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彼の意思
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目の前は真っ暗で何も見えない。
呼吸もしづらい上に両腕は鉛のように重い。何より両目に焼けるような痛みが走り続けている。
鍛錬がどれくらいの時間続いていたのかも分からなかった。只管に斧を振るい、思考は迫り来る丸太にばかり向けられ、それ以外の事に意識を向ける余裕はなかった。
迫る丸太の速度はふざけるなと声を大にして叫びたい程に速く、1本1本を叩き切る度に全身が軋んだ。
やがて真っ暗だった視界が開け、太陽の光が差し込む。同時に師匠の顔がそこにあった。
「どんなだ?」
聞かれた質問に直ぐには答えられなかった。
喋ろうとすると息が詰まる。それだけハードな鍛錬だったのだ。少なくともこうして仰向けに寝転がって何も出来なくなるくらいには。
「最悪ですよ」
「見えてるか? 視力の低下は?」
「痛みはありますけど、視力に支障はありません。正直、今は目よりも満足に両腕を動かせない方がツラいですかね」
「あははっ、それは何より」
また視界が暗くなる。
両目を冷やす用に師匠が持ってきてくれた水に浸した布。それを再び目の上にかけられたのだろう。
「全力使用時間はざっと10分といったところか。うん、しっかり成長している。暴走の兆候も無しだ」
10分だって? 最低でも30分くらいは鍛錬していたと思うが……使い過ぎで感覚がおかしくなってるのか。
「たった10分……」
「全力で使用して10分だぞ。大きな進歩だろう」
ああ、そう言われれば確かに。
昔の事を思えば相当に進歩したな。
「……ところで」
「ん?」
「確認って言ってましたけど、結局今回の鍛錬で何を確認したんですか? 身体能力を見極めるとかなら、まぁ納得ですが」
「それもある。実際レドの身体能力は申し分ない。
目はもちろん、超重量の斧を十全に振り回せるフィジカルの強さ。私が投げた丸太に即対応できる瞬発力と反射神経。
うん、既にレドは戦士として完成している。この私が太鼓判を押そうじゃないか」
「……」
まさかそこまでの高評価を貰えるとは思っておらず、何処かむず痒さを感じた。ニヤついていないだろうか? 目元が隠れていてよかった。
師匠が太鼓判を押す、つまり 俺は認められたという事に他ならない。
世界にその名を轟かすリズリア・ヴァレンタインその人から、お前は完成したと言われたのだ。
感情の起伏が乏しいとよく言われる俺でも、流石に込み上げてくるものがあった。
「うん、うん。これなら大丈夫か」
ふと師匠が独り言のように呟く。
未だ重い右腕を動かして目の上に乗せられた布を取り、師匠の顔を窺う。
その表情はどこまでも真剣で、瞳は虚空を捉えて離さない。やがてその目が俺に向けられると、何の脈絡もなく師匠はこう言った。
「レド、冒険者になりなさい」
「…………はぁ?」
言われた言葉の意味がわからず、しばらく停止してから失礼極まりない一言を発してしまった。
それだけの衝撃。いつもなら他愛もない話をした後は、それぞれの仕事に戻って1日を過ごすのに、今日に限っていつもと違った。
冗談の類ではない。俺を見つめる師匠の目は本気だ。
「その強さがあれば世界でも通用する。やはりレドは完成しているよ。
だが、それはあくまでも身体的な意味ではだ。中身は未だ未熟」
「それ、もしかして女嫌いが関係してます?」
「ははっ! 聡いな!」
まぁそうだろう。それは俺自身が、叶うなら何とかしないとと思っている事でもあるからな。
それ以外では特に思い当たる節は無い。自分で言う事ではないかもしれないけれど、それでも俺は同年代の他人に比べればかなり悟っている方だと思う。
それも未熟と言われてしまえばそれまでだが。
「教会に居た頃と今の生活。極論、レドはたったそれだけの世界しか知らない。
前にレドを街へ連れて行った時、そこで見た物も世界からしてみればほんのひと握りの光景でしかないんだよ」
「世界は広い、と?」
「ああ。この村に居る人達は良い人ばかりだ。私が見定めたのだから間違いは無い。
だが世界にも彼等彼女等のように良い人達も多い。中には腐ってる輩も居る。しかし全てではない。
レドが嫌う女の中にだって、私より遥かに優れた人格者も居るだろう」
「それは無いですね」
師匠の言いたい事は分かった。
理解も出来るし、納得も出来る。全員が全員クズな訳が無いのはわかってる事だ。
ただ、師匠より優れた人格者なんて居るものか。そこは否定させてもらおう。
「私のこと好き過ぎないか?」
「好きかどうかは問題ではありません。人として師として、師匠を越える人なんて居ませんよ。いえ、仮に居ても俺が認めません」
「やれやれ、そういう所も治さないとだな。ただまぁ、そこまで言われるのは師匠冥利に尽きるが。
……レド、ここでは強さは学べても心に抱える歪みは癒せない。世間から切り離されたこの狭い場所ではな」
「その狭い場所でも、俺は満足ですが」
「私が満足しない」
「……それはズルいでしょ」
「あははは! 私の為と思えばその重い腰も上がるかと思ってな! 図星か?」
「当たらずとも遠からず」
冒険者になって歪みが治るかどうかはともかく、必要だと言うなら否と応える道理は無い。
それに、師匠の言う事も分かるのだ。ここに来たばかりの頃は今と比べるのも馬鹿らしい程、俺の心は壊れていた。
だいぶマシになったとは言え、未だ俺の中に燻り続ける女性に対しての強い憎しみ。
表面上は普通に話せるようになっても、相手が女性というだけで警戒してしまう。会ったばかりの頃は、師匠やユナにも酷い対応をしてしまった。
何をするにも相手が悪かもしれないと前提で考えてしまう。頭では理解していても魂が否定する。
このままでいいわけが無いのだ。
「ここを離れて世界を知り、見聞を広めたところで治るでしょうか?」
「はっ、知らん」
バッサリと吐いて捨てられた。
無責任な! そんな一言を言おうとしてグッと堪える。
「私は全能じゃない。レドが冒険者になってどんな変化を見せるかなんて分かるものか。
私は最強なだけで神ではないのだからな。あっははははは!」
「結局は俺次第じゃないですか」
「当然だ。レドのこれからを決めるのは私ではなく、レド・ヴァレンタイン自身だ。私の出る幕じゃあない」
「……俺自身、か」
思えばこれまで、俺は師匠を中心にして生きてきた。言われるままに学び、鍛え、今ここに居る。
それでいいと疑問にも思わなかったけど、こうして師匠に言われて初めて思う。
俺の意思はどこにあるのだろう?
師匠という存在を無くして、俺は俺のままで歩めるだろうか。俺の意思で立っていられるだろうか。また昔の俺に戻ってしまわないだろうか。
それだけが酷く恐ろしい。
「……師匠」
「ん、何だ愛弟子」
「冒険者になるには、どうしたらいいですか?」
俺を見下ろす師匠の顔を真っ直ぐに見上げながら問う。
ほんの少しの間だけ意外そうに目を瞬かせた後、師匠は笑みを深めて俺の髪を優しく撫でてくれる。
「それでこそ私の家族だ」
眩しげに師匠を見上げたまま、俺はこの日、初めて自分の為に行動する事を決めた。
呼吸もしづらい上に両腕は鉛のように重い。何より両目に焼けるような痛みが走り続けている。
鍛錬がどれくらいの時間続いていたのかも分からなかった。只管に斧を振るい、思考は迫り来る丸太にばかり向けられ、それ以外の事に意識を向ける余裕はなかった。
迫る丸太の速度はふざけるなと声を大にして叫びたい程に速く、1本1本を叩き切る度に全身が軋んだ。
やがて真っ暗だった視界が開け、太陽の光が差し込む。同時に師匠の顔がそこにあった。
「どんなだ?」
聞かれた質問に直ぐには答えられなかった。
喋ろうとすると息が詰まる。それだけハードな鍛錬だったのだ。少なくともこうして仰向けに寝転がって何も出来なくなるくらいには。
「最悪ですよ」
「見えてるか? 視力の低下は?」
「痛みはありますけど、視力に支障はありません。正直、今は目よりも満足に両腕を動かせない方がツラいですかね」
「あははっ、それは何より」
また視界が暗くなる。
両目を冷やす用に師匠が持ってきてくれた水に浸した布。それを再び目の上にかけられたのだろう。
「全力使用時間はざっと10分といったところか。うん、しっかり成長している。暴走の兆候も無しだ」
10分だって? 最低でも30分くらいは鍛錬していたと思うが……使い過ぎで感覚がおかしくなってるのか。
「たった10分……」
「全力で使用して10分だぞ。大きな進歩だろう」
ああ、そう言われれば確かに。
昔の事を思えば相当に進歩したな。
「……ところで」
「ん?」
「確認って言ってましたけど、結局今回の鍛錬で何を確認したんですか? 身体能力を見極めるとかなら、まぁ納得ですが」
「それもある。実際レドの身体能力は申し分ない。
目はもちろん、超重量の斧を十全に振り回せるフィジカルの強さ。私が投げた丸太に即対応できる瞬発力と反射神経。
うん、既にレドは戦士として完成している。この私が太鼓判を押そうじゃないか」
「……」
まさかそこまでの高評価を貰えるとは思っておらず、何処かむず痒さを感じた。ニヤついていないだろうか? 目元が隠れていてよかった。
師匠が太鼓判を押す、つまり 俺は認められたという事に他ならない。
世界にその名を轟かすリズリア・ヴァレンタインその人から、お前は完成したと言われたのだ。
感情の起伏が乏しいとよく言われる俺でも、流石に込み上げてくるものがあった。
「うん、うん。これなら大丈夫か」
ふと師匠が独り言のように呟く。
未だ重い右腕を動かして目の上に乗せられた布を取り、師匠の顔を窺う。
その表情はどこまでも真剣で、瞳は虚空を捉えて離さない。やがてその目が俺に向けられると、何の脈絡もなく師匠はこう言った。
「レド、冒険者になりなさい」
「…………はぁ?」
言われた言葉の意味がわからず、しばらく停止してから失礼極まりない一言を発してしまった。
それだけの衝撃。いつもなら他愛もない話をした後は、それぞれの仕事に戻って1日を過ごすのに、今日に限っていつもと違った。
冗談の類ではない。俺を見つめる師匠の目は本気だ。
「その強さがあれば世界でも通用する。やはりレドは完成しているよ。
だが、それはあくまでも身体的な意味ではだ。中身は未だ未熟」
「それ、もしかして女嫌いが関係してます?」
「ははっ! 聡いな!」
まぁそうだろう。それは俺自身が、叶うなら何とかしないとと思っている事でもあるからな。
それ以外では特に思い当たる節は無い。自分で言う事ではないかもしれないけれど、それでも俺は同年代の他人に比べればかなり悟っている方だと思う。
それも未熟と言われてしまえばそれまでだが。
「教会に居た頃と今の生活。極論、レドはたったそれだけの世界しか知らない。
前にレドを街へ連れて行った時、そこで見た物も世界からしてみればほんのひと握りの光景でしかないんだよ」
「世界は広い、と?」
「ああ。この村に居る人達は良い人ばかりだ。私が見定めたのだから間違いは無い。
だが世界にも彼等彼女等のように良い人達も多い。中には腐ってる輩も居る。しかし全てではない。
レドが嫌う女の中にだって、私より遥かに優れた人格者も居るだろう」
「それは無いですね」
師匠の言いたい事は分かった。
理解も出来るし、納得も出来る。全員が全員クズな訳が無いのはわかってる事だ。
ただ、師匠より優れた人格者なんて居るものか。そこは否定させてもらおう。
「私のこと好き過ぎないか?」
「好きかどうかは問題ではありません。人として師として、師匠を越える人なんて居ませんよ。いえ、仮に居ても俺が認めません」
「やれやれ、そういう所も治さないとだな。ただまぁ、そこまで言われるのは師匠冥利に尽きるが。
……レド、ここでは強さは学べても心に抱える歪みは癒せない。世間から切り離されたこの狭い場所ではな」
「その狭い場所でも、俺は満足ですが」
「私が満足しない」
「……それはズルいでしょ」
「あははは! 私の為と思えばその重い腰も上がるかと思ってな! 図星か?」
「当たらずとも遠からず」
冒険者になって歪みが治るかどうかはともかく、必要だと言うなら否と応える道理は無い。
それに、師匠の言う事も分かるのだ。ここに来たばかりの頃は今と比べるのも馬鹿らしい程、俺の心は壊れていた。
だいぶマシになったとは言え、未だ俺の中に燻り続ける女性に対しての強い憎しみ。
表面上は普通に話せるようになっても、相手が女性というだけで警戒してしまう。会ったばかりの頃は、師匠やユナにも酷い対応をしてしまった。
何をするにも相手が悪かもしれないと前提で考えてしまう。頭では理解していても魂が否定する。
このままでいいわけが無いのだ。
「ここを離れて世界を知り、見聞を広めたところで治るでしょうか?」
「はっ、知らん」
バッサリと吐いて捨てられた。
無責任な! そんな一言を言おうとしてグッと堪える。
「私は全能じゃない。レドが冒険者になってどんな変化を見せるかなんて分かるものか。
私は最強なだけで神ではないのだからな。あっははははは!」
「結局は俺次第じゃないですか」
「当然だ。レドのこれからを決めるのは私ではなく、レド・ヴァレンタイン自身だ。私の出る幕じゃあない」
「……俺自身、か」
思えばこれまで、俺は師匠を中心にして生きてきた。言われるままに学び、鍛え、今ここに居る。
それでいいと疑問にも思わなかったけど、こうして師匠に言われて初めて思う。
俺の意思はどこにあるのだろう?
師匠という存在を無くして、俺は俺のままで歩めるだろうか。俺の意思で立っていられるだろうか。また昔の俺に戻ってしまわないだろうか。
それだけが酷く恐ろしい。
「……師匠」
「ん、何だ愛弟子」
「冒険者になるには、どうしたらいいですか?」
俺を見下ろす師匠の顔を真っ直ぐに見上げながら問う。
ほんの少しの間だけ意外そうに目を瞬かせた後、師匠は笑みを深めて俺の髪を優しく撫でてくれる。
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