真田記 小休憩編

蒼乃悠生

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風邪をひきました

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 場は、真田屋敷の一室。
 その床は、木目が美しい木の板。
 布団を敷いても体がひんやりとするので、布団と床の間にもう一枚布を敷いている。贅沢な仕様だ。
 身動いだかのように、布団がもぞもぞと動く。誰かが寝ているようだ。
「うぅん……」
 可愛い寝息と言いたいが、苦しそうである。鼻が詰まっているようで、鼻がズルズルと鳴り、息ができなくなったところで口呼吸になる。
 熱もあるようで体や顔が赤い。
 寝返りを打つと、額に置かれた手ぬぐいがボトッと落ちた。
 そこに、水の入った桶を持ってきた安岐が部屋に入る。
「まだ熱が出てるね、奥村さん」
 枕元に正座をした安岐は、奥村の額に手を当てて呟く。
 そして、落ちた手ぬぐいを拾い上げ、桶に入れる。冷たい水を含ませ、ギュッと絞り、再び手ぬぐいを奥村の額にそっと乗せた。
 その時、奥村の瞼が僅かに動く。
「あ……姫さん、か」
 瞼を重そうに開ける。
 口からか細く出た声は枯れていた。
 安岐は心配した面持ちで口を開いた。
「声もおかしいね。於江さんに薬をもらうから、少し待ってて」
 そう言って、立ち上がる安岐にお礼を言おうとするが、咳が出て、何も言えなかった。
 歩くと、微かに軋む床の音。
 障子を開ける音。
 そして、閉まる音。
 全て聴き終わると、己の咳をする音だけが残る。
 奥村は咳が落ち着くと、「あー」と吐き出し、体のだるさに眉を寄せた。
(風邪ひくの、いつぶりだっけかなぁ)
 見慣れた天井を見つめながら、そんなことを考える。
(あれ、ここ、真田のおっさんの部屋だ)
 天井を見ただけで誰の部屋が分かるのは、忍び者の性か。
 うとうとと、眠気が襲ってくる。
 夢の世界へ旅立とうとした時、人の気配がした。
 薄っすら開かれた目が見たものは、真田左衛門佐信繁の足。
「奥村、いいもん持ってきたぞ」
 そう言って、なにかを枕元に置く。
 心なしか、その声色は嬉しそうに聞こえた。
「これで早くよくなれ」
(そう言えば姫さんが於江さんに薬を頼みに行ったんだっけか……仕事が早いな)
 信繁の言葉も加わり、恐らく信繁が薬を持ってきてくれたのだろう。
 奥村は、たまには良い事をするんだなと感心し、意識は夢の中へ沈んでいった。


 雀の鳴き声がする。
 沈んだ意識の中で、奥村は雀の声を認識し、そろそろ目を覚まさなくてはと思う。
 ゆっくりと瞼を開け、体を起こした。
 まだ体は重たい。が、多少は楽になっている。
「ふわ~」
 口を大きく開け、欠伸。
 腕を天井に掲げ、体を伸ばす。
(まだ関節が少し痛いな……熱っぽい)
 肩を軽く回しながら、体の火照りが残っている事に気付く。
 さっさと於江が調合した薬を飲んで風邪を治そう。このまま寝てばかりだと気持ちも後ろ向きになってしまうし、体が鈍って、いざという時に戦えない気がする。
 信繁が持ってきただろう薬を探す為に、枕元を見た。
「……………………ん?」
 まだ寝ぼけ眼なのだろうか。
 そう思い、目を擦る。
 しかし、何度見ても変わらない。
「……………………」
 枕元に置かれた物。
 一冊の書物。
 表紙には見慣れぬ言葉が書いてある。
「………………枕、絵?」
 如何にも信繁が、初々しい奥村の為に大きく、デカデカと、分かりやすく、枕絵と書いた文字があった。
 これがどういうものか知らない奥村は、恐る恐る表紙をめくってみる。
 もしかしたら、体を鍛える方法、病を乗り越える方法など、秘伝書かもしれない。忍び者として、まだ未熟な己に、信繁が薬の代わりに喝を入れようと授けてくれたのかもしれない。
 風邪をひいて熱を出し、更に寝起きの奥村の思考は、歪んだ形で信繁を評価していく。
 そして、一枚めくった先には、
「ふぐッ!」
 男女が交わる絵。
 恥じらいなく、堂々と細部まで細かく書かれた線の動き。時には大胆に筆が走り、女体の輪郭がやけに色っぽい。
 女が男に喰われていく姿を、読者だけに見せる。
 奥村の赤い顔は、茹で上がったタコのように更に赤くなった。
「おっっっっさぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
 屋敷の屋根に羽を休めていた雀は、奥村の怒号に驚き、一斉に飛び立つ。
 屋敷内に響く声は雀だけでなく、人々をも驚かせた。
「奥村!どうした!!」
 奥村が寝ていた部屋に、誰よりも早く辿り着いたのは信繁だった。
 襖を勢いよくスパーンと開けると、枕絵を握り締め、仁王立ちしている奥村の姿。力がこもりすぎて、枕絵は潰れている。
「おお!起きたか!やはりわしが思った通りだ。下手に薬なんか飲ませずとも、枕絵ですぐに治るというものよ」
 ハッハッハッハッ!
 信繁は豪快に笑う。
 すると、グシャッと枕絵が更に潰れる音がした。
「お?」
 信繁は枕絵の状態に気づき、額から汗を流す。
「お、奥村。着物が乱れとるぞ?どれどれ、このわしが直してやろう」
 作り笑いを浮かべながら、肌が露出している、襟を正してやる。
 綺麗に整ったところで手を離そうとした時、奥村に手首を握られた。
 片手だというのに、物凄い握力だ。信繁はビクッと体を震わせる。
「奥村~?奥村さ~ん?」
 信繁がいくら話しかけても、奥村は俯かせた顔を上げず、返事がない。
 焦りが積もる。
 こんな時の奥村は獣よりも危険だ。
「!」
 枕絵を投げ捨て、信繁を投げ飛ばそうと体制を変えた瞬間、信繁は奥村よりも更に早く手首を捻り、間一髪のところで離れる。 
「チッ!」
 思わず奥村は舌打ちをした。
「ば、馬鹿か!本気で投げようとしたな!?」
「馬鹿はおっさんだろーが!病人にこんな破廉恥なもん置く奴がどこにいんだ!!」
「ははーん。さては奥村。奥村だけに、奥手ッ」

 バコーン

 信繁が言い終わる前に、拾い上げた枕絵を顔に投げつける。
 綺麗に決まったのを見て、奥村はやっと鼻で笑う。
 しかし、信繁は赤くなった鼻を摩りながら、余裕の笑みを浮かべている。
「ハッハッハッ。お子ちゃまはこれだから」
「んだと?」
 ピクッと震える眉間。
「まだ女を知らぬお子ちゃまには、枕絵は早かったようだなぁ!のぅ?奥村ぁ」
 ニヤニヤが止まらない。
 そんな信繁を見て、奥村は更に額に青筋を浮かべた。
「だーーーー!うっせえ!お子ちゃまでもなんでもねえよ!年老いたおっさんに言われたくねえ!」
「そこまで年老いとらんわ!!」
「より若い方がいいに決まってんだろ!」
「技がない若造なんぞモテんわ!!」
「馬ー鹿!!なにが技だ!ただの破廉恥頭なだけだろーが!助平頭!!」
「黙っとれ!なんもかんも済ませとらんひよっ子の方がよっぽど助平頭じやい!!妄想に妄想を膨らませて、自分で慰めとろうが!!」
「してねーよ!勝手に決めつけんな!ど助平頭!!」
「恥ずかしさ故に枕絵を見ることもできん奴が何を言うか!妄想でしか抜けんくせに!!」
「だから抜いてねーよ!!!黙っ」
 静かな殺気から横から流れてくる。
 思わず、白熱していた奥村らは言葉を止める。
 殺気が流れてくる方向へ、ガタガタと震えながら、恐る恐る視線を向けた。
 いつの間にか襖が空いている。
「申し訳ありません……」
 そこには玄葉が失笑しながら立っていた。しかし、殺気を出している源ではない。それはその先だ。
 玄葉の背後には二人の女性が立っている。
「源次郎?」
「はい!」
 手元に薬を握り締めている安岐。
 ニコニコと笑っているが、額にはいくつもの青筋が浮かんでいる。
「奥村さんになんてものを読ませようとしたの」
「すみませんでした」
「奥村さんはね、源次郎みたいに破廉恥なことを考えるような不純な子じゃないの」
 何故か奥村が怯える。
 そして、安岐の隣に佇む於江も口を開いた。
「純粋過ぎて、逆に困っていますが」
 ふぅと、わざとらしく困った顔をしてみせる。
「んもう!どちらの味方なんですか!」
 安岐はぷくーっとフグのように頬を膨らませる。
「下品な言葉の叫び合いはやめていただきたい、とのことです」
 玄葉は安岐の代弁をする。
 すると、奥村の怒りの矛先が変わる。というよりも、信繁への怒りを他人にぶつけ始めた。
「別に俺は言いたくて言ってるわけじゃねーし!おっさんが変なもん置いていくのが悪いだろ!」
「はいはい。もう皆様が迷惑するから、病人は寝てなさい」
 於江は瞬き一つで奥村の背後に立つ。
「うぐっ」
 誰も気づかないうちに持っていた、細い針を奥村の首に少し刺した。
 すると、変な声をあげ、奥村は全身の力が抜けたかのように崩す。
「あらあら、まだ熱があるじゃない。薬飲んで寝ないと」
「嘘だろ……力持、ぢッ」
 口を動かすのが精一杯の奥村は、己が於江に担がれて、驚愕する。
 と、於江が奥村の額を引っ叩いた。
 反撃しようにも、体がうまく動かない。恐らく、於江が刺した針が原因だろう。体の自由を奪われて、良い気分なわけがなく、奥村は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。


 そして。
 部屋には、布団で寝る奥村と、傍で薬を調合している於江、文机で書物を読む信繁がいた。
 薬を飲んだ後のようで、奥村は寝息を立てて寝ている。
 その顔を時折伺いながら、於江は文鎮で粉末になった薬の分量を量る。
 すると、信繁が口を開いた。
「お主ら、何故わしの部屋におるんだ」
 不満そうに口を尖らせる。
 すると、於江は口元を袖で隠し、コロコロと笑う。
「そんなこと言って、奥村のことが心配で仕方がないくせに」
「んなわけあるかーい」
 何処と無く言葉に抑揚がなく、一本調子に聞こえる。
「それに」
 懐から手ぬぐいを取り出し、それで奥村のこめかみにじんわりとかいた汗を拭く。
「奥村自身もここが落ち着くのでしょう」
 奥村は於江を背にするように寝返る。
 その様子をチラチラと横目で見ていた信繁は、暫くしてから書物に視線を戻した。
「わしの部屋だからのぅ」
 その口元はニッと微笑んでいる。
 二人の会話を奥村はこっそりと聞いていた。
 恥ずかしくて顔を赤くしているのか、熱が出ているだけだからか分からないが、そんな奥村を二人もこっそりと見ていたのだった。

 
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