暁のホザンナ

青柳ジュウゴ

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暗夜の礫 - 3 -

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 どこにいるかも定かではない悪魔を探すために飛び出した夜の街であったが、意外と彼女を見かけた人間は多かった。やはり目立つ容姿と、あの白いワンピースが皆の記憶に残っているらしかった。
 よく考えれば自分も彼女も、あの場にそぐわぬ格好だったのだろう。
 自身が身を置いていた天界にはない暗闇は肌を侵食していくようでうすら寒い。ひやりとした空気、鼻腔を刺すように触れてくるそれは今まで感じた事のないものであった。
 見かけた人間達に礼を言いながらルーシェルの行方を追う、どうも暗い方へ暗い方へと進んでいるようだった。やはり彼女は闇の眷属なのだ、陽の光を嫌いより闇の凝る場所を求めるのだろう。
 細い路地、いくつか目の角を曲がった所で、突然夥しい量の力の渦を感じた。

「!」

 ばっと空を見上げる、何かが蜷局を巻くかのように蠢いているのが解った。

「ヨシュアさん、あれ、……」

 自分の後を追ってきたルアードも解るのか、同じ方角を呆然と見つめ空を指さしている。
 それが誰のものであるかなど考えるまでもなかった。
 永遠とも思える長い間対立してきた悪魔の気配。凄まじい霊力の放出である、この量を扱える相手など自分は一人しか知らなかった。天界で相まみえた美しい女悪魔。美しさは霊力の強大さと比例している、四対八枚の皮翼を背に持つ永遠に交わらぬ存在。

 力は使えなかった筈である、それなのにこの霊力の濁流。何かあったのだと考えるのが妥当だろう。人間を。傷付けているのかもしれない。そう思うと足元がすくわれたかのようにひやりとするのだった。
 きっと前を向く。

 一刻も早く彼女の元へ行かねば。

 気配を辿って再び駆け出す。
 
   ※

 げほげほと激しく咽る。飲み込めなかった唾液が顎を伝い落ちた。
 膝をついて喉元を押さえる、手を縛っていた筈のロープは弾け飛んでいた。縛られていた間無理に動いたからだろう、擦れて痛む手首、そうして身体を支える為床についた左手には馴染んだ感触。

「……どうして、……」

 掠れた声色の呟きが床の上に転がる。
 その手には、己の愛器である大鎌が握られていたのである。ぐいと顎を拭う。
 何が起こったのかまでは解らなかった。あの時、掴んだ何か。それが己の霊力を爆発させたのか。
 霊力は使えなかった筈である。だからこの半身ともいうべき愛器も呼べなかった筈なのに、どうして今この手にある。ぎゅうと握りしめる、呼応するかのように小さく反応を返すそれは今までと何一つ変わることなく。確かに自分と長年連れ添った大鎌ナハシュ・ザハヴである。

「このアマ……、」

 衝撃で吹き飛ばされたらしい輝く金の瞳をした男が掴みかかろうとするも、己の手にある大鎌を見てぴたりと動きを止めた。相変わらずフードからは口元しか見えないが、驚いたとばかりに口を半開きにしていた。

「なんだそれ……お前、それ、どこから」

 確認するように呟いたかと思うと、にたりと男の口が大きく横に広がった。
 笑っている、のだろう。口元しか見えないというのに気狂いのような笑みを浮かべているのが解る、全身全霊で、おかしくて楽しくて仕方がないと言わんばかりの気配。

「なんだ、やっぱお前人間じゃないんだァ」

 あはぁとフードの男が大口を開けて笑う、覗く歯は異様なまでに鋭く尖っていた。向けられるのは気が違ったかのような逸楽。ぞわりと総毛立つ。

「ナハシュ・ザハヴ……!」

 こちらの呼びかけに手にした大鎌が反応を返す、横なぎに刃を振るえばゴッと。刃から放たれた疾風が建物をなぎ倒した。舞い上がる砂塵、がらがらと崩れ落ちる室内。周囲にはいくつか部屋があったのだろう、外から何人かの悲鳴が上がった。だが構ってはいられない。斬り伏せなければ。やられる前にやらなければ。逃げ道はないのだ、目の前にいる相手を薙ぎ伏せて、そうして、そうして。
 踏み込んで男との間合いを詰める、背後まで振り切った腕を再び右上から左下へと叩きつけた。石床が砕かれるものの男はギリギリのところで避ける。だが随分と余裕のある動き。遊ばれている。

「すっげぇなァ!」

 こちらの全力も難なくかわし感嘆とも取れる声が上がる。
 は、と重い吐息が唇から零れ落ちる。早鐘の様に脈打つ拍動、上がる呼気、指先が冷たい。震える身体を押さえつけ柄から手が滑り落ちないようにきつく握りしめた。

「あんた強いんだなァ!」

 ぎゃははとけたたましく笑うフードの男が崩れ落ちる屋根や柱を器用に避けながらこちらへと飛び掛かってくる、その動きは人間離れしていた。獣のようにしなやかに、凶悪に。向けられるのは純然たる殺意である。こちらへと伸ばされる腕、その爪はおよそ人とは思えぬ長さへと伸びている。
 目深に被ったフードがちらちらと揺れる、そこから覗く瞳はぎらぎらと光る。

 もう一撃放つために構えなおす。刃に術を乗せようとするが巧くいかない、ならば男の手を払いのけ隙を見て刃を直接叩き込むしかあるまい。得体のしれない人物相手にどこまで善戦できるだろうか。
 そんな事を考えていたら突然ぐん、と。フードの男が後ろに引っ張られた。
 そのまま床の上に投げ捨てられる、ぎゃ、とどこか間の抜けた悲鳴。

「なにすんだよォ!」
「時間切れだ、行くぞ」

 呆気にとられるこちらになどお構いなしに、浅黒い肌の男がフードの男の腕を乱暴につかんで引きずっていく。これに反駁したのがフードを被ったまま脱がない男だ。

「あァ!? こっからが楽しいんじゃねぇか!」
「これ以上目立つのはまずい」
「んじゃ飯はァ!?」
「駄目に決まっているだろう」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ男と対照的にこちらは淡々と告げていた。ちらりとこちらを射る浅黒い肌をした男の濃い瞳、感情が読み取れない。

「ちぇ、つまんねぇの」

 しばらく暴れていたが、浅黒い肌の男がよしとしないからだろう。フードの男の声は引きずられながらも諦めたのか、随分と軽く口にする。歩けるよォ、掴まれていた腕を払って二人は歩きだす。構えたままのこちらから完全に注意がそれる、それは、自分など歯牙にもかけぬ存在であると告げているのと同義だった。

「じゃあね、綺麗なお姉さん。今度はもっとドンパチしようぜェ?」

 言い捨てて、ひらりと二人の男は闇の中へと消えていった。
 呆然とその遠くなっていく後姿を睨みつけていたがふら、と。強張っていた肩から力が抜けた。
 がしゃ、手にしたナハシュ・ザハヴを床に突き刺して荒い息を繰り返す。周囲はもう人が集まり始めていて騒がしかった。己のいた部屋はどこだったのだろう、粗方吹き飛ばしてしまっていた。何故霊力がないのにナハシュを呼べたのか、爆発的に弾けた己の霊力だとか。あの時手にしたものが一体何だったのか、あのフードの男達は何だったのかなどと。

 色々と考えなければならないのだろうがそれどころではなかった。頬を滑り落ちる汗、がたがたと震えの収まらない身体。浅く速い呼吸を繰り返しながら纏わりつくようなあの殺気を、好奇の目を、仄暗い室内の凝る闇を。振り払おうと、はあと一際大きく息をついた瞬間。

「ルーシェル……?」

 名を呼ばれて反射的に顔を上げる。
 ばちりと目が合う。そこにいたのは場違いな程に透き通った優しい空色の瞳をした、輝く金の髪を振り乱して愕然とこちらを見ている天使の姿だった。
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