風のフルーティスト -Canary-

蒼乃悠生

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第四章 ドアの鍵は君が持っている

2 彼の声

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「ふ、福岡ふくおかくん?」
『はい』
 久しぶりに聴く福岡ふくおかくんの声。
 それを聞いてほっとしたように、やっと強張っていた全身の力が抜けた。本当に彼と電話が繋がっている。
「今、時間いいかな」
『いいですよ』
 目の前にいないから、彼の表情はわからない。スピーカーを通して聞こえる声だけが、相手を知る材料。
 怒ってる?
 あんなふうに突き放した私を、怒ってる?
 そう疑問が浮かんだ瞬間、口を固く閉ざした。
『……眞野まのさん?』
 彼の柔らかい声色。高校生とは思えないほど落ち着き払った音に、心音が落ち着いていく。
「あ……」
 まただ。またなにも言えなくなってる。
 ほら。勇気を、出して。
「あの」
 なんて言おう。
 なにから伝えよう。
「あのね、あの」
 言いたいのに、上手く言葉が出てこない。
 今まで起きた出来事への悲痛な感情が、吐き出そうとする口を空回りさせる。いや、口だけではない。胸をぎゅっと絞ったような痛みが、喉の奥をツーンと刺激する。
 おかしいな。もう落ち着いたのに。
 夏希なつきのおばさんとおじさんに元気をもらったのに。
 もう涙も枯れたはずなのに。
 目頭が熱い。
福岡ふくおか、くん……」
 瞬きを繰り返す度に、次第に視界が潤んでいく。
 どうしてだろう。
 どうして涙が溢れてくるんだろう。
「ふ、ふく……おか、くん」
 名前すら、上手く言い出せなくなって。
 パンパンに膨れた不安に小さな穴が開き、そこから涙のように流れ落ちる。弾ける寸前だったそれが、小さくなっていくのを感じた。
「ふぇ……ふえぇ……」
 嗚咽が漏れる。
 口が麻痺したように言葉が紡げない。喉を締め付けるような苦しさが襲う。
 言いたいのに。
 夏希なつきにも、その両親にもちゃんと説明できた。
 電話越しだと、相手の顔が見えないから、対面より気を使う必要がない。それなのに、何故か相手が福岡ふくおかくんになると感情が抑えきれなくなって、止まらない。
「わああぁぁ……ぁぁ……ん」
 悲しいとか、つらいとか、苦しいとか、後悔もある。いろんな感情が混ざり合って、ぐちゃぐちゃになってまとまらない。これも言いたい。あれも言いたいと、喧嘩をするように。
 なんで。
 なんで、こんなにも涙が止まらないの。涙を止めないと、ちゃんと話ができないじゃない。
 ダメな三十代だ。福岡ふくおかくんよりも先輩なのに。しっかりしなきゃ、いけないのに。
眞野まのさん』
 変わらない優しい声。
『大丈夫ですか?』
 どこまでも優しい。
「だ、大丈夫、じゃ、ない」
 ありのままに浮かぶ言葉を口にする。無駄な飾りを付けず、素の心を曝け出したい。
「大丈夫じゃないっ」
 口に出すと実感する。今の危機的状況に心が押し潰されそうだということを。
「助けて」
 ダメだよ、こんな言い方では困っちゃう。ちゃんと順を追って説明をしなきゃ。
「助けて、福岡ふくおかくん」
 私の方が年上なのに、感情を制御できずに上手く伝えられない。
 顔をぐしゃぐしゃにして、電話を切ってしまおうかと思ってしまった。
『わかりました』電話の向こうから、ふっと笑う声がした。
『今、どこですか?』
「え? えっと……どこだったかな……あーえーとー……」
 意識はあったけど、ここまで来た時の記憶は朧げだ。福岡ふくおかくんに言われて、やっとどこの病院に来たんだろうかと不思議に思う。
 急いで周りを見渡し、病院名がわかるものを探した。意識の方向性が変わったからか、いつの間にか涙は止まっていた。
 そこで見つかる、ベンチに付けられた金属製のプレート。そこには寄贈者とメッセージ、そして寄贈先が書かれていた。「四つ葉病院」と。
「あ、あった。私がいる場所は、四つ葉病院だよ」
『四つ葉かぁ……どの駅から行っても遠いし、チャリでも行くのに時間がかかりそうですね』
 学校よりもっと向こうの山側でしたよね、と彼は言った。
 夏希なつきが入院している四つ葉病院は、駅から離れた場所にある。車を持っていないと少々面倒だ。
 チラリと腕時計を見る。
 十時に針がさしている。こんな時間に高校生がタクシーを使うと問題になりそうだ。
 少し悩むように沈黙が流れる。
眞野まのさん、賀翔がしょう高に来られますか?』
「今から?」
『はい。眞野まのさんは俺の家を知らないし、俺が眞野まのさんのアパートに行くのは迷惑でしょ』
 アパートと聞こえて、壊されたフルートと傷つけられた夏希なつきの姿がフラッシュバックする。
「ごめん、アパートはちょっと……」
 ただの記憶でも痛々しい姿に眉間が寄り、表情が曇る。
 声でもそれが伝わったのか、彼は『気にしないでください』と言い、
『学校ならお互いに知ってるし、四つ葉からもまだ近い。俺も問題ありません。眞野まのさんさえ良ければ、そこで落ち合いましょう。直接会った方が話しやすいでしょ?』
 流れ星が流れた。
 前の彼氏のように、早く言えよと声を荒げない。心の傷を知っているように彼は私のペースに合わせてくれる。
「うん、じゃあ学校で……あ、待って!」
『どうしたんです?』
 私は慌てた。だって、
福岡ふくおかくんのお母さんにバレたらまずいよ……こうやって連絡をとってるのも、たぶん……いや、かなりヤバい……」
 またお母さんが賀翔がしょう高校に乗り込んできたら、流石に学校関係者に申し訳なく、もう練習しに行けない。
 練習場所を探すこと自体は問題ないが、アクセスと環境が良い場所となると、なかなか見つからない。
『あぁ』と福岡ふくおかくんは納得した様子で、言葉を続けた。
『わかりました。そこらへんは上手く誤魔化しておきますよ』
「でも……」
『心配しないでください。高校生にもなって、自分の母親くらいなんとかできないとダメでしょ』
「……福岡ふくおかくんがそれでいいなら。……ごめんね、ありがとう」
『気をつけて来てくださいね』
 安堵して、息を吐く。
 根拠はないけど、なんとかなると心の底から思った。一人じゃないって、こんなにも心強いものなんだ。
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