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第二部 最大級の使い捨てパンチ
「父様まだかなぁ」
しおりを挟むクレイソンの側で黙って立っていた細身の男が、静かに口を開いた。その瞬間、皆の視線が一斉に彼へと向けられる。
「グレイソン様は今日、港に戻る予定でした。しかしいつもの船ではなく少し早めになりましたよね。もしかしたら、そこでお待ちなのかもしれませんね。……行くのは構いませんがグレイソン様、仕事は数日くらいなら引き受けますが、いくつかはグレイソン様でないと対処できない案件もありますので、その時はお願い致しますよ?」
彼の言葉には、商会の実質的なナンバー2としての責任感と自信が感じられた。グレイソン以外では処理できない業務がいくつか残っているとはいえ、数日間なら任せてくれというのだ。部下にあまり頼ってなかったグレイソンは見逃していた身近な成長を目の当たりにして目を丸くする。
「でかしたぞ、マルクス君!君たちもぜひついてきたまえ!じゅぅぅぅううりぃぃぃいいい!!!」
マルクスと呼ばれた男は軽く頷く。グレイソンは突然叫びながらエントランスを飛び出していった。目的地がわかったらしく、テンションが急上昇したらしい。置いていかれまいと、ロットたちも慌ててその後を追いかけることになった。
港に着くと、帆船やガレオン船が海風にたなびく帆を掲げて停泊していた。船体には精巧な彫刻が施され、海の怪物や英雄の伝説が描かれている。
船員たちは忙しそうに木箱を積んだり、荷物を運び出していた。港周辺には、海産物を売る露天や旅人を迎える宿屋が軒を連ね、行き交う人々の活気が溢れていた。
焼き魚の香りが潮風と共に漂い、エレナがふらふらと引き寄せられそうになるのを、ロットはなんとか止めつつも、その港の美しい景色に心を奪われていた。
「いたわね」
ジュリは、すぐに見つかった。行き交う人々の邪魔にならないように、しかし船が戻ってきたらすぐにわかるよう、船着き場の端で大人しく座っていたのだ。
「私の帰りを待ってるなんて、なんて可愛いんだ!」
遠目には、確かにグレイソンの言う通り、健気に父親の帰りを待つ少年のように見える。その光景にケイトも一瞬、ジュリの背中に可愛らしさを感じてしまったが、すぐに自分の心を戒めた。彼の性格を知っている彼女にとって、あの背中は可愛さなどとは無縁のものだった。
「グレイソンさん、大声出さないでくださいっす」
ロットは後は連れ帰るだけだと思っていたが、エレナが何故かグレイソンを引き止めた。
「なぜだ!今すぐにでも駆けつけて抱きしめてやらねば!」
グレイソンの目は興奮の色に染まり、父親としての衝動を抑えきれない様子だった。その目が少し怖い。
「まーまー、ちょっと話だけさせてくださいっす」
エレナはグレイソンをなだめるように言い、一人でジュリの元へと歩み寄っていった。
ロッドとケイトは、エレナが何をしようとしているのか分からず、互いに顔を見合わせた。
「ま、任せて大丈夫なんだろうな?」
グレイソンが不安げに呟くと二人はなんとも言えない表情で答える。
「エレナはいい加減だけど、やるときはやる奴よ。たぶん」
「ああ、だらしないけど、何にもないのに出しゃばることはない。たぶん」
二人は、魔王と対峙したときのエレナを思い出し、少しだけ彼女に信頼を寄せていた。しかし普段の行いが積み重なり今ではその信頼はかなり細いものとなっている。
「ほほほ、本当に大丈夫なのかそれは?」
グレイソンは当然ロットたちの反応に右往左往する。エレナには丸聞こえであり、頬を掻きながら、気まずそうにしつつも歩き続けた。
「よーく聞こえてるっすよ、人をなんだと思ってんでしょーね」
エレナは背後の二人の会話を聞き流しつつも、普段の自分の行いを特に反省することなく、ジュリのもとに辿り着いた。
ジュリがぼんやりと海を見つめていると、突然声がかかった。
「お前は」
驚いて振り向くと、エレナがにぃっと笑いながら手を上げていた。
「やっほージュリ君」
エレナの軽快な挨拶にも関わらず、ジュリの表情は一瞬にして冷たく変わった。彼女が自分を連れ戻しに来たことを察したからだ。ジュリは再び海へ視線を戻し、静かに言葉を吐き出した。
「連れ戻しに来たのだろう?少し待て、もうすぐ父様が帰ってくる。そうしたら依頼はキャンセルだ。キャンセル料くらいは払ってやるから屋敷で待ってろ」
その言葉には確固たる決意が込められていたが、エレナは一瞬の間を置かず、あっさりと否定した。
「いやっすね」
その即答に、ジュリは再びエレナを見た。自分の命令が無視されたことに驚いたのだ。
「なっ、言うことを聞け」
声を荒げるジュリ。しかし、エレナはその怒りをまるで意に介さず、さらに言葉を重ねて挑発した。
「ていうか、なんで病気治したくないんすか?もしかして、治療が怖いんすか?」
彼女の無邪気な表情と軽い口調に、ジュリは思わず反論してしまう。
「そんなわけないだろ!僕がそんなもの怖がるものか」
ジュリの反応を見て、エレナはニヒヒと微笑んだ。その笑みは、彼が予想以上に簡単に煽られることを楽しんでいるかのようだった。
「じゃあ、なんすか?病気治ったら愛してもらえないとでも思ってんだ?」
エレナの言葉は、まるで彼の心を見透かすかのようだった。ジュリは驚きと苛立ちの入り混じった表情でエレナを睨みつけた。
「どうしてそれを!」
その叫びは、エレナが無意識に投げかけた問いに対する無防備な心の叫びだった。しかし、その反応はエレナの憶測が正しかったことを示すものでもあった。すぐに取り繕うジュリ。
「わ、笑うな!お前に僕の気持ちなんて分かるものか。父様はこの街の商会を代表してるんだ。だから仕事で忙しいんだ。母様も治療以外はいつも忙しそうにしてる。唯一体調を崩す誕生日間近だけは二人共僕のそばにいてくれるんだ。それなのに治ってしまったら……」
ジュリは、心の奥底に隠していた恐れを吐き出すように叫んだ。自分でも気づかぬうちに、涙が溢れ出し、彼の視界を滲ませた。
「ジュリ君って見た目に反して、結構お馬鹿っすね?」
エレナは軽くため息をつきながら、手を腰に当てて呆れたように言った。その言葉にジュリはさらに反発する。
「失礼だろ!」
泣いていることも忘れて、ジュリはエレナに向かって怒鳴り返す。
「いや、だってご両親は体調不良だからそばにいるんじゃないっすよ。誕生日だから一緒にいたいんすよ。それにそうじゃない日も、決して会えないわけじゃないし。わがまま言ってみてもいいんじゃないですか?」
「た、ただでさえこの病気で迷惑かけているのに」
ジュリは絞り出すように言った。子どもながらに自身の病気について両親たちがどれほど心を費やしてくれているかはわかっていたのだ。しかし寂しさがあるのも事実。しかし、エレナはその言葉に対しても軽やかに返した。
「子どもに一緒にいたいって言われて、嫌がる親なんていないっすよ。それに……まあ後は本人にぶつけてみてもいいんじゃないっすか」
エレナの言葉にジュリはバッと顔を上げた。
そこには、彼の父であるグレイソンと母セリーナが立っていた。二人の姿を目にした瞬間、ジュリの心は一気に揺れ動き、彼は何も言えずただ二人を見つめることしかできなかった。
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