描写があります。苦手な方はご注意ください。15歳未満の読者の方の閲覧はあまりお勧めしません。ジャンルを「現代文学」に変更します。
ちゃんばら多角形(ポリゴン)
柚緒駆
SF
二十四世紀のある日、実験用潜宙艦オクタゴンは、亜空潜行中にトラブルを発生、観測員ナギサが緊急脱出装置によって艦外に強制転移させられた。
一方、後の世に言う安土桃山時代、天正十一年十二月の末、会津の刀工『古川兼定』の三代目、孫一郎は旅の途中、和泉国を訪れる。そこで人さらいに追われる少女を助けようとした際、黒い衣を着た謎の女法師と出会う。彼女こそオクタゴンの観測員ナギサであったのだが、孫一郎はそれと知らず旅の道連れとなる。
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