11人目の戦核者

アメイロ ニシキ

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妖艶なりし獣

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 昼間に比べて明らかに人の活気も落ち着いてきた現在。案内されるままにユユノの背を追い、やがて辿り着いたのはレイムウッドの大広場。

 既に日は沈んだ。恐らく魔導具によるものであろう街灯の光が夜の闇を照らし出している。
 暗闇にまぎれて良からぬことをしようとする奴も居るだろうし、これは効果的だな。しかしどうしても、いざ魔導具が使えなくなったらと考えてしまう。

 「ね、あの人」

 「プッ、ほんとだ」

 「あんな小さい子の──」

 広場の噴水前に設置してあるベンチに3人の女。何やらこちらを見てニヤニヤと笑いながら話している。
 どうせろくでもない事だろう。関わるだけ無意味なので努めて意識を向けないようにした。

 「聞き捨てなりませんね。締め上げてきましょうか? レド様」

 「やめろ」

 不意に足を止めたユユノがそんな事を言い出したので慌てて止めた。直接的に干渉されてもいないのにこっちから食ってかかっては面倒の元でしかないだろ。

 少々強引にユユノの肩を引き寄せて女達から離れて行けば、それを見た女達が驚きの表情を浮かべていた。

 「すみません……」

 「言いたい奴には言わせておけばいい」

 「ですが、あんな言い方はボス──レド様を下に見過ぎていて不快です」

 あんな言い方……? そう言われると気になるな。
 耳を澄ませてもここから女達の会話を全て聞くのは至難の業だ。いくら人通りが少なくなっているからと言っても限界はある。

 「聞こえていたのか?」

 「アタシ、生まれつき耳が良いんです。そのせいで嫌な会話とか勝手に聞こえてきちゃいまして、よくカッとなって喧嘩したり……あはは」

 「ふむ。ちなみに、アイツ等は何と?」

 「……お、怒りませんか?」

 「別にお前が言ったわけでもなし、怒る理由が無い」

 「では……その……レド様がアタシの召使いとか奴隷なんじゃないかって。あんなに小さな女の子相手に情けない、とも」

 「なるほど。まぁ、世間一般的な男の立場を見ればそう思われても不思議ではないか」

 「悔しくないのですか?」

 「不快ではある。が、危害を加えられたわけではないからな。あの手の輩を相手にしていてもキリが無い。制裁を加えたとしてもまた次が現れるだけだ。
 所詮塵芥。核者の立場に甘えているだけの連中に何を言われようが知ったことか。俺の価値は俺が決める」

 「強いですね、レド様は」

 「強くならざるを得なかっただけだ。……何をしてる?」

 ふと、ユユノが紙切れとペンを取り出して何かを書き始めた。サラサラと淀み無くペンを走らせる様は大人顔負けである。

 「いえ、貴重な教えなのでメモを取っておこうかと」

 「今のは別に教えではないが」

 「それでもアタシにとっては貴重なんですっ。何者にも揺るがないレド様の精神力、感銘を受けました! 流石です!」

 「……」

 おだてている訳ではなさそうだ。間違いなくユユノは心からそう思っている。直視するのも憚れるらんらんと輝くその瞳が全てを物語っていた。
 深く突っ込むと面倒そうだ。ここは話題を変えるとしよう。

 「それより、目的地はまだか?」

 「あ、ご心配なく。ここです」

 そう言ってユユノが建物の前で立ち止まった。
 大広場にほど近い場所に建てられたそれは、パッと見ただけでも分かる立派な建造物。掲げられた看板には『憩いの酒場 アーガルド』の文字。

 中から聞こえてくるのは大勢の陽気な話し声。外からでも十二分に分かる賑わいっぷりだ。

 「レド様の道のりを聞かせていただいた結果、ここが今のレド様にとって一番必要な場所と判断しました」

 「どうしてそう思った?」

 「結論から言うと、おそらくレド様は宿を探していたのではないでしょうか?
 街に滞在するなら身を置く場所を確保するのは常識。だからレド様も当然ながら宿を探していた筈です。
 しかしどういう訳かレド様は宿探しをしていたにも関わらず野宿の準備をしようとしていた。
 パッと考えられる理由は2つ。アタシでも理解に及ばない深いお考えあってのことか、もしくは、どこの宿でも男だからとバカみたいな金額をぼったくられると考え、渋々野宿を選んだか」

 驚いたな。あんな雑な説明で見事にズバリと言い当てられてしまった。
 どう考えても年不相応な気もするが、子供とは言え元騎士。それなりの教養があっても不思議ではないのか。侮れん。

 「大したものだ」

 「やった……! ってすみません。喜んでいいことじゃないですよね」

 「気にするな、悪いのはお前ではない。
 しかし分からないな。その結論に至って何故酒場に連れてきた?」

 「へへ、それは入ってみれば分かります。さ、どうぞどうぞ」

 思わせぶりな態度が気になるところではある。あまり人の多いところに長居したくはないのだが、宿と関係がありそうなことを言われては気になって野宿どころじゃない。

 とは言え酒場。思い起こされるのは昼間の冒険者ギルドだ。
 冒険者は酒場に入り浸ることが多いと師匠せんせいは言っていた。だからこその警戒。賑わってる酒場だからと気を緩める理由にはなり得ない。

 最悪また面倒事に巻き込まれる可能性もあるだろう。

 「……おぉ」

 警戒しながら扉を開けて中に入ると、そこに広がっていたのは想像以上の光景だった。

 大勢の人で賑わう店内はもちろん、酒場とは思えないほどのきらびやかな装飾の数々。俺の中にあったイメージとはかなりかけ離れている。

 しかも驚くことに、女達と男達が肩を組んで一緒に騒いでいるではないか。
 一般人らしき姿も多く見られる上に、獣人から亜人、果ては使役魔獣らしき存在まで。

 俺の脳裏に過ぎったのは村を出る前日の出来事。
 女だ男だと、そんなどうでもいいことなど関係なく騒いでいたあの夜が鮮明に思い起こされた。まさしく今目の前に広がっている光景は、あの時と同じものだ。

 「あっ、いらっしゃいませニャン! お2人ですかニャン?」

 (ニャン……?)

 給仕らしき女性がにこやかに話しかけてきた。独特な話し方に疑問を覚えたのも束の間、ピコピコと動く獣耳、尻付近でユラユラと揺れる尻尾を見て獣人だと直ぐに悟る。

 「今日は飲みに来たわけじゃないの。リリネッタさん居るかな?」

 「マスターに用事ですかニャン?」

 「うん、大事な話。悪いんだけど、ユユノ・エイカがいつかの借りを返して貰いに来たって伝えてくれるかな?」

 「畏まりましたニャン! 少々お待ちを! ニャン!」

 元気よく返事をして、女性は足早に酒場の奥へと消えていった。どうやらユユノはここのマスターとやらと知り合いらしい。

 「レド様、どこかに座って待ちましょう」

 「ああ」

 確かに突っ立っていては入ってくる別の客の邪魔になるだろう。
 ユユノに案内されるまま、壁際の目立たない席へと腰かけ、改めて店内をぐるりと見渡してみた。

 ……やっぱりだ。違和感をまるで感じない。
 この場にいる全員が、男女平等に心から酒や談笑を楽しんでいる。差別的な目をしている奴は1人も居なかった。
 仕方なく付き合ってるとか、騙そうとしているとか、そういった手合いも居ない。

 本当にここは、同じ街の中なのだろうか? 冒険者ギルドとはえらい違いではないか。

 そうして人知れず呆気に取られている中、不意に隣の席から何やら騒がしい話し声が聞こえてきた。
 チラリと視線を移した先には、如何にも冒険者風の格好をした女性達。わいわいと談笑をしつつ、酒が注がれているであろうジョッキを豪快に傾けている。

 そこは別にいい。俺にとっても見慣れた光景だ。特に師匠せんせい相手にな。

 (男……?)

 気になった点は一つだけ。冒険者風の女達に囲まれるようにポツンと1人、優し気な雰囲気をまとった少年がチビチビと酒を飲んでいる。

 これこそ違和感だ。あれだけ男を見下していた冒険者が、男を間に入れて楽しそうに笑っている。
 昼間に経験した事と目の前で起きている事実。あまりにも違い過ぎて唖然とした。

 しかしジロジロと見ているのは失礼に当たるため、踏み込んで事情を聞いてみたい衝動を冷静に抑え込む。が、次に聞こえてきた言葉に、そんな俺の努力は脆くも崩れ去ることとなった。

 「男の戦核者ぁ? はっはっはっ! そんな大嘘に振り回されてどうすんだよノエル!」

 「そうよノエル。ただでさえ伝説上の存在なのに、そんな人が都合良くポンと現れるなんておかしいわ」

 「う、うーん……やっぱりそうなのかなぁ? でも他の冒険者が大勢噂してたよ? 凄く盛り上がってたし」

 「盛り上がってたねぇ? 仮にそれが本当だったとして、今まで散々男を下に見てきた奴等が手のひら返ししてる様の何と胸糞悪いことか。
 どうせ恩恵にあやかりたくて今頃せっせと手遅れな女磨きでもしてんじゃないか? 笑えるぜ。お前もそう思うだろ? ニコル」

 「あはは、そうだね。同じ男として同情するよ。本当に居るならだけど」

 なんてことだ。もう俺の噂が広まっている。
 いや、当然か。なるべく穏便に済ませたとは言え冒険者ギルドで騒ぎを起こしたのは事実。あの場に居た誰かが好き勝手吹聴していてもおかしくはない。

 しかしそうなると、今後更に動きにくくなりそうだ。視界が狭まるハンデを背負う事にはなるが、せめて顔を隠せる兜かフードも購入するべきかもしれない。そうすれば多少は身元を隠せるだろう。
 またアラガミさんに頼もうか。あの人の腕ならば信用に値する。

 「噂になってますねレド様。ここに来て何か活動を?」

 「マナー違反者を懲らしめたくらいだ。大したことはしていない」

 「わぁ」

 「……」

 それにしても、そのキラキラとした視線はどうにかならないのか? ユユノ。俺にどんな幻想を抱いているのかなんて知りたくもないが、お前が思うほど俺は綺麗じゃないんだぞ。

 「カーッ! 美味ぇ!」

 「もう、飲みすぎよケイナ。明日は依頼なのだから、翌日にお酒を残さないようにしないとダメじゃない」

 「固いこと言うなって。……ん? なに見てんだよ兄ちゃん」

 ジロジロと見過ぎたツケが回ってきてしまった。ケイナと呼ばれた女が強気に身を乗り出し、俺の方へズイッと寄って来る。

 どう躱したものか。

 「すみません。立派な防具だったもので、つい」

 咄嗟に考えた言い訳にしては及第点だろう。女も直ぐに機嫌を良くした様子で、得意気に鼻を鳴らしていた。

 「フフン、分かるか? 何せ貯めに貯めた報酬金をはたいて新調したものだからな」

 「僕達の分もはたいて、でしょ?」

 「こ、細けぇこと気にすんなよ。それでも男かニコル!」

 「男か女かなんて関係ないでしょ、まったく。すみません、うちのリーダーがご迷惑を」

 「いえ、お気になさらず」

 やはり、おかしい。ニコルと呼ばれた男に指摘をされても、女性達が逆上する様子は無い。むしろそれが当たり前かのように振る舞っている。
 いや、そもそもそれが普通なんだ。しかしどうしても冒険者の女に良いイメージが湧かないせいで、余計な先入観が邪魔をしてしまう。

 ……なるほど、つまり彼女達が師匠せんせいが言うところの良い冒険者か。

 「あなた達、見ない顔ね。格好からして冒険者か旅人?」

 「アタシ達はむぐっ──」

 すぐに答えようとしたユユノの口を塞ぐ。ここで要らんことを言われても面倒なだけだ。

 「冒険者になったばかりの者です。まだ勝手が分からない故ご迷惑をかけてしまうかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」

 「てことは……新人さんだ!」

 「良かったじゃねぇかノエル。念願の後輩だぜ?」

 「えとえと、分からないことがあったら聞いてよ! 何でも……は無理だけど、初歩的な事だったら大抵のことは教えられるからさ!」

 「コイツもう先輩風吹かしてらぁ」

 「ふふふ。それだけ嬉しいのよ。他のパーティと交流することもあんまり無いし、まして新人さん相手ならノエルの気持ちも分かるわ」

 「ねっ、ねっ、こっちで一緒に飲も! そっちの方が教えやすいし!」

 「いえ、俺は──」

 飲みに来たわけではないし、そもそも俺はここに何をしに来たのかも知らされていない。
 気分を害さないよう穏便に断ろうとしたが、それより早く俺達の間に誰かが割って入った。ユユノだ。

 「お気遣い無用。レド様にはアタシが居るから他の人の助けはいらないわ」

 「むっ」

 「なによ、文句ある?」

 余計な事を……。割って入った挙句に親切で教えようとしてくれたノエル女性と不穏な空気になっている。やめてくれ。

 「様? 何だ兄ちゃん、もしかして良いとこのボンボンか?」

 「育ちは辺境の村ですよ。そんなに良い身分ではありません。ユユノこの子が俺を敬称で呼ぶのは……まぁ、弟子のような存在だからです」

 「……!」

 悪いと思いつつも再び嘘を重ねた。乗り切るためなら致し方なしだ。
 しかしそんな嘘に一番食いついたのはユユノであり、酷く驚いた様子で俺の方へ振り向いてきた。

 驚愕していたのは少しの間だけ。直ぐに両手で自分の頬を包み込み、妙に嬉しそうな表情で俯く姿は平時であれば可愛らしく思えただろうか。
 誰のせいで嘘を吐いていると思ってるんだコイツは。

 「ふへへ……弟子……レド様の弟子」

 「それはそれで珍しい話だな。男が女の師匠かよ」

 「こちらにも色々と事情があるので」

 「ほーん?」

 言外にこれ以上踏み込んでくるなと釘を刺しておく。どうやら相手も察してくれたようで、そこから先を聞こうとはしてこなかった。

 「冒険者になったばかりってことは、君達の等級は見習いだよね?」

 「えぇ、まぁ」

 「僕達は一応全員が中級の冒険者なんだ。これも何かの縁だし、今後何か困ったことがあったら遠慮なく言ってよ。
 ノエルが言ってた通り、初歩的な事なら教えられるからさ。困った時はお互い様って言うでしょ?」

 「あっ! ズルいよニコル! それ私が言おうとしてたのに!」

 「ごめんごめん」

 確かに先達者の意見は貴重である。本では得られない情報等も持っているかもしれないし、個人的には男の冒険者の意見も聞きたいところ。

 だが今は間が悪いのだ。

 ユユノが何をしたいのかもハッキリしていない今、長話をするのは得策ではないだろう。

 「では、何かあれば頼らせてもらいます」

 「うん。あ、それと僕達に対してあんまり畏まらなくてもいいよ。男性同士で、それに君の方が明らかに年上だし、ね?」

 「……そうか、分かった」

 「うんうん、そうこなくちゃ。って、さっきから何か騒がしいね」

 そう言いながらニコルが視線を移す。それに習って俺も意識を向け、そこに広がっていた光景に幾分か良好だった気分が落ちていくのを感じた。

 視線の先では冒険者風の女が男性の頭を掴み、テーブルへと力任せに押し付けている。仲間らしき存在も複数人。明らかにふざけ合っているようには見えない。
 女の下卑た笑みは、これまで出会ってきた腐った連中が浮かべていたものとまったく同じものだ。

 本当にどこへ行っても虫のように湧いて出てくるな……まったく。

 「聞こえなかった? 私はどけって言ってんの。アンタみたいなのは床で食事するのがお似合いよ。
 それともこのまま頭を潰してほしいのかしら?」

 「がっ……ぐ……」

 「や、やめてください! 彼は何もしていないじゃないですか!」

 「はあ? 何で男の味方なんかしてんのよ?
 してるしてないの問題じゃなく、私は同じ空間に男が居ること自体不快なの。しかもコイツは口答えした。おとなしくどいてればそもそもこんなことにはなっていないのよ。分かる?」

 「そんなの勝手過ぎます!」

 「ちっ、うるっさいわね。コイツの味方するってんなら、同じ女でもすり潰すわよ?」

 「ひっ……!」

 聞くに耐えない。あの女の行動や言動もそうだが、あれだけ派手に問題行動をしているにも関わらず誰も止めようとしない現状に反吐が出る。
 不憫そうに遠目から見るばかりで我関せず。いや、給仕の女性だけは何とか止めに入ろうとはしているな。
 だが奴等の威圧に負けて尻込みしている状態だ。あれでは行動に移せても結果は目に見えている。

 「はぁ……どいつもこいつも」

 もういい、誰も出張らないなら俺がやる。

 そう思って立ち上がろうとした瞬間、腕を掴まれて止められた。ユユノではない、ケイナと呼ばれていた女性だ。

 「何故止める」

 「行ったって返り討ちに遭うだけだ。見ろよ、アイツ等が首から下げてるプレート」

 プレート? あぁ、確かに全員がこれ見よがしに下げているな。冒険者としての身分証明書、か。だがそれがどうした?

 「金色のプレートは上級冒険者の証。私達でも敵うかどうか分からないんだ。見習いのアンタがどうこうできる相手じゃないっての」

 「ケイナの言う通りだよ。あの人達は気の毒だけど、下手に首を突っ込んだら二の舞いになる。だから──」

 「忠告は受け取っておく。だが止めない理由にはならない」

 「え、ちょっ……!」

 上級冒険者? 知ったことか。たとえ誰だろうと、俺の前で男性を不当に扱う女は等しく敵だ。
 こちらに手を出していなくとも、これだけは見過ごせない。見過ごしてはいけない。

 ケイナの手を振り払い、席を立つ。面倒事を起こす起こさないは関係ない。ここであの男性を見捨てる選択肢などありえない。
 虐げられ、傷つけられ、奪われる痛みを知っているからこそ、それはありえないんだ。

 「レド様、アタシも手伝います」

 「必要ない。あの手のバカは男の俺がやらなければ学ばん」

 「……わかりました」

 シュンと落ち込むユユノに多少すまないとは思いつつも提案を断った。ユユノの実力が未知数というのもあるが、子供を率先して厄介事に巻き込むのもまたおかしな話だからな。

 「新人さんっ、ホントに行くつもり……!?」

 後ろから何やら聞こえるが無視して歩みを進める。

 あの女は既に手を出している。つまり、やり返される覚悟あってのことだと俺は判断した。
 故に話し合いの工程は必要ないだろう。

 淀み無く、真っ直ぐに。やがて手が届く距離まで近付いて、ようやく仲間の1人が俺の存在に気付いた。……が、もう遅い。

 「そうね、まぁ私も鬼ではないから、ここの代金をアンタ達が全額出してくれる? そうしたら許してあげ──」

 「金が無いのか?」

 「え?」

 「そうか。なら客ではないな」

 「い゙っ……!!?」

 背後から女の後頭部を鷲掴み、そのまま引き落として床に打ち付けた。鈍い音が響き、苦痛に染まった女の声が漏れ出る。

 さて、同じく頭を叩きつけられた気分はどうかな? と顔を覗き込んでみたのだが、女は既に白目を剥いて口から泡を出しながら失神していた。

 嘘だろう……? とんでもなく手加減したのに一撃で沈んだ? 不意討ちとは言えいくら何でも弱過ぎやしないか。

 まぁ、手間が省けたから別に構わないが。残りは3人。

 「……ハッ! よくも──」

 「対応が遅すぎるぞ」

 仲間がやられフリーズしていた女の1人が正気に戻り、慌てて俺に手を伸ばしてくる。
 対応も遅ければ動きも遅い。無造作に伸ばしたその手は「どうぞ壊してください」と言わんばかりに無防備だ。

 ならば、お言葉に甘えさせてもらおうか。

 「ひぎっ……!? ああぁぁぁぁ!!! わ、私の腕ぁぁぁぁぁぁ!!?」

 「喧しい」

 「うあ゙っ!?」

 片手で腕を捻り上げて肩関節を外してやった。
 聞くに耐えない叫びの何と不快なことか。腕を振り抜いて喉を潰してやれば、声にならない叫びを上げながらその場でのたうち回る。

 残り2人。

 いちいち攻撃を待つのも馬鹿馬鹿しい。
 あっという間に仲間2人がやられて未だに呆然としている残りの女達の首根っこを掴み上げ、そのまま力任せに酒場の入口から外へ放り投げてやった。

 失神している女と藻掻いている女も外へ蹴り飛ばして、攻撃の際にこっそり奪っておいた金色のプレートを掲げる。

 「冒険者が聞いて呆れる」

 開け放たれた扉の向こう。信じられないものを見る目で俺に視線を向ける女達に見せつけるように、4人分のプレートを握り潰してやった。

 「失せろ」

 『ひぃぃぃっ!』

 「あ、おい! コイツも連れて……ちっ、我が身大事か。つくづく腐っているな」

 最初に失神させた女を置いて一目散とはな。内側が腐っていれば仲間同士の信頼もあって無いようなものなのだろう。

 流石にこのまま放置するのは憚られるか。

 「やれやれ」

 女の足首を掴み上げて引き摺り再び店の中へ。酒場の隅っこへ放り投げて、俺は満足気に小さく頷いた。

 一先ずの問題は解決した。しかし新たな問題も芽生えた。それは、酒場に居合わせ唖然としている客達とこの何とも言えない空気への対処だ。
 無意識に頭を抱えそうになって何とか踏み止まる。

 存外頭に血が上りすぎていた罰だな、これは。その後の対応をまるで考えていなかった。

 「お見事。流石は噂の殿方といったところかのう」

 「ん?」

 突然聞こえてきたのは凛とした声。一様に俺を見る客達の中に、見慣れない服装を身に纏った銀髪の女性の姿。その怪し気な笑みはどこか不気味にも見え、俺を警戒させる。
 頭の上から生えている耳と腰辺りで揺れる尻尾から考えても間違いなく獣人だ。

 手には煙筒。スッと一吸いした後にモクモクと立ち上る煙は、これまた怪し気なピンク色をしていた。

 よく見れば隣に先程酒場の奥に行った給仕の女性が立っている。つまり……彼女がそうか。

 「本来であれば店の者が対処するところを代行してもらい感謝するぞ、レド・ヴァレンタイン殿」

 「え、ヴァレンタイン……?」

 「ねぇ今ヴァレンタインって?」

 「ああ、確かにそう聞こえたが」

 毎度のことながら師匠せんせいの知名度が凄まじい。

 「……何故俺の名前を?」

 「クフフ。冒険者ギルドで揉め事を起こせば噂になって当然じゃ。特に、トラブル関連は我の耳によく届くのでな。
 主ら、うちのルールも知らない新参者を奥へ。骨の髄まで分からせてやれい」

 『はーい!』

 女性が何事かを指示すると、周りに控えていた給仕が一斉に失神した女へと殺到。そのまま雑に引きずられていき、あっという間に奥へと消えてしまった。

 「奴には何を?」

 「教育、じゃ。この酒場には絶対に破ってはいけないルールがあっての。
 男女平等。諍い、差別、侮辱、その他諸々。相手を貶め辱めたり、痛めつける行為は原則として禁止。破った者には相応の罰を。
 主も覚えておくとよい。まぁ、破るとはこれっぽっちも思っていないがの、カカカっ♪」

 ……そうか。そのルールがあったからこその店の雰囲気だったのか。ならば皆の楽しげな様子も納得である。
 男だ女だと喧しく言ってくる連中が居ない事実。それを望む人にとってこの場所はまさしく憩いの場だ。

 「なるほど。ところで貴女は?」

 「我はここのマスターじゃ。リリネッタ・エリュラン。見知り置き願うぞ?」

 やはり、この女性がそうなのか。ただの酒場の店主というわけでもなさそうだ。
 俺を見る瞳、纏う雰囲気、佇まい。膨らみの形から予想して服の下には短剣を隠し持っている。どう見てもこちら側・・・・の存在だ。

 「リリネッタさん、久しぶり」

 と、ここで横から割り込んできたのはユユノだ。まるで友人に話しかけるが如き気軽さで、にこやかに手を振っている。

 対して、妖艶な雰囲気を纏っていたリリネッタさんの表情が一変。パッと笑顔を咲かせて足取り軽くユユノへと歩み寄り、そのまま小さな体を抱き締めた。
 当のユユノは豊満な胸に顔を押し付けられて苦しそうだ。

 「おお~! 本当にユユノじゃ! まったく顔を出さんから心配しておったのだぞ? 少し背が伸びたか? ん?
 にしても随分とみすぼらしい服を着ておるのう。ちゃんと食べれておるのか?」

 「うぶっ……リリネッタさん、苦しいってばっ」

 「よいよい、恥ずかしがるな♪」

 「別に恥ずかしいわけじゃ。とにかく話がしたいから解放してよ。アタシも暇じゃないんだから」

 「なんじゃ、ツレないのぅ」

 ふむ、随分と仲が良いな。いや、どちらかといえば一方的にも見えるが、ユユノもそこまで嫌がっていないところを見るに、それなりの関係性ではありそうだ。

 「もう、相変わらずスキンシップが激し──ハッ!? も、申し訳ありませんレド様! お見苦しいところを!」

 「いや、別に」

 「……? なんじゃ主ら、知り合いかの?」

 「レド様は、えーっと……そう! アタシの師匠なのよ!」

 必死に考えて出した返答がそれか。先程俺が言った弟子発言から搾り出したと見える。
 とは言え、ここで訂正を入れてもややこしくなるだけなのは分かりきっているので、余計な口は挟まない。

 「ほう? ユユノの師匠か。それが本当だとしたら、冒険者ギルドで大立ち回りしたという噂も真実味を帯びてくるのう」

 大立ち回りはしてないぞ。噂に尾ヒレを付けるのはやめてもらいたい。

 「さて、酒場のど真ん中で立ち話もなんじゃ。2人共、我の部屋に来ると良い。借り・・の話もそこでした方がよかろう」

 「それは賛成。レド様、よろしいですか?」

 「……ここまで来て今更帰るわけにもいかないだろう。お前が何をしたいのかもまだハッキリとしていないからな」

 「決まりじゃ。皆の衆! 騒がせてしまって悪かった! お詫びとして今夜は我が奢ろうぞ! 存分に飲み食いするがよい!」

 誰も彼もが俺達に注目している中で唐突に告げられた言葉。
 しばらくシンと静まり返ったかと思えば、次の瞬間にはドカンと歓声が上がった。冷えてしまった空間が瞬く間に熱を帯びたものへと変わり、もはや俺に関心を向ける者も一部を除いて居ない。

 自分から踏み込んだ事とはいえ注目されっぱなしは居心地悪かったからな。これには正直助けられた。

 しかし全額奢りなんて真似をして大丈夫なのか? 相当な額になるのでは……。

 「これでよし。それじゃ、行くとしようかのう。こっちじゃお客人」

 俺の心配など余所に、リリネッタさんは構わず歩き始めてしまった。
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