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「お前は本当に菜々子のことが好きだな」
そのときの絶望感を今でも時折、思い出す。変化に臆病な俺が、無意識下で押し止めていた感情を悠人はあっさりと指摘した。あれからというもの、俺の心内はどうしようもないほどに菜々子への想いで溢れている。
俺、倉林宏樹の幼少期の記憶は、兄である倉林悠人と幼馴染みの宮坂菜々子で占められている。公園デビューからお使いやお泊まりといった、ほとんどの「はじめて」を共に経験してきた。しかし、当然のことながら年齢の差は埋まらない。それを最初に思い知ったのは、二人が幼稚園に通うようになったときだった。
昨日まで一緒に遊んでいたのに、幼稚園に通う二人と家にいる俺。やっと帰ってきたと思えば、悠人と菜々子の間で交わされる今日あったことの話に入れず、寂しい思いをした。悠人は別にいい。昼間いなくなっても必ず家に帰ってきて構ってくれる。でも、菜々子は違う。待っていても来てはくれないし、会いに行こうにも幼子の足では遠かった。
菜々子と今までのように遊べなくなる。その不安から、彼女が家に来ると必ず隣に座ったし、悠人が帰ってきたら出迎えもそこそこに彼女について尋ねた。一途だった。そう言えば聞こえはいいが、言い換えればただひたすらに盲目だったというだけのこと。
「倉林、お前は聖人でも目指してるのか」
中学時代、三年間クラスが同じだった友人は言った。曰く、俺の口から嫌いな人間について聞いたことがないと。正直、彼とは好き嫌いを話すような仲ではなかったし、なにより当時の俺はどうにか二人に追いつこうと必死に背伸びをしていて、あまり周りに目がいかなかった。
「倉林くん。これ、今度の交流試合についての詳細だから、目を通しておいてね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「悪いんだけど、八千草くんと榊さんにも渡してもらってもいい?」
「大丈夫です。渡しておきます」
「ありがとう。じゃあ、宜しくね」
本来は中学時代にそういった人への対処の仕方を学ぶのだろう。けれど俺はそれをしてこなかった。それゆえに、彼女との距離を測りかねている。
彼女、天羽やちる先輩は弓道部のマネージャーだ。部内に限らず、その人となりに対する信頼と憧憬の言葉はよく耳にする。いつも穏やかで、少し天然。ほわほわという柔らかな形容が似合う、まさにテンプレートな女の子の彼女が俺は苦手だった。
天羽先輩がとても有能なマネージャーであることは間違いない。今し方渡されたプリントも要点がまとまっていて分かりやすい。それに好感は抱けど、やはりどうしても彼女とは極力関わりたくなかった。
「八千草、榊。天羽先輩から」
「んー」
「今度の交流試合のか。サンキュー、倉林」
「え、場所うちじゃないの?」
「それはあれだろ、向こうのコーチにインハイ経験者がいるとかなんとか」
「合同練習も兼ねるって言ってたしな」
「まーじーかー…私、向こうの一年、苦手なんだよね。嫌みだし」
「同じく」
榊の言葉にうんうんと頷く八千草に思わず苦笑する。同じ地区の大会出場校だが、強豪校として名が売れているせいか、どうにも虎の威を借る狐が多い。試合に出てもいないのに口だけは一丁前。それがあの学校の伝統とも言うべき一年の姿だった。
「そういえば私、こないだ見ちゃった」
「見た、って何を」
「向こうの学校の主将さん」
「少し強面の人だよな?名前なんだっけ」
「……確か楢崎さん、じゃなかったか?」
「そうそう、楢崎さん!」
「で、その楢崎さんがどうしたって?」
「天羽先輩に告白して振られた挙げ句、主将に蹴飛ばされてた」
「……。」
「……。」
なんともコメントしづらく、俺と八千草は顔を見合わせて黙り込む。告白のくだりには特に驚きはない。なにせ、楢崎さんの視線は的よりも天羽先輩に強く向けられていた。あれで彼の思いに気がつかないとなると、天然か興味がないか、はたまた気がついていて無視をしていたかのどれかだ。いずれにせよ、タチが悪い。
あれ、と違和感を覚えて眼鏡を押し上げる。榊は、誰が天羽先輩に告白した楢崎さんを撃退したと言っただろう。
「…主将も容赦ないなぁ」
しみじみとした八千草の声にああ、と思い出す。そうだ、主将がだ。すると今度はどうして、と疑問がわき上がる。
答えは欲しい。けれど欲しくない。自分の中で弾き出したそれを深く深く押し込めようとしているときに限って、周りの人間はするりと口にする。
「やっぱり、あの二人って付き合ってるのかな」
否定も同意もできない。だが、もしそうだったらどうしよう。どうすればいいのだろう。
予鈴がやけに遠くで響いている気がした。
そのときの絶望感を今でも時折、思い出す。変化に臆病な俺が、無意識下で押し止めていた感情を悠人はあっさりと指摘した。あれからというもの、俺の心内はどうしようもないほどに菜々子への想いで溢れている。
俺、倉林宏樹の幼少期の記憶は、兄である倉林悠人と幼馴染みの宮坂菜々子で占められている。公園デビューからお使いやお泊まりといった、ほとんどの「はじめて」を共に経験してきた。しかし、当然のことながら年齢の差は埋まらない。それを最初に思い知ったのは、二人が幼稚園に通うようになったときだった。
昨日まで一緒に遊んでいたのに、幼稚園に通う二人と家にいる俺。やっと帰ってきたと思えば、悠人と菜々子の間で交わされる今日あったことの話に入れず、寂しい思いをした。悠人は別にいい。昼間いなくなっても必ず家に帰ってきて構ってくれる。でも、菜々子は違う。待っていても来てはくれないし、会いに行こうにも幼子の足では遠かった。
菜々子と今までのように遊べなくなる。その不安から、彼女が家に来ると必ず隣に座ったし、悠人が帰ってきたら出迎えもそこそこに彼女について尋ねた。一途だった。そう言えば聞こえはいいが、言い換えればただひたすらに盲目だったというだけのこと。
「倉林、お前は聖人でも目指してるのか」
中学時代、三年間クラスが同じだった友人は言った。曰く、俺の口から嫌いな人間について聞いたことがないと。正直、彼とは好き嫌いを話すような仲ではなかったし、なにより当時の俺はどうにか二人に追いつこうと必死に背伸びをしていて、あまり周りに目がいかなかった。
「倉林くん。これ、今度の交流試合についての詳細だから、目を通しておいてね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「悪いんだけど、八千草くんと榊さんにも渡してもらってもいい?」
「大丈夫です。渡しておきます」
「ありがとう。じゃあ、宜しくね」
本来は中学時代にそういった人への対処の仕方を学ぶのだろう。けれど俺はそれをしてこなかった。それゆえに、彼女との距離を測りかねている。
彼女、天羽やちる先輩は弓道部のマネージャーだ。部内に限らず、その人となりに対する信頼と憧憬の言葉はよく耳にする。いつも穏やかで、少し天然。ほわほわという柔らかな形容が似合う、まさにテンプレートな女の子の彼女が俺は苦手だった。
天羽先輩がとても有能なマネージャーであることは間違いない。今し方渡されたプリントも要点がまとまっていて分かりやすい。それに好感は抱けど、やはりどうしても彼女とは極力関わりたくなかった。
「八千草、榊。天羽先輩から」
「んー」
「今度の交流試合のか。サンキュー、倉林」
「え、場所うちじゃないの?」
「それはあれだろ、向こうのコーチにインハイ経験者がいるとかなんとか」
「合同練習も兼ねるって言ってたしな」
「まーじーかー…私、向こうの一年、苦手なんだよね。嫌みだし」
「同じく」
榊の言葉にうんうんと頷く八千草に思わず苦笑する。同じ地区の大会出場校だが、強豪校として名が売れているせいか、どうにも虎の威を借る狐が多い。試合に出てもいないのに口だけは一丁前。それがあの学校の伝統とも言うべき一年の姿だった。
「そういえば私、こないだ見ちゃった」
「見た、って何を」
「向こうの学校の主将さん」
「少し強面の人だよな?名前なんだっけ」
「……確か楢崎さん、じゃなかったか?」
「そうそう、楢崎さん!」
「で、その楢崎さんがどうしたって?」
「天羽先輩に告白して振られた挙げ句、主将に蹴飛ばされてた」
「……。」
「……。」
なんともコメントしづらく、俺と八千草は顔を見合わせて黙り込む。告白のくだりには特に驚きはない。なにせ、楢崎さんの視線は的よりも天羽先輩に強く向けられていた。あれで彼の思いに気がつかないとなると、天然か興味がないか、はたまた気がついていて無視をしていたかのどれかだ。いずれにせよ、タチが悪い。
あれ、と違和感を覚えて眼鏡を押し上げる。榊は、誰が天羽先輩に告白した楢崎さんを撃退したと言っただろう。
「…主将も容赦ないなぁ」
しみじみとした八千草の声にああ、と思い出す。そうだ、主将がだ。すると今度はどうして、と疑問がわき上がる。
答えは欲しい。けれど欲しくない。自分の中で弾き出したそれを深く深く押し込めようとしているときに限って、周りの人間はするりと口にする。
「やっぱり、あの二人って付き合ってるのかな」
否定も同意もできない。だが、もしそうだったらどうしよう。どうすればいいのだろう。
予鈴がやけに遠くで響いている気がした。
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