上 下
31 / 59
#2 ウメコと虫捕り仲間たち

アンテナ保全ノルマ

しおりを挟む

 ウメコは、さっきのメモリーを指したアンテナチェック用の情報端末を首に掛け、スクーターに、修理交換用資材や脚立など、いわゆる「保全作業セット」を積んだ荷台トレーラーを連結させてから、取り換え時期にきていた屋根カウルの上の防虫バグレぺ線香ディスチャージャーを新しいのと交換して、やっとガレージを出た。他の班員はとっくに出はらった後だった。

 今日は労務中はトラメットを脱ぐひまはおろか、バイザーさえ上げられないと思うと、出発前から息がつまる。ウメコのは、最新のスクーターと違い、フロントガラスはトランスビジョンじゃなかったから、バイザーなしには、前が見えないのだ。

「・・・ったくよ」

 しかも昨日までは70基ほどだったアンテナチェックの数を、結局90基に増やされてしまった。これでは、シード級クラックウォーカーで悠長にまわってなどいられない。こんなことなら、イーマの言うことに素直に従って、前もって道具と資材を持ち帰っといて、現場直行しとけばよかった。そうしたら、まんまとクロミのための少ないノルマを受け取れたのだ。

――やっぱり人の話は素直に聞いとくほうがいい――

 ウメコはまず定期点検分のノルマがあるエリアへと、虫霧の中をスクーターを走らせた。

“・・・捕虫圏居住民にとって、防虫対策は身だしなみの一部です!今日も皆さん、はりきって、いってらっしゃい!防虫剤でおなじみ<蛆巻送虫社>・・・『ラジオフリー・アンダーネッツ、朝はバグバグモーニング!』・・・”

 いつもの携帯チャッターボックスはあきらめて、今日は、トラメットのトランスヴィジョンでラジオ波を流していた。
 
 現在の虫霧濃度85tuチューム、虫密度78%、クラック値31ヴァリュー、速裂度56tmpテンパー。ここのところずっと続く虫霧濃度の高さに加え、速裂度も高く、外気に身をさらすことが多い今日は、前線要員でも注意は必要だ。ウチを出る前は無論のこと、ガレージからの出発前にも、もう一度ウメコは入念に防虫剤バグレぺを全身に吹いてきた。 

 スカラボウルのセグメント内に張り巡らされたトランスネット網は、そのアンテナを約100メートル間隔で設置して、刻々と変化する自然と、虫の発生と推移を観測し、虫に覆われて視界のきかないこの捕虫圏内の地表の情報を、隈なく網羅していた。

 それにより、トラメットのバイザーやバグモタのディスプレイ上に映し出される、人や物の移動と良好な合成景色を提供するトランスヴィジョンは、スカラボウルにとって重要なインフラストラクチャ―である。

 捕虫圏アンダーネッツとはこのアンテナの整備されたエリアを指す。トランスネットアンテナのない外側が、セグメント開拓予定地、非捕虫圏または未捕虫圏、いわゆる「圏外」であり、連合はもっぱら、この土地への前進を着実にし、1日12000基のアンテナの設置目標を掲げているが、同時に虫による破裂のために、1日平均30000基は故障していた。

  
 放射道路を進む途中、後ろから来たバグモタ乗りの他班の捕虫要員に、昨日の件でからかわれた。6班<エース・オブ・チェリーズ>のソユーコ・ワサビオロッシだ。ウメコは、クリーパーホイールで走行する、そいつのクラックウォーカーを追い抜いて前につけ、トランスヴィジョン上で自身のスクーターをスカンク風に変え、黄色く可視化したオナラを「ブブブー」と吹きつけてやった。「ざまあみやがれ!」

 このトリックグラフィティを自由労ショップから仕入れたウメコは、このまえ調子に乗って遊んで、バグラー相手にまき散らしていたら、そこへ現れたウィキッドビューグルに、もろにブッかけてしまい、一週間、罰としてトラビ上の自分の扮装いでたちを、ミニスカート姿に変えられてしまったのだ。

 第1放射道路225線から、第7円弧道路えんこどうろを上って、さらに第3放射道路228線を進んで、30分ほどで今日の作業区画付近についた。

 バイザー内トランスヴィジョンのナビゲートで定期点検分、一つ目の指定されたアンテナの前でスクーターを止めると、ウメコはサイドに掛けられた幌を開けて、虫霧の中へ出た。

 トランスネットアンテナは高さ約2m~10mの支柱の上に直径30cmの円盤ディッシュ型やキノコマッシュ型の本体の中に、トランスヴィジョン構築のためのセンサーや、データ送受信などのための、もろもろの装置が納めてある。捕虫要員が担当するのは、3m未満のもの。そしてセンター区域以外の開拓地のほとんどが、この高さのもので占められていた。開拓前線といえる地域でも、ある程度地ならしがされただけで、ただの平地が延々と続く捕虫区域では、それほど高いものは必要なかったから。

 ストラップで首にかけた端末機を胸ポケットから取り出し、ウメコは円盤に向かって、ボタンを押した。「ピピッ」と端末に反応して円盤の側面が点滅し、情報を返してくる。返ってきた情報は、端末を通じて、トラメットのバイザー内トラビに表示される。全ての項目で「正常」と出た。

 それからトランスヴィジョンの景色補正をオフにして、虫霧濃度で視界が霞む中を、支柱に、のぼり棒の要領でよじ登り、腰のスプレーホルダーに突っ込んでいた手ぼうきでサッサッと、円盤ディッシュの上の、虫のフンや死骸を払い落とし、布きれウェスで汚れをざっと拭いて、最後に防虫バグレぺスプレーをまんべんなく吹き付け、支柱から飛び降りた。1基目終了。この定期点検の作業をあと74基。さらに補修分のが15基。

 全てこの調子で異常がなければ、案外すぐに終わってしまうノルマだけれど、経験上そんなことはまずない。ウメコはスクーターの幌を虫に気をつけ手早く開けてシートに腰かけ、アクセルを踏み、ブダダダダーと、さっさと隣のアンテナへ移動した。

 感覚に頼ることの大きい捕虫とは違い、一つ一つに着実さが要求される、こういう単調な労務はウメコの性に合わず、好きになれない。

 けれどだいぶ慣れてはいた。8班再結成の最初のひと月近くは、皆が毎日このノルマを課されていたし、謹慎中にもこの労務だけにはしばしば駆り出された。それは8班に限らない。連合開拓労民の中で、特に全ての前線開拓要員にとって、このノルマは副労役のようなものだった。


 保全ノルマのペースは思いのほかはかどっていた。


 そんなわけで、ウメコは定期点検の75基のうち60基分を、昼までには終わらせた。

 ここから5分くらいのところに、<休息スポット>があったから、誰もいないのが確認できると、トラビで予約して、そこまで行って昼休みときめた。

 <休息スポット>は、密閉されたバグモタの中や、トラメットの圧迫感から解放されるための息抜きと、生理現象のはばかりのために、捕虫圏のあちこちに散らばっている、開拓労民のための休息所である。

 この施設は、ユニットルームの使い古されたものか、これならまだ上等な方で、おもにバグモタクラックウォーカーの腰殻の使えないものや壊れかけのものに、屋根をつけたり開口部を塞いだりして再利用したものだった。

 ウメコがいま入ろうとしているスポットも、天面の開口部に、かさ上げしたフタのような屋根を置いて、1・7mの腰殻を2mほどの高さにして、中で背を曲げなくても立っていられるようにしたものだった。ドアにあたるところは、左側の補給口にあたる円形の開口部を塞いで作られていた。

 トランスヴィジョンで再構築された外観は、それでも鮮やかなクリーム色のカボチャのような恰好をしたおとぎ話の小屋みたいだった。<Seg8・捕虫圏居住民アンダーネッツ用休息スポット・男女兼用・No・589>と表示してある。

 さすがに除虫エリアなどないから、ドアの周りの塞ぎ板の上方に除虫バグダム射出機が狙いをつけてとめてあった。ドアノブに手をかけるとフワっと膨張モードで噴射された。しばらく留まってからドアを開けてくぐると、バイザー内トラビは、区切られた室内に一匹も虫がいないと、教えてくれた。早速、壁付けのスイッチを入れ、家電用バグモタ発動機を駆動させた。

 室内は、トランスビジョンの合成景色による、<休息スポット>おきまりのインテリア、よくある丸太小屋のバージョンだ。どんなに暑い日だろうと、暖炉の中ではいつでも火がメラメラと燃えている

 バイザーをあげトラメットを脱ぐと、室内はまだ真っ暗。天井で捕虫喇叭が虫を吸い取り始め、すぐに外のバグモタがブンブン唸り出した。その効果の最初にまず照明がついた。さっきまでの暖かみのある丸太で作られた室内は当然、跡形もない。実像は、バグモタエンジンで焼かれた跡に、雑にペンキを塗っただけの腰殻の内壁に、無機質なプラスティック床を敷いただけの部屋だ。

 ウメコは窮屈な労民ツナギのジッパーを胸元で下ろし、ベンチに横になろうとしたけれど、空調機能やらが作動したあと、その機能の準備が整ったしるしのランプが着くやいなや、早速トイレに駆け込んだ。


 配給弁当は、定番の混合ビーフ缶と真空パックパン。これが文字面から察せられるとおり、まったくもって味気ない。それから合成ミルクと。ウメコはいつもこれにコーヒー粉末を混ぜ込んで飲んでいた。

 食事を終えると、眠りこんでもいいように、トラメットのタイマーをスピーカーモードにセットしてベンチに横になった。

 またしばらくこのノルマが続くと思うと、張り合いがないな、とウメコはぼんやり天井を見つめた。それに地味に疲れる。しかも疲労のわりに、派手な成果も得られない。これでは手柄も見込めず昇級もずっと先だろうけど、それでも謹慎を食らうよりかは、まだマシか、とあくびをした。

 出発前、班長から午後には昨日の処分が決定する、謹慎処分はないと思う、と聞いた。ウメコからしたら「当たり前だよ!」と怒鳴りたいくらいだったけれど、あっさり「そうすか」と応えた。まだグズグズ残っていたワイナが「ホンマは、なにしはったんですか?」と横からしつこく聞いてきたから、包帯芋虫の捕獲をしくじったからだよ!と応えてやった。それから、いまにも泣き出しそうだったクロミの顔が浮かんだ。――私のせいで急に捕虫ノルマが回ってきて、狼狽うろたえていたっけ――今頃うまくやってるかな、とか考えた。

 そうして、つれづれなる断想の落ち着く先は、ノルマをとっとと終わらせ、<小梅>を早く修理に出しに行こうという、個人的な今日の達成目標だった。 

 さっさと終わらせたい気分はするけれど、あんまり早く終わらせて、また明日のノルマを増やされるのもつまらない。かといって、バグラー8年目の、実質<ハミングバード>級であり<バグパイパー>級の実力があるという自負が、捕虫以外の労務といえど、やはり、おろそかにできないウメコであった。

「さてと、」ウメコは起き上がり、労民ツナギのジッパーを首元まであげた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

A or B

kkkkk
SF
学校の教室でやった遊びを思い出して書きました。 SF+ヒューマンドラマ+ミステリーの構成にしています。 全5話の短編なので、よければご覧ください。

銀河戦国記ノヴァルナ 第3章:銀河布武

潮崎 晶
SF
最大の宿敵であるスルガルム/トーミ宙域星大名、ギィゲルト・ジヴ=イマーガラを討ち果たしたノヴァルナ・ダン=ウォーダは、いよいよシグシーマ銀河系の覇権獲得へ動き出す。だがその先に待ち受けるは数々の敵対勢力。果たしてノヴァルナの運命は?

ちゃんばら多角形(ポリゴン)

柚緒駆
SF
 二十四世紀のある日、実験用潜宙艦オクタゴンは、亜空潜行中にトラブルを発生、観測員ナギサが緊急脱出装置によって艦外に強制転移させられた。  一方、後の世に言う安土桃山時代、天正十一年十二月の末、会津の刀工『古川兼定』の三代目、孫一郎は旅の途中、和泉国を訪れる。そこで人さらいに追われる少女を助けようとした際、黒い衣を着た謎の女法師と出会う。彼女こそオクタゴンの観測員ナギサであったのだが、孫一郎はそれと知らず旅の道連れとなる。

Condense Nation

SF
西暦XXXX年、突如としてこの国は天から舞い降りた勢力によって制圧され、 正体不明の蓋世に自衛隊の抵抗も及ばずに封鎖されてしまう。 海外逃亡すら叶わぬ中で資源、優秀な人材を巡り、内戦へ勃発。 軍事行動を中心とした攻防戦が繰り広げられていった。 生存のためならルールも手段も決していとわず。 凌ぎを削って各地方の者達は独自の術をもって命を繋いでゆくが、 決して平坦な道もなくそれぞれの明日を願いゆく。 五感の界隈すら全て内側の央へ。 サイバーとスチームの間を目指して 登場する人物・団体・名称等は架空であり、 実在のものとは関係ありません。

OLサラリーマン

廣瀬純一
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

当て馬令息の婚約者になったので美味しいお菓子を食べながら聖女との恋を応援しようと思います!

朱音ゆうひ
恋愛
「わたくし、当て馬令息の婚約者では?」 伯爵令嬢コーデリアは家同士が決めた婚約者ジャスティンと出会った瞬間、前世の記憶を思い出した。 ここは小説に出てくる世界で、当て馬令息ジャスティンは聖女に片思いするキャラ。婚約者に遠慮してアプローチできないまま失恋する優しいお兄様系キャラで、前世での推しだったのだ。 「わたくし、ジャスティン様の恋を応援しますわ」 推しの幸せが自分の幸せ! あとお菓子が美味しい! 特に小説では出番がなく悪役令嬢でもなんでもない脇役以前のモブキャラ(?)コーデリアは、全力でジャスティンを応援することにした! ※ゆるゆるほんわかハートフルラブコメ。 サブキャラに軽く百合カップルが出てきたりします 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5753hy/ )

婚約破棄されたショックですっ転び記憶喪失になったので、第二の人生を歩みたいと思います

ととせ
恋愛
「本日この時をもってアリシア・レンホルムとの婚約を解消する」 公爵令嬢アリシアは反論する気力もなくその場を立ち去ろうとするが…見事にすっ転び、記憶喪失になってしまう。 本当に思い出せないのよね。貴方たち、誰ですか? 元婚約者の王子? 私、婚約してたんですか? 義理の妹に取られた? 別にいいです。知ったこっちゃないので。 不遇な立場も過去も忘れてしまったので、心機一転新しい人生を歩みます! この作品は小説家になろうでも掲載しています

東京虫

猫村まぬる
現代文学
夫の転勤で東京で暮らし始めた早希は、故郷にはいなかった奇妙な『虫』をあちこちで目にするようになった。大きさ十数ミリしかないその『虫』は、人間の形をしていた。(全6話) ※注意・私の作品にしてはややきつめの性描写、残酷描写があります。苦手な方はご注意ください。15歳未満の読者の方の閲覧はあまりお勧めしません。ジャンルを「現代文学」に変更します。

処理中です...