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第四章 ドアの鍵は君が持っている
7 銀のフルート
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「話してなかったですね。ここは先生の家なんですよ。で、先生はshowというプロのフルート奏者で、今はヨーロッパで演奏会をしています」
福岡くんは棚から一枚のCDを持ってきた。それを受け取った私は、思わず「あ」と声を漏らす。
「このCD……一回音楽をやめようと思った時、夏希が持ってきてくれた奴だ。これを聴いて、音楽の道に戻ってきたんだよね」
『え? ほんと? マジ? 嬉しいことを言ってくれるなぁ! じゃあ、俺、明日帰るわ。しほりちゃんに会いに』
初めて会話する相手に、もう下の名前で呼ばれてる。私より年上だし、まあ、いいか。
「いや、あんた今ヨーロッパでしょ」
冷めた言い方をする福岡くん。
『ファンを大事にする。これ、俺の信条』
「初めて聞いた」
半眼から冷ややかな視線。その声も酷く冷めている。
本当にshow先生は初めて言ったんだろうなと、福岡くんの様子を見てよくわかった。
彼はお茶を一口飲んだ。
『ぁあ? それは湊が知らなかっただけだろ?』
「もういい。くだらん話をする暇はない。楽器の件だけど、俺の貸すから」
『は? 急になんだよ。ついさっきまで俺の貸』
福岡くんは、ポチッと画面をタッチする。電話を切ったようだ。show先生の言葉が途切れた。
そして、今まで見たことがないような長い溜息をついていた。
いつも私の前では、私よりも大人っぽくて、冷静に行動していた。
でもshow先生の前では、年相応のちょっぴり子どもっぽいところというか、崩れた感じのある一面を見て、なんだか安心した。思わず口元が綻ぶ。
「show先生、優しい人だね」
「鬱陶しいだけですよ」
「あ、お茶をどうぞ」彼に促され、一口飲む。気づかないうちに喉が渇いていたようで、飲み込んだ瞬間、体に冷たいものが染み渡るのを感じた。
「おいし」
露のついたグラス。掌が僅かに濡れて、それすらも心地良い。
「なにか食べます? カップ麺くらいなら作れますけど。この家で練習する時、いつもキュウリだけとか単品で済ましちゃうんで、料理が作れるほど買い込んでないんですよね」
口を手で覆いながら、恥ずかしそうに失笑する彼に、私は微笑む。
「晩御飯、まだ食べてないからいただこうかな」
「俺は好きですけど、深夜のカップ麺とか女性的にどうなんです? もし嫌だったら、俺がコンビニまで買いに行きますよ」
「いいよいいよ。気にしないで! それに私もカップ麺好きだよ! 深夜にカップ麺を食べる背徳感はあるけど、妙に美味しいよね」
誰かと一緒に食べる食事。
こんな穏やかな気持ちで食べるのは、いつぶりだろうか。
ここなら、突然、奈良栄先輩が来ることはない。
■ ■ ■
食べ終わったカップ麺のゴミを片付けた。
つい先程まで食卓として使っていたテーブルの上に、楽器ケースが並んでいく。
楽器を壊された私に貸してくれるという話だが、楽器が並ぶ様は楽器店や学校の吹奏楽部でしか見たことがない。出てくるフルートの数に驚きながら、福岡くんは更に楽器ケースを棚から運んできた。
「一通り揃ってはいるんですけど、どのメーカーが良いとかあります?」
一体、何本持ってるんだろうと、出てくる度に怖くなる。私なんてお金がないから、一本しか楽器を持ってないのに。
「今はムラアツを吹いてるから、できたら同じのがいいかな」
「ムラアツは人気ですよね。じゃあ、SRモデルとかどうですか?」
ムラアツ以外のフルートを遠くに離し、三本の楽器を手前に持ってくる。金のフルートが一本、銀のフルートが二本だ。
「PTPモデル、プラチナもありますけど、コンサートの本番は近かったですよね?」
「うん、二十二日だよ」
「本番が明後日か……総銀製よりプラチナは重いから、体が慣れる前に本番になっちゃいますね。重さに慣れてないと、すぐに疲れるからプラチナはやめちゃいましょうか」
そう言って、一本の銀のフルートが片付けられる。
「いっぱい楽器出てくるけど、やっぱりムラアツ以外にもあるの?」
「はい。俺はアルトスのPSを使ってますよ」
「アルトスかー。私が学生の頃は、まだ歴史が浅かったから、あまり楽器が良くないって噂があったんだよね。だから使うのが怖くって」
「今はもう違いますよ。いろんなプロの演奏家も使われてるメーカーですし」
「じゃあ、show先生も?」
「あの人もアルトスですね。演奏するホールや、ソロかアンサンブルかで、素材が異なるアルトスを使い分けてるみたいです。あの人、変人なんで」
「変人……まあ、確かに普通、細かく使い分けたりしないよね」
「それにあの人、金だけは持ってるから、なにかと自慢したいんですよ」
「うん、この楽器の多さを見ていると、お金持ちなんだろうなとは思いました。でもさ、福岡くんも凄いよ。アルトスのPSモデル? て、高いでしょ?」
「あー、百万……超えてた、かな? でも、俺のは大概先生のお下がりですから」
「ひゃ……百万円……」驚愕の値段に、目眩を覚える。
流石プロの演奏家。
教え子にお下がりですか。いや、あり得ない話ではないんだけど。どれくらいの値段で譲ってもらったのだろうか。
あと、その金額に釣り合うモデルを使ってるってことは、彼はそれなりの実力の持ち主ということ。それに福岡くんの親指のタコを見て、ぼんやりとは予想がついていた。
ムラアツ以外のメーカーのことはよくわからないが、出されている楽器を見ると、決して悪くないことだけはわかる。あまりにも安いフルートは、見た目がとてもシンプルなのだ。
「ムラアツのSRはリングキィのインラインしか持ってないですが、大丈夫ですか?」
「それは問題ないよ。今の楽器もそうだし」
リングキィは、リコーダーと同様で、キィに穴が開いており、指で塞ぐ。
インラインは、主管にあるキィが真っ直ぐに配置されている。
どちらとも指が短い人だと、なかなか難しい。穴が塞ぎきれない音は出ないし、キィに指が届かないと違う音が出たり、音が出なかったりする。初心者にはあまり向かない。
一方、無駄な抵抗が少ない為、音色と音程が安定しやすいという利点もある。だから、プロの演奏者はリングキィのインラインを使う人が多いのだ。
音色にも変化があるというのだから、楽器とは奥深い。
「SRで大丈夫か、少し吹いてもらっても良いですか? 防音室なんで気にせずに吹いても構いませんよ」
「うん、わかった」
彼が組み立てた楽器を受け取り、頭部管のリッププレートに唇を乗せる。
福岡くんは棚から一枚のCDを持ってきた。それを受け取った私は、思わず「あ」と声を漏らす。
「このCD……一回音楽をやめようと思った時、夏希が持ってきてくれた奴だ。これを聴いて、音楽の道に戻ってきたんだよね」
『え? ほんと? マジ? 嬉しいことを言ってくれるなぁ! じゃあ、俺、明日帰るわ。しほりちゃんに会いに』
初めて会話する相手に、もう下の名前で呼ばれてる。私より年上だし、まあ、いいか。
「いや、あんた今ヨーロッパでしょ」
冷めた言い方をする福岡くん。
『ファンを大事にする。これ、俺の信条』
「初めて聞いた」
半眼から冷ややかな視線。その声も酷く冷めている。
本当にshow先生は初めて言ったんだろうなと、福岡くんの様子を見てよくわかった。
彼はお茶を一口飲んだ。
『ぁあ? それは湊が知らなかっただけだろ?』
「もういい。くだらん話をする暇はない。楽器の件だけど、俺の貸すから」
『は? 急になんだよ。ついさっきまで俺の貸』
福岡くんは、ポチッと画面をタッチする。電話を切ったようだ。show先生の言葉が途切れた。
そして、今まで見たことがないような長い溜息をついていた。
いつも私の前では、私よりも大人っぽくて、冷静に行動していた。
でもshow先生の前では、年相応のちょっぴり子どもっぽいところというか、崩れた感じのある一面を見て、なんだか安心した。思わず口元が綻ぶ。
「show先生、優しい人だね」
「鬱陶しいだけですよ」
「あ、お茶をどうぞ」彼に促され、一口飲む。気づかないうちに喉が渇いていたようで、飲み込んだ瞬間、体に冷たいものが染み渡るのを感じた。
「おいし」
露のついたグラス。掌が僅かに濡れて、それすらも心地良い。
「なにか食べます? カップ麺くらいなら作れますけど。この家で練習する時、いつもキュウリだけとか単品で済ましちゃうんで、料理が作れるほど買い込んでないんですよね」
口を手で覆いながら、恥ずかしそうに失笑する彼に、私は微笑む。
「晩御飯、まだ食べてないからいただこうかな」
「俺は好きですけど、深夜のカップ麺とか女性的にどうなんです? もし嫌だったら、俺がコンビニまで買いに行きますよ」
「いいよいいよ。気にしないで! それに私もカップ麺好きだよ! 深夜にカップ麺を食べる背徳感はあるけど、妙に美味しいよね」
誰かと一緒に食べる食事。
こんな穏やかな気持ちで食べるのは、いつぶりだろうか。
ここなら、突然、奈良栄先輩が来ることはない。
■ ■ ■
食べ終わったカップ麺のゴミを片付けた。
つい先程まで食卓として使っていたテーブルの上に、楽器ケースが並んでいく。
楽器を壊された私に貸してくれるという話だが、楽器が並ぶ様は楽器店や学校の吹奏楽部でしか見たことがない。出てくるフルートの数に驚きながら、福岡くんは更に楽器ケースを棚から運んできた。
「一通り揃ってはいるんですけど、どのメーカーが良いとかあります?」
一体、何本持ってるんだろうと、出てくる度に怖くなる。私なんてお金がないから、一本しか楽器を持ってないのに。
「今はムラアツを吹いてるから、できたら同じのがいいかな」
「ムラアツは人気ですよね。じゃあ、SRモデルとかどうですか?」
ムラアツ以外のフルートを遠くに離し、三本の楽器を手前に持ってくる。金のフルートが一本、銀のフルートが二本だ。
「PTPモデル、プラチナもありますけど、コンサートの本番は近かったですよね?」
「うん、二十二日だよ」
「本番が明後日か……総銀製よりプラチナは重いから、体が慣れる前に本番になっちゃいますね。重さに慣れてないと、すぐに疲れるからプラチナはやめちゃいましょうか」
そう言って、一本の銀のフルートが片付けられる。
「いっぱい楽器出てくるけど、やっぱりムラアツ以外にもあるの?」
「はい。俺はアルトスのPSを使ってますよ」
「アルトスかー。私が学生の頃は、まだ歴史が浅かったから、あまり楽器が良くないって噂があったんだよね。だから使うのが怖くって」
「今はもう違いますよ。いろんなプロの演奏家も使われてるメーカーですし」
「じゃあ、show先生も?」
「あの人もアルトスですね。演奏するホールや、ソロかアンサンブルかで、素材が異なるアルトスを使い分けてるみたいです。あの人、変人なんで」
「変人……まあ、確かに普通、細かく使い分けたりしないよね」
「それにあの人、金だけは持ってるから、なにかと自慢したいんですよ」
「うん、この楽器の多さを見ていると、お金持ちなんだろうなとは思いました。でもさ、福岡くんも凄いよ。アルトスのPSモデル? て、高いでしょ?」
「あー、百万……超えてた、かな? でも、俺のは大概先生のお下がりですから」
「ひゃ……百万円……」驚愕の値段に、目眩を覚える。
流石プロの演奏家。
教え子にお下がりですか。いや、あり得ない話ではないんだけど。どれくらいの値段で譲ってもらったのだろうか。
あと、その金額に釣り合うモデルを使ってるってことは、彼はそれなりの実力の持ち主ということ。それに福岡くんの親指のタコを見て、ぼんやりとは予想がついていた。
ムラアツ以外のメーカーのことはよくわからないが、出されている楽器を見ると、決して悪くないことだけはわかる。あまりにも安いフルートは、見た目がとてもシンプルなのだ。
「ムラアツのSRはリングキィのインラインしか持ってないですが、大丈夫ですか?」
「それは問題ないよ。今の楽器もそうだし」
リングキィは、リコーダーと同様で、キィに穴が開いており、指で塞ぐ。
インラインは、主管にあるキィが真っ直ぐに配置されている。
どちらとも指が短い人だと、なかなか難しい。穴が塞ぎきれない音は出ないし、キィに指が届かないと違う音が出たり、音が出なかったりする。初心者にはあまり向かない。
一方、無駄な抵抗が少ない為、音色と音程が安定しやすいという利点もある。だから、プロの演奏者はリングキィのインラインを使う人が多いのだ。
音色にも変化があるというのだから、楽器とは奥深い。
「SRで大丈夫か、少し吹いてもらっても良いですか? 防音室なんで気にせずに吹いても構いませんよ」
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